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距離を、置いてみよう

 いつものように店番をしていると、いつものようにあいつがやって来る。


「ちわーっす」

「いらっしゃい」


 お祖母さんのお茶菓子を買いに来た由起彦だ。


「今日も一日疲れたわ」

「店の手伝いも大変そうだよなー」

「違うわ、学校の話よ。今日もナッツンの流した噂に振り回されたじゃない」

「あー、キスしたどうとかなー」


 口と口はないものの、キスしたりされたりはあったのだ。完全なでっち上げではないだけに、噂を根絶するのは難しいのだ。

 私は平気で嘘が付ける女だが、目の前にいるこいつが馬鹿正直過ぎて問題だ。

 今日も同じ部活の悪友どもの追及に、目を泳がせてグダグダな逃げ方しか出来なかった。あれでは駄目だ


「今日なんて、毎朝キスしてるとか余計な尾ひれが付いてしまってるし」

「あれはないわなー」

「ないのはあんたよ。断固として否定すればいいのに、変に語尾をむにゃむにゃさせて。なんでいっつもああ、自信なさげなのさ」

「仕方ないだろー。そういう性分なんだから」

「知ってるけどね、付き合い長いし。で、今後の対策を私は考えた、授業中に」

「国語だろ? 苦手だからってサボんなよなー」

「日本語は喋れるから問題ないわ。文法とかどうでもいいのよ。で、考えた。私達、しばらく距離を置きましょう」

「なんか昼間やってるドラマみたいな言い方だなー、見た事ないけど」

「無駄に仲良くやってるから隙を突かれるんだわ。ただの幼馴染みじゃ駄目なのよ。ただのクラスメイトを装わないと」

「学校じゃ普通だろ?」

「こうやってお店で仲良くやってるから、学校でもそういう雰囲気が出てしまう訳よ。これからはお店でもビジネスライクに行くわ。学校でも話しかけないでね。じゃ、いらしゃいませ、何になさいますか?」

