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お彼岸と仲直り

 さて、お彼岸が近付いてきた。

 お彼岸と言えばおはぎ! 和菓子屋の稼ぎ時である。

 しかし我が和菓子屋『野乃屋』にはライバルがいた。

 スーパーオオキタである。

 ただのスーパーと侮ることはできない。オオキタには凄腕のパートさん、滝川さんがいるのだ。

 彼女の手により飛躍的に美味しくなったオオキタのおはぎは、その安さもあって十分な脅威となるのであった。

 よーし、今回も気を引き締めて頑張るぞ!


「とは言え、取り立てて新しいことはしません。小細工を弄しすぎると自滅するのです」

「みこも少しは頭が働くようになったわね」


 母さんが失礼なことを言う。


「いや、今までも十分な成果は上げてきたじゃない。お彼岸に関しては、基本、去年と同じ。お彼岸用の特別版おはぎを用意して、後はビラ配りです」

「あのおはぎは利益がギリギリだしな。今のシーズンだけだからな」


 『野乃屋』で唯一お金にうるさい父さんらしいセリフである。

 特別版のおはぎには、栗や金箔をまぶしたものや、練り切りのモミジが載せたものなど何種類かある。


「それは分かっています。要は売上を稼ぐことです。これをきっかけにお客がオオキタに流れる事態だけは、なんとしても避けないといけないのです」

「常連さんはそう簡単に離れはしないよ」

「甘いです、祖母さん。コアな常連さんはそうですが、浮動票に近いお客も多くいるのです。現にオオキタでセールをやると、うちの売上が下がるのです。だよね、父さん」

「そうだな。油断は禁物だな」


 私はガタッと席を立つ。


「よろしい! では今年も張り切って参りましょう!」


 私の声に、祖父さんが大きくうなずいた。




 それはそれとしていつもどおり店番である。

 と、中学のジャージを着たお客が現われた。


「こんちは」

「いらっしゃい、珍しいね、小坂君」


 クラスメイトの小坂君である。

 小坂君のお母さんはたまにお客で来てくれているが、小坂君が来るのは私が店番をしている間では初めてである。


「ちょっといいか、野宮」


 変にキョドキョドして顔が赤い。なんだかすごく緊張しているようである。

 え? これってもしかして? いやーやめてよね、お店の中で。

 それに私には由起彦が……。由起彦? いやいやあいつは関係ない。

 お、いよいよ口を開きました。取りあえず言うことくらいは聞きましょう。


「元町なんだけどな」


 元町? 実知か。またこのパターンですよ。

 実知は意外とモテるらしい。

 人生の先輩方に言わせると、実知みたいにさっぱりした性格はモテるのだそうだ。あまりにも意外な事実だった。

 そしてその論を裏付けるかのように、実知のことが好きらしい男子の登場なのです。


「ミチがどうかしたの?」

「野宮って元町と仲良いよな」

「うん、友達だよ」

「元町って、好きな奴とかいるのかな?」

「それ知ってどうするの?」


 ちょっと意地悪して聞いてやる。

 いや、好きなら好きで、ガツンとかませばいいじゃない。

 わざわざ回り道して探りを入れてくるとか、私の好みじゃないんだよ。

 小坂君がしっかりと私を見て言う。


「好きなんだよ」

「はぁ」


 一見、私が告白されたみたいな状況である。

 そしてこの最悪なタイミングで現われたのが水野由起彦である。

 扉を開けた状態で固まってしまった。


「あー、水野君、話せば分かる。ちょっと待って、出ていこうとするな!」


 扉を閉めかけた由起彦が、かろうじてその場に留まった。


「違うから。小坂君が好きなのはミチだから。だよね?」

「あー、うん、そうはっきり言われるとなぁ」


 フニャフニャになってしまう小坂君。


「あーもー、はっきりしてよね。水野君、とにかくそういうことだから、分かった?」

