知らない男子に告白された
朝、授業が始まる少し前に夏生が私のところへやって来た。
「おはよう、みこちゃん」
「おはよう、ナッツン。あんた、いっつも時間ぎりぎりね」
「寝んの遅いからな。あ、そんなんどうでもええんや。昼休み、ちょっと体育館裏まで来たってや」
「体育館裏? 不良みたいね?」
「そんなんちゃうって、行ったら分かるし。絶対行ってや」
言うだけ言って、自分の席に向かった。
何だありゃ?
タチの悪い噂好きの夏生の事だ。どうせ碌でもない事なんだろうけど、一応頼まれたからには行かないといけないだろう。
やれやれ。
そして昼休み。
夏生に見送られて、体育館裏まで行った。
そこには男子が一人立っていた。見た事のない顔である。
胸章を見ると一年生のようだが、彼が私を呼び出した子だろうか?
「あの、用があるのって君?」
「あ、え、あ」
胸の前で指をもじもじさせて、目が変に泳いでいる。
あ、何かいらいらしてきた。
「何? 用があるなら早く言ってよ」
「あ、あの」
男子が一歩前に踏み出した。
顔を真っ赤にし、目を剥いて、背筋を伸ばす。
「俺、野宮先輩の事が好きなんです!」
「はぁ?」
首を傾げながら教室に戻ると、実知が声をかけてきた。
「で、何だったんだ?」
「え? うーん。告白された?」
「何で疑問形なの?」
恵も首を傾げる。
「え? いやー、告白? 何それ?」
「何それって事ないでしょ。何て答えたの?」
恋バナ好きの恵が身を乗り出す。
「え? いやー、『はぁ?』って言った」
「何だそりゃ。もっと気の利いた断り方があるだろ」
「え? 断るの前提なんだ?」
「だってみこは……」
と、実知が由起彦の方を向いた。クラスメイトと馬鹿話に興じている。
「いや、水野君はこの際関係ないし」
「じゃあ、オッケーするの?」
「オッケーったってねぇ。『はぁ?』って言ったら走って逃げて行ったし」
「あーあ、男心を傷付けたちゃった」
恵が訳知り顔で首を振る。
失恋街道まっしぐらの女に言われたくはない。
「そもそもどういう奴だったんだ?」
「いや、知らない。一年みたいだったけど、名前も言わずに行っちゃったしねぇ」
「見た目は?」
「見た目? うーん、大きかったよ。なんか、がっちりしてる感じ。運動してるんじゃないかな?」
「野球部やで」
夏生がいつの間にか横にいた。こいつはいつも知らない間に近くにいる。
「ナッツン、あれ、何だったの?」
「何て、告白やん。女子ソフトボール部と練習場所隣合ってるから、声かけられてん。最初、うちか思って変に期待してもうたわ」
「何で私なの?」
「登校する時に見掛けたんやと。ドストライクみたいやで」
「じゃあ、単なる見た目だけなんだ」
恵が言う。
確かにそうだな。私の見た目のどこが気に入ったのかさっぱり分からないけど、ちょっと見ただけで好きになるとか、よく理解出来ない心理である。
「見た目でもええやん。恋の始まりなんて訳分からんもんやて。毎日見てて、気になってしゃーなくなってんて。そんで先輩にそそのかされて告白」
「そそのかされてかよ」
「余計駄目じゃない」
随分いい加減な奴だな。下手に惑わされて、こっちはいい迷惑だ。
「違うって、すごい奥手やから、先輩が気ぃ使こたったんや。野球部の奴言うてたけど、ええ奴らしいで?」
うーん、だからってなー。こっちは全然向こうを知らないのだ。向こうもこっちをよく知ってないみたいだし。
「取りあえず、みこちゃんの情報は洗いざらい伝えといたし、お店にもそのうち行く思うで」
「あんた、何でそう勝手な事するのよ」
「え? ええ噂話になるからに決まってるやん」
そうだ。こいつはそういう奴だった。
さて、家に帰って店番だ。
それにしても今日は変な事があったものだ。
告白なんてされたのは初めてだ。
あ、いや違うか。由起彦の奴にもされた事がある。まぁ、あれは幼稚園の時だったけど。
告白なぁ、もっとこう、胸がときめくようなものかと思ってた。全く訳が分からないまま終了してしまった。
「はぁ?」はマズかったかもしれない。
おっと、お客だ。あれ?