「やめとこうぜー、変だって、なんか」

「何になさいますか?」

「え? もう始まってるの?」


 突っ込みたくなる間抜け面だがスルーである。




 朝の学校。授業の準備を終えて軽く腰ひねると、向こうの席の由起彦が視界に入った。

 そのまま身体を戻す。

 馴れてしまえばどうという事はない。

 今日でちょうど一週間経つが、学校では口を利かず、お店でも店員とお客として接している。実にいい具合に距離を取れた。

 噂の方も落ち着いてきた。ムキになって否定するから駄目だったのだ。水野君? ただのクラスメイトですが何か? という姿勢を貫き通すのが正解なのだ。


「で、いつまで喧嘩してるつもりなんだ?」


 昼休み。弁当箱を片付け終わった実知が言う。


「喧嘩じゃないわ。これが普通なのよ。普通にクラスメイトでしょ?」

「でも無理を感じるよ?」


 ご飯を呑み込んだ後で恵が言う。


「さっきも水野が横通っただけで、妙な緊張感が漂ってたぞ?」

「N極とN極が近付いたみたいな」

「逆に意識しすぎてる感じだな」

「そんな事ないと思うけど。普通には見えない?」

「今までみたいなのが普通だったからな。ずっとそうだったんだし」

「でも、それじゃ普通のクラスメイトじゃないでしょ?」

「当り前みたいな仲の良さが二人の空気だったのに。変になくそうとするのっておかしくない?」

「そうしないといつまで経っても噂だし」

「キスの噂は佐々木さんのお泊まり疑惑で消えたしもういいだろ? 元通りになれよな」

「でも違う噂が出てきたら嫌だし、ここのまま行くわ」

「また意味不明な意地張ってるよね」


 実知と恵が肩を落として深いため息を付く。

 いや、噂流される方の身にもなってよね。


 とにかく現状維持だ。

 五時間目の数学。当てられたので答えを書きに黒板まで行く。

 もう一人当てられた。由起彦だ。

 先生、空気読んでよ。いや、気にするな。

 私は数学が得意なので、ちょちょいと答えを書いていく。

 隣では由起彦が黒板を前にうなっている。こいつは数学が出来ない。

 ちらりと横を見ると、向こうもこっちに目をやった。

 慌てて背を向けて席に戻る。

 今のは助けを求める目だった。そういう時、由起彦の奴はかなり情けない目をしてくる。

 助けてやってもよかったのかな? 普通のクラスメイトでもそれくらいはするのかな? よく分からない。




 そしていつものように店番。


「こんばんはー」

「いらっしゃいませ」

「今日のお勧めありますか?」

「こちらの葛餅がお勧めですね」

「じゃー、それ二つ下さい」

「ありがとうございます。二百四十円になります」

「じゃー、これ」

「六十円のお返しです。はい、お待たせしました。早い目にお召し上がり下さい」

「ありがとう」

「……由起彦、今日の数学ごめん」

「え?」

「いやいい。ありがとうござました」


 いつもより深いめに頭を下げる。顔を見ないように、見られないように。




 授業が終わり、日直の恵が黒板まで行く。右に左に教室を見渡し、誰も写していない事を確認する。そして遅れてきた男子の日直と一緒に黒板消しをかけていく。

 その姿をぼんやりと眺める。

 今日の男子の日直は水野。つまり由起彦だ。

 二人並んで黒板に向かっている。高いところは恵に代わって由起彦が消す。

 恵の頭にチョークがかからないようにする由起彦の気づかいだ。

 消し終わり、由起彦の肩にかかったチョークを恵が払ってやる。

 恵がこっちにやって来た。


「なんで睨むの?」

「誰が?」

「みこ」

「私? なんで?」

「こっちが聞いてるんじゃない」


 恵が私の机にあごを乗せてじーっと見上げてくる。

 桜色の唇がもの問いたげに薄く開かれている。

 すっきりと高く伸びた鼻。かすかに朱のさした白い頬。

 黒目がちの瞳が私の眼を捉えている。

 改めて見ると、恵はとても可愛い娘だ。

 学年でも広く知られた美人である。

 三年生になって、二人で新しい教室に入った時、何人もの男子が一斉に恵を見たのをはっきりと憶えている。

 さっき、由起彦と並んでいるところを見て、胸がもやもやした理由が何となく分かった。恵には言えないけど。

 恵が口を開く。


「変わったげようか、日直」

「いや結構です」


 私がそっぽを向くと、恵は立ち上がって私の頭をぽんぽんと叩きながら去って行く。

 友達相手に何考えてるんだか、私は。


 しかし一度意識しだしたら終わりだ。

 二人で話をしながらプリントをまとめている姿から目が離せなかった。

 職員室までプリントを届けて戻ってきた時もすぐに目がいった。二人はまだ話をしていた。

 恵は引っ込み思案だ。男子と仲良く話をしているところなんて、滅多に見掛けない。

 それなのに、黒板消しが終わってもそのまま教卓にもたれかかって話を続けていた。


 ようやく昼休みだ。

 クラスの違う実知が来て昼食。


「今日、みこずっと怖いんだよ」


 告げ口をするように恵が実知に言う。


「何でだ?」

「私と水野君で日直なの」

「なるほど、納得」

「え? それで納得なの?」


 思わず声を出してしまう。

 そもそも恵に怖いと言われるのが不本意だ。


「欲求不満なんだろ? 水野断ちの限界だな」

「そんなんじゃないし」

「視線が水野君じゃなくて私の方を向いてるのが怖いんだよ」

「嫉妬だな。メグもタイミング悪く日直になったな」

「今日、生きて家まで帰れる自信がないよ」


 両手で顔を覆って泣き真似をする。


「メグ、大げさだし」

「水野君も限界みたいだよ。今日もずっとみこの話だし」


 そうなの? 今日のあれはそういう事なの?


