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決戦、お彼岸はおはぎ

先に、「決戦、お彼岸はおはぎ。」として投稿したものと同じ内容です。

 監視対象の裏口を睨みながら、電柱の影で大福にかぶりつく私、野宮みこ。


「いや、そこはアンパンだろ、普通」


 後ろから水野由起彦があくびをかみ殺しながら言ってくる。


「今日で賞味期限切れなのよ。まだあるわよ。いる?」

「もらう」


 我が和菓子屋『野乃屋』特製の大福が詰まった袋を由起彦に差し出す。

 事前情報では、もうとっくに出てくる時間だった。

 少し焦りが出てくる。


「そろそろ帰ろうぜー」


 後ろの奴は飽き始めている。

 いいや、いつだってこいつはやる気なしなのだ。

 この、『野乃屋』最大の危機を目の前にしても!


「あ、出てきた」


 裏口が開き、一人の中年女性が姿を現わした。

 言われていた外見と一致する。

 滝川久美子。今日の標的だ。


  ※   ※


「はい、それではこれから作戦会議を始めます」


 時は二日前に遡る。

 私、野宮みこが会議の開始を宣言する。


「議題は『スーパーオオキタのおはぎ対策』です。知っての通り、今週末お彼岸がやってきます。お彼岸にはおはぎ! これまでこの界隈では我が『野乃屋』の独壇場でした。ところが最近、スーパーオオキタの和菓子の人気が高まってきております。実に危険な存在です。このままでは『野乃屋』の売り上げに深刻な影響を与えかねません」


 私が目の前にいる従業員達(祖父母、父母にパートさんが二人)を見回す。


「そもそも何故、スーパーごときにお客を奪われなくてはならないのか? その解明から始めないといけません。この点について、水野由起彦君が報告します」


 私は席に座り、隣にいる由起彦を肘でつつく。

 いかにも嫌々そうに立ち上がる。


「あー、そもそも何で単なる常連客の俺がここにいるのかが謎な訳ですがー」


 私は思いきり奴の足を踏みつける。


「痛てっ、分かったって。とにかくスーパーオオキタの生菓子売り場について調べてみました-。母親の友達がオオキタでパートしてるのですぐ分かりましたが-。えー、鍵は新しくパートで入った滝川さんにあります。オオキタでは店の中に機械を置いて和菓子や洋菓子を作ってますがー、滝川さんはお菓子作りの名手でー、機械に入れる材料や時間なんかを微調整してるそうです。それで急に美味しくなったと言う訳です。以上でーす」


 次は私の番だ。


「さて、お手元にあるのがそのオオキタのおはぎです。まずは敵を知る! これ肝心です。みなさん、ご賞味下さい」


 従業員達が目の前のお皿に据えられたおはぎを食べる。

 思わずうなり声を上げたのは父である。

 そう、事前に私も食べてみたのだが、オオキタのおはぎは予想以上に美味しいのだ。


「ウチとは比べものにならんな」


 頑固な祖父が言う。


「でも、十分美味しいわ。型崩れもしてないし」


 母が言う。ちなみ母はここにいる祖父母の実の娘で、父は入り婿である。


「しかもウチより二十円も安いのです。この不況下、一個二十円の差は大きいです」


 私がこぶしを振り上げて力説する。


「いや、ウチはこれ以上の値下げはできないぞ」


 お店の経済面を切り盛りしている父が言う。


「オオキタさんのはちょっと小さくないですか?」


 パートの小野さんが言う。確かにオオキタのおはぎの方がひと回り程小さい。


「でも数で買わない? 普通」


 やはりパートの高原さん。


「で、みこはどうしたいんだ?」


 祖父が聞いてくる。


「手はいくつかあります。まず、デザインを工夫します。練り切り(餡で作った生地)でモミジを作っておはぎの上に乗せるとかです。敵はしょせん機械作りの大量生産品です。繊細な工夫を凝らせるのは手作りのウチの強みです」


