進路を決めよう
「野宮さんなら、このまま気を抜かずに頑張れば上葛城高校は大丈夫でしょう」
「はぁ」
「じゃあ、気を抜かないようにね、みこ」
「はぁ」
今日は進路指導の日だ。
母さんが中学校までやって来て、担任の泉先生と三者面談という運び。
上葛城高校は家から一番近いところにある高校で、母さんの出身校でもある。
家の手伝いがある私は、当然のように上葛城高校に行くことを考えていた。
偏差値的にも中ぐらいで私の学力でも大丈夫と、まさに私が行くためにあつらえたような高校なのだ。
「それで今後の進路ですけど、やっぱり家のお店を継ぐ事に?」
「ええ、そうです」
私が答えた。
「でも野宮。先生はもっと広く進路を考えたらいいと思うんだ。まぁ、お家の事情はあるんでしょうけど」
最後は母さんに言った。
「ウチのお店としては、この子が後を継がないなら継がないで、別にいいんですけどね。お店ならやめてもいいですし」
「え? それはないでしょ、母さん」
「いや、ありだから。他にやりたいことがあれば、みこの好きにすればいいのよ」
「でもそんなのないし。私にとって、『野乃屋』は全てだから」
「まぁ、今はこんなこと言ってますけど、高校行ってる間に考え変わるかもしれませんし。そうなったらそうなったで別に構いませんから」
しれっとそんなことをいう母さん。いやこんな話、事前に聞いてないんですが。
「他所でバイトするのも手だと思うんです。今はお家の手伝いばかりだそうですけど」
「それも手ですよね。みこなんかやりたいのないの? 森田さんが高校の頃やってたカフェとかおもしろそうじゃない」
森田咲乃さんが高校の時にバイトしていたカフェには、私たち二人で行っていた。
ウエイトレスの咲乃さんはやたらとフリフリの付いた制服を着て、今まで見たことのない媚びまくった声で接客なんてしていたのだった。あれにはドン引いた。
「あそこは勘弁よ。ていうか、他にしたいバイトなんてないし」
「何ごとも経験だぞ、野宮」
そうは言うけど、『野乃屋』の仕事が一番好きなんだから。
その後、今の生活の聞き取りなんかをして、ようやく解放された。
今日はこのまま母さんと一緒に帰っていいことになっている。
帰り道。
「みこは聞いてるの?」
「何を?」
「水野君の進路。この前、水野君のおばさんから聞いたんだけど」
「さあ? そういえばそんな話はしたことないわね。二人ともその辺いい加減だし」
「スポーツ推薦の話があるらしいわよ、ハンドボールの」
「へー、そうなんだ」
「寮だってさ」
「寮?」
「しばらく会えなくなるかもね」
母さんがニヤーッと笑いかけてきた。
「まー、別にいいけどさ」
「大丈夫よ。ちょっと離れたくらいであんたらの運命は変わらないから。私だって、父さんが大学、大学院って行ってる間離れてたけど、再会して結婚だし」
「その話は聞き飽きてるわ。それに運命とかじゃないし」
「ちょっとくらい離れてた方が、新鮮な発見があったりするものよ」
「まぁ、幼馴染みの門出を祝うだけですよ、私は」
「素直じゃないわね、誰に似たの?」
あんただよ。
しまったうかつだった。
高校に入ってあいつと別れるなんて考えたこともなかった。一緒の高校に行くものとばかり思っていた。
幼稚園からずっとあいつとは一緒だった。離れたことがないのだ。離れたところなんて想像できない。
いいや、まだ先の話なんだ。今は考えまい。
そう思えば思うほど頭の中はグルグルして、変な汗が身体中から浮かび上がってくる。
どうしよう。助けて、由起彦。駄目だ。その由起彦がいなくなるのだ。どうすればいいの?
