前編
うふふ。
ふふふ。
くすくす。
笑い声が忍び寄ってくる。
「……誰だい?」
そっと呼びかけた途端に笑い声は止んだ。
静まり返った闇に声は溶けた後だ。
夢か。
そう思ったものの、夢にしては気配が濃すぎる。
ふすまを開け放った。
・。・*・。・*・。・*・。・
客間の縁側はそのまま庭に通じている。
雪の敷き詰められた庭は、ひっそりと静まり返っている。
雪が音という音を飲み込んでくれるせいだろうか。
踏み出した自分の足音さえも、雪のやわらかさが受け止めてくれている。
静寂に包まれた世界に、自分も足を踏み入れてしまったかのような。
ふふふ……。
やはり、小さく笑い声がした。
雪明りの中、浮かび上がる人影にぎくりとした。
女の子が三人、雪の降り積もった庭に茣蓙を敷き、そこでままごとをしているらしい。
あまりに現実離れした風景に、やはり夢の中に迷い込んだのだと思った。
だがこの身を切る様な寒さと吐く息の白さが、かろうじて現実だと教えてくれている。
右に座る女の子はうす桃色の羽織を、左に座る女の子は紅色の上着を羽織っている。
真ん中に坐する少女は白装束だ。
その少女は白い狐の面を被っていた。
あれは我が家の居間に掛けてあったものだろうか。
面と言っても鼻までの造りで、口元は見える。
何であれ、新年らしくみんな晴れ着と思われる格好だった。
「君たちは誰だい?」
うふふ、ふふふ、くすくすと、笑いあいながら女の子たちはそれぞれの顔を見合わせた。
「なー」
「いー」
「しょ!」
――だよーだ。
そう言い合って、また笑い出す。
「何をしているんだい?」
「訊いてばかりね、あなたときたら」
「そうね、訊いてばかりだわ」
「ちょっとは自分で考えたらどう?」
「考えるも何も! こんな時間に女の子が何をやって……!?」
ムキになって叫んだ言葉を、自分で飲み込んだ。
そうだ。
頭では異常な光景だとわかっていたではないか。
いちいち口にするまでもない。
確か時計の針は、とっくに深夜を差していた。
雪明りの中、集まって何をするというのだろう?
「だって昼間はわたしたち、忙しいし」
「それに人目だってあるから、あんまり堂々と遊んでもいられないし」
「ねえ」
少女たちはまた、声を合わせて笑いあう。
一端は真面目ぶって忍ばせた声を、こらえ切れずに吹き出してしまったようだ。
それがまるで、お守りについていた、小さな鈴が鳴る音みたいに響き合う。
笑い声は雪景色に、ひっそりと飲み込まれて行くかのように、だんだんと小さくなった。
気が付けば、三人の女の子がこちらを一心に見ていた。
まるで初めて見る生き物を見るみたいに、つぶらな瞳を精いっぱいに真ん丸にして。
そのうちの一人は狐の面越しからのせいか、まるで生い茂る草の間から様子をうかがわれているような気がする。息をひそめてスキをうかがわれているかのような。
「ねえ、タカ坊ちゃん」
その呼びかけに安心した。
何だ。やっぱりこの屋敷の子じゃないか、と。
どうせ住み込みのお女中衆の、誰かの娘に違いない。
そうでなければ、とっくに坊ちゃんなんて呼び方はされない。
勤め人でなければ、知りもしないはずだ。
「坊ちゃんじゃない。貴久」
「ふぅん」
「あたしは桃花」
「わたしは紅子」
名の通りうす桃色の着物の袖を口に当てて、女の子は言った。
続いて名乗った子も同じく、名に合わせた召し物を着込んでいる。
「君は」
「当ててみて」
もう一人、白い装いの少女は名乗らなかった。
そっと尋ねると少女は、とても綺麗に唇だけで笑って見せた。
白い衣から連想するもの。
それはこの一面の雪に匹敵する、何か。
何にせよ、美しいものしか浮かばない。
その時、名乗らない女の子が髪をかき上げた。
ほのかでいて、きりりと身を引き締めるような香りが、鼻先をかすめた。
思い出せそうで思い出せない。それでいて懐かしさを匂わせる。
・。・*・。・*・。・*・。・
「お弔い」
「え?」
「お弔いよ」
「……。」
「お弔いごっこ、なの」
――だってさっき何をしているのかと訊いたじゃあないの?
「ままごとではなくて?」
「おままごとには、もう飽きてしまったの」
そう言って、白装束の女の子は唇の端を持ち上げた。
「あなたも、お弔いに来て下さったのでしょう?」
桃花と名乗った少女が、無邪気に僕の手を引いた。
「いや、僕は」
「あなたからもお悔やみをいただきたいものだわ」
紅子と名乗った少女も、同じように僕の手を引いて笑った。
小さくか弱い手だったが振り払えなかった。引かれるままに、よろめいて茣蓙に膝をつく。
お弔い――誰の葬式だという?
お悔み――誰に述べろと言う?
この白く淡い光を放つような、女の子たちを代わる代わる見つめた。
狐の面の少女が歌うように告げる。
「私によ、タカ坊ちゃん」
だから、白い装束に身を包んでいるとでも言いたいのか?
背筋が寒い。それは、体がというよりも、もっと奥。
胸の芯から冷えたみたいな感覚だった。
美しいと感じる気持ちと、恐怖を感じる気持ちはどこか似通っている。
そうだ。例えばこの雪に感じるものと一緒のような気がした。
「君の名前は……?」
「当ててみて」
きっぱりと小さな唇は告げた。
「当ててくれないと、帰さない」




