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川遊び! その1

 二週間にわたる塾の夏期講習がようやく終わった。

 これでひと休みかというと、そんな訳がなかった。

 お盆なのだ。和菓子屋の稼ぎ時なのだ。

 受験生なんだから家の手伝いはせずに勉強していろ、などと言われたが、それに納得して引き下がる私ではない。

 去年と同じように、和菓子を作り、売りさばいていく。

 ようやく一段落した頃に、同じ商店街の住人である響さんがやってきた。


「あ、いらっしゃいませ、響さん」

「こんにちは、みこちゃん。今日はちょっとしたお誘いなんだけど。来週くらいにみんなで川へ遊びに行かない?」

「いいんですか? もうずっと忙しかったし、このまま夏が終わるのはつらかったんですよ」


 お盆が忙しいのはいつものことだが、初受験が心身を蝕んでいた。遊びのお誘いとは実にありがたい話である。


「でしょ? 受験頑張ってるみんなに、ちょっと息抜きしてもらおうっていう建前なの」

「え? 建前なんですか?」

「いやー、もう暑いし、涼しいところでビールの一杯でも引っかけたいのよ」

「ぶっちゃけましたね」


 言うことがオッサンじみている。バツイチ二十八才ともなると、こういうことを口走ってしまうのだろうか?