「おう、みこ、どうしたー」
いつの間にか目の前に由起彦がいた。店番をしながらぼんやりしてたか。
「別に。部活がないと暇そうね」
「まー、勝手に顔出してるんだけどなー。部員も少ないし」
「マイナー競技だもんね」
「そういうこと」
由起彦がショーケースを覗き込みだす。
「じゃあ、スポーツ推薦の話はちょうどいいじゃない」
「あれ? 俺言ったっけ?」
「オバさんネットワーク経由」
「ああ、そう。おしゃべりだよなー、母さんも」
「いい話じゃない」
「まー、そうかもなー。いや、やっぱりみこが選んでくれよ」
由起彦が顔を上げた。
目が合って離せない。
「私が選んでいいの?」
「おう、いつもどおり。やっぱ和菓子はよく分からんわ」
「ああ、和菓子ね」
そうか、そうだよね。こいつの進路を私が決めるなんておかしいよね。何考えたんだか。
「はいこれ」
「ありがと」
「こうしてられるのも今だけかもね」
「何の話?」
「別に」
手を振って見送る。
翌日の学校。昼休み。
クラスの違う実知が、やってきて早々机の上にだらけた。
「やってらんねー」
「ミチも昨日進路指導?」
「そう。もっと勉強しないと無理だとか。親と先生と両方から説教とか勘弁だって」
「ミチもみこと一緒の上葛城だよね?」
「そうよ。私は気を抜かなければ大丈夫って言われたわよ」
「みこは理系だけは強いからな、はぁ。メグは城山だよな。何て?」
「私も今のままなら大丈夫だって」
「城山なぁ。あそこ偏差値高いのに」
「でも偏差値で選んだんじゃなくて、吹奏楽部のためじゃない。メグの場合」
「部活のためにあんなけ偏差値高い高校選ぶとか、私たちじゃマネできないじゃん」
「ミチと同列に並べられるのは若干不本意ね」
「似たようなもんだよ、二人とも」
恵はあいかわらず天然で非道いことを言う。
昼食が終わってからも話をしていると、ちょうど夏生が通りかかった。
「ナッツン。ナッツンは高校どこなの?」
「あれ? 言ってなかったっけ? うちも城山やで」
「え? 水野と一緒の高校行くんじゃないのかよ」
私もそう思っていた。好きだという由起彦を、どこまでも追いかけていくのだとばかり。
「うーん、悩みどこやねんけどな。でも大学のこともあるし、ええとこ行っとかななぁ」
「意外に考えてるのね」
「いや、それが普通やん。休みの日に会いに行ったりすんねん」
「そこまで行くとストーカーだよね」
恵さん……。
「ストーカーやったらガッコまで追いかけてくやろ。さすがにそこまではなぁ。どんだけランク下げなあかんねん、いう話やわ」
「ランクとか言うな」
由起彦と同レベルの実知が言う。まぁ、私も似たようなもんだけど。
由起彦は高校に入ると寮に入る。そう母さんが言っていた。
噂好きの夏生もそれを知っているだろう。わざわざ向こうまで会いにいくのだろうか? こいつならやりかねない。
私はどうだろうか? そこまでのガッツがあるのかな?
「どうしたの、みこ。ボーッとして」
「ん? ああ、別に」
「ああ、みこちゃんも水野の進路知ってるんや?」
「まーね」
「進路って、あいつも上葛城じゃないのかよ」
「いや、それがな……」
「ナッツン、他人の進路とかベラベラ喋っちゃ駄目よ」
「そういうもんなん? ほな、やめとくわ」
「なんだよ、気になるなぁ」
実知は聞きたがったが、適当にあしらっておいた。
私は毎朝咲乃さんとジョギングをしている。
「なんか元気ないね、みこちゃん」
「はぁ、ちょっと進路とかですねぇ」
「ああ、進路ね。メグちゃんと別れるんだっけ?」
「それもあるんですけどね」
恵の場合は高校が別れるのは何となく覚悟ができていた。成績が違いすぎるんだし。
それに家はすぐ近くにあるので、休みの日には実知も入れて三人で遊ぶこともできるのだ。
でも由起彦は遠くの寮に入る。
「他にもあるの? 水野君は一緒の高校でしょ?」
「水野君はスポーツ推薦なんです。それで寮に入るらしくって」
「ああ、それは元気なくなっちゃうよね」
「え? あ、いや、そういうんじゃないですよ?」
「今さら遅いよ。なるほどねぇ、愛する二人が引き裂かれちゃうわけか」
「だからそんなんじゃないですってば」
「私の場合だけどね。高校で作った親友がいるんだけど、大学は別のところにしたんだ。私は嫌だったんだけど、その親友は、出会いがあれば別れもあるのが成長だ。成長から逃げちゃ駄目だって言うんだよ」
