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彼女がお見合い

 私は毎朝大学生の咲乃さんとジョギングをしている。

 春の気配を感じる朝の空気。二人で走っていると咲乃さんが口を開いた。


「みこちゃん知ってる? 響さん、今度お見合いするんだよ」


 いきなりとんでもない情報を持ち出してきた。

 でもなぁ。


「また例の勘違いですか?」

「何それ?」

「いっつもやらかしてるじゃないですか。咲乃さんの思い付きとか思い込みとか、毎回碌なことにならないじゃないですか」


 特に響さん絡みが酷い。

 響さんは元同級生の西田さんが好きなのだが、二人をくっつけるんだと余計な策を弄したこともあった。

 商店街で一、二を争う美人の響さんを振るなんてあり得ないとか言ってお見合いさせたら、西田さんは二次元しか興味がなくて走って逃げたんだよな。

 響さんが妊娠したとか早とちりした事もあるし。

 まぁ、あれを西田さんに言っちゃったのは私なんだけど……。

 とにかく咲乃さんが絡むと碌なことにならない。

 これは商店街の定理なのだ。


「言うね、みこちゃん。でも今回は本当だよ。響さんから直に聞いたんだから。何だったらみこちゃんも聞きに行けばいいよ。気になる話ではあるでしょ?」


 まぁ、本当だったらの話ですが。




 取りあえず放課後に小村書房まで行ってみた。ここのマンガコーナーに響さんはいる。


「こんにちは、響さん」

「いらっしゃい、みこちゃん。参考書?」

「いいえ、今日は響さんに用があって」

「ああ、お見合いの話ね。さっそくサキちゃんが広めてるのね」

「え? 本当なんですか?」


 こちらが聞く前に白状したぞ。


「まぁ、お見合いと言ってもちょっとした昼食会なんだけど。そこへお母さんの友達の友達の息子さんが同席するのよ」

「なんだ、ご飯食べるだけなんですね」

「実質お見合いよ。その人、三十過ぎなんだけど、私と同じでやっぱりバツイチなのよ。ようやく離婚の傷も癒えたから、新しい相手を探してるんですって」

「でもお見合いのお話にしては冷静ですね」

「まぁねぇ。私も今年で二十九だからねぇ」


 そう言って遠い目。彼女の心境は中学生の私には分からない。


「西田さんはどうしたんですか?」

「西田くんはあいかわらず友達のまま。そうなのよ、友達のままなのよ……」


 また遠い目。これは少し分かる。

 本当はお付き合いしたいのに、西田さんはあいかわらず二次元第一だし、響さんはヘタレなのだ。切ない気持ちにもなろうというもの。


「そんな二人が一歩前進するいい機会ですよ!」


 ひょっこりマンガフロアに顔を出してきたのは咲乃さん。


「また? そういうの、毎回碌でもないことになってるじゃない」

「みんな似たようなこと言いますね。失礼な」


 いや、自覚してください。私も時々被害に遭うんです。


「とにかく余計なことはしないでよ。お見合いもちょっとしてみる気でいるんだし」

「本当にそれでいいんですか?」


 ずいっと咲乃さんが響さんに顔を近付ける。


「妥協とか、後で悔やむに決まってますよ?」

「でも私、二十九なのよ。三十がにやにやしながら待ち構えてるのよ」

「そうやって焦ってたら余計いい判断なんてできやしませんて。妥協で結婚なんて碌でもないですよ」

「いや、すぐに結婚とかじゃないわ。一度ちゃんと自分の気持ちと向き合ってみたいのよ」

「自分の気持ちって、西田さんが好きなんじゃないんですか?」


 疑問に思った私が口を出す。


「好きよ。好きなはずよ。でもこのまま何の進展もないまま好きで居続けられるのか、自信がないのよ。もしかすると、恋を追いかけるより幸せな家庭を築く方が幸せなのかもしれないわ。友達はそう言うのよ」

