めでたい人
昼休み。
クラスが別の実知も来て三人で昼食。
「みこ、今日咲乃さんと話した?」
実知が話を切り出した。
「ううん、今日はジョギング休みだったよ」
私と咲乃さんは毎朝ジョギングをしているが、大学生になった咲乃さんにはいろいろと用事があり、ジョギングには顔を出さないという日がたまにある。
前もってメールで連絡を受けるので、そういう日は一人で走るのだ。
「ふーん、そっか。私が言ってもいいのかな?」
「何を? 言ってよ」
「響さんがおめでたっぽい」
「マジで!」
小村書房の娘であるバツイチ二十八才の小村響さんは現在フリー、というのが公式見解だ。
響さん自身は元同級生の西田さんが好きだけど、どうしようもないヘタレなのでお付き合いまでこぎ着けていなかったはずなのだ。
それがいつの間にか!
「へぇー、相手はやっぱり西田さん?」
「分かんない」
「え! 分かんないの?」
それって大問題なんでは?
「本人が言いたくなさそうなんだよ」
「そもそも何でおめでただって知ったの?」
恵がソーセージを箸で取りながら実知に聞く。
「昨日、私と咲乃さんが本屋にいたら、急に響さんが吐きそうになったんだよ」
「つわり?」
「そうそう。そんで私たちに、このことは内緒にしててくれって。その後すぐに一人で病院行ったよ」
「内緒にって、今私たちに言ったよね?」
恵が当然の指摘をする。
「あー、やっぱマズかったかな? 聞かなかったことにして?」
「いや、聞いちゃったし」
「でも吐き気だけじゃ妊娠とは限らないんじゃないかな?」
「咲乃さん曰く、最近の響さんは様子がおかしかったってさ。店に来る小さい子供見てため息ついたり。見てみたら、そん時レジで読んでたのも妊娠と出産の本だったんだよ」
「確定ぽいね。でも何で隠すんだろ。おめでたいのに」
「イロイロあるのかもなぁ」
「イロイロって?」
「それこそ父親が分からないとか」
「まさか、響さんに限って」
「それか父親が認めようとしないとか」
「それって西田さん? まぁ、根性なさそうだけど、そこまで非道いことはしないんじゃない?」
「まぁ、中学生には分からないことがいろいろあるのかも。変な勘ぐりはよそうよ、特にみこ」
「私?」
「変に首突っ込むとか、今回はやめとかないと」
「まぁ、メグに言われるまでもなく、そのつもりだよ。大人の話ですからねー」
「そうそう」
まぁ、めちゃくちゃ気になるんだけど。
さすがの私でも、今回の話に自分から首を突っ込むつもりはなかった。
だから夜の商店街で西田さんに会ったのは、本当に偶然なのだ。本当に。
「こんばんは、みこちゃん」
「あ! こんばんは、西田さん」
「何その驚き」
「いえ、別に」
「もう暗いのにどこ行ってたの?」
「猫喫茶。毎日猫喫茶に行くのが私の使命なのよ」
「ふーん、猫か。猫は俺も好きだよ」
「あ、そうなんだ。動物は三次元でもオッケーなんだ」
「猫はかわいいじゃん」
「子供も好きなんだよね。おもちゃ屋で働いてるんだし」
「子供も好きだよ。見てて面白いし」
「自分も子供欲しかったりしないの?」
あ、やべ。余計なことを言いかけてる。
「自分の子供? 急に話が飛んだよね。俺は自分の子供とか縁のない生活してるからなぁ」
「響さんがいるじゃない」
ヤバイ、ここでやめておかないとヤバイ。
「小村さん? またそういう話? 小村さんとはそういうんじゃないし。友達なだけだから」
「でも響さん、子供できちゃったんだよ」
言っちゃいました。
いいや、こうなったら全てをはっきりさせよう。その方がいいに決まっている。
「え? そうなんだ」
完全に他人事のような言い方である。
しかし私は聞き逃しはしなかった。その声に動揺が含まれていることを。
「ホントは知ってたんじゃないの、響さんから聞いてて」
「いやいや、初耳だけど。おめでとう、だよね」
「相手って、西田さんしかいないと思うんだけど」
「はあ? いやいやいやいや、それはあり得ないって」
「でも響さんの周りにいる男の人って、西田さんだけだし」
「いや、俺たちそんな関係じゃないし」
「それでも過ちの一度や二度くらい」
「ないない、一度もない」
「ないの?」
「ない」
「じゃあ、何で子供ができちゃうのよ」
