彼女は本屋の店員さん
最近読み出したマンガが面白いので、商店街にある小村書房まで続刊を買いに行った。
ここのマンガコーナーを担当している小村響さんは、商店街で一、二を争う美人として知られている。
私がマンガコーナーに入ると、もう一人の美人である森田咲乃さんと話をしていた。商店街の若い衆は二人を担いで激しい派閥争いを繰り広げているが、本人達は仲がいいのだ。
「え! 離婚の原因ってそれなんですか?」
「内緒よ? エロマンガが原因なんて、みっともなくって」
話題はバツイチの響さんが離婚した原因のようだ。
「あ、みこちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは。あ、お話どうぞ、続けて下さい」
「みこちゃん、聞いちゃった?」
咲乃さんが聞いてくる。
「いえ、私は前に聞きましたし。どうぞどうぞ」
咲乃さんが響さんの方へ向き直る。
「でもエロマンガと響さんの二択でエロマンガを選ぶって、信じられませんねぇ」
「エロマンガにかける情熱がとんでもないのよ。3LDKのマンションに住んでいて、そのうち二部屋が開かずの間だったのよ。仕事の大事な資料があるから絶対に開けるなって、鍵までかけてて。怪し過ぎるでしょ? 結婚するまでは遠慮してたけど、さすがに結婚しても秘密のままっていうのもおかしいし。私がたまたま仕事から早く帰ってきたら、元旦那がその開かずの間にいたのよ。で、覗いてみたら部屋中ピンクっていうか肌色。全身鳥肌よ」
「うわ、ドン引きですね」
「捨てるように言ったら泣いて土下座してくるし。しかも、もうバレたからって大っぴらに読み始めて。私も二年我慢したのよ? でも毎日リビングに山積みされたエロマンガを整理してたら、もうね、ある日ブチッとね」
「そりゃ来ますよね。私だったら有無を言わさずブック○フですね」
「私はサキちゃん程強くないから。でも駄目ね。下手に溜め込んだ分、爆発するとすごいわ。最後に二択を迫ったら逆ギレされて、その場でこっちから三行半よ」
「慰謝料は?」
「え? 特に?」
「駄目ですよ。そこで、『あんたの会社にチクられたくなかったら、有り金全部寄越しな!』くらい言わないと」
「それって脅迫にならない?」
「いや、響さんみたいな良い人を、そんな目に遭わせる奴相手に容赦は無用ですよ」
「サキちゃんは本当、強いわね。まぁ、とにかくそんな訳で、エロマンガだけは許せないのよ」
「でも結構な品揃えですよね」
「商店街の若い衆がコンスタントに買っていくし、売り上げも馬鹿にならないの。そこが余計に憎たらしいのよ」
「はぁ、商売するのも大変なんですねぇ」
「商売自体は好きなんだけどね」
大人達の会話をありがたく拝聴する。碌でもない内容だけど。
「あ、いらっしゃいませ」
二人の会話が終わったところで、新しいお客がやってきた。
そのお客さんは商店街にあるおもちゃのサガワで店員をしている西田さんだった。二十代後半で、見た目小太りで頼りなさそうだ。その上コンピュータやらアニメやらのオタクでもある。マンガも好きなんだろう。
「あ、予約してた西田ですけど」
「はい。ていうか、いちいち他人行儀よね、西田君」
笑いながら響さんがマンガの束をカウンター後ろの棚から取り出した。
五冊以上あるぞ?
「多!」
「西田君、マンガ好きだもんね」
「まぁ、俺、オタクだし」
「中学の頃から自分で言ってるよね」
「あれ? 西田さんってここの中学なの?」
前に独り暮らしだと言っていたので、よそから移って来たのだとばかり思っていた。
「ここが地元だよ。家族で都会に引っ越したけど、俺だけ戻ってきたんだ」
「わざわざこんな田舎に?」
「都会は合わないんだよ。テレビとネットがあれば、どこでもいい訳だし」
「変なの。マンガはネットで買わないんだ?」
「ん? 買う奴もあるし、買わない奴もある」
「買う奴って?」
西田さんがちらりと響さんを見た。すぐに顔が赤らんだ。
「内緒」
「あ、エロマンガですね?」
敏感に咲乃さんが嗅ぎ取った。
「あー、まー、ねー」
「あー、そうなんだー。おかしいと思ったのよ。西田君、ウチじゃ絶対にそんなの買わないし」
「いや、恥ずかしいだろ? 同級生が店員なのに」
「まー、分からなくもないけど」
響さんがにやにやしている。エッチなマンガ嫌いなはずなのに、特に悪意は感じない。
「いや、ああいうのも、ちゃんと面白いのあるから。そういうのしか買ってないし」
「そうなの? 元旦那のを見たけど、碌でもないのばっかりだったわ」
「選べばいいのもあるんだよ」
「じゃあ、教えて」
「え?」
「店員として把握しておきたいのよ。面白いのあったら教えてよ」
「分かった。あー、またメールするし」
「待ってる」
逃げるようにして西田さんが出て行った。
手を振って響さんが見送る。
「へー、響さんって変わった趣味ですねぇ」
咲乃さんが目を丸くして言う。
響さんの趣味? え、そうなんだ? 西田さんを?
