わりとどうでもいい愛の詩
今、私は商店街振興会の会議室にいる。
イスに座る私の周りには、むさ苦しいオッサンどもが。
こいつらは商店街の若い衆だ。若い衆といっても平均年齢三十代後半。ここにいる連中に限って言えば、四十代に届くかもしれない。
その若い衆が私に熱い視線を投げかけてくる。
とは言え、連中の関心は私にはない。
「で、あの男はサキちゃんのなんなんだ?」
血走った眼で若い衆の一人が迫る。
「それを私が勝手に言うのはねぇ」
「あんなに仲良さげに歩いてたんだ、きっと彼氏に違いない」
「やめろ! 不吉な事を言うんじゃない」
商店街の若い衆には二つの派閥があった。
端的に言って、響さん派と咲乃さん派だ。
商店街で一、二を争う美人二人のどちらがミス上葛城商店街にふさわしいか?
この心底どうでもいい話題について、連中は数年にわたる抗争を繰り広げていた。
そこへ降って沸いたのが、咲乃さんに彼氏ができた疑惑である。
疑惑というか、実際に新しい彼氏ができて、昨日実家までご挨拶に来たのだった。そこを連中に見られたのだ。
「別に彼氏ができてもいいんじゃないの? あんたらはただ周りをうろちょろしてるだけのヘタレ集団なんだから」
「そうは言っても、そうは言っても!」
目を固く閉じてワナワナ震えているこの男は、今年二人目の子供が生まれた紛うことなきおっさんである。女子大生の追っかけをしてるなんて、奥さんに知れたら微妙な顔をされるに違いなかった。
「ウザいなぁ、そんなに気になるなら本人に聞きなよ」
「サキちゃんに話しかけるのは隊則に反しているんだ。それはできない相談なんだ」
「面倒くさい連中ねぇ。でも勝手に私がベラベラ話すわけにはいかないし」
「なんてこった。これじゃあ、生殺しだっ!」
一人がテーブルを強く叩く。
そんなこんなで一時間くらい監禁された。いや、私これでも受験生なんだけど。
翌朝。
私はいつもどおり咲乃さんとジョギングをする。
商店街の若い衆がどんなに苦悩しようが私の知ったことではないのだが、情け深い私は連中のために一肌脱いでやることにした。
「商店街に咲乃さんを追いかけてる連中っていますよね?」
「いるね。私が小学生の頃から目を付けてて、高校入学と同時に正式に組織化したんだよ」
「え! 小学生の時からなんですか?」
「そうそう。その頃から美少女でしたから」
私の方を向いてニッコリと微笑む咲乃さん。自分で言いますか。
それにしても連中の業は思っていたよりずっと深い。よく今まで警察沙汰にならなかったものだ。
「連中がどうしたの?」
「どうしたのって、咲乃さんに彼氏ができたんじゃないかって、騒いでるんですよ」
「実際できたじゃない」
「確証が持てなくて苦しんでるんですよ。一回、咲乃さんから正式発表したげてくれませんかね?」
「正式発表?」
「商店街の会議室に連中を集めて、咲乃さん直々に引導を渡すんですよ」
「それってすごく面倒くさいね」
「まぁそうですけど、一種のファンサービス的なかんじで」
「うーん、なるほど、ここで一気に連中を粉砕するのも面白いかもね」
「粉砕、ですか?」
なんだか嫌な予感がしてくる。
「私と彼氏との甘い一日を微に入り細にわたり語り尽くすんだよ。スライド写真付きで」
「うわぁ」
そんなことをしたら連中の精神が崩壊してしまう。さすが商店街に棲まう一匹の悪魔。考えることのタチの悪さが違う。
「それか、その場をビデオ撮影して、連中の奥さんなり彼女さんなりに送り付けるとか」
「そんなことしたら、離婚者が出ません?」
「ん? 連中が私の追っかけやってるのって大抵バレてるんだよ? 私も会ったときにそれとなく伝えてるし」
「うわぁ」
「物的証拠が重要なんだよ。奥さんがそれ使って強請って、プレゼントとか買わすんだよ」
「あのー、意地悪抜きはありえないんですか?」
「ありえると思う?」
ニターリと笑いかけてくる咲乃さん。
そうだ、こういう人だったんだ。
「あー、じゃあ、私が伝えますし。言っちゃってもいいですよね?」
「うーん、プライバシーに属することだからねぇ。やっぱり私から……」
「いや、咲乃さんの手をわずらわせるまでもないですよ。言っちゃっていいですよね?」
「どーっしよっかなー」
「『もう、やめてよ。見てるじゃない』 咲乃さん、二人っきりの時はものすごい甘えん坊さんですよねぇ」