「難しく考えすぎですってば」

「若い二人には分からないわ。好きだけを追いかけていける時代は終わったのよ、私の場合」


 そう言って、うなだれてしまった。

 私と咲乃さんは顔を見合わすしかできなかった。




 二人でお店を出ると、咲乃さんが口を開いた。


「じゃあ、さっそく動いてみましょうか」

「え? さっきの話聞いてました? めちゃくちゃシリアスモードだったじゃないですか」

「恋するのに年なんて関係ないよ。響さん、今はナーバスになってるけど、このままじゃ絶対に後悔する。お見合いなんて、私たちで粉砕するよ」


 そう言って拳を振り上げる。


「ああ、私もなんですね」

「見過ごせないでしょ?」


 うーん、本人の意向ってもんがなぁ。

 でも年令を気にしすぎて好きって気持ちを押し殺すなんて間違ってないだろうか? いいや、間違ってるに決まっている。


「分かりました。私も協力しますよ。何かいい手があるんですか?」

「あるよ。一石二鳥だよ」


 得意げに胸を張る。この人、策のアイデアだけは豊富である。碌でもないのが多いけど。


「西田さんに偽の恋人を演じてもらうんだよ。それで響さんの親御さんに引き合わせるの。恋人がいるってなったらお見合いの話は流れるし、嘘でも何でも恋人って既成事実を一回作っちゃったら、あの小心者の二人は後に引けなくなるよ」