「いらっしゃいませ?」
「こ、こんばんは、野宮先輩」
「はぁ」
例の一年生だ。
「あの!」
「はぁ」
「あの!」
「はぁ」
「大福下さい」
深くうなだれる。
私の周りの男はこういうのばっかりだ。
「お一つですか?」
「あー、はい」
「あれ? お金持ってるの?」
「え? あー、いや、すみません、持ってないです」
「じゃあ、やめとく?」
「は、はい、すみません」
「いや、どっちみち買い食いは駄目だしね、校則で」
用は済んだはずなのに、まだ動こうとしない。
例によって、指を胸の前でぐねぐねさせている。
「あのさ、昼間の奴だけど」
ずっとそこにいられるのも目障りである。仕方なしに私から声をかける。
「は、はい」
途端に耳まで赤くなる。
「あれって本気?」
「本気です!」
急にカウンターまで迫ってきた。思わず後ろに避ける。
「でも、君、私の事全然知らないでしょ?」
「でも好きなんです。毎日見ているだけで胸が苦しくなって、どうしようもなくて、部活もさっぱり手がつかないし、授業中もずっと野宮先輩の事ばっかりで」
一気に想いのたけをぶつけてきた。
え? どうしよう。こんなに強い想いを受けるなんて初めてだ。
やばい、顔が赤らんできた。
「あの、いやさ、何で知らない相手にそこまで思い詰める事が出来るの?」
「分かりません」
またうなだれる。
すぐに顔を上げた。
「でも好きなんです。どうしようもなく好きなんです」
「あ、うん、はぁ。でもねぇ」
困った。実に困った。
駄目だ。変に胸まで熱くなってきた。
「先輩には付き合ってる人がいるって話も聞きました。それでも好きなんです」
夏生の奴、余計な事を吹き込みやがった。
でもここで否定すると、話が変な方向に進みかねない。
これをきっかけに一気に押し返そう。
「それ知ってるなら、素直に諦めてよ。でないと、こっちも困るし」
「でも、でも」
またうつむく。
ん? カウンターの上に水滴?
げ! 泣きやがった。
声を忍んで泣き始めた。
えー??? どうしよう、どうすればいいの?
そこでがらりと扉が開いた。
うわっ、由起彦だ。
「ちわーっす?」
「い、いらっしゃい……」
由起彦が誰これ? という感じで前にいる一年生を指さす。
私はただ首を振るしか出来ない。
由起彦が一年生の顔を覗き込んでギョッとなる。
由起彦がまた私を見る。私はまた首を振る。
「おい、どうしたー?」
由起彦が一年生に声をかける。
涙まみれの一年生が顔を上げる。
「あ、水野? 水野先輩ってあなたですか?」
「ん? そうだけど」
「野宮先輩と付き合ってる?」
「いや、付き合ってはないぞー」
「え?」
ああ、話が面倒な方向に流れ始めた。
「い、いや、照れ隠しだよね、由起彦」
アイコンタクトを試みる。
「いや、付き合ってはないし。ただの幼馴染みだろー?」
「あ、そうなんですか?」
気付け、気付いてくれ、由起彦。
「それがどうかしたのかー?」
「俺、野宮先輩が好きなんです」
「えっ!」
由起彦がいつもの眠たそうな目を見開いた。
しかし、時既に遅しである。
「よかった。野宮先輩は誰とも付き合ってない。俺にもまだチャンスはあるんですね!」
一年生が私を見てきた。
真っ直ぐだ。あまりにも真っ直ぐな想いに、私の胸の鼓動は高鳴る一方だ。
「いいや、駄目だ!」
由起彦が一年生の肩を掴んで引き寄せた。
「何でですか? ただの幼馴染みなんですよね?」
「でも駄目だ」
「何でだよ」
「みこを好きになるなんて、俺が許さない」
「好きになるのは、俺の勝手だろ?」
ヤバい、二人とも喧嘩腰だ。
一年生の身体は大きい。背丈は由起彦と変わらないけど、体付きは向こうの方がいい。
「ちょっと、お店で喧嘩はしないでよ」
二人が私を睨み付ける。
え? 私が悪いの?
「よし、場所変えるぞ」
「いいぞ、覚悟しろ」
二人出て行った。
え? どうしよう? 喧嘩?
私の為に喧嘩なんてしないでっ!
いやいやいや、そんな自分に酔ってる場合じゃない。
追いかけて止めないと。
慌ててエプロンを脱いでカウンターを出ようとしたところで肩を掴まれた。
祖父さんだった。
「いいから好きにやらせとけ」
「いや、でも喧嘩だよ?」
しかも向こうの方が体格がいい。
「大人しくここで待ってろ」
う、他のお客がやってきた。
「いらっしゃいませ」
「どうしたの、みーちゃん。顔が青いわよ」
「え? そうですか? 気のせいですよ」
どれくらい時間が経ったのか分からない。
ほんの数分しか経っていない気もするけど、数時間経ったような気もする。
いや、日はまだ沈んでいない。それほど時間は経ってないはずだ。
でも長い。
二人とも戻って来ない。
由起彦に電話しようか?
救急車を呼ばないと?
気ばかりが焦るが、お客はどんどん来る。
お客が途絶えた頃、由起彦が現われた。
「ちわーす」
「え? あんた傷だらけじゃない」
「今日は何にしようかなー?」
「いや、それどころじゃないって。救急箱取ってくる」
「いいから、こんなのかすり傷だ」
「そんな事ないって。ほっぺたとか腫れてるし」
「いいから、この葛饅頭くれよな、二つ」
由起彦が強い目で私を見る。
「え、あ、うん。分かった」
いつも通り、商品を箱詰め……駄目だ。手が震えてうまくいかない。
由起彦はじっと黙って待っている。
どうにか箱詰めが終わる。
「じゃ、これお金」
「どうも」
「諦めさせたし」
「え?」
「お前は何も気にするな」
「うん」
「じゃあな」
「あ、ちゃんと消毒しなよ」
由起彦は後ろを向いたまま手を振って出て行った。
ぼんやり立ち尽くしているうち、新しいお客がやって来た。
早く涙を拭かないと。