ちょっと暇な夕暮れ時に
「暇だ……」
カウンターにあごを載せてぼんやりしていた私、野宮みこは思わず呟く。
和菓子屋『野乃屋』。
数年前に改装した、まだ真新しい純和風のこの店は、私の大のお気に入りではある。
しかし、もう一時間以上お客の来ない店番は、さすがに私の心を荒ませる。
『野乃屋』のある、上葛城商店街から少し外れたところにある、スーパーオオキタ。今日はあそこで和菓子の15%オフセールをやっているのだ。
さらに今日は雨。お客の来ない条件は揃い過ぎていた。
「ネコ成分を補充しよう」
私は携帯の待ち受け画面を眺める。そこには、真っ黒で凛々しい顔つきのオスネコが写っている。後輩が飼っているネコだ。思わず目尻の下がる私。
「アレクサンドロス、やっぱ最高だわ」
店の引き戸が開かれる。
「いらっしゃいませ!」
条件反射で展開される営業スマイルでお客さんを迎える。
営業スマイルというのはちょっと違うかもしれない。私はいつだって真心を込めて笑顔でお客さんを迎えるのだ。
「ちわーっす」
同じクラスの水野由起彦だ。
「なんだ、水野君か」
「なんだはないだろー。これでも客なんだぜー」
由起彦はカウンタ下のショーケースに並ぶ和菓子を軽く見回す。
「ほとんど売れてないなー」
「雨だからね」
「まけてくれよ」
「いきなり? むしろ、売れてない分、まとめて買って行ってくれると助かるんだけど」
私は結構本気である。
「はー? そんなんしたら、うちの夕食が和菓子になっちまうだろー?」
「うちの家は、ときたま、そうなるのよ」
「マジで?」
「マジ。流石の私でもそれが三日続くと泣きそうになるわ」
「はー、店やってる家も大変なんだなー」
完全に他人事の由起彦。
しかし、いつまで他人事でいられるのやら?
私の計画では、彼もいずれ「こっち側」に引きずり込む事になっている。
「余計な物買わされる前にさっさと帰るかなー。今日は何がいいかな?」
由起彦は毎日お祖母さんのお茶菓子を買っていくのだ。自身は和菓子なんて興味がない、なんて言いやがる。そんな事を言っていられるのも今のうちだ。
「最近、あんこが続いていたし、葛もちなんてどうかな?」
「ああこれな、これはあっさりしてて俺でも食べられるんだよ」
知ってる。
「じゃー、これにするか。二個で」
「君の分も入れて三個ね」
「商売上手だよなー」
そう言いながら、三個分の料金を財布から出す由起彦。
いつものように小銭受けに置くのかと思えば、お金を持ったまま動こうとしない。
よく分からないまま手を差し出すと、お金を置くと同時に私の手を両手で握って来た。
思わず顔が赤くなる私。平常心、平常心、いや、無理です。無理ですこれは。
「な、な、な、何?」
「野宮」
真剣な顔の由起彦。
ますます顔が赤くなる私。
「な、な、な、何?」
「今日のノート見せて」
そんな事だろうと思ったよ。
「あー、カウンターの中入ってきて。そこで写しちゃってよ」
「恩に着る」
お店の中にはいくつか椅子がある。その椅子を机代わりに、由起彦がノートを写し始める。
「授業中、寝てるからそうなるのよ」
「分かる?」
「斜め後ろだから丸わかりよ」
お客は相変らず来ない。
私と由起彦、二人きり。
ちょっと落ち着かない。横を見ると、こっち向きでノートを写している由起彦の頭が見える。そう言えば、最近肩幅が広くなったような気がする。これでもハンドボール部のエースなのだ。
そんな由起彦の試合姿を見て惚れてしまったという、酔狂な女子が現れた事があった。そして彼の幼馴染みである私に、取りなしを頼んできたのだ。
私は全力で、いかに奴が恋人として相応しくないかを説いた。朝寝坊で、忘れ物が多くて、理系教科が全滅で、泳げなくて、小学三年までおねしょをして、散々説いた。しかし彼女は納得しなかった。それをずっと横で聞いていた友達が一言言った。