 祖父がうなずく。


「それはいろいろやってみよう」


 この後、おはぎのデコレーション案がいろいろと飛び交う。

 それを紙に書いていくのは由起彦。


「さらに、これが一番効果的なのですが、滝川さんをウチに引き抜きます」

「おいおい、えらく簡単に言ってくれるな」


 人事面も担当している父が抵抗する。


「だってずっと人手不足じゃない」


 パートさんが一人高齢で辞めて半年、私をフル動員してようやくお店が回っているのが現状なのだ。


「そうよ。みこもそろそろ高校受験に向けてちゃんと勉強させないと」

「まー、野宮の場合、成績悪いのは手伝いのせいじゃないと思うけどなー」


 余計な茶々を入れる由起彦を睨み付ける。


「うーん、じゃあ、ちょっと一声かけてみるか」


 父はあまり乗り気でないようだ。

 そもそも、父は強引な引き抜きなんて出来る柄ではない。根っからの裏方体質なのだ。


「よし、分かった。引き抜きは私がするわ!」


 私が声高らかに宣言する。


「みこが?」


 母が呆れた声を出す。


「そう、言い出しっぺだし、子供だと油断している隙を突くのよ」

「いや、子供に引き抜かれる大人はいないでしょ?」

「そこが私の腕の見せ所よ」


 そう言って胸を叩く。


「と言う訳だから、引き抜き行くわよ、水野君」


「え? 俺もなの?」


  ※   ※


 そして二日後、私と由起彦はスーパーオオキタの裏口で出待ちをしていたのだった。

 滝川さんのシフトは、同じ職場で働く、由起彦の母親の友達にチェックしてもらっていた。

 さて、さっそく滝川さんとコンタクトを取ろう。

 電柱から離れた私は、しばらく後を付けてから、滝川さんに声をかける。


「あの、こんばんは。滝川さんですよね?」

 

 急に声をかけられて、驚いた顔で振り返る滝川さん。


「そうだけど。あっ、あなた『野乃屋』の娘さんね」

 

 自己紹介の手間が省けた。


「そうです。初めまして、野宮みこです。こっちは……」

 

 と、由起彦の方を振り返って一瞬言葉に詰まる。

 あれ? こいつって何なんだろうか?

 常連客? 同級生? 幼馴染み?

 どれもこの場では相応しくなかった。

 パートナー?

 いやいやいや、それは何か誤解を招きかねない。


「助手の水野君です」

「ああ、俺、助手なんだ」


 由起彦がやる気なさげに肩を落とす。


「で? 『野乃屋』さんが私に何の用?」

「単刀直入に言います。あなたの腕をもっと生かしてみませんか? オオキタを辞めて、『野乃屋』に来て欲しいんです」

「うわ、ひねりなしかよ」


 事前にいろいろと考えてみたけど、あれこれ駆け引きをするのは私の性ではない。真正面からぶつかるのが一番いいと思えたのだ。

 滝川さんは驚くでもなく、私を見てニヤリと笑った。


「私も随分買われたものね。でもね看板娘さん。私は今の職場で十分満足しているの。いや、むしろ燃えてるね。敵は大きいほどやりがいがあるから」

「敵?」


 私が首を傾げると、滝川さんが大きくうなずいた。


「そう、創業三十年を超える老舗『野乃屋』。この界隈で和菓子と言えば『野乃屋』。そんなお店をただのスーパーが追い抜くの。こんな痛快な事はないよ」


 痛快で危機に陥れられる方は堪ったものじゃないんだけど。


「でもウチだともっといろいろなお菓子作りが出来ますよ? 100%手作りで。面白いですよ?」

「手作りだからいい。それは老舗が陥りやすい慢心だね。確かにうちのスーパーじゃ材料をこねるのは機械がしている。でもね、細かい設定は人間がするし、そこには知恵の入り込む余地があるの。それに最後の仕上げはどっちみち人間の手でしているの。全部機械がしているという訳じゃないの」


 慢心。そんな事を言われたのは初めてだ。

 真心を込めて全て人間の手で作り上げる。それが『野乃屋』の誇りなのだ。


「ごめんなさい。別に意地悪を言っている訳じゃないの。『野乃屋』さんは今まで通り自分達の流儀で和菓子作りをしていけばいい。ただ、私は今の限られた条件で老舗の鼻っ柱を折りたいの。そういうのに燃えるの」

「十分意地悪な考えですね」


 由起彦が余計な口を挟む。私は何も言い返せない。

 折られるくらい鼻っ柱が飛び出ているのかな? 外から見るとそう見えるのかな?

 気持ちがシオシオと萎んでいくのを感じる。


「とにかくお彼岸までもう少し。正々堂々戦いましょう」


 滝川さんが私の肩を叩き、向こう側へと歩き始めた。


「おい、追いかけなくていいのかー?」

 

 由起彦が私の顔を覗き込んでくる。

 でも今の情けない顔は由起彦なんかには見られたくない。顔を背ける。


「大丈夫か、野宮?」

 

 なおも食い下がって顔を見ようとしてくる由起彦。


「ねぇ」

「何?」

「私って、鼻持ちならない奴なのかな?」


 顔を背けながら聞いてみる。何でこいつなんかに聞いてしまうんだろうか。


「さっきの話? そんな事ないってー。みこはお店の事を誰よりも誇りに思ってる。それって良い事だろー? 慢心とか鼻っ柱とか、そんなんじゃないってー。誇れるものを誇って何が悪いっていうんだよー」


