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猫に好かれない人もいる

 私は日曜日になると、一日中猫喫茶で幸福な時を過ごす。

 初めての受験や幼馴染みに付きまとうウザい女といった、俗世界の面倒事を忘れ、ひたすら猫を撫でまくるのだ。

 ベティのモフモフは最高!

 あ、今日も来た来た。

 マスクと水中眼鏡みたいなゴーグルを装着した男性客である。言っちゃあ悪いが、怪しさ爆発だ。

 彼はお店に入ってもその厳重な装備を解除しようとしない。というよりも、彼の装備は花粉症といったもののためではなく、このお店に入るための装備のようなのだ。

 多分、極端な猫アレルギーなのだろう。一度ゴーグルを外した時に、えらい事になっていた。

 そこまでして猫に会いたい彼なのだけれど、彼を襲う不幸はこれだけではなかった。

 猫に好かれないのだ。

 かわいそうなくらい、逃げられまくる。

 とはいえ他のお客さんのことなのだ、私にできるのは観察くらいのものである。

 ああ、今日も逃げられている。しかも気難しいシェリーとか難易度が高すぎる。おかわいそうに。

 あいかわらず私がベティをモフモフしていると、その男性が私の方へ近付いてきた。


「みこちゃん(スーハー)、みこちゃん(スーハー)」

「ああ、あの、な、何でしょうか」


 得も言われぬ恐怖を感じてしまう。


「俺だよ俺(スーハー)、スギタミートの杉田淳二(スーハー)」

「あれ? そうなんだ、淳二さんなんだ。全然気付かなかったわ」


 彼は商店街にあるスギタミートの次男坊であるところの杉田淳二さんらしい。二十代半ばで、商店街の若い衆として響さん派をやっている。


「まぁ、こんな格好だしね(スーハー)。みこちゃん、しょちゅう見るけど、ここの常連なんだ(スーハー)」

「そうよ、開店当初からのね。それにしてもすごい猫アレルギーみたいね」

「そうなんだよ、猫大好きなんだけどね(スーハー)。薬飲んでこの装備でやっと猫に近付けるんだよ(スーハー)」

「そこまでしてるのに、猫には逃げられるのね」

「もうね、泣きそうだよ(スーハー)。ねぇ、みこちゃん、そのベティを触らせてもらえないかな(スーハー)?」

「うーん、まぁいいけどさ」

「ありがてぇありがてぇ(スーハー)! ベティ、ベティ(スーハースーハー)!」


 おいおいおい、それじゃまるで女子中学生に襲いかかる変態だぞ。

 若干鳥肌が立ちつつも淳二さんの好きにやらせておくと、彼の手が近づいたところで、ベティはフッーとひと鳴きして私の膝から跳んで逃げてしまった。


「あ! 何してくれるのさ!」

「ご、ごめん。やっぱり駄目かぁ(スーハー)」

「とりあえずそっち座んなよ。なんか今のは駄目って私でも分かるわ」

「どうしても、猫に対する情熱を抑えきれなくてねぇ(スーハー)」

「いや、あそこまで嫌われてんだし、もう諦めなよ」

「いいや、諦めない(スースーハー)! 俺のたぎるまでの猫への情熱は、決して抑え切れるものではないのだ(スーハーハー)!」

「でも嫌われてるし、人間諦めが肝心よ」

「いいや、やがて想いは届くはず(スーハー)。絶対に諦めないぞ(スーハー)!」

「なんか、発想がストーカーよ」

「うっ、やっぱそうかな(ス……ハ……)」


 肩を落として目に見えて落ち込んでしまった。

 ちょっと言い過ぎたかな。


「あー、ちょっとだけアドバイスしたげるわよ」

「ありがとう! みこちゃん(スッハー)!」


 手ぇ握んなや。


「とにかくがっつきすぎなのよ。あれじゃ警戒されても仕方ないわ。まずはゆっくりと慎重に近付きなさいよ」

「どうしても情熱が抑えきれなくてねぇ(スゥハァ)」

「そこを抑えなきゃ。後は、猫の餌でも使ってみたら?」

「それは邪道だっ(スッハー)!」


 力強く言い切った。


「いやいやいや、今さら体裁気にしてる場合じゃないでしょ。本当に猫と仲良くなりたいの?」

「みこちゃんの指導は厳しいな……(スーハー)」

「いや、かなり親切丁寧だよ。とにかくがっつかず、餌に仲を取り持ってもらうのよ」

「分かった。やってみるよ(スーハー)」


 しかし駄目だった。

 性急に事を進めようとしすぎなのだ。

 一歩猫が近づいたら、いきなり一歩前に踏み出すのだ。あれでは駄目だ。


「どうどうどう、まだまだがっついてまーす」

「そうかな(スーハー)? かなり抑えてるんだけど(スーハー)」

「全然だし。まずは落ち着いて、餌を食べてるのを眺めてるだけにしなさいよ」

「耐え切れるかな、俺(スーハー)」

「耐え切りなさい」


 耐え切れなかった。

 五分も経たないうちに足を踏み出し、猫を追い散らしてしまった。


「何、それ? わざとやってんの?」

「怒るなって。俺はちょっと愛に不器用な男なだけなんだよ(スーハー)」

「自分で言うかな。未だに結婚できない理由は分かったわ。まぁ、諦めないガッツだけは認めたげるけど」

「猫に対する愛は誰にも負けないぜ(スッスッハー)」

「うーん、でも普通さ、そこまで猫アレルギーでそこまで猫に好かれていなかったら、諦めようかなーって気になってくると思うんだけど」