「お、おう」


 よかった、変な誤解をされずに済んだ。余計なトラブルが巻き起こるところだった。


「で? ミチが好きなら告白すればいいじゃない」

「告白なぁ。でも元町って、男子とか興味ないんじゃないのか?」

「ないよ」

「だよなぁ」


 うなだれる小坂君。


「素直に諦めたら?」

「するだけしたらいいだろー、告白」

「そうかな?」


 小坂君が由起彦を見上げると、由起彦は力強くうなづいた。


「しないで後悔するくらいなら、して玉砕する方がいいって」

「あんた、人様のことならご立派なこと言えるのね」


 その堂々とした態度を私にも向けて欲しいところであるが、それは今は関係ない。


「やっぱそうかな、そうするか」

「セッティングくらいならしたげるわよ」

「野宮はいっさい余計なことするなよなー」

「なんで水野君からそんな指示受けないといけないのよ」

「野宮が何かしたら、たいてい碌なことにならないだろー」


 確かにその通りではある。面と向かって言われると腹立つけど。


「分かったわ。私は温かく見守ることにする」

「そうしろよなー」


 この後小坂君と由起彦は、和菓子を買って出ていった。

 なるほどねぇ、実知ですか。




 次の日、火曜日の昼休み。

 昼食を終えた私は、恋のイベントが起こるのを今や遅しと待ちわびていた。


「なんだよさっきからニヤニヤして、キモいぞ、みこ」


 ヒロイン様は相変らず口が悪かった。


「いやいやいや、ちょっといい話があってねぇ。私の口からは言えないんだけど」

「何だそりゃ。くああああっ」

「大口開けてあくびとかやめなよ、また寝不足?」


 まだ食べ終わらない恵がたしなめる。行儀作法にはうるさいのだ。


「まーな」

「勉強?」

「ゲーム」

「駄目人間よね」


 私はゲームをしないので、その楽しさが少しも分からないのだ。

 それにしても小坂君に動きがない。小坂君を探してみると、こっちをチラチラ見ているくせに席を立とうとしない。


「誰見てるの? みこ」

「ん? 別に」

「何か男子の方見てたろ。浮気かー?」


 ニヤーッと笑いかけてくる実知。いや、今日の主役はあんただし。


「二重の意味で違うわ」


 余計な動きを見せると私に火の粉が飛んでくる。ここは大人しく様子を見るか。




 家に帰るとまずは和菓子作りだ。

 お彼岸版のおはぎには、餡でできた練り切りでモミジを作って載せておく。

 そのモミジの練り切りを、私は去年うまく作れなかった。

 緑、黄、赤、白でグラデーションを付けるのだが、きれいなグラデーションを付けることができなかったのだ。

 そこで今年は特訓をしていた。


「お祖母ちゃん、こんな感じでどうかな?」

「大分うまくなったね。でもこの端の方がまだ駄目だ。もうちょっと頑張りな」


 うーむ、そうか。

 普段は優しい祖母さんだが、お菓子作りに妥協はない。お店に出すから当然なんだけど。

 ではもう一度がんばろう。

 と、何度も練習を重ねているうちに、ようやく合格点をもらえた。


「うん、これならお店にも出せるね」

「本当!」


 祖母さんに認めてもらえた喜びで心が満たされる。

 私はまた一歩成長したのだ。




「というわけで、これがそのモミジなのよ」

「へぇ、きれいでかわいいね」


 翌日、作った練り切りを学校へ持っていった。


「これ食えんのか?」

「食べられるよ。てか、感想なしにまずそれなの?」

「きれいきれい。で、食っていいか?」

「いいよ、食べなよ。ミチは作りがいがないわね」

「どうせならおはぎも持ってくりゃよかったのに」

「デザートにおはぎは多すぎるでしょ。文句言わずに食べてよ」


 実知はぺろりと食べてしまった。

 もう少し、観賞したり味わったりして食べて欲しいものだ。

 ホント、こんなののどこにモテる要素があるのやら。

