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両親のお話

 さて、明日はお店の定休日である。

 こういう時、母さんはたまにお酒を飲む。

 そうなると面倒な事態になる。

 絡むのだ。


「みこ、そもそも母さんと父さんの馴れ初めはねぇ」

「いや、その話、百回くらい聞いてるから」

「あんたが今こうしていられるのも、母さんと父さんが結婚したからなのよ。どうやって結婚したかって言うとねぇ」

「だから、その話は百回くらい……」



   ×   ×



 『野乃屋』が出来たのは今から三十五年前。

 私、野宮佐登は当時十才だった。

 生まれた信州から引っ越さないといけなくなり、友達と別れるのがつらかった事をよく憶えている。

 だから私は『野乃屋』の事があまり好きではなかった。

 お店の立ち上げには苦労したらしく、私は一人で過ごす時間が長かった。これもまた気に入らなかった。

 それでも中学の頃には、いつの間にか店番を手伝うようになっていた。ずるずると引きずり込まれたのだ。

 まぁ、人と接するのは好きだったので、店番は割と楽しかった。

 ただ、中学の知り合いがやって来ると、学校とは違った姿を見られる訳で、それが何だか気恥ずかしかった。


「いらっしゃいませ」


 また来やがった。

 木戸の奴はしょっちゅうお店に現われた。

 同じクラスのこいつは、勉強が出来るのだけが取り柄のひたすら地味な男であった。


「今日はそうだなぁ、きなこ団子にしょうか。三本」

「あんたって、よっぽど甘い物好きなんだね」

「まぁ、そうだね。それも洋菓子より和菓子の方が好きなんだよ」


 つまりは上顧客様である。

 とは言え、同級生相手に愛想を振りまくのも変な気がする。だからいつも通りに接するのだ。


「あ、そうだ。野宮、ノート返してよ」

「いや、明日でいいでしょ?」

「帰って復習したいんだよ」

「仕方ないわねぇ。ちょっと待ってて」


 カウンターを離れて、三階にある自分の部屋までノートを取りに行く。人が働いているのが目に入らないのか。復習だなんて、気取った奴めが。

 お店に戻ると、別のお客が来ていた。

 何故か木戸の奴が商品の説明をしている。


「これは粒あんですよ。こしあんならこっちですね。特にこだわりがなければ、よもぎの方が香りがあってお勧めです」

「いや、あんた何勝手にしてるのよ」

「ああ、ごめん、ちょっと聞かれたから」


 他人のお店で勝手な事をしやがって。でも今はお客がいるから怒鳴り散らすのは後にしよう。


「じゃあ、こっちのよもぎ大福を貰おうかしら」

「はい、ありがとうございます」


 内面の怒りを押し殺し、いつもの笑顔で接客をする。

 お客が出て行ったのを見届けてから、木戸を睨み付ける。


「あんたねぇ、いくら常連だからって、勝手な事されたらこっちが困るのよ」

「ごめん、悪かったよ。随分迷ってたから思わず……」

「本当に、人がちょっと目を離した隙に」


 そもそも何で目を離したんだっけ? ああ、そうそう。


「はいよ、ノート」

「ありがとう。で、分かった?」

「連立方程式? あんなの分かる訳ないでしょ」

「何だったら教えてあげようか?」

「はぁ? 下心あり?」

「いや、そんなんじゃないって。今度点数が悪いと補習なんでしょ? お店の手伝いが出来なくなるよ」

「まぁ、そうだけど。日曜店番ないし、うち来てよ」

「うん、じゃあ、日曜日に」


 勉強が出来るのを鼻にかけた、お節介な野郎である。

 しかし日曜日に教えてもらった成果か補習は回避できた。一応大福をくれてやって、借りは返しておいた。




 高校になっても木戸は現われた。どこぞの進学校に通っているらしい。

 私は歩いて通えるところにある普通の高校だ。家の手伝いがあるので近場で済ませたのだ。

 その日は本を読みながらお店に入ってきた。


「本読みながら歩いてると危ないわよ」

「え? ああ、ちょうどいいところだったからね」

「小説?」

「うん、聞いた事あるでしょ?」


 そう言って、木戸が有名な小説家の名前を挙げた。


「それって教科書に出てくる奴じゃない。何で授業でもないのにそんなの読んでるのよ」

「授業で読んで、興味が出たんだよ」

「さすが進学校の生徒様。向学心がおありですわね」

「そんなんじゃないって」


 木戸が眉の端を下げて困ったような顔をした。いつ見ても軟弱な奴である。


「じゃあ、今日はイチゴ大福を」

「はい、毎度あり」


 てきぱきと箱詰めする。


「ここに来られるのも、後少しの間だよ」

「え? 何で?」


 思わず顔を上げる。

 近くに新しいお店なんて出来たっけ?