「あいかわらずむちゃくちゃですね」

「大丈夫大丈夫。私もその場でうまくフォローするから。じゃ、響さんの方には私から言っとくし、西田さんの方はよろしくね」

「分かりました」


 無茶でも何でもお見合いだけは阻止してやるのだ。




 さて、『おもちゃのサガワ』にやってまいりました。西田さんはここの店員なのだ。

 棚の整理をしていた西田さんを奥の倉庫まで引っ張っていく。


「……という訳で、響さんはむりやりお見合いをさせられるのよ」

「そうなんだ」


 反応が鈍い。

 響さんが自分を好きなの知ってるんだし、ちょっとは焦るなりするところでしょうに。

 まぁ、とにかく。


「何としてでもお見合いを粉砕しなきゃいけないの。そこで西田さんの助けがいるのよ」

「でもよそ様の事情に口出しするのはどうかな? 小村さんの親御さんなりの考えがあるんじゃないかな」

「だとしても! だとしても。本人が嫌なのにお見合いなんて間違ってる!」


 拳を振り上げてみる。


「うーん」

「煮え切らないわね。どっちみち、西田さんは協力するってことで話は進んでるから」

「あいかわらず強引だなぁ。で、何するの?」

「響さんの恋人になって欲しいの」

「えっ! それは無理だよ。俺は二次元にしか興味ないんだし」

「その辺の病的な性癖はこの際置いといて、ふりだけしてくれたらいいのよ。単に座っとくだけでいいから。後は咲乃さんが勝手に話を進めてくれるわ」

「うーん」

「響さんは友達なんでしょ?」

「そうだよ、友達だよ」

「友達が困ってたら助けるものでしょ? 響さんの哀しむ顔を見たいの?」

「そうだなぁ。分かったよ。どこまでできるか分からないけど、やってみるよ」

「よく言った!」


 その背中をばしばし叩いてやる。




 翌日のジョギング。


「よしよし、うまくいったね。響さんの親御さんにも話をしといたよ。さっそく明日、引き合わせようか。ちなみに響さんはこの件を知りません」

「えっ! どういうことですか?」

「響さんはごねるに決まってるじゃない。響さんのご両親、西田さん、私、それにみこちゃん。これが会談のメンツだから」


 うわっ、あいかわらずタチが悪いなぁ。


「まぁ、全部私に任せてよ」


 自信満々な咲乃さんだが、この人が意外に役に立たないのを私は知っている。




 そして五者会談。

 駅前のカフェが会談場所。

 響さんのご両親、つまり小村さんご夫婦と私たちは当然顔見知りである。

 二人とも穏やかな人柄な一方商売に関しては容赦なしで、店員の響さんが嫌がるのを知っていながらエロマンガを大量に並べて売ったりしている。

 一人娘の響さんの離婚した原因がエロマンガであるのを知っていて、なおである。

 予定時間を五分過ぎてから一番最後の西田さんが現われた。駄目な奴だ。

 とにかく五者会談である。


「それで、西田君が?」


 お父さんが口を開いた。

 二人も同じ商店街で働く者同士、知り合いだ。


「ええ、はい。響さんとお付き合いを、その……」

「もう大分前からお付き合いしてるんですよ。響さんがベタ惚れで」


 咲乃さんが口を挟む。


「でも響ちゃんそんなの一言も言ってなかったのよねぇ」

「年のいった人って、昔型おたくに偏見がありますからねぇ。タイミングを見計らってたみたいですよ」

「水臭いわねぇ」


 お母さんがチーズケーキを口にした。

 私もイチゴのタルトを食べているのだが、全然味なんてしない。咲乃さんがいつやらかすか気が気でない。


「今回のお見合いの話が出てきてもまだためらってるし。下手に言って二人の仲を認めてくれないのを怖がってるんですよ」

「別に俺達反対なんてなぁ。響もいい年なんだし」

「まぁ、その年がネックってのもありますけど。彼、ライフスタイル的に結婚とか向いてませんからね」

「結婚ねぇ」

「結婚なぁ。やっぱり西田君は響と結婚する気はないのかな?」


 最近特に頭髪が薄くなってきたお父さんが身を少し乗り出す。


「いやぁ、やっぱり俺、結婚は……」


 小心者の西田さんが小さくなる。


「やっぱり離婚歴が?」

「いえ、それは全然。響さんは俺にはもったいない人ですよ。やっぱり……」

「でも響さんの方がベタ惚れですからねぇ」


 ヘタレ始めた西田さんを牽制する咲乃さん。


「こんな不器用なお二人をもう少し見守っててやってくれませんかね? お見合いの話もなしの方向で」

「そうだな。お見合いはやめておこうか、母さん」

「そうねぇ。お相手、かなりいい人そうなんだけどねぇ。あ、西田さんがよくないって意味じゃなくて」


 突如、ものすごい音を立てて扉が開かれた。

 そこには息の乱れた響さん。

 げっ。


「何やってんの、サキちゃん!」

「なんで? 親衛隊に見付からないよう、商店街の外にしたのに!」


 あ、それでこのカフェだったのか。小細工が好きな人である。

 いや、今はそれより。


「ミチちゃんがみんなを見かけたって声かけてくれたのよ!」

「しまった、商店街の外の人間か!」

「歯ぁ食いしばって、サキちゃん!」

「ううっ!」


 猛然と突っ込んできた響さんに頬を差し出す咲乃さん。

 べちっ!

 響さんが咲乃さんを引っぱたいた。咲乃さんは柔肌を赤く染めて半泣きになる。

 うわー、こんなマジギレしている響さんは初めてだ。 


「みこちゃん、どんな話してたの?」

「あー、いや。西田さんとお二人お付き合いしてるって。だからお見合いはやめて下さいって」

「あーもー、またそういうことするかー!」

 