「サキちゃんはサキちゃんで彼氏クンに水着見せびらかせたいらしいし。彼、真面目すぎるから、海だとナンパする人とマジ喧嘩やらかしかねないんだって」

「ああ、それは分かりますね」


 咲乃さんの彼氏である二階堂さんとは前に会っている。

 アメフトで鍛えているあの人の怒りに触れたら、とんでもないことになりそうだ。


「お友達好きなだけ呼んでいいわよ。当然水野君も」

「え? うーん、そうですねぇ。まぁ中学最後ですし、みんなで仲良く遊びましょうか」

「そうそう」


 由起彦と遊ぶのが嫌なんてことはなかった。しかしいつもならここで、変な意地やら見栄やら張って、余計な回り道をすることになるのだ。

 十五の夏は一度しかないのだし、ここは素直になっておこうか。おお、我ながら成長しているな。


「じゃあ、西田さんには私から声かけときますんで」

「え? 西田君は関係ないわよ」

「いやいやいや、響さんもビール飲んだくれるだけじゃ駄目でしょ」

「うっ、中学生に駄目出しされた」

「好きな人と急接近できるチャンス、逃さないようにしないと!」


 ぐいっとカウンターから身を乗り出して響さんに迫る。

 こうして後押ししてやらないと、このヘタレはちっとも前に進まないのだ。


「いや、私はいいから、若い子たちだけで友情とか恋とか育んでよ」

「時既に遅し!」


 響さんの後ろで、咲乃さんが仁王立ちしていた。


「ま、まさかサキちゃん」


 振り返った響さんが震えている。


「当然、西田さんにも引率頼んどきましたから。女の人一人だけじゃ大変なんだし、どうのこうの」

「なんでまた、そういう余計なことを」

「みこちゃんが言ってたとおりですよ。こういうチャンス逃さないようにしないと。面倒見のいいお姉さんアピールですよ」

「ビール飲めなくなるじゃない」

「いや、響さんが酒飲みなの、商店街じゃ有名じゃないですか」


 私が事実を述べる。

 商店街で宴会があるたび、この人はご機嫌で飲みまくるのだ。おもちゃ屋の店員である西田さんも宴会には出ているので、響さんの飲みっぷりはよく知っているはずだ。


「でもサキちゃん、現地でタチの悪い罠はやめてよね?」

「さー、どーしましょーかねー」

「咲乃さんは二階堂さんとイチャつくのに忙しいから安全ですよ」

「あ、それはそうね。二人っきりになって、甘え倒すのよね」

「しませんって、そんなこと」


 しかし咲乃さんの顔は赤く染まっている。身に覚えがあり過ぎるに違いない。


「昨日だって買ってきた水着、私に見せにきたじゃない。しかも三着。サービス精神旺盛よねぇ」

「二階堂さんラブですねぇ」

「違うって、二人ともヘタレだったり意地っ張りだったりするから変に思えるんだって。私くらいで普通だから!」

「三着はないわ、三着は」

「一応、中学生もいるんで自重してくださいね?」

「なんか、私ひとりだけで盛り上がってるみたいな言い方しないでって。私は普通だ! 普通なんだー!」


 咲乃さんが走って逃げていった。

 あの人、今まで散々人のこといじってきたのに、自分のこととなるとグダグダだな。


「ああ、あんまり店先で騒いでちゃ駄目ね。後は親御さんにご挨拶しておかないと」


 うちの両親としても、お店があって身動きが取れない中、遊びに連れて行ってくれるというのはありがたい話のようだ。遊びに行く許可は簡単に取れた。

 一泊二日の川遊び。うん、楽しみだ。




 それから数日後、友人の恵と実知と一緒に、家から一番近いところにあるショッピングモールへと向かった。

 川遊びの話はその日のうちにしておいて、一緒に行く約束を交わしていた。


「メグはもう、海に行ってるんだよな?」

「でも向こうじゃあんまり泳いでないんだよ」


 ちなみに向こうとはアメリカ西海岸のことだ。お父さんの休みが取れたそうで、恵一家は海外でお盆を過ごしたのだった。お土産にかわいいTシャツとお菓子を持って来てくれていた。

