新しいクラスメイト
さて、この4月から私達は中学三年生である。
クラス替えがあり、恵と同じクラスになったが、残念ながら実知とは別れてしまった。
しかし私達の友情に変わりはない。昼休みになれば実知が来て、一緒にお昼を食べる事にしている。
ある昼休み。新しくクラスメイトになった郡山夏生さんが話しかけてきた。
長い髪を後ろでまとめた彼女は、つり目がちながら人懐っこい表情を見せてくる。
「みこちゃん、まだちゃんと挨拶してなかったな。これからよろしゅう」
そう言って手を差し出してきた。
彼女はこの地方の方言がきついようだ。
「よろしく郡山さん」
こっちも手を出し、握手をする。
「郡山さんとか他人行儀やて。うちの事はナッツンって呼んだって」
「じゃあ、ナッツンよろしく」
「で、あれが噂の旦那さんなんや?」
夏生が指さしたのは由起彦だった。
そう、由起彦も同じクラスなのだ。まぁ、どうでもいい話だけど。
「早速ね。あれは単なる幼馴染みだから」
「嘘言いいなや、みんな知ってんで?」
みんなは言い過ぎだが、私と由起彦の仲を冷やかす生徒は多い。小学生の頃からずっと言われ続けているので仕方がないと言えば、仕方がない。
とは言え、夏生とは小学校は別だし、同じクラスだった事もないのだが。
「よく知ってるな」
実知と同じ感想を私も持った。
「ん? うち、そういう噂話好きやねん。メグちゃんが柳本に振られた話も知ってんで」
「あ、あれはもう終わった話だから」
しかしそう言う恵の頬は少し引きつっていた。
「それも知ってる。あれは最低な話やな。うちやったらきん○ま潰してんで」
「メグは上品だからそんな事しないのよ」
本当は土下座した頭を踏み付けたのだが、それは内緒にしておく。
「まぁ、そうやろな。で、水野や」
「旦那とか根も葉もない噂話だから」
「そうなん?」
「否定してるのは本人だけだぞ」
「そんな二人を私達は温かく見守ってるの」
嘘だ。
実知達はしょっちゅう余計なお節介を焼いてくるではないか。
まぁ、それで助かる時もあるのだけど。
「せやんな。じゃ、うち、水野にちょっかい出すわ」
「はぁ?」
思わず声を挙げてしまった。
何を言い出すんだ、この人。非常に嫌な予感がしてくる。
「水野君が好きなの? 夏生ちゃん」
恐る恐る恵が聞いてくれる。正直助かる。
「ナッツンって呼んでや。別に水野なんか好きちゃうで。でもちょっかい出すねん」
「はぁ?」
また声を出してしまった。
この人、訳の分からない事を言ってるぞ。
「好きでもないのに、ちょっかい出すって、どういう事なのよ」
「うち、噂話好きやし。集めるんも好きやけど、話大きぃするんも好きなんやわ」
「あの、言ってる事がよく分からないんですが」
「水野を取り合う、みこちゃんとうち。修羅場発生。そういうふうに噂、大きすんねん」
「面白そうだな」
「いやいやいや、ミチまで何を言い出すのよ。そんな遊びで振り回されるこっちの身にもなってよ」
「いや、みこっていつまで経っても素直にならないだろ。ナッツンが頑張れば良い刺激になるぞ」
「その通り。分かってるな、ミチちゃん。水野とみこちゃんがくっついてもオモロいし、うちと取り合いになってもオモロい。どう転んでもオモロいねん」
「面白ければそれでいいの?」
「その通りや。うちはオモロけりゃ何でもええんやっ」
言い切られた。
「ほな、早速行ってきま」
夏生が由起彦の方へと駆けていった。
うーむ、実にマズい展開だ。
しかしここで追いかけたら、私達の噂を補強する事になってしまう。ここは様子見である。
夏生はいきなり由起彦の腕にしがみついた。
「おっす、水野」
奴め、自分の胸を押しつけていやがる。
胸か。さっき見たところ、奴の胸は中学生にしては大きかった。
「え? あ、おう」
いきなりの状況に対処出来ない由起彦。しかししっかりと腕に当たる夏生の胸を見ている。
由起彦はむっつりだ。そして巨乳派である。明言した事はないが、いくつかそう臭わせる言動を取っている。
「同じクラスやし、これから仲良う、やっていこうや」
「お、おう」
「水野、ハンドボール部やんな、うち、ソフトボールやねん。待ってるし、今日一緒に帰ろ」
「へ?」
「部活終わったら体育館行くしな」
そう言って由起彦から離れた。にこやかに手なんて振っていやがる。
実にマズい展開だ。
心中穏やかならぬものを抱きつつ、今日も家がやっている和菓子屋で店番だ。
やがて由起彦がやって来た。
「ち、ちわーす」
「いらっしゃい」
私の声はいつもより低い。由起彦の横にいて、腕を組んでいる夏生が気に入らない。
「ふーん、ここがみこちゃんのお店か。うち、来るん初めてやわ」
「どうぞ、これからご贔屓に」
私も商売人である。胸の内を押し殺す術は心得ている。
「まぁ、うちは駅向こうのマンションやし、滅多に来られへんねけどな。今日はちょっと敵情視察やねん」
「敵? 敵なの?」
「まぁな、これから水野取り合うんやし」
「いやいやいや、マジで勘弁してよ。変な遊びで引っかき回されたら堪ったものじゃないわ」