「そうかな?」
「前の旦那さんもオタク風だったんですか?」
「元旦那は普通を装ってた隠れエロマンガオタクだったのよ。エロマンガも許せないけど、隠れてこそこそっていうのも許せなかったの」
「でも今の人もエロマンガ買ってるみたいでしたよね?」
「そうね、それをこれから確認するのよ。碌でもないマンガだったら、また私の見る目がなかったって事よね」
「では、ご武運を」
咲乃さんがにっこり笑って敬礼をする。
数日後、私がまた続刊を買いに行くと、すぐに響さんが声をかけてきた。
「みこちゃん、みこちゃん」
そして満面の笑みでガッツポーズ。
あー、いちいち可愛いな。
「面白かったんですか?」
「ありよ、あり。食わず嫌いだったわ。ポップも立てたのよ」
「じゃあ、エッチなマンガ嫌いはやめるんですか?」
「そんな事ないわ。大抵のエロマンガは相変らず碌でもないわよ。西田君お勧めの奴だけマトモなのよ」
「うわー、思いっきりノロケですねぇ」
咲乃さんが入ってきた。
「で、どうするんですか? あの人奥手そうでしたし、響さんから果敢にアタックですか?」
「え? うーん。でも私、バツイチだしねぇ」
「そんなの関係ないですよ。何だったら私が策を弄しますよ」
「サキちゃんだと碌でもない事になりそうだから遠慮しとくわ。私のペースでじっくりいくから」
その通り。何事も本人のペースがいいのだ。
私自身の数々の経験から言っても、周りの人間が変な事をすると当人達が気まずくなるだけなのだ。
ここはそっとしておくのが一番だ。
ところがお店を出たところで咲乃さんが言い出した。
「じゃあ、ちょっと動いてみますか」
「え? いいじゃないですか。当人同士に任せておけば」
「響さんは手酷い離婚騒動で恋に臆病になってるんだよ。ちょっと背中を押したげないと、前に進まないよ」
それはそうかもしれないが、意地悪好きの咲乃さんがマトモな恋の後押しをするとは思えないんだけど。
「あー、取りあえず西田さんの意志を確かめときましょうよ」
「ん? そんなの必要ないよ。響さんみたいな人を拒絶するなんてありえないでしょ? 顔良し、性格良し、しっかりした商売人で頼りがいまであるんだよ? ああいうオタクの人は大抵駄目人間だから、響さんみたいな人がぴったりなんだよ」
非道い偏見が混じってる気もするが、そんなものかもしれない。西田さんが響さんを拒否する理由なんて少しもない。
どっちみち、咲乃さんの暴走は止められないし、せめて近くにいて手綱を引き締めようか。
「で、どうするんですか?」
「まぁ、簡単にお見合いね。二人誘い出して、カフェでお話させるの」
「案外普通ですね」
「当然その前に、この場で西田さんは告白するつもりだけど勇気が出ない。響さんがうまくリードしたげて下さいって吹き込んどくんだけどね。西田さんには響さんが告白されるの待ってるからお付き合いしたいって告白したげて下さいって言っとくの」
「え? それって半分以上嘘ですよね?」
「結果的にうまくいったら嘘じゃなくなるからいいんだよ。響さんには私が言っとくから、西田さんはみこちゃんが担当してね」
そういうものなんだろうか?
まぁ、思ったほどあくどくないし、別にいいか。
という訳で、おもちゃのサガワにやってまいりました。
「いらっしゃい、みこちゃん」
店長の佐川さんが声をかけてくれる。私が物心ついた時からお爺さんだったこの人は、商店街振興会の会長でもある。
西田さんに声をかけて、お店の倉庫まで引っ張っていく。
「え? 小村さんが?」
「そうなのよ。西田さんに恋い焦がれてるのよ。でもバツイチなの気にして自分からは何も言い出せないでいるの。西田さんの方からお付き合いしたいって告白したげてよ」
「何で俺が告白? 俺別に小村さんが好きって訳じゃ」
「そりゃ今までは想像すら出来なかったんだろうけど、響さんだよ? あの響さんに好かれてるんだよ? こんないい話ないって。取りあえずお付き合いしちゃいなよ」
「いやー、でもなー」
「はっきりしないわね。西田さんにこんなチャンス、二度とないよ。男だったらガツンとかましなよ」
「なんか随分な言われ様だけど。はー、でも小村さんがなー」
「女に恥かかせちゃ駄目だからね。じゃ、次の土曜お昼の三時、駅前のカフェね」
しゅたっと手を挙げて、用件を伝えきる。
それにしても頼りない男だな。大丈夫かな。
そして土曜日。
まずは響さんが現われる。ロングスカートに桜色のニット。いつも以上に可愛らしい。
私と咲乃さんが陣取る四人がけのテーブルまでやって来る。
「サキちゃん、暗躍してくれたわね」
咲乃さんの隣に腰掛ける。
「でも両想いなのが分かって良かったじゃないですか」