 ああ、何か慰めようとしてくれている。ちょっとうれしい。


「気にする事ないってー。あの人は逆境に燃える体育会系タイプだよ。もう諦めて他の手を考えようぜー」

 

 そう言って、私が持っている大福の袋を奪い取る。


「美味い美味い、みこんとこがそこら辺のスーパーなんかに負ける訳がないってー」


 大福を口いっぱいに頬張りながら由起彦が言う。




 由起彦に手を引っ張られるようにしてお店に帰ると、祖父が声をかけてきた。


「おい、試作が揃ったぞ。お前ら、見てみろ」


 言われて厨房に入ると、いろんな種類のおはぎが並んでいた。

 おはぎの上に、グラデーションのかかった練り切りのモミジが載せられている。他にも、金箔や細かく砕いた栗が載せられたものも。小豆やご飯の潰し具合をいろいろと変えたものも置かれていた。


「あまり奇をてらったものは作っていない。あくまでウチは真っ向勝負だからな」


 あえて変わったものと言えば、最中の皮に包まれたおはぎくらいか。


「あー、俺の提案、通ったんですかー」


 これは由起彦が言い出したのだった。お箸を使わなくても手が汚れないと言っていた。


「その顔を見ると、引き抜きはうまくいかなかったんだな。だが、それがどうした。相手がちょっとぐらい美味しかろうと、ちょっとぐらい安かろうと、負ける『野乃屋』ではないぞ。それぐらい知ってるだろ」


 祖父が胸を張って言い切った。


「そうだよね、お祖父ちゃんがずっと頑張って作ってきたお店だもんね」

「ああ、そして今はお前も頑張って店を盛り立ててる。負けるものか」

「だよね、そうだよね」

「やっと笑ったなー、野宮」


 そう言う由起彦も笑っていた。




 ヘコんでいる場合ではなかった。私ももっと頑張らないといけない。

 その夜、私は机に向かってペンを走らせた。

 ちらし作りだ。

 私の愛する『野乃屋』。私の全てである『野々屋』。私の愛を紙に注ぎ込むのだ。

 書いては捨て、書いては捨てを繰り返し、明け方になってようやく満足のいくものが出来上がった。

 



「野宮さー、授業中、ずっと寝てるだろ?」

「あ、バレた。昨日ほとんど寝てなくて」


 翌日の学校。休憩時間に由起彦が話しかけてきた。


「うわ、隈が出来てるぜー。ヒドい顔がさらにヒドくなってる」

 

 ボディに拳をぶち込んでやる。


「それより放課後、ちらし配るから手伝ってよね」

「あのー、俺部活あるんだけど」

「部活と『野乃屋』、どっちが大事なの?」

 

 由起彦を睨み付ける。向こうは目を逸らしてきた。


「あのさー、俺はただの常連客なんだけど。しかも食べてるのは俺じゃなくて、ばぁちゃんだし」

「おや? そう言えば、夏休み前にはあった水槽が消えてますなぁ? 休み前の大掃除まではあったはずですが?」


 と、わざとらしく教室内を見回す。

 水槽は、大掃除の時に由起彦が割っていた。先生には水を張り替える時に誤って落としたと言ってあるが、本当は由起彦がホウキを振り回して叩き割ったのだ。


「分かったよ。手伝えば良いんだろー? でもなぁー……」

「でも何?」


 由起彦がアゴで向こうを指す。

 その先では、由起彦の友達が二人、こっちを見てニヤニヤしている。


「俺達、噂になってる」

「マジで? 冗談じゃないわよ」

「俺だってだよ。だからあんまり目立ちたくないんだけどなー」

 

 私だってこいつとの噂が広まるなんて勘弁だった。『野乃屋』か、私の名誉か。いいや、ここは迷う必要なんてありはしない。


「この際仕方がないわ。甘んじて汚名を着る。そしてちらし配りよ」

「汚名かよ」

「汚名でしょ?」


 由起彦を見ると、目が合ってしまった。

 慌てて目を逸らすと、さっきの男子たちがさらにニヤニヤしているのが目に入ってきた。

 とんだ汚名だわ。




 一旦家に帰って着替える。

 家のコピー機でコピーしてあったちらしを掴んで外に出ると、言っておいたように由起彦が待っていた。


「おい、何だよその格好」

「何って、別に?」


 別に? ではなかった。

 私が着ているのはチューブトップにかなりのミニスカート。それに高い目のヒール。露出が高いのは自覚している。

 どれも、夏休みに友達とショッピングに行った時、変にテンションが上がって買ってしまった品々なのだ。家に帰って正気になって、これは着れたものじゃないとクローゼットの奥に仕舞い込んでいたのだ。