「それはないね(スーハー)」

「ないんだ?」

「一度好きになったらどこまでも追いかける。相手にこの熱い想いを伝えなくては気が済まない。それが俺さっ(スッハー)!」

「だからそれ、ストーカーの発想だから。はぁ、私には理解不能だわ」

「そりゃ、みこちゃんは相思相愛だから」

「いや、私と水野君はそんなんじゃないし」

「まずは当たって砕ける(スッハー)! それで駄目ならもう一度当たって砕ける(スッハー)! 俺は真正面から行くぜ? ストーカーとは違うって(スーハー)」

「うーん、そうなのかなぁ」

「じゃ、もう一回行ってくるわ(スーハー)」


 そしてまた玉砕。


「いやさぁ、当たって砕けるもいいけど、ちょっとは相手の立場にもなろうよ。ただでさえマスクとゴーグルとか怪しい出で立ちなんだから」

「そうか……相手の立場か……(スゥハァ)」

「得体の知れない相手が飛び込んできたら、猫じゃなくても驚くっての。ゆっくり、落ち着いていこうねー」

「う、うん。猫の気持ちに近付くよ(スーハー)」


 そして床に寝転がりだした。

 いくら空気清浄機が回っていて、丁寧に掃除された店内であっても、床は猫の毛とか完全に排除できるものではない。

 猫のアレルゲンが防壁を突破し、激しい猫アレルギー症状が淳二さんを襲う。

 しかし彼は諦めなかった。

 時折咳き込みながらも床に這いつくばり、猫たちと一体になろうとした。

 猫の一匹がそろそろと淳二さんに近付いていった。そして鼻先を淳二さんに近付ける。

 耐えろよ、そこで耐えるんだぞ。

 私の念が届いたのか、淳二さんは身動きせずに猫の様子を眺め続けた。

 猫がペタンと尻を落として座り込んだ。

 よーし、まだだぞ、我慢しろよー。

 我慢し切れなかった。猫に触れて、驚かれて逃げられた。

 淳二さんが戻ってきた。


「いやー、大分前進したよ(スーハー)」

「すごい鼻声ね。まぁ、前進は前進かも。もうちょい我慢して、猫が落ち着いて淳二さんの周りでくつろげるようになってから触るようにしなよ」

「苦難の道のりだな(スーハー)」

「じゃあ、諦めなよ」

「いいや、諦めない。いつか必ず猫たちを撫でまくるのだ(スッハー)!」


 力強く拳を握り締めるのだった。




 まだ粘る気の淳二さんを置いての帰り道。

 うーむ、あそこまで嫌がられてるのに、よく気合いが続くものだ。

 やっぱり私には理解不能かな。

 『野乃屋』の前まで来たところで、幼馴染みたる水野由起彦と出会う。


「あ、今来てくれたんだ? いらっしゃい」

「おう」


 なんとなく目の前の間抜け面を眺める。

 小さい頃からなぁなぁで付き合い続けている私たち。

 今まではそういう付き合いに慣れすぎてしまっていた気がする。

 例えばこれからこいつに好きな娘ができて、私との距離が開いてしまったとしたら?

 私はどうするんだろうか?

 私に淳二さんみたいなハタ迷惑なガッツはない。

 あっさりと身を引いて、はい、それまでよ、そうなるのかな?


「どうしたんだー」

「ん? いや別に」


 二人並んでお店に入る。

 猫喫茶帰りにはそうしているように、いったん奥に引っ込んで着替えてからお店に出る。

 こいつはその間、ずっと待っていた。


「で、今日は何にする?」

「どれがおすすめなんだー」

「これなんてどうかな」

「じゃー、それにするわー」


 そして由起彦は帰っていった。

 いつもどおりの夕方。




 この日、夢を見た。


「ちわーす」

「いらっしゃい」

「こんにちは、野宮さん」

「○○さんもこんにちは。さ、どれにする? 水野君」

「どれにしようかー」

「こっちのきな粉餅はどうかな?」

「そうしようか、○○が決めてくれるから助かるわー」

「じゃあ、それでお願いするわ、野宮さん」

「はい、ありがとうございます」

「お、サンキュー」

「あのさ、水野君。今度の日曜日、甘味屋巡り付き合ってよ」

「あー、その日は駄目だわー」

「ごめんね、ちょっと二人で出かけることになってるの」

「あ、そうなんだ。まぁ、デートの邪魔する野暮はしないわ」

「じゃー、またなー」

「ちょっとカフェ寄ってこうよ」

「そうしようかー」


 目が覚めたら、かつてない寝汗をかいていた。




 そして夕方。

 いつも通り由起彦がやってきた。


「ちわっーす」

「いらっしゃい。今日は何にする?」

「お前が決めてくれよなー」


 そう、この時間。二人だけのこの時間。

 手に入れたいものに手を伸ばし続ける。

 手放したくないものを守り続ける。

 絶対に手放したくないものなんだから、絶対に手放すわけにはいかない。

 理解不能なんてことはなかった。

 当り前の事だった。


「由起彦に大変残念なお知らせがあるわ」

「え? なんだよー」

「あんた、一生彼女出来ないから」

「なんだよ、いきなりー」

「ホント、悪いとは思うんだけど」


 あんたの幼馴染みが全力で阻止するから。


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