「水野はみこんところに婿入りするって決まってるから。これは決定事項なの」
その一言で、彼女は由起彦を諦めた。
確かに私は由起彦を『野乃屋』に引っ張り込もうと企んでいる。つまりは私と結婚するという事? あ、そうなるのか。え? 結婚てあの結婚? ジャカジャカジャーンって、教会でウエディングドレスを着てするあれ? うーん結婚? 結婚かー、いやいや結婚なんてまだまだ先の話だし……
また引き戸が開かれる。
「いらっしゃいませ!」
常連の奥さんだ。
「雨がうっとうしいわねぇ」
「今日までらしいですけどね」
「いつもどおり、大福を六つ貰うわ」
「ありがとうございます」
てきぱきと大福を箱に詰めていく。
「ところで水野さんの息子さんとはどこまで行ってるの?」
「どこまで?」
思わず手が止まる。ショーケースの後ろから由起彦を見ると、向こうもこっちを見ている。奥さんからは死角になって、由起彦が見えないようだ。
「十八になったら結婚させるって、先代さん(祖父さんの事だ)は言ってたわよ」
「そ、そんな事を……本人の意志を確認もせずにねぇ」
カウンターの上で、箱を梱包する。
ちょっと手が震えてるし、顔が真っ赤なのも隠しようがない。
「あら、みこちゃんもまんざらではないんでしょ? いつもあの子が来たら、楽しそうにお話してるじゃない」
「いやまぁ、こっちも商売ですから」
「いやぁねぇ、私達、何年女をやってると思ってるのよ。見れば分かるわよ」
「『私達』、ですか?」
「そう。ここの常連はみんな分かってるわよ。二人きりの時は、邪魔しないように気を付けてるし」
そうか、確かに由起彦が来ている間は、他のお客さんがいない事が多い。
ちょっとしたラッキー程度に思っていたのだが……
「私達、みんな応援しているし、恋の相談はいつでもウェルカムよ」
そう言って、おせっかいな奥さんは出て行った。
また結婚だ。何だって周りは私と由起彦を結婚させようとするのだろうか。いや確かに私も、由起彦が私を意識するように仕向けたのは、一度や二度の事ではない。でも繊細な問題なんだし、そっとして置いて欲しいものだ。微妙な舵取りが要求されるのだ。変に意識されるといろいろとやりにくくなるのだ。今みたいに、由起彦に思いっきり聞かれるとか最悪なんですよ。
そんな由起彦と二人きり。ものすごく気まずい。
「今の話、聞こえてないよね?」
「え? 何か話してたの? 俺ずっとノート写すのに集中しててさー」
「あっそ、ならいいわよ」
お互い無かった事にできた。まずはひと安心だ。いいやそんな事はありえない。思いっきり聞かれたし、これから先、お互い変に意識し合う事になるのは確実だ。奥さんを恨みたくなってくる。
パラパラパラと、由起彦がノートをめくっていく音がする。
「あれ?」
声を出した由起彦の方を見る。
由起彦が開いているノートには、一ページ丸々使った落書きが。
それは、とある男子の授業中の姿を斜め後ろから描いたもの。私は美術の成績は割と良い。
絵の下には「まぬけづらー」と。
「これって……」
私は有無を言わさずノートを閉じる。
「何か見た?」
「……いや、何も」
「だよね」
「あ、ノート写し終わったし」
「何かお土産持って帰る?」
「いや、いいわ」
由起彦が立ち上がる。
私も身体を起こす。
「じゃ、ノートありがとう」
「どういたしまして」
「あのさ……」
「また明日、学校で」
「……ああ、また明日」
由起彦が店の外へ出る。
傘を差したところで、こっちを見る。私は手を振って見送る。
そのまま彼は店の前から立ち去った。
それを十分に確認した後、私は頭を抱えてその場にうずくまる。
ギャー、何なの今日は!