「他に付き合ってる人がいるんだろ?」
「でも響さんは西田さんが好きなんだよ。知ってるでしょ?」
「いや、みこちゃんたちはそう言うけどさ、それって本当なのかな?」
「本当だよ、本人言ってたし」
「でも他に付き合ってる人がいたんだよ。で、その人との間に子供ができたんだ」
「そうなのかな? そんな素振りはなかったけど」
「本当のことなんて周りの人間には分からないもんさ。じゃあね」
「あ、お休みなさい」
トボトボと歩いていく姿はなんだかさみしげであった。
あ、私またやらかした。
翌朝のジョギング。
「あー、ミチちゃん言っちゃったんだ。今日言って驚かせようと思ってたのになー」
「え? でも内緒にって言われてたんですよね?」
「いや、言うに決まってるじゃない。おめでたい話なんだし」
「はぁ」
本人の意向はガン無視である。
「でもですねぇ、話はややこしそうなんですよねぇ」
「そうなの? 西田さんとデキ婚でハッピーエンドじゃない」
「西田さんは身に覚えがないらしいんですよ」
「あ、本人に会ったんだ」
「ええ、本人そう言ってました」
「可能性は二つあるね。責任取りたくない西田さんがしらばっくれてるか、みんなの知らない相手が他にいたか」
「どっちも嫌な展開ですね」
「中学生が目にしちゃいけない、大人のドロドロかもしれないねぇ。他の相手ってのが元旦那さんだったりすると、さらにドロドロだよねぇ」
「え! そんなのあり得るんですか? 響さん、元旦那さんのことまだ許してませんよね?」
「それがあり得るのが、オ・ト・ナのオトコとオンナなんだよ」
「知ったかぶりですよね」
「知ったかぶりだよ。いやー、私もドン引きしそうな展開になりそうで、正直怖いわ」
「こうやって周りでビクビクしてるだけって、私たちの柄じゃないですよね」
「だよね。今日さっそく突撃しようか」
という訳で、放課後になってから咲乃さんと待ち合わせて小村書房に突撃した。
二階のマンガコーナーでは、いつもどおり響さんが店番をしていた。
「いらっしゃい、お二人さん」
「こんにちは。響さん、身体の具合はどうですか?」
私の見たところ、何だか顔色が優れないように見える。
「身体? あ、サキちゃん言ったのね」
「ええ、おめでたいことですから」
「非道い言い方よね。まぁ、確かにおめでたい話ではあるんだけど」
「そうですよ、おめでたいですよ」
「他人から言われると腹立つわね」
「え? そういうものなんですか?」
おめでとうと言われて腹が立つなんて話、聞いたことがない。
「そりゃ、みっともない話なんだから」
「みっともないってことはないでしょ!」
「え? そこでみこちゃんがキレるの?」
「当り前じゃないですか。みっともないとかお腹の赤ちゃんがかわいそうじゃないですか!」
「お腹の赤ちゃん? 誰のお腹?」
「響さんに決まってるじゃないですか」
「私? 私、いつ妊娠したの?」
「あれ? おめでたですよね?」
「おめでたいのはおめでたいわよ。五日前のカレー食べて吐き気がするくらいお腹壊しちゃって。病院でもこってり怒られたわよ。ええ、おめでたい女ですよ、私は。で?」
「で?」
「サキちゃん、またやらかしたのね?」
「いやいやいや、じゃあ、何で物憂げに妊娠の本とか読んでるんですか。今も読んでますよね?」
確かにレジの向こうに置いてある本はそういう本である。
「ああ、これねー。いとこがねー。年下なのにねー。私より先にねー」
「だいたい分かりました。いとこさんが妊娠したから、自分でも勉強しとこうかと」
「そういうこと。初めてのひ孫は、私が産むってお祖母ちゃんは思ってたみたいだけどねー。離婚さえなければとか言われちゃったりもねー」
「はぁ、いろいろ大変なんですねぇ」
さすがの咲乃さんでも気まずくなってきたようだ。
「あー、じゃあ、響さんに子供ができたとか、完全に咲乃さんの早とちり?」
「みこちゃんだって信じたじゃない」
「人のお店で醜く争わないで。そもそも私、相手がいないじゃない。誰が相手だと思ったのよ」
「誰って、てっきり西田さんかと」
「ちょっ、それはないし。全然ないから、本当に」
あたふたと両手を振って否定する響さん。それはそれで悲しくないのかな?