 いつもは色白の恵だが、今はほんのりと焼けている。


「水着はその時のがあるんじゃないの?」

「ちょっと他に買っておくものがあって……」


 なぜか深刻な恵の声。


「ああ、そうなんだ?」


 よく分からんが、恵がこうやって思い詰めている時は、たいてい碌でもないことだったりする。

 嫌な予感がしつつも水着売り場に向かう。


「これこれ、これが欲しかったの!」


 やっぱり碌でもなかった。

 恵が高々と掲げたのは、胸に貼り付けて盛るとかそういう奴だった。


「メグ、そういうのはやめとこうよ」

「そうだぞ、後で悲しくなるだけだって」

「私、向こうでナンパしてきた現地人にやれやれって首振られたんだよ? あんな屈辱をまた受けるなんて!」


 恵の目に憎しみの炎が渦巻いていた。

 ちなみにまた、と言っているのは、同級生の柳本に胸が小さいからと振られた件を指している。屈辱を与えた柳本を許すには、途方もない時間を必要としたのだった。

 恵はさらにパッドの物色まで始めてしまった。どうやら重ねるつもりのようだ。


「メグ、遊ぶのに集中しようよ」

「どうせ見せる相手なんてどこにもいやしないだろ?」

「でも男子も来るんでしょ?」

「て言っても水野君たち三馬鹿だけどね」

「全員巨乳派じゃない」

「柳本は許したんだろ?」

「それはそれ、これはこれ! 絶対微妙な顔されるに決まってるんだから」


 さっさとパッドの束を抱えてレジへ行ってしまった。


「で? みこはどんなのにするの?」


 買う物を買って、すっきりした顔の恵が聞いてきた。

 とは言え水着なぁ。あんまり考えていないのだが。


「メグ選んでよ」

「いいよ。かわいいのにしようね。あれ? ミチは?」


 実知は一人で大人向けビキニコーナーを、鼻歌交じりに物色していた。


「みこ」

「何、メグ」

「神様って奴は不公平だよね」


 いや、私に同意を求められても。




 買い物が終わってカフェでひと休み。


「それにしても、みこにしては素直に水野誘ったな?」


 アイスコーヒーから口を離した実知に言われる。想定の範囲内である。


「いや、誘ってくれた人が水野君も誘えって言うからよ。無下に拒否するわけにもいかないでしょ?」

「それでもいつもなら何だかんだでジタバタするじゃない」

「まぁ、中学最後の夏休みなんだし、連中にも遊ぶ機会を与えてやろうという私の慈悲の心なんですよ」

「まぁ、何でもいいけどな。あいつらがいようがいまいが私には関係ないし」

「ミチって、ホント男子にドライだよね。気になる男子とかいないの? いい機会なんだし誘えばいいのに」

「私は女子でわいわいやるのが好きなんだよ。メグが惚れっぽいからバランス取ってる訳だ」


 実知が意地悪げに恵に笑みを向けると、恵は不満げに口を尖らせた。


「私はそのつど真剣なんだから」

「今回もまた惚れんじゃないのー?」

「あの三人はあり得ないよ。全員馬鹿だし」


 その馬鹿の中には由起彦が含まれる訳だ。まぁ、否定はしない。


「男子はともかく、なんでナッツンが嗅ぎ付けたのよ」


 私はあいつを誘ってはいない。しかしその日のうちに向こうから電話があり、参加表明されたのだ。


「水野経由じゃないのか? ナッツン、しょっちゅう水野の周りうろついてるぞ。公園で一緒に筋トレしてたり」

「そうなの? うわー、みこだから言ったじゃない」


 夏生は由起彦が好きらしい。私に向かって宣言したし、知っている。振られたはずだけど、諦めるつもりはないらしい。

 向こうは自分に正直に行動しているようだ。私に焦りがないといえば、嘘になる。

 今回由起彦を誘ったのも、それが理由かもしれない。夏生も来るなら意味ないけど。


「水野君はともかく、ナッツンがいると騒がしくなりそうね」

「ま、騒がしい方が楽しくていいけどな」


 実知がストローから勢いよくアイスコーヒーを吸い込んだ。




 そして川遊び出発の日。

 私のお店のある並びには、お店の裏側に面して車の通れる道がある。

 そこで私が待っていると、まずは咲乃さんが現われた。


「このワゴンが貸してくれるワゴン?」

「そうですよ。屋号も何も書いてない、普通のワゴンですよ」

「大事に乗れよ」

「あ、先代おはようございます」


 咲乃さんがウチの祖父さんに頭を下げた。

 今回、お店で使っているワゴンを借りることになったのだ。お店で、というか、我が家の車はこれ一台なのだが。


「これは手を入れてあるから、大分乗りやすいはずだ。静音化もしてあるし、足回りも一通り変えてある。咲乃さんは車乗り始めて何年だ?」

「五ヶ月くらいですよ。春休みに免許取ったので。免許取ってから乗ったのは何回かなぁ」

「何? そう、なのか?」


 珍しく祖父さんが動揺を隠さない。

 ああ、このワゴン、祖父さん大事にしてるからなぁ。他にはお金を遣わないくせに、車にだけは湯水のようにお金をかけるって、祖母さんが愚痴っていた。

 まぁ、そんな大事なワゴンを孫が遊びに行くからって貸してくれるのだ。ありがたい話である。

 

 そのうちみんなが集まってきた。


「ナッツン、えらくごきげんね」

「いやー、楽しみでよぅ眠れんかったわ。あ、水野おはよう」


 すぐに由起彦の方へ駆けていった。

 全員集まったので、企画者の響さんがこの場を仕切る。


「さて、今回は二手に分かれましょうか。私の軽が後三人で、サキちゃんが運転する『野乃屋』さんのワゴンが六人?」

「あれ? 男二人は車ないの?」


 私の問いに、西田さんと二階堂さんの二人が首を振る。


「俺は原付だけ」

「私はひとつも免許は持っていないのです」


 駄目な男たちである。

 西田さん、恵、実知が響さんの軽四に、残る二階堂さん、夏生、由起彦、柳本、高瀬、それに私が咲乃さん運転のワゴンに乗り込む。

 特に誰と座るというつもりもなかったのだが、気付いたら柳本と隣り合って三人掛けの最後部座席に収まっていた。

 夏生は案の定、真ん中の二人がけの座席に由起彦と座っていた。


「お? 野宮、旦那が浮気してるぜ」


 柳本がさっそく冷やかしてくる。うるさいなぁ。


「じゃ、行くよ。念の為にシートベルト締めてね」

「はーい」

「あれ? これミッション?」

「何? サキまさかオートマ限定なのか?」

「なーんて、冗談だよーん。私、ギアチェンジ得意だし。いくぜ!」


 猛烈な勢いでワゴンが発進した。

 私は見た。顔を青くして口をぽっかり開けた祖父さんの顔を。




 急発進、急加速、急停車。これが咲乃さんの流儀だった。

 隣の柳本の顔はすでに土気色だ。


「あんた、吐くとか勘弁してよね」

「大丈夫、酔い止め飲んできたから」

「よーし、大分思い出してきたぞー。二階堂、合宿所一の飛ばし屋と言われた私の実力見せてやるよ」

「い、いいから安全運転に徹してくれないか」

「車の運転もいいものだね。今度レンタカー借りて峠攻めない? とうふ屋じゃないけど、うち八百屋だし」

「サキ、マンガの読みすぎだ」

「あー、まだ信号変わんないのかよ、イライラすんなぁ」

「落ち着け、落ち着くんだ」


 前の二人は楽しくお話を続けている。


「水野、クッキー食べへん? うち、作ってきてん」

「さっき朝飯食ったとこだしいいわー」

「あそ。今日晴れてよかったなー。うち、天気予報ずっと見てたわ」

「郡山、マメだなー」

「うちのことはナッツンて呼んでって、いっつも言ってるやん」

「別に郡山でいいだろー」


 夏生は熱心に話しかけているが、由起彦の態度はつれない。これはいい傾向である。

 というか、由起彦は告白された時にきっぱり断っているはずなのだ。そういう奴だ。それでも付きまとう夏生のガッツはどこから沸いてくるのだろうか?