 頭を掻きむしる響さん。


「すみません!」


 立ち上がってご両親に頭を下げたのは西田さんだった。


「全て嘘でした。俺なんかが響さんと付き合うだなんて、そんなことは絶対にありえませんから」

「あれ? 絶対はどうですかね?」


 頬をさすりながら咲乃さんが言う。響さんの様子をうかがっているようなので私も見てみると、大粒の涙を浮かべていた。


「いや、絶対にないです。響さんはもっといい人と結婚すべきなんです。是非とも見合いはすべきです」


 顔を上げた西田さんを見上げるご両親。


「西田君はそれでいいの?」

「俺は元々好きでも何でもないですから」


 お母さんに答えると、私を押し出してカフェを出ていった。

 西田さんの姿が見えなくなってから響さんが膝を床に付けた。


「うわわわわわん」


 みっともなく泣き喚きだす。




 翌日『小村書房』に顔を出すと、響さんの代わりに咲乃さんが店員をしていた。

 お客の数がやたら多いし、全員がエロマンガを買っている。

 商店街の若い衆のうち、咲乃さんの親衛隊をしている連中の犯行だ。


「ありがとうございまーす」


 変に甘ったるい声で小首なんて傾げてセクハラ野郎どもの相手をしている咲乃さん。


「響さんはどこですか?」

「まだ部屋に閉じこもってるよ。みこちゃんなら顔出してくれるかも。行ってきてよ」

「あ、サキちゃん、領収書書いて」

「し、書名も書きますか?」

「お願い」

「くっ!」


 咲乃さんの顔が羞恥で赤く染まる。

 ちらりと見てみると、とんでもない題名のマンガだった。

 情けない罰ゲームを受けている罪人の元を離れる。




 響さんの部屋の扉をノックする。


「響さん、いいですか?」

「みこちゃんね。駄目よ、鍵かけてるし」

「あのー、昨日のことはすみません。反省してます」

「そのことはもういいわ。主犯には罰を与えてるし」

「あれはキツい罰ゲームですね」

「エロマンガ売る時は、全ページパラパラめくって見ないとダメって言い含めてあるの」

「若い衆が大挙して押しかけてますよ」

「サキちゃん、あれでウブだからいい罰よ。みこちゃんには何してもらおうかな?」


 音がして扉が開いた。


「入って」


 響さんは目の下が腫れて黒ずんでいた。


「酷い顔でしょ。年は取りたくないものだわ」


 そう言って深いため息。

 響さんと並んでベッドに腰掛ける。


「お仕事サボったのなんて久し振りよ。会社行ってた時に一度だけあるんだけど。何でだか分かる?」

「元旦那さんのエロマンガ趣味を見付けた時ですね」

「そう。その通り。あの時は一日で済んだけど、今回はどうだろ。私、こんなに西田君を想ってたって知らなかった」


 足を前に出して爪先を眺めている。


「まだまだチャンスはありますよ。あー、私が言うのも何ですけど」

「どうだろうねぇ。あ、お見合いは来週に決まったから」

「え? するんですか、お見合い。好きなんでしょ? 西田さん」

「自棄になってるわけじゃないわ。これはいいきっかけなのよ。サキちゃんにも感謝しなきゃね」

「でも……」


 響さんが私の手を握った。


「最後の未練を断ちたいの。みこちゃん、西田君にお見合いの日取りを伝えてくれないかな。それ以外、余計なことは何も言わないで」

「でも、言わないと伝わりませんよ」

「気持ちは伝えたわ。前の妊娠騒動の時、言ったじゃない」

「うーん、あれは結構ぐだぐだでしたけどねぇ」

「それでも私の気持ちは知ってるはず。でも彼は来てくれない。それで私は未練を断ち切れる」


 手を握る力が強くなる。


「本当は来て欲しいんですよね?」

「来てくれる訳ないじゃない」


 声が上ずり、涙を流し始める。その頭を撫でると私の肩に頭を預けてきた。




 私の足は重かった。

 ただ日取りを伝えて終わり、なんて私の性じゃない。でもこれは罰なんだ。

 『おもちゃのサガワ』にたどり着くと、店長の佐川さんに声をかけられた。

 この人は私が物心ついた時にはすでにお爺さんだった。


「なんだ、今日はみんなしみったれた顔してるな」

「西田さんもですか?」

「いつも暗い奴だが、今日は特別暗いな」

「でも出てきてるんですね」

「ああ、冠婚葬祭以外で休んだらその場で首っていうのが、奴を雇う条件だったからな。実際、今まで欠勤はなしだ」

「そう言えば、西田さんて何でここで働いてるんですか? 一流大学の大学院出てるんですよね?」

「こんな田舎のおもちゃ屋でこき使われてるのはおかしいってか」


 佐川さんがにやりと笑ってきた。


「あー、いや」

「詳しくは俺も知らん。俺こそ驚いたぞ。小さい頃ここへ通いつめていた奴が大人になっていきなり現われたんだからな」

「家族で都会に引っ越ししたのに自分だけ戻ってきたんですよね」

「そうだな。この店があいつには居場所らしい」

「居場所?」

「どんなに便利な都会でも居場所がなければ居てられないんだろう。みこちゃんにとっては『野乃屋』だな。『野乃屋』のない生活なんて考えられないだろ?」

「それはそうですね」

「居場所ってのは何も店や土地だけじゃないんだけどな。あいつもそれに気付けばいいんだが」


 倉庫から西田さんが出てきた。


「そら、行ってこい、キューピッド」


 佐川さんに背中を叩かれる。そんないいもんじゃないんだけど……。


「あ、みこちゃん」

「昨日はごめんなさい。また迷惑かけて」


 まずは頭を下げる。


「いいよ。ちょうどよかったんだ。小村さんも俺なんか構ってないで、ちゃんとした幸せ見つけなきゃ」


 そう言う顔はどんよりと曇っていた。よかったなんて本当か?