「大学、東京なんだ。もしかしたら就職も向こう。もうここの和菓子を食べられないと思うと、ちょっと寂しい気がするよ」

「そうなんだ、ウチも上顧客を逃すのは惜しいわね」


 商品を渡す時、木戸が私を見て、下を見て、また私を見た。


「え? 何? 何か言いたい事あるなら、言ってよ」

「あのさ、一つだけ心残りがあるんだよ」

「何?」

「僕、好きな娘がいるんだよ」


 え? それってまさか?


「佐々木さんって、憶えてる? 中学の時の」

「あ? あーあー、佐々木さんね。人気あったよね、彼女」

「彼女に想いを伝えられなかったのだけが心残りだよ」

「あーそーですかー」

「君、彼女と仲良かったよね」

「まぁ、そうだけど。高校は違うけど、たまに遊んでるわよ。あー、私に仲を取り持てと」

「いや、想いだけを伝えてもらえれば」

「そういううじうじしたのは嫌いだし。よし、セッティングしたげるわ」

「え? いや、それは」

「もう決めたし。常連客へのはなむけとして受け取るように」


 そして佐々木さんと連絡を取り、商店街の喫茶店で会うセッティングをしてやった。

 結果は玉砕。

 彼女には既に付き合っている男子がいた。まぁ、知ってたんだけどね。

 これで木戸の奴も思い残す事なく東京へ旅立てるだろう。




 高校生活が終わり、私は本格的にお店で働くようになった。

 木戸は東京へ行き、当然お店には現われなくなった。年賀状だけが律儀に届いた。




 十年の時が過ぎた。

 すっかり一人前となった私は、お店の戦力として忙しく働いていた。

 ある春の日、店番をしていると一人のお客が現われた。貧相な男であった。

 見た瞬間分かった。


「あれ? 木戸君?」

「うん、久しぶり」

「何? 里帰り」

「いいや、出戻り」


 何だか以前より増して貧弱になっていた。

 痩せこけて、目に力がなく、猫背だった。


「出戻りって何?」

「向こうで就職できなかったんだよ。だから戻って来いって言われてね」

「ふーん、あんたみたいな貧相なのは就職とか難しそうよね」

「やっぱりそうだよね……」

「あ、いや、本気に取らないでよ。で、こっちで就職先探すの?」

「そうしないとね。でもこっちだと余計に難しそうだよ。ずっと大学で研究ばかりしてたからね」

「何の研究?」

「数学」

「数学って研究するものなの? 憶えるものでしょ?」

「いや、研究するところは一杯あるんだよ。大学に残りたかったけど、うまくいかなくてね」

「要領悪いもんね、昔から」

「そんな感じだね。しばらくは和菓子だけが楽しみだよ」


 そう言って、力なく笑った。

 何だか見ていられなかった。


「しけた顔しないでよ。今日は奢ったげるわ。好きなの言って」

「いや、悪いよ」

「遠慮なし」

「分かったよ、ありがとう」


 商品を渡す時、木戸の顔を覗き込んでみた。

 やはり元気がない。憂い顔という奴だ。

 目を見ると、光がなく、深い暗闇に覆われていた。何故だかそんな瞳に引き込まれそうになった。


「え? 何?」

「ん? 別に。元気出してよね」


 と言う訳で、木戸が帰って来た。




 木戸は三日に一回くらいの割合でお店に来た。

 『野乃屋』はすっかり地元に根付き、お客も多かったので木戸と話をする機会はなかなかやって来なかった。

 ただ、木戸がやって来ると、その姿を目で追うようになっていた。頼りなくて危なっかしく思えたのだ。

 ある日、珍しくお客が木戸だけの時があった。


「いっそ、ヒモになるべきよ」

「何それ?」

「女の人に養ってもらうの。あんた甲斐性なしなんだし、その方が似合ってるわよ」

「でも、僕、モテないしなぁ」

「ああ、それはネックね。でも駄目人間の世話を焼きたがる女の人もいるらしいから、そういう人を見付けるといいわよ」

「そういう出会いがないんだよ。あってもまともに話も出来ないしね。この前も高校の友達に誘われて、ちょっとした合コンに行ったけど、まるで駄目だったよ」

「合コン? そんなの行くんだ」

「滅多に行かないよ? お金もないし。でもそうでもしないと本当に出会いがないからね」