「厳しい親友さんなんですね」
「かもねぇ。でもそれでよかったと思うよ。大学別になっても大事な親友なのは変わらないし、大学じゃ大学で新しい出会いがあったし」
「彼氏さん、できましたしね」
「まぁそうだよね。だからみこちゃんもそんな悲観することないよ。まぁ、厳しい学校だったら携帯もアウトかもしれないけど、盆正月くらいは会えるでしょ?」
「その辺、どうなるかよく分からないですけど」
「あーあ、みこちゃん素直にならないから、残り時間少なくなっちゃたなー。ちゃんと言っとくんだよ」
「何をです?」
「好きだって」
私の方を向いた咲乃さんの顔は真剣だった。
「言っとかないと、絶対後悔するよ」
「うーん、でもですねえ、今さらですねぇ」
「はっきりしないなぁ。素直にならないと、私と響さんの連合軍でシャレにならないくらい追い込みかけるよ?」
今度は意地悪なニタリとした笑顔だった。
何かを企む時の生き生きとしすぎる咲乃さんだ。
「えっ! いや、そういうのやめて下さいって」
「想いはちゃんと伝えないとねー」
「私、そんなんじゃないですし」
でも言葉は小さくなっていき、私の顔はうつ伏せになっていく。
「知らないよー。向こうでどんな出会いがあるやら」
由起彦が行くことになる高校については、母さんから名前を聞き出してネットで情報は集めておいた。
そこは隣の県にある共学の私立高校だった。運動部が盛んでいろんなところから生徒が集まるのだそうだ。男女とも全員寮に入ることになっている。
狭い中で濃い人間関係の生まれそうな環境だ。恋愛関係も?
「あ、みこちゃん、本気で落ち込んだ? 大丈夫だよ。ちゃんと想いを確かめ合っとけば、離れても二人は大丈夫」
「私が何も言わないと?」
「水野君が何か言ってくるかもね。でも今のみこちゃんみたいなので、ちゃんと気持ちを返せるの?」
どうだろうか?
そもそも私の気持ちって?
離れたくないのは分かる。それはそうだ。私たちはずっと一緒の幼馴染みなんだし。
好き? 好きなの? 胸の奥が握りつぶされるような今のどうしようもない感じ。これが好きって奴なんだろうか?
「でも私、本当に分からないんですよ」
「自分の心を問い詰めてみなよ。いつかは答えを出さなきゃいけないんだよ」
「そうですよねぇ」
咲乃さんが私の背中をばしばしと叩いてくれた。
答えを出す。
とはいえ、なかなかできることではなかった。今さら簡単に答えが出てくるような関係ではないのだ。
だからって簡単な答えに流されるのは嫌だった。それだけは嫌だった。
こんな時でも由起彦はお店にやってくる。
「ちわーっす」
「いらっしゃい」
いつもどおりのやり取り。当り前だと思っていた日常。
「みこ、最近どうしたんだー」
「私おかしく見える?」
「かなりな」
「かなりかー」
「どうしたんだ? 言ってみろよー」
想いを伝えるべき相手にそれを相談するのは変な話だ。
あなたに想いを伝えたいんですが、私の想いって何ですか?
変な話だ。
「ちょっと自分で考えないといけない問題なのよ」
「そうか? 自分で答えを見つけないといけない問題って、不意に見つかるもんなんだぜ。そんな思い詰めんなよ」
「知ったふうなことを言うよね」
「まーなー、最近俺も考えないといけないことがあってなー」
「どんな?」
「言うほどのことじゃないってー。答えが出たらたいした話じゃなかった」
「そうなんだ?」
こいつが考えないといけない問題って、進路の話じゃないのか? それがたいした問題じゃないって? 私たちは離れ離れになるのに。
そんなものなのかな?
なんか、気が滅入ってきた。
「大丈夫か、みこ」
「大丈夫大丈夫。今日は何にする?」
その夜。
ベッドの上で横になっても眠れる気がしなかった。
由起彦は遠くの高校へ行くと決めてしまった。私と別れるのはたいした問題じゃないらしい。
じゃあ、私は笑顔で送り出さないとな。幼馴染みとして新しい門出を祝ってやろう。
それがいい。
そうしよう。
もう決めた。さぁ、寝よう。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
そんなの絶対に嫌だ!
好きとかそんなのどうでもいい。
あいつと別れるなんて、絶対に嫌だ。
絶対に嫌だ!