「あの、次の日曜日。その日、響さんのお見合いだから。十時にお家を出るって」

「そうなんだ。よかったよ、お見合いの話が流れなくて」


 本当にそう思ってる?

 喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 相手は目が泳いで明らかに動揺してるのに。


「じゃ、それだけだし。あんまり余計なこと言わないよう、釘刺されてるから」

「あ、小村さんの様子はどう?」

「余計なこと言っちゃ駄目だから」


 逃げるようにお店を飛び出した。




 その次の日から響さんはお店に出てくるようになった。

 いつもと変わらない笑顔でお客と接している。




「空元気だよ」

「ですよねぇ」


 お見合い当日の朝のジョギング。


「あれから西田さんは響さんのところへ顔を出してないんですか?」

「そうみたいだよ。予約してたマンガが積みっぱなしになってたし」

「どうしましょうか」

「うーん、さすがにこれ以上は手出しできないよねぇ」

「ですよねぇ」

「はー、やっちゃったなぁ。すごい自己嫌悪だよ」

「え? 咲乃さんにも自己嫌悪とかあるんですか?」

「失礼な」


 そう言って咲乃さんは口を尖らせてみせたが、憂いの色は隠しようもなかった。


「西田さん頼りですね」

「あの小心者には期待できないよ……」


 二人で深くため息をつく。




 午前九時。

 私と咲乃さんは今日はお休みの『小村書房』の前に突っ立っていた。


「君らは前科が多すぎるのよ。小細工しないか見張っておかないとね」


 目の前にいる響さんはかなり気合いを入れて着飾っている。こんな田舎の商店街には似つかわしくない格好だ。都会にこそふさわしい。


「いいネックレスですね。今度貸してくださいよ」


 咲乃さんが言う金のネックレスは、ルビーが一粒嵌められた華やかな物だった。


「がさつな人には貸せませーん」


 べーっと舌を出す。

 そんな無駄話をしているうちにもタイムリミットが近付いてくる。

 私がそわそわしているのを見とがめられる。


「駄目よ、みこちゃん。大人しく見送ってちょうだい」

「でも……」

「今日のはただのお食事会かもしれない。でも、私には一歩前に踏み出す大事な日なのよ」


 晴れやかな笑顔に私の胸は余計に痛んだ。


「十時だ……」


 自分の腕時計を見ていた咲乃さんがつぶやく。そのまま座り込む。


「じゃ、行ってきます。二人にもお菓子、買って来たげるわよ」


 かわいらしくウィンクをして響さんがお母さんと一緒に駅へと歩き始めた。


「あいつ、なんで来ないんだよ」


 咲乃さんが吐き捨てる。

 今からでも呼びに行くか? でも余計なことかも? これ以上やらかしちゃ駄目? でも……でも……。


「小村さんは?」


 息を弾ませて現われたのは西田さんだった。


「何してるのよ、遅いよ!」


 こんな時まで遅刻かよ!