「なーんか、野宮やばくないか?」


 土気色の柳本が声をかけてくる。


「余計なお世話よ。あんたは自分の体調の心配してなさいよね」

「いやいや、今までお前たちの仲を見守ってきた俺たちとしては、これは心配せざるを得ない事態なんだよ」

「あんたらは単に冷やかしてきてただけじゃない」

「それが俺たちなりの応援なんだよ」

「嘘つけ。これからはナッツンで冷やかせばいいじゃない」

「ナッツンだとシャレにならない」

「ナッツンは本気でヤバイ」


 高瀬も顔を突き出してきた。


「どういうことよ」

「ナッツンだと本当にくっつきかねない」

「そうなったらナッツンはベッタリだ」

「俺たちと遊ぶ暇がなくなっちまう」

「だからぜひとも野宮には頑張ってほしい」


 柳本が私の手を取ってうなずいた。勝手に触るなよ。


「うちは四面楚歌でもやるで」


 夏生が前から顔を出してきた。


「ナッツン、一年の時は振られてすぐ諦めたんだろ? そう聞いたぞ」

「う、乙女の傷を掘り返すなや。今回は本気やで。本気で惚れたんや」


 よく本人真横にして惚れたとか言えるものだ。こいつには恥がないのか。


「水野のどこにそこまで惚れる要素があるんだよ。なぁ、野宮」

「いや、そこで私に振らないでよ」

「なんやあんたら、親友のくせに水野の良さが分からんのか?」

「女に惚れられる要素はない」

「それは断言できる。なぁ、野宮」

「だから私に振るなって」

「水野の魅力はやな――――――っ」


 夏生の身体が大きく傾いた。


「おい、ちゃんと座ってろよー」


 由起彦が夏生の腕を引っ張った。

 どさくさ紛れに由起彦にしなだれかかる夏生。ギリリリリ。


「君たち、しっかり掴まっていてください」


 青い顔の二階堂さんが助手席から顔を出した。

 車は山道に入っていた。

 そしてここからが本当の地獄の始まりだった。


「たぎってきたぜぇぇぇぇ!」


 咲乃さんの雄叫び。

 ワゴンは無駄に右へ左へ急カーブした。


「前の軽、とっろいなぁ! どけよ!」

「やめろ、あれは響さんの車だ。パッシングするんじゃない」

「よーし、次でドリフト試すぞ」

「やめろ、やったら別れるぞ!」

「え? そんなのってないよ」


 急に甘えた声の咲乃さん。


「サキ、前見ろ、前!」

「ねぇ、別れるとかなしだよ?」

「安全運転したら別れない」

「じゃあ、安全運転する」


 しかし十分と保たなかった。


「前の軽、おっせぇんだよぉ!」


 変に緩急が付いた分、余計に恐怖が増してしまった。

 しかも甘えてる時は運転に集中していないので、この時の方がよっぽど危険なのだ。

 そうやって恐怖に打ち震え続けていると、窓の向こうが急に広がった。

 木々で覆われた山を分ける白い河原。そしてゆったりと流れる川の流れ。

 河原にはテントがいくつも並び、カラフルなジャケットを着た釣り人が竿を振っていた。


「川だ。着いたのね」


 よかった。生きてたどり着けて本当によかった。


「あ、後一時間くらい登ってくよ」


 咲乃さんの言葉がさらなる絶望を私たちに与えた。


 一時間後、河原沿いにある駐車場に降り立った私の膝はガクガクとして、未だに視界は揺れ続けた。


「だ、大丈夫か? 野宮」

「ありがとう水野君。そっちの顔も青いわよ」

「そこの影で休もうぜ」


 私の手を引いて木陰まで連れていってくれた。

 こうやって由起彦はまず私を気づかってくれるのだ。

 

「緑茶飲む?」

「おー、くれ」


 由起彦のコップに冷やした緑茶を注いでやる。

 夏生が実知に羽交い締めにされている間、二人並んで座ってお茶を飲む。


「相変らず美味いなー」

「和菓子屋ですからね」


 こうして騒がしい川遊びが始まった。


 次回に続きます。

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