私は家を飛び出すと、由起彦を公園まで呼び出した。
由起彦がやって来るのをじりじりと待ち続ける。
ようやく現われた。いつもどおりのだらしないジャージ。眠そうな顔。
「何だよー。お前もう寝てる時間だろー」
間抜けなしゃべり方。
「寝てなんていられないのよ」
私は由起彦に近づいていく。
「由起彦、あんたは私の側から離れたら駄目なの」
「何だそりゃ」
「せっかく出したあんたの答え。私は許さないから」
「何の話だよ」
「進路よ、それしかないじゃない」
「あれな。でももう決めたから」
「駄目。あんたを遠くの学校なんて行かせるわけにはいかないの。私から絶対に離れちゃ駄目。絶対に許さない」
「だから……」
「駄目! 由起彦はずっと私と一緒にいる! そう決まってるの! 決まってるの!」
目からどうしようもなく涙が溢れてくる。それを止める必要なんてない。
「嫌なの! 由起彦がほんのちょっとでもいなくなるなんて、絶対に嫌!」
「ちょっと待てって」
由起彦が私の両手を掴む。
「嫌! 聞きたくない! 何も言わないで!」
「推薦の話は断ったって」
「え?」
すぐに意味が理解できない。
「俺も上葛城高校行くし。ちょっと頑張らないとヤバイけど」
「何それ?」
「離れるとかそんなのないから」
「何よそれ。せっかくの話じゃない」
「考えてみて、行くのやめた。上葛城に行く」
「あそこにはハンドボール部はないのよ?」
「他のに入ればいいだろ」
「駄目よ、三年間頑張ってきたじゃない。それで遠くの高校に認められたんでしょ?」
「お前だって俺が行くの嫌だったんだろ」
「私のせい? 私のせいでせっかくのチャンス棒に振るっていうの!」
私の中に熱いものが煮えたぎってくる。目の前の男の言うことが信じられない。許せない。
涙は前以上に溢れ出す。
「違うって、お前は関係ないって。俺が自分のことを考えて決めたんだ」
「嘘つけ! あんた、私がいるからこっちに残るんでしょ?」
何考えてるんだ、この男。そんなことされて、うれしいわけないだろ。
「落ち着けって。お前、何に怒ってるんだよ」
「許せない。私と別れたくないから行くのやめるなんて、そんな弱っちい考えは許せない!」
「そんなんじゃないって」
「じゃあ、何でよ!」
由起彦は私の顔を見ようとしない。
「何でよ!」
「そんなの言えるかよ」
「言えよ!」
「そうだよ!」
由起彦が目を合わせてきた。
「みこが側にいないなんて、俺は嫌なんだよ! だから推薦は断った! 同じ高校に行くって決めたんだ! それしかないんだ!」
「馬鹿!」
私は由起彦の頬に拳を叩きつけた。由起彦は私に向けた顔を動かさない。
「そんなの私は許さない! 推薦受けて、ハンドボール続けるんだ!」
「嫌だ! お前はそれでいいのかよ。俺がいなくなって、それでいいのかよ」
「私?」
私はどうなんだろう?
離れたくない。そう思っていた。
「嫌よ。嫌に決まってるじゃない。でもだからって……」
「もう決めた。お前が何て言おうと俺たちは一緒の高校へ行くんだ。そう決めた。お前もそうしろ」
目の前の由起彦の顔に力強さを感じる。
後ろ向きの気持ちで推薦を断ったんじゃない。そう感じる。
「分かった。由起彦の言うとおりにする。二人で一緒の高校へ行きましょう」
「そうしろ」
「はぁー」
思わずため息をついてしまう。
「何だよー」
「私たち、結局何も変われないままね」
「そうでもないだろ?」
「ほんの少しずつよね。私たちはそれでいいのかも」
「そうだってー」
結局お互い想いは伝えないまま。
好きなんてものもよく分からないまま。
それでも別にいい。お互い離れたくない。そのことは確かめ合えたのだ。
私たちは離れない。
離れるなんて、ありえない。
「うわ、ありえないわ」
咲乃さんが顔をしかめる。
「何でそこまで盛り上がっといて、告白できず仕舞いかな」
「いいじゃないですか、私たちには私たちのペースがあるんですよ」
「なぁなぁの関係はヘタレよりタチが悪いよね」
咲乃さんが大袈裟にため息をついた。
なぁなぁとか非道い言い草だ。