「あ、そうだ。じゃあ、ここでバイトしなさいよ。ここなら女の人がいっぱい来るわよ」

「なるほど、それはいいかもね」


 基本暇である木戸は、ほとんど毎日のように『野乃屋』の店頭に立った。

 しかし駄目であった。

 お年寄りの相手は無難にこなすのだが、若い女性が相手だとまるで駄目だった。

 何か喋ろうとするとやたらと噛むし、手が震える。変に意識しすぎるのだ。

 これでよく二十八年間も生きて来れたな、と思わずにはいられなかった。

 しかし取り柄もあった。元々計算が得意なのだが、経理も少し勉強しただけで習得し、お店の帳簿の管理をいつの間にかするようになっていた。わが店はこの辺、ルーズである。


「で? 就職活動はしてるの?」


 実家は居づらいらしいので、夕食も私の家で食べるようになっていた木戸に聞く。


「一応しているけどね。書類審査で大抵落とされるよ。面接でも必ず頼りないって言われるし」

「まぁ、頼りないのは事実だよね」

「お店に来る女の人にもまともに話しかけられないし、ヒモの方向も無理だね」

「あれは見てられないわよね」

「はぁ、どうしたものだか」


 実に情けないため息をつく。


「よし、じゃあ、最後の手段を使おうか」

「まだ何かあるの?」

「あんた、ウチに婿入りしなさいよ」

「え? 何それ?」

「私と結婚するのよ。私もいい年だし、いい加減『野乃屋』の三代目を作らないといけないの。二人、ちょうど利害が一致する訳」

「え? そんなんでいいの?」

「そんなんでいいのよ。婿と言ってもヒモと変わらないし。当初の計画通りでしょ?」

「君は僕なんかでいいの?」

「いいよ。何かもう、見てられないし。駄目人間を養いたくなる女の人の気持ちがよく分かったわ。で、どう?」

「いいよ。いいや、こちらこそお願いするよ。僕はずっと君の側にいたい。前からそう思ってたんだ。僕はこんなだから、言い出せなかったけど」

「本当なの? それ」

「本当。僕は君の事が好きだ。結婚しよう。頼りないかもしれないけど、きっと君を幸せにするから」

「……ありがとう」


 私の手を取ってきた木戸の手を握り返す。

 話は予想外の方向へ進んでしまった。

 木戸に結婚話を持ち込むのはずっと前から考えていた。

 何度も脳内で練習をしたがなかなかうまくまとまらなかった。告白なんてした事がないんだし、自分のキャラじゃない事をやらかすと大失敗するのは目に見えていたのだ。

 ぐるぐるぐるぐる考えが巡り、やっぱりいつも通りの調子で話を持って行くしかないと腹をくくったのだった。

 今度はタイミングが見付からなかった。ヒモの話はどうにか出来て、お店でバイトをさせる事には成功したのだが、そこから先、婿に誘う話が出来なかった。

 二人で店番をする時間は長くあったが、そこでいきなり結婚話はおかしいだろうというのは分かっていた。二人並んでいる間中、ずっと胸の高鳴りは収まらなかった。

 夕食時がチャンスだった。しかしいつもついついキツい事を言ったり、馬鹿話をしたりで、タイミングを逃し続けた。そして一人になってから頭を抱えるのだ。

 そしてようやく今日である。こっちから強引に話を進めてやろうと思っていたら、向こうも好きだと言ってくれた。

 胸が熱いようなくすぐったいような感覚、つまりは幸せを感じた。


「で、好きって、いつからなの?」

「え? ここでバイトしてからすぐかな?」

「あ、結構最近なんだ」


 私は中学からずっとなんだけど。



   ×   ×



「……と、いう訳で二人結婚して、あんたが生まれたのよ」

「毎回思うんだけど、ちっともロマンティックじゃないよね、その馴れ初め。なし崩し的なプロポーズを食卓でとか」

「父さんがしゃきっとしないのが悪いのよ」

「いや、母さんが素直じゃないのが話をややこしくしてるのよ」

「じゃあ、あんたは気を付ける事ね」

「私?」

「水野君も駄目そうだし、いざとなったらあんたの方からガツンと告白しないと」

「え? 告白ってガツンとするものなの?」

「私達の場合はそうなのよ」


 うーん、もっとロマンティックなのがいいんだけど。


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