「まぁ、向こうもそう言ってました」
「ちょっと待って、みこちゃん! 今の妊娠疑惑、西田君に口走ったの?」
「え? あーはい、言っちゃいました」
「ちょっと、勘弁してくださいよ、本当に」
頭を抱えて座り込む響さん。
「すみません、後でフォローしときますんで」
「手遅れよー。これで私たちの関係が変に生々しく思えてきちゃうのよ。せっかくここまで築き上げてきたものが……」
「築き上げてきてたんですか?」
さりげに馬鹿にしたようなことを言う咲乃さん。
「い、一緒にネットでゲームしたり?」
「その程度ですか」
「前には私の部屋で二人きりで過ごしたわ」
「お、やりますね。何したんですか?」
「CPUのオーバークロック?」
「よく分かりませんけど、それってパソコンいじってただけですよね」
「まぁ、そうかも」
「時間帯は?」
「お昼? うどんをご馳走したわ」
「なぜそこでうどん。全然駄目じゃないですか」
「仕方ないじゃない、変にがっついて逃げられたら嫌だし、そもそもアプローチするテクとか知らないもの」
「いや、あなた結婚してたんでしょ?」
「あの時は元旦那が常にリードしてくれてたしねぇ」
「友達にアドバイス求めてみるとか」
「連中の言うことは過激すぎるのよ」
「なんかむしろ、今回のはいい刺激になるんじゃないですか?」
「う、そうかな?」
「こんばんは」
あ、この声は。
「こ、こんばんは、西田さん」
「こ、こんばんはー」
「こ、こんばんは、西田君」
非常に気まずい状況である。
でも、ここはせめてやらかした私が後始末をしなくてはならない。
「あの、西田さん。昨日言ったことなんだけど」
「あー、うん、あれね」
「あれ、全部間違いでした、ごめんなさい!」
私は深々と頭を下げる。
「え? そうなんだ。へー、そうなんだ」
「そうなんです。私の早とちりでした」
「そうなんだ、よかった」
「よかった? あ、西田さん、内心焦りまくってましたね?」
へこたれることを知らない咲乃さんの意地悪げな声。
「そりゃそうだよ。他に付き合ってる人がいるのに、俺なんかと遊んでたら誤解されてしまうじゃん」
「それだけじゃないでしょ。西田さん自身も響さんが離れてくみたいで複雑だったんじゃないですか? だから今もこうして様子見に来たんでしょ?」
「え? どうだろ、そんなんじゃないと思うけど」
「正直になってくださいよ」
咲乃さんが西田さんに詰め寄っている隙に私は顔を上げる。
西田さんはうろたえて顔を右に左にやっている。
とっくに立ち上がっている響さんも真剣な面持ちで西田さんを見つめている。
「西田さん、ここで言っとかないと、後悔しますよ」
さらに詰め寄る咲乃さん。
「今回のことは驚いたよ。なんていうか、ショックだったかも」
「それってつまり?」
「やっぱ同級生に子供できたとかって焦るよね、同い年として」
「何だそりゃ。聞きたいのはそんなんじゃないんですってば」
「もういいよ、サキちゃん。西田君困ってるじゃない」
「そうですか? 後一押しなんですが」
「西田君、私、他にお付き合いしてる人とかいないし」
「そうなんだ」
響さんがゴクリと喉を鳴らす。
「私は西田君狙いだから」
お、言いました。
響さん、ついに面と向かって言いました。
私は咲乃さんと目を合わせ、お互いに親指でグーッとする。
「そ、そうなんだ」
西田さんも目を逸らせずに響さんと見つめ合う。
「そうなんです。西田君が二次元オンリーでも私、諦めないから」
「でも俺はやっぱり無理だと思うよ」
「うん、その辺は追々ということで。取りあえずはこれまでどおり一緒に遊んでください」
「あー、うーん」
あ、こいつヘタレて逃げそうだぞ。
「西田さん、ここで逃げたりとか響さん泣いちゃうよ」
「う、そうだよな。分かったよ、取りあえずこれまでどおり。あんまりご期待には添えないと思いますが」
「いやいや、そんなに期待はしてないし。取って喰うとかそんなんじゃないのよ。あの、ゆっくーりと行きましょうよ、ゆっくーりと」
「何か、ちょっとずつ後退してません?」
「サキちゃん、余計なこと言わないで。私、かつてない程いっぱいいっぱいなんだから」
咲乃さんは首を傾げてぶつくさ言っている。
「あの、前に言ってたグラフィックボードの交換だけど。よろしくお願いしていいかな?」
「うん。じゃあ、次に小村さんが休みの時に」
「お店終わった後でいいじゃないですか」
「それじゃ、夜になるじゃない。お昼にしましょうよ、お昼に」
「だよね。そうしようか」
「あ! お昼ご飯何がいい? 何でも作るわよ」
「え? ラーメンとか」
「あー、じゃあ、そこの『熊屋』さんで食べようか」
「うん、そういうことで。じゃ、またメールしてよ」
「うん、そうする」
そそくさと西田さんが出ていった。
それを見送る私たち三人。
「なんか、グダグダですね」
咲乃さんがため息。
「いや、めちゃくちゃ頑張ったじゃない」
「ラーメンとか色気なしですよね。私でも分かりますよ」
ラーメンでは甘い展開は少しも期待できない。それは私でも分かる。
「あそこのラーメン、美味しいからいいじゃない」
「先は長いよ、みこちゃん」
「ですね。私たち、これからも頑張らないと」
「いやいやいや、今回みたいなのは二度とごめんよ」
「う、すみません、それは本気で反省してますので。ごめんなさい」
二人揃って響さんに頭を下げる。
「ホントに反省してる? 結果オーライとか思ってない?」
「そんなこと、ほんのちょっぴりしか思ってませんよ?」
咲乃さんが正直に答える。
「やっぱりだ。まぁ、私もちょっぴりそう思ったけど」
その言葉に顔を上げると、響さんがニヤケきって幸せそうに身をよじらせていた。