 そしてこんなのが好きな小坂君に動きはなかった。

 どうなってるんだ、一体。

 小坂君の机に、お店に顔を出すようメモを置いておくと、部活が終わったくらいの時間に顔を見せてきた。


「あのさ、どうなってるの?」

「いや、そんなすぐにはさぁ」

「覚悟決めたんなら、ササッとやっちゃいなよ」

「そう言うけどなぁ、なかなか踏ん切りが付かなくてなぁ」

「あのね、そういううじうじしたの、ミチ嫌いだよ?」

「うっ、やっぱそうだよな」

「そうそう。サクッとしちゃってよ、サクッと」

「分かったよ」




 しかし何もないまま週末を迎えた。

 ここで私はブチギレた。

 もはやこれ以上黙って見ているわけにはいかない。

 日曜日、私は一人で実知の家に向かった。武将になって敵をなぎ倒すゲームをしながら話を切り出す。


「ミチのこと、好きって男子がいるのよ」

「ふーん」


 実知が敵をぶっ飛ばす。


「あれ? 反応薄くない?」


 逆に私は敵の攻撃を受けてしまう。


「前にみこが持ってきた話は、碌でもない終わり方したろ?」

「まぁ、そんなこともありました。でも最初から駄目って決め付けなくてもいいんじゃない?」

「はぁ、そういうの勘弁だよ。試合も近いし、そんなくだらないことに気を取られてる暇なんてないんだよっと」


 敵の武将が飛んでった。


「くだらなくはないわ。お付き合いとかしたら楽しいかもよ?」

「みこだって、いつまでも水野と付き合わないじゃん」

「うっ、私たちの話はいいじゃない。ミチの話よ、ミチの。男子に興味ないとか枯れすぎてるって。もっと潤い持とうよ」

「うるさいなぁ、私の勝手だろ?」

「友達として心配してるんじゃない」

「ホントかよ、面白がってるだけだろ」

「何それ?」


 また敵の攻撃を受ける。


「いっつも自分が言われてるからって、ここぞとばかりにやり返してるだけだろ。やることエグイって」


 敵の武将に止めを刺す。


「その言い方って、非道くない?」

「非道いのはどっちだよ。頼みもしないのに、余計な世話焼いてくんなよな。ウザいんだよ」

「ウザいは言いすぎだって。ミチって、そうやって心開いてこないとこあるよね?」

「そう言われても、これが私だからな。ウザいのはウザいんだってば」

「ウザいは言いすぎだ!」

「ウザい奴にウザいって言って、何が悪い!」


 二人とも、もうコントローラは置いていた。


「せっかく心配してんのに!」

「それが余計だって言ってんだ!」


 ギリギリと睨み合う。

 こっちは本当に実知のことを考えて言ってるのに、面白がってるとかウザいとか、実知の言い方はあまりにも非道い。


「そんなこと言ったって、一生一人でいるとか無理だからね」

「そんなことお前が決めんなよ。一生一人で上等だ。一人で優雅に生きてやる」

「変な意地張んな!」

「お前こそ馬鹿みたいに意地になってるだろ!」

「後になって、ごめんなさい言いすぎました、って泣き入れるのはそっちだぞ」

「お前は熱っ苦しく水野とイチャ付いてたらいいんだよ」

「そんなイチャイチャなんてしてませんー」

「毎日自分とこの店でイチャついてるだろ、恥知らずめ」

「恥知らずってことないでしょ!」

「自分が幸せだから他人にもおすそ分けってか? 押しつけがましいんだよ」

「何でよ、友達の幸せ願って何が悪いのよ!」

「お前なんか友達じゃありませんー」

「こっちこそ縁切ってやる!」

「お前なんか、うっとうしいだけの赤の他人だ!」

「帰る!」

「帰れ!」




 はらわたを煮えくり返らせながら帰っていくと、公園の脇で呼び止められた。


「おい、みこー、どうしたんだー」

「由起彦か」


 自然、深いため息が出る。


「何怒ってるんだー」

「ちょっといろいろあったのよ」

「取りあえず、こっち来いよ」


 腕を引っ張られ、公園のベンチまで連れていかれる。