「ふーん、ほなやっぱり二人付きおうとるんや」
「いや、付き合ってはないぞー」
「付き合ってはないわ。でも仲の良い幼馴染みではあるの。二人の間が気まずくなるのは勘弁なのよ」
「別にうちと水野が付きおうたからって、幼馴染み同士で気まずぅはならんやろ」
「さっきから何の話なんだー?」
由起彦本人の知らないところで、夏生は勝手に話を進めている。
「水野フリーなんやろ? うちと付き合おうや。断っても猛アタックするで」
「え! いや、でもなぁ」
由起彦が情けなく助けを求める視線を私に送ってくる。いや、自分で断れよ。
「駄目よ。水野君はナッツンとは付き合わない」
「それをみこちゃんが決めるんや?」
「そうよ。私の許可なく付き合う事は出来ないのよ。幼馴染みの私が目利きするって決まってるのよ」
そう決まっているのだ。今決めた。
「みこちゃん、正直になりぃや」
「正直?」
「水野の事、好きなんやろ。素直に認めぇな。そしたらうちも、考え直すし」
うー、どうしたものか。
素直、素直か。みんなそう言うが、私が由起彦の事をどう思っているかなんて、私自身、よく分かっていないのだ。
好き? 好きなんだろうか? でもずっと幼馴染みをやってきたのだ。仲が良いだけ? 気が合うだけ? 好きってものがよく分からない。
今、由起彦にしがみついている夏生に抱いているこの感情は、単なる独占欲から来るものなのだろうか? よく分からない。
「うーん、はっきりせぇへんなー。ほな、これならどうや!」
いきなり夏生が背を伸ばした。
「由起彦!」
「おう!」
夏生の唇が由起彦の頬の五センチ手前まで迫ったところで、由起彦の手が夏生の口を覆った。
危なかった。
夏生が諦めて由起彦から離れる。
「なんや、もうちょいやったのになー」
「ん? ナッツン顔赤いよ?」
「え? そんな事ないやろ」
「いや、真っ赤っかよ」
はっはーん。そうか。
「水野君、夏生さんにキスして差し上げて」
「はぁ?」
夏生と由起彦が同時に声を挙げたが、夏生の声の方が大きかった。
「私が許す。キスしろ」
由起彦に目配せすると、向こうもようやく勘付いた。
「おう、分かった」
由起彦が夏生の両肩に手を置く。
「キャーッ、やめてっ!」
夏生が似合わない悲鳴を上げて座り込んだ。
顔を手で覆っているが、耳まで真っ赤だ。
「ちゃうねん。ちゃうねんて」
「何がちゃうのよ」
「キスはあかんて、キスは」
「何を今更。昼間だって、水野君に胸押し当てたりしてたじゃない」
「胸押し付けるくらい別にええやん。減るもんやなし」
キョトンとした顔で私を見上げてくる。
え? そういうものなのか?
「じゃあ、キスは減るの?」
「うん、キスは減るで。うち、まだした事ないし」
そう言って、また顔を赤らめた。
「じゃあ、何でさっきキスしようとしたのよ」
「ゴメン、調子乗りました。あかんねんて、うち、時々見境なくなるんや」
「野宮もそういう所あるよなー」
由起彦、余計な事を言うな。
「ふーん、調子に乗ってキスですか? 大切な初めてのキスを、好きでもない男にする訳ですか?」
「やめてって。堪忍してやー」
うずくまったまま頭を抱える。
この際だし、徹底的にいじめる事にする。
「はしたない娘さんですわね」
「やめてー、やめてー」
「胸を触らせるのはオッケーっていうのも、いかがなものかと思いますわ」
「触らせるんちゃうて、押し付けるだけやって」
「似たようなものじゃない。水野君、揉んじゃいなさい」
「え? いいのか?」
「ぎゃーっ、やめて。うち、そんな女ちゃうんやて」
まだうずくまったまま、今度は胸を覆い隠す。
もはや半泣きである。
「この淫乱娘めが」
「違うって、うちめっちゃ純情やて」
「そもそも好きでもない男と付き合おうとする時点でおかしいのよ。尻軽女よ」
「分かったって。もう手ぇ出さへんし。もうホンマ、堪忍してやー」
「よし、もう余計な事するなよ?」
「せぇへんて。はぁ、もう最悪や」
ようやく立ち上がる。
「まー、どっちみち、郡山って俺の好みでも何でもないけどなー」
「グッサー、今、グッサー来たわ」
左胸を押さえてよろめく夏生。
「今のはないわね。水野君も少しは言い方考えなさいよ」
「え? 俺が悪いのかー?」
「もう、何? この非道い扱い。あ、桜餅四つ頂戴」
「はい、ありがとうございます」
てきぱきと箱詰めする。
それを受け取った夏生が、とぼとぼとお店の出口へ向かう。
扉を開けたところで振り返る。
「あ、そうや。あんたらってキスしてんの?」
「口と口のキスはしてないわ」
「口と口やないキスはしてんねな?」
にたりと夏生が笑う。
しまった。やってしまった。
「どこどこどこ? どこにキスしたん? キスされたん?」
急に生き生きとして私の方へ詰め寄ってくる。
「い、いいでしょ、別に。黙秘権を行使します」
迫って来る夏生の顔を押し返す。
「まぁ、ええけど。キスしたいうだけでも、ええ噂話になるわ。ほな、明日楽しみにしといてなっ」
スキップ混じりにお店を出て行った。
うわー、明日学校、行きたくねぇ。