「ちょ、それは忘れてよ!」
「いいですよね?」
「分かったよ。みこちゃんもタチが悪くなってきたね」
「身近にいいお手本がいますんで」
ニヤリと笑ってやる。
またもや商店街の会議室。
別に日を改めてもいいようなものなんだが、連中は即日発表を要求した。まだ日が高いのに、連中は全員集まりやがった。お店はどうした。
ホワイトボードの前に立つ私を、全員が注視する。
「では、発表します」
連中が固唾を呑む。
「咲乃さんに彼氏できました。同じ大学でアメフトの選手やってます。咲乃さんベタ惚れですんで、あんたら諦めてください」
「うおおおおお!!!」
いきなり会議室がどよめきに包まれた。
慟哭という奴だ。いい年をしたおっさん連中が、ただの大学生に彼氏ができたからって泣き崩れたのだ。
「いや、あんたら大げさすぎでしょ」
「みこちゃんは俺たちがサキちゃんにかける情熱を知らないから!」
「あの娘に微笑まれただけで一週間は頑張れたのに!」
「いや、彼氏ができても微笑むくらいはしてくれるでしょ?」
「でも一番の笑顔は彼氏に向けられるのだぁ!」
「まぁ、そうでしょうね」
「酒だ! 酒屋、酒持ってこい」
「おうとも、ちょっと行ってくるわ」
「俺も刺身取ってくるわ」
「メザシも頼む!」
三十分もしないうちに一大宴会が始まってしまった。
せっかくなので私もお相伴にあずかる。
「飲め! みこちゃんも飲め!」
「いや、私未成年だし」
「トロ食いねぇ、トロ」
「トロ! そんなの持ち出して大丈夫なの?」
「後のことは後で考えりゃいいんだ。今はこの哀しみを癒すんだ!」
「まぁ、せっかくだし頂いとくわ」
そうして二時間が過ぎた頃には連中も落ち着いてきた。
「まぁ、サキちゃんの幸せを願おうぜ」
「そうしよう。俺たちはあいかわらず遠くから見守っていようぜ」
「ていうか、あんたら毎回こんなことやってるの?」
「毎回?」
「いや、咲乃さんって去年も高校のラグビー部の人と付き合ってたんでしょ?」
「え? そんなまさか」
「確かに一回、男がラーメン食べに来たけど、あれは単なる学校の友達だったはずだ」
「単なる友達って、誰が決めたの?」
「俺たち」
「二週間にわたる議論の末、あれは単なるラーメン好きの友達と結論付けられたんだ」
「ああ、そういえば元カレさんとラーメン食べたって言ってたわね」
「嘘だろ?」
「本当。夏休みの間に二股されて別れたって。あー、勝手に余計なこと言っちゃったね、私。今の忘れて?」
「いや、聞いちゃったよ、みこちゃん」
「だよねぇ」
「うおおおおお!!!」
またも慟哭。
「しかも振られただって?」
「二股だと? 許せねぇ、サキちゃんを裏切るとは許せねぇ!」
「そいつ見付け出してギタギタにしてやる!」
「そんなんしたら、咲乃さんに嫌われるよ?」
「くっ、俺たちはどうしたらいいんだっ!」
「普通に働きなよ。そろそろピーク時よ」
「今日は仕事なんてしてられっか!」
「飲むぞ、今日は一晩中飲むぞ!」
いきなり会議室の扉が開かれた。
「いつまでも馬鹿やってんじゃないよ、あんた!」
あーあ、連中の奥方たちだ。
「さ、帰るよ。うわ、酒クサ、昼間っから何してんの」
「げっ、それ中トロじゃない、見当たらないと思ったら!」
「大吟醸! ないわー、これはないわー。お義父さんブチギレよ、これ」
独身連中はお母さん達に連れて行かれた。連中、ただでさえ結婚できない親不孝者なのに……
翌朝。
いつものようにジョギング。
「ベストタイミングだったでしょ?」
「あ、やっぱ咲乃さんの手引きでしたか」
「でないと連中、いつまでもウダウダしかねなかったからね。奥さんたちからは後でいろいろもらったよ。大トロとか」
「連中、これからどうなるんでしょうねぇ」
「まぁ、知ったこっちゃないけどね。でも多分変わらずだよ。響さんが結婚した時も大騒ぎになったけど、結局親衛隊は生き延びたらしいしね。それで離婚してこっち戻ってきたら連中歓喜歓喜。響さんブチギレて親衛隊の解体を命じたけど、それでも生き延びたからね。一人マンガ十冊買うってことで和解したってさ」
「はぁ、成長しない連中ですねぇ」
「まぁ、そういうのもありじゃないかな。あんな年になっても馬鹿やってるって、かわいいじゃない?」
そう言って、咲乃さんがウインクをしてきた。