「何があったんだー」

「ちょっとねー、ミチとねー」

「喧嘩?」

「そんなとこ」

「何でまた」


 そこでひと通りの話をしてみる。


「え? お前勝手に言いに行ったの?」

「でないと埒明かないし」

「でもなー、結局余計なお世話だって言われたんだろ?」

「非道い言い草よ」

「お前だって非道いんじゃないか?」

「そんなことないわ。私はミチのこと考えてさー」

「でも同じことされたらお前も怒るだろ?」

「そんなことないわ」

「そうか?」

「いや、怒るわね」

「だろ? 明日謝れよなー」

「でもウザいは非道いわよ」

「元町は口が悪いの知ってるだろ? 小学校からそうじゃん」


 そう。それでいっつも口喧嘩していたのだ。時にはひっ掴み合いのも。

 小学時代はそうやって敵対していたものだ。

 中学に入ってからずっと友達をやってたのに、今回の言い方は非道すぎる。


「それでも許せない。口が悪いにしても言いすぎよ」

「また変な意地張ってるだろー」

「そんなんじゃないし」

「やめとけよなー」

「いいや、許さない」


 向こうが謝るまで許さない。




 さて、喧嘩である。

 と、思っていたら、昼休みになったらのこのこやって来やがった。


「ようメグ、昼飯にしようぜ」

「そうだね、あれ? みこどうしたの?」

「なんであんた来たのよ」

「私はメグとご飯食べにきただけだし。お前邪魔だし向こう行け」

「私こそメグと食べるんだし。自分の教室帰れ」

「え? 何なに、どうしたの、二人」

「どうもしないって」

「いつもどおりよ」


 そうして実知と背を向け合って昼食を摂る。


「え? 喧嘩してるの、二人」

「元から敵だからな」

「小学校から敵同士だから。小学校の時は私が勝利したんだけど」

「嘘つけ、私の勝ちだ」

「最後泣いて私に詫び入れたじゃない」

「泣いたのはお前だ」

「その話って、二人同時に泣いたって言ってなかったっけ?」


 まぁ、実際は恵の言うとおりなんだけど。

 卒業式前日に決闘した私たちは、激しい殴り合い、掴み合い、先生に拘束されてからの罵り合いの果て、校長先生に怒られて泣いたのだ。

 女を捨てたとしか思えない女の校長先生に、女として恥ずかしくないのか、と言われたのはキツかった。


「とにかく敵だし。メグもこんな奴と話とかしなくていいから」

「こんな奴無視だぞ、メグ」

「なんだ、二人ともそんなんなら、今日持ってきたクッキーいらないね。後でハンドボール部の三人にあげようか」

「それはもったいないって、メグ」

「今日それ楽しみにしてたんだって」

「あ、水野くーん、これあげるよ」


 サッサと由起彦のところへ行く恵。


「お前のせいだ!」

「あんたのせいだ!」


 顔を背け合う私たち。




 実知の奴なんて知るもんか。

 お彼岸が近付いているのだ。お店のために頑張らねば。

 

「また俺も手伝いかよー」

「今日、部活ないんでしょ?」


 由起彦を動員して、駅前でビラ配りである。

 元気に明るくビラを配っていく。


「あれ? みこちゃん、ビラ配り?」


 商店街の住人である大学生の咲乃さんだ。


「おかえりなさい。今度のお彼岸のキャンペーンですよ」

「んー、みこちゃん何か元気ないよ」

「そんなことないですよ」

「朝のジョギングで会った時からそんな感じだよ。水野君と喧嘩でもしたのかと思ってたんだけど、違うみたいだし」

「はぁ、まぁ、ちょっとねぇ」

「そいつ、元町と喧嘩してるんですよー」


 由起彦が余計なことを告げ口した。


「元町って、ミチちゃんだよね。まぁ、二人とも気が強いし、喧嘩したらメンドくさそうだよね。水野君、ちゃんとフォローするんだよ」

「分かってますってー」

「じゃ、早く仲直りしなよ」


 咲乃さんが手を振りながら去っていく。

 うーむ、元気がないって顔に出てるのかな?