「話ってどんな話?」

「本人に聞けばいいじゃない」


 う、それが出来れば世話はないのだ。


「また怖い顔で睨む。みこの様子を知りたがってるんだよ。英語の小テストはどうだったかだとか、猫喫茶に入り浸りすぎてないかだとか。そんなのを延々聞かれる訳」


 そうなんだ。あいつも心配性だな。

 でもここでやめてしまっては元通り。噂にまみれて生活するはめになるのだ。

 あれには本当、うんざりなのだ。


「今が踏ん張り所だから。そのうち馴れて、お互いただのクラスメイトになれるし。もう少しなんだよ」

「じゃあさ、水野君、譲ってくれる?」


 恵が少し赤らめた顔を近付けてきた。


「なにそれ」

「今までみこの旦那さんだと思ってノーマークだったけど、一緒に日直してて、彼の優しさに気付いたんだよ」

「いやいやいや、日直ったって半日だけの事じゃない」

「メグの惚れっぽさを知らないみこじゃないだろ。いつもの事じゃん」

「それは非道い言われ様だけど、水野君優しいし、珍しく私でも普通に話せる男子だし。うって付けなんだよ」


 またややこしい事を言い出したぞ、この失恋女王は。

 まぁでも本気ではないだろう。そうやって私を焦らせるという、よくある手である。


「まぁ好きにすればいいよ。お勧め物件ですよ?」

「じゃあそうしようかなー。独り身はこたえるしねー」


 その愛らしい瞳で私を見ながら、すらりとした細い身体を左右に揺する。

 安い挑発であるが、恵のこの魅力に心を動かされない男子がいるのだろうか? 見た目だけじゃなくて、心優しいし料理でも何でも出来る娘なのだ。

 いや、しょせんは思わせぶりな嘘なのだ。放置である。


「ご自由に?」


 そこへ担任の泉先生が扉から顔を出した。


「お、桜宮。このプリント、ホームルームで使うから、昼休みのうちに配っといてくれ」


 と、まだ弁当を食べている恵にプリントを渡してきた。

 食事中じゃん、気が利かない先生だなぁ、と思っていると、由起彦の奴がやって来て代わりにプリントを受け取った。


「あ、後で一緒にやろう、水野君」

「いやー、俺やっとくし」


 由起彦がこっちを見た気がするが、私はそっちへは顔を向けない。


「じゃ、そっち先やっちゃおうか」


 恵が弁当箱を閉じて立ち上がる。


「食べてろよ」

「いいからいいから」


 恵が由起彦の肩を叩くのが、視界の端に見えた。


「案外お似合いだったりしてなー」


 実知がにやにやと余計な事を言ってくる。


 昼休みが明けて授業が始まったが、先生の話は少しも耳に入ってこない。

 今は理科の授業。由起彦はこの教科も苦手だ。というか、理数系は全滅なのだ。

 しかも授業中にぼんやりしている事が多くて、ノートを取り忘れる事が多い。そして後から私が見せてやるのだ。

 距離を置くようになってから、当然ノートを見せてやる事はなくなった。クラスメイトの男子に借りているようだが、私のノートが一番見やすいと、前からあいつは言っていた。

 そんなやり取りがあったのも、大昔の事のように思えてくる。

 恵と由起彦。考えた事もない組み合わせだ。でもありなのかな? 今日一日見ていても、二人の息はぴったり合っているように見えた。

 二人が仲良くなると、私と由起彦の噂は完全に消える。万々歳だ。

 あれ? なんで噂を消そうとしてたんだっけ?

 そうだ。私と由起彦の仲がぎくしゃくしないようにするためだ。

 でも恵と由起彦が付き合うなんて事になれば、私達の仲はどうなるのだろうか? ただの幼馴染みも卒業なのかな?

 そんなの……嫌だ。


 いつの間にか授業は終わり、ホームルームが始まっていた。

 由起彦と恵が黒板の前で司会をしている。

 由起彦がクラスのみんなから連絡事項を聞いていき、それを恵が板書していく。恥ずかしがり屋の恵は司会進行に向いていない。

 恵の板書のペースに合わせて由起彦が進行していく。息が合っている。昼休みの恵の発言は嘘だと分かっているが、心がざわついて仕方がない。

 二人は役目を終えるとにっこりと微笑み合った。

 その後の先生の話は耳に入ってこなかった。


「みこ、もうホームルーム終わったよ」


 恵が私の席の前に立っていた。


「ずっと上の空だね」

「え? あー、そんな日もあるって」

「おい桜宮ー」


 その間延びした声は由起彦だ。

 私の机までやって来る。


「さっき言ってたノート、見せてもらっていいか?」


 え?


「数学だよね。理科もいる?」

「おう、助かるわー」


 恵が手にしているカバンからノートを二冊取りだした。

 由起彦がぱらぱらとめくっていく。


「うお、滅茶苦茶可愛いな」


 そう。恵のノートはカラーペンをいっぱい使った、イラスト入りの可愛らしいものだ。

 実用本位の私のノートとは違う。


「なんか、男子に見られるのって恥ずかしいね」


 恵が顔を赤くして少し身をよじる。

 そしてちらりと私に目を留めると、指で押して眉間に皺を寄せた。

 う、今の私、そんな顔してるのか?


「あ、それと日誌書かないとなー」

「うん、取ってきてあるよ」


 カバンと一緒に持っていた学級日誌を、私の机の上に置いた。


「じゃ、みこ、後ヨロシク」

「え? 私?」

「女子テニス部長の桜宮恵さんは、帰宅部の野宮みこさんに仕事を押し付けるのでありました」


 キリッと敬礼する。


「あ、水野君、ノートやっぱり返してね。いつも見慣れてるの借りなよ」


 そう言って、一方的に由起彦の手からノートを引っこ抜いた。

 そしてにこやかに手を振りながら教室を出て行く。

 取り残された二人が顔を見合わす。

 由起彦の間抜け面。随分と久し振りに見た気がする。


「あー、じゃあ、日誌書くか」


 前の席の椅子を後ろに向けて由起彦が座る。


「あ、私、今日の授業ほとんど聞いてないわ」

「はぁ? なんだそりゃ。じゃあ、俺が言うし、書いていってくれよなー」

「そうしようか。水野君、字汚いし」


 由起彦の言う事に合わせて、今日の授業の内容を書いていく。


「水野君もまともに授業聞いてないじゃない」

「仕方ないだろー、最近身が入らないんだよ」

「私もそんな感じね」


 ふと教室を見渡すと、私達の他には誰もいなかった。

 由起彦と教室で二人っきり。

 窓の向こうから、運動部のかけ声が聞こえてくる。

 静かだ。

 由起彦が椅子にもたれかかり、腕を組んだ。


「もうやめようぜ」

「そうね、そうしようか」


 私は机に両腕を載せ、由起彦の方へ少し顔を寄せる。


「由起彦、久し振り」

「おう、久し振り」


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