「まだ間に合うかも、駅までダッシュしな!」


 言い終わる前に咲乃さんは走り出していた。


「早く行くわよ!」

「でももう息が上がって」

「い・い・か・ら。死ぬ気で走れ!」


 その無駄に大きなお尻を蹴飛ばすとどうにか動き出した。

 電車が来るのは何分だ? もう五分を過ぎるところだ。

 ひぃひぃ言いながら西田さんはどうにか線路が見えるところまで来た。

 その向こう。

 フェンスの向こう。

 ホームの上に響さんとお母さんがいた。

 隣から咲乃さんが何かわめいている。

 電車が近づいて来る。

 西田さんがフェンスに駆け寄る。

 咲乃さんがこっちを指さした。

 響さんも続けてこっちを見る。


「ヒビキッ!」


 電車がホームに滑り込む。

 出せる限りの声を出し切った西田さんが、咳き込んでフェンスに寄りかかる。

 電車が動きだす。

 残されたホームには咲乃さんと、響さんがいた。

 西田さんがいつものよれたネルシャツで目をぬぐった。




「あーあ、ごちそう食べ損なっちゃったー」


 駅からの階段を降りながら響さんはそんなことを口にする。


「ごめん」


 横にいる西田さんがうつむいてつぶやく。


「あ、本気に取らないで。ごちそうなんて肩が凝るだけだから」

「ごめん、俺に勇気がなくて」


 顔を上げる。


「君と向かい合うのにビビってた。それで大事な物を失いかけた」

「でも最後には来てくれたわ。ありがとう。うれしかった」


 響さんが微笑みを浮かべる。


「俺にとって、君は大切な存在だって気付いたんだ。俺はこんなだし、まだまだどうしていいのか分からないんだけど、だけど、一緒に歩いてくれないかな」

「ありがとう、本当にありがとう。こちらこそよろしくね」


 響さんが西田さんの手を取った。

 そんな二人を後ろから眺めていた私の腕を咲乃さんが引っ張る。


「じゃ、この辺でお邪魔な人間は消えますよ。西田さん、これ以上響さんを泣かせたら承知しませんよ」

「お、おう」

「え? ちょっと、二人も一緒にお昼食べましょうよ。野宮さんにもらったお蕎麦があるのよ」


 がっくりと咲乃さんが肩を落とす。


「なぜそこでお蕎麦。今日って、おじさんもどこか行ってるんですよね?」

「そうよ。お母さんは私がすっぽかすお詫びに行ったし。家には誰もいないの。心おきなくみんなで騒げるわよ」

「いやいやいや、せっかくお付き合いすることになったのに、みんなでお蕎麦じゃないでしょ?」

「うっ」

「この期に及んでヘタレんでくださいよ?」

「うっ」

「じゃ、もっとムードの出るもの食べさせたげて下さいよね」


 まだ響さんは何か言いたげだったが、構わず咲乃さんは私の手を引いていった。

 お二人、お幸せに。




 祖母さんの実家から送ってきたお蕎麦にはまだまだ余りがあったので、咲乃さんも家に来て一緒にお昼を食べた。


「結局、私たちは引っかき回しただけでしたね」

「いや、結果オーライだよ。うまい具合に追い込まれて西田さんも自分の気持ちに気付いたんだよ」

「やっぱり西田さんも響さんが好きだったんですね」

「好きっていうか、大事ってことが分かったレベルだよね。でもあの響さんが相手なんだし、すぐに二次元なんて捨てて響さんと結婚だよ」

「ですよねぇ」


 ウエディングドレス姿の響さん。想像するだけでうれしくなってくる。


「みこ、小村さんとこの響さんがお店に来たわよ」

「え? まだ一時間と経ってないよね?」


 首を傾げる咲乃さんと一緒にお店まで行く。


「いらっしゃいませ。お昼はどうしたんですか?」

「やっぱりお蕎麦にしたの。美味しかったわよ」

「だからなんでお蕎麦なんですか。ていうか、早過ぎません?」

「お蕎麦だから作るのはすぐよ」

「いやいやいや、お互いの気持ちを確認した直後に二人っきりでしょ? オトナなんだから、やることあるでしょうに」

「サキちゃん! 中学生の前で下ネタはやめて!」


 両手を突きだし顔を真っ赤にしている響さん。どのレベルの下ネタなのだろうか?


「その西田さんはどうしたんですか?」

「え? お仕事よ。冠婚葬祭以外は休めないらしいの」

「じゃあ、キスくらいはしたんですか?」

「ちょっと! 中学生の前で……」

「それは私も聞いときたいですね」

「みこちゃんまで」

「で? キスは?」


 咲乃さんが響さんに顔を近付ける。


「ゆっくり前に進んでくのって、素敵と思うんだー」


 目を泳がせる響さん。


「またヘタレたか」


 がっくりとなる咲乃さん。

 私もがっくりだ。


「と、とにかく、和菓子を差し入れにしたいのよ。どれにしよーかなー」

「中学生以下だね」

「中学生以下ですね」


 でも、頭を揺らしながら和菓子を選んでいる響さんはとても幸せそうだった。


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