 しばらくして今度は元バイトで高校三年の坂上がやってきた。


「久し振り、みこちゃん」

「ホント、かなり久し振りよね。受験勉強どう?」

「大変だよ。夏休みも全然休めなかったしね」

「バイトは辞めて正解だったわね」


 受験で忙しくなるからと夏前に辞めていたのだ。もうすっかり忘れてたけど。


「みこちゃん、元気ないね」

「え? そうかな?」

「久し振りに見たみこちゃんの顔がそんな暗いと僕もつらいよ」

「ちょっとお店が忙しいのよ」

「そうなのかな? 何かもっと大事なことみたいに見えるけど」

「私にお店以上に大事なことなんてないわよ」

「うーん、そうかなー」

「そうだってば。じゃ、あんたも受験、頑張りなね」


 適当に手を振って追い払う。

 みんなに元気がない元気がないと言われると、余計に気落ちしてくるじゃないか。




 ビラを配っての帰り道。


「小坂のことだけどなー」

「小坂君? 小坂君がどうかしたっけ?」

「今回の喧嘩の原因だろー」

「ああ、そうか」


 実知のことで頭が一杯で、すっかり忘れていた。


「もう脈ないし諦めろって言っといた」

「え? そうなんだ」

「後はお前らが仲直りするだけだからなー」

「はぁ、ありがと、いろいろお世話かけて」

「ホントだよなー、お前の世話焼いてばっかりだよなー」

「感謝してますよ」

「今度の祝日なー。元町の女子バレー試合だってさー」

「へー」

「応援行ってこいよなー」

「でもお店があるし、祝日ってお彼岸の真っ只中じゃない」

「そんなん俺が変わってやるって」

「そこまで世話かけられないわよ」

「みこ」


 由起彦が私の肩に手をやって、私の身体を自分の方に向けさせた。


「俺に遠慮するなって」

「でもいいわよ、そこまでして仲直りしたいわけじゃないし」


 また前を向いて歩きだす。


「みこってー」

「本当にいいし」




 それから週末まで、実知とは碌に口を利かずに過ごした。

 顔を合わせるたびに、ちくっと胸に何かが刺さってきたけど、気にしない振りをした。

 何とか仲を取り持とうとする恵には悪いと思ったけど、お互い意地っ張りだし、どうしようもないのだ。




 そして土日祝日の三連休に入る。

 お店は順調に客足を伸ばしていく。私も忙しく立ち回る。

 実知のことなんて、頭に出てくる暇なんてないのだ。

 祝日に入っても相変らず忙しい。

 珍しく朝から由起彦がやって来た。


「おう、みこ、何か余裕ないぞー」

「忙しいからね。何する?」

「十時から県立体育館で試合だから」

「それ、関係ないし」

「みこ!」


 いきなりの大声に、お客もお店に立っている母さんもびっくりした様子でこっちを見た。


「行ってこいって」

「でも……」

「行ってこいって」

「……分かった。後任せたし」

「おう」


 エプロンを脱ぎ捨てる。




 走った。私は走った。

 もう試合は始まっている。

 小学校の卒業式。

 声をかけてきたの実知だった。


「野宮。友達になってやる」


 変に上からだったし私の顔を見ようとしなかったけど、赤らめた頬と差し出してきた右手に、私の心は溶かされた。


「分かった。私のことはみこって呼んでいいぞ」


 その手を握りながら、やっぱり素直じゃない言い方をしてしまった私だった。

 それから中学校に入り、友達になった私たちはずっと仲良くやってきた。

 由起彦と喧嘩した時や気まずくなった時に、助けてもらったことは一度や二度ではない。

 成績の悪い実知に勉強を教えてやったり、スポーツが苦手な私にいろいろアドバイスをしてくれたり。

 歌の特訓に付き合ったり、面白いマンガを貸してもらったり。

 携帯の使い方も教えてくれた。

 他にもいろいろある。ありすぎる思い出が溢れてくる。

 体育館に駆け込んだ私は、スパイクを決めた実知の姿をすぐに捉えた。


「ミチ!」


 実知は私に目を向けると、ちょっと驚いた顔をした後、拳を振り上げガッツポーズを見せてきた。

 授業で習ったはずのバレーのルールはよく分からなかったけど、実知がスパイクを決めたら跳んで喜び、レシーブをすれば声を出した。

 実知の奴は隙があれば私の方に目をやった。


「ミチ、試合に集中しろ!」


 怒鳴ってやった。

 試合が終わると実知が飛んできた。


「おい、店どうしたんだよ」

「今日はこっちの方が大事なの」


 実知が私の頭を手のひらで叩いてきた。


「許してやるぞ」

「私も許してやる」


 私が笑顔を見せると、向こうも笑顔。


「店戻れよ」

「うん。試合、カッコよかったよ」

「みこが応援してくれたからな」


 監督に呼ばれて実知が走っていった。




 お店に戻ると由起彦が危なっかしく働いていた。とてもじゃないけど見てられない。


「ただいま! 替わろ替わろ、由起彦」

「お、おう」


 すぐに入れ替わる。


「どうだった?」

「仲直りした」

「よかったな」

「由起彦のおかげだよ」


 私が笑いかけると照れた顔で横を向いた。


「いつもありがと」

「改まって言うなよなー。他人行儀だって」

「ホントにありがと」


 キョドキョドと目を泳がせている、頼りになる奴の顔を見つめる。




 閉店間際に滝川さんがやってきた。


「オオキタは今年、振るわなかったね」

「うちも去年よりかは落ちるみたいですよ」

「去年がよすぎたかな? みこさんも今年はそれほど力を入れてなかったみたいだし」

「まぁ、いろいろあったんで」

「でもいまいちだったのに、みこさん機嫌いいね」

「他にいいことがあったんで。とてもいいことが」


 私の笑顔に、滝川さんが怪訝そうに片眉を上げた。


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