「上手くリードかー。私に出来るかな?」
「私もフォローしますし、大丈夫ですよ」
三時ちょっと過ぎに西田さんがお店に入ってきた。ジーンズによれたネルシャツ。駄目である。
とにかく私の隣に座らせる。
「あー、小村さん」
お? 西田さんから口火を切ったぞ。これは意外だ。
「ゴメン。俺にはもう嫁がいるんだ」
「えっ!」
女子三人が声を挙げる。
「嘘、独身じゃなかったっけ?」
響さんが激しくうろたえる。
咲乃さんも予想外の展開にぽかんと口を開けている。
私も当然パニクっている。
「いいや、十人くらいいるんだ。画面の向こうに」
「がめんのむこう?」
「画面の向こう。紙の向こうにも」
「え? それってもしかして……」
「俺は二次元しか興味ないんだ。諦めてくれっ」
言うだけ言うと、走って逃げていった。
「秒殺?」
咲乃さんが言葉をこぼした。
響さんの目に涙が浮かんでいる。
うわー。やっちゃいました、私達。
「これ、どういう事なのかなー、サキちゃん」
ぎぎぎと顔を咲乃さんに向ける響さん。
「え? うーん、まぁ、遅かれ早かれですよ」
視線を逸らす咲乃さん。
その小さな顔をがしっと掴むと、自分の方へ向ける響さん。
「彼、月に二十冊くらい買ってくれる上顧客なんだけどっ!」
「え? まずそこなんですか?」
響さんの迫力にさすがの咲乃さんもびびってる。
「と・う・ぜ・ん・で・しょ? こちとら商売人なんですから」
「いやー、いろいろ悪かったですよ。フォローはちゃんとしますから」
「当然です」
言い終わると、力なく咲乃さんから手を離す。
「振られちゃった……」
ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「いや、今のは向こうが悪いですよ。二次元オンリーとか病的ですって」
「彼の悪口は言わないで!」
「はいっ」
背筋を伸ばす咲乃さん。
「あー、じゃあ、取りあえず、私フォローに行ってきますよ」
この場から逃げたいのもあって、私はお店から抜け出した。
おもちゃのサガワに行くと、西田さんが青い顔をして棚の前で立ち尽くしていた。
「あー、西田さん?」
「あ、みこちゃん。俺、最低な事しちゃったよなぁ」
「いやー、まー、煽った私が悪かったのよ」
「小村さんどう?」
「あー、泣いてた」
「やっぱりなぁ。でも本当に俺が好きだったの?」
「うん、それは本当」
「はぁー、リアルはなぁ」
「何かトラウマとかあるの?」
「いや別に? 小さい頃からずっと二次元ばっかだったから、リアルに興味持つ隙がなかったんだよ」
「じゃあ、別に響さんが嫌とかじゃないんだ?」
「小村さんは良い人だよ。中学の時だって俺なんかにも普通に話しかけてくれてたし」
「だったら取りあえずお付き合いしてれば良かったじゃない」
「そんなの不誠実だろ? どうしたって二次元の方が好きなんだし」
「まぁ、これ以上無理強いはしないけどさ。あ、でもお店には行ったげてね。振られた上にお客を逃したら踏んだり蹴ったりだから」
「え? でも滅茶苦茶行きにくいだろ?」
「それでも行ってよ。上顧客を逃したとあったら、私の命がヤバいし」
「じゃあ、行くよ。みこちゃんの命がヤバいなら仕方ないよな」
「そう、私の命がヤバいし。じゃ、よろしくね」
はぁ、最低なのは私だよ。普段あれだけ周りに余計な事されて迷惑してるのに、自分がやらかしてしまうとか。もう最低だよ。
怖いながらも様子を見に行かないといけないだろう。
小村書房に顔を出す。
マンガコーナーでは西田さんと響さんが楽しそうにお話していた。
「やっぱりポップを立てると売り上げが全然違ってくるの。今までは自分で読まないから駄目だったけど、西田君が教えてくれたのは読めるから、これからはどんどんポップを立てられるわ」
「いや、俺に出来る埋め合わせはこれくらいだし」
「あ、この前のは気にしないで。あれは商店街に棲まう悪魔がやらかした、タチの悪いいたずらだったから」
「まぁ、そう言ってもらえると助かるよ」
「これからもよろしくね」
響さんが微笑むと、西田さんが顔を赤らめた。
「結果オーライですよ、みこさん」
いつの間にかいた咲乃さんが私の肩にあごを載せた。
「え? どういう意味です?」
「彼、響さんを意識しつつありますよ。全ては計画通りですよ」
「いい加減ですね、咲乃さん」
西田さんが出ていった後、響さんが笑顔で私達を手招きした。
カウンターに近寄った私達のこめかみに、響さんの拳が当てられる。
「結果オーライで許せるか!」
ぐりぐりと拳をねじ込んでくる。
「痛い痛い痛い」
二人、悲鳴を上げる。本気で痛い。
「ま、一歩前進だけどね」
響さんが笑顔で私達の肩を軽く叩いた。