 それが、今、役に立とうとしていた。


「変だって。何考えてるんだよ」

「新規顧客層の開拓よ」

「はぁ?」

「ウチは女性客が圧倒的に多いの。だから男性客を呼び寄せるべく、この身を犠牲にするのよ」


 そう言って拳を握り締める。

 悲壮な決意なのだ。


「何言ってるんだよ。駄目だ。着替えて来い」

「何であんたにそんな事言われないといけないのよ。これは……」

「駄目だ。着替えて来い」


 由起彦が珍しく厳しい目でこちらを見てくる。

 それに私の前に立ち塞がって、外へ出られないようにしている。

 由起彦に見られているうちに、自分の格好がだんだんと恥ずかしく思えてくる。


「分かったわよ。着替えればいいんでしょ、着替えれば」


 部屋に戻って、ジーンズと半袖に着替えてくる。


「これでどうですか?」

「それで良し」


 とりあえず駅に向かう。


「何であそこまで怒るかな?」

「色気のないお前の痛々しい姿が見てられなかったんだよ」


 かなりムカっと来た。


「そうでしょうねぇ。水野君は、お色気満点な佐々木さんみたいなのがお好みでしょうからねぇ」

「はー? 何でそこで佐々木さんなんだよ」


 根拠なんてなかった。ただ、佐々木さんみたいに胸が大きくて仕草も色っぽい娘が、男子たちの好みなのに違いなかった。


「どうせ私はペタンコだし」

「悪かったって、痛々しいは言い過ぎたよ。でもなー、世の中危ない奴だって一杯いるんだからな。ちゃんと気を付けろよなー」

「心配してくれるんだ?」

「何かあったら、爺さんに脳天叩き割られかねないからなー」


 そう言って向こうを見る。

 やばい、顔がニヤけてきた。


 とにかくちらし配りだ。

 色気はなくても愛想はたっぷりに。帰宅途中のおじさんやお兄さんお姉さんにちらしを渡していく。

 今まで『野乃屋』と縁のなかった人たちにお店を売り込んでいくのだ。新規顧客層の開拓だ。

 それに、家へ帰ってから奥さんなりお母さんなりにちらしを見せるだろう。そうすれば一枚のちらしで効果は二倍である。

 頑張ってちらしを配っていく。受け取ってもらえなくてもへこたれず、次々やってくる人にお願いをしていく。そうやって日が落ちる頃には無事全部配り終えた。


 翌日にもちらしを配った。

 今度はスーパーオオキタのすぐ側にある交差点だ。買い物客が行き交う歩道の脇でちらし配りだ。


「敵の真ん前とか、やる事がエグいよなー」

「真ん前じゃないわ。五十メートルは離れてるし、営業妨害にはならないわ。それにどっち道、子供のやる事ですからねー」

「うわー、やっぱエグいわ」

 

 おばさん達の中には顔なじみも多い。


「よろしくお願いします。今年は新作を取り揃えてますので」

「『野乃屋』さんも頑張るのね。オオキタは油断ならないわよ」


 やっぱりオオキタの評判は高いのだ。手強い敵である。


「やっと終わった-」

「ご苦労。これで人事は尽くしたわ」

 

 いよいよ週末。天気予報は晴れ。お墓参り日和である。




 土曜日、昼過ぎになっても客足は伸びなかった。

 

「こっちはそこそこ売れてるみたいだぞー? 買っていく人が多いわ」


 スーパーオオキタまでスパイに行った由起彦が携帯で報告してくる。

 『野乃屋』従業員に焦りが広がる。


「仕込み過ぎたかしら?」


 母親が言う。

 おはぎは日持ちがしない。その日売る分は、当日に作った分だけである。お店を開けている間も奥の厨房でどんどん作っていけるのだが、ある程度の量はお店を開ける前に仕込んでおく。

 どれくらい仕込むかは加減が難しかった。私と祖父の積極策を採用して、かなり多めに仕込んでいた。

 今のペースだと、下手をすると売れ残ってしまう。

 私は自分の焦りが顔に出ないように必死に努力する。今もお客さんがいるのだ。


 結局、この日は計算外の売れ残りが出来てしまった。

 肩を落とす私の頭を由起彦が軽く叩く。


「まー、まだ明日があるしなー。これ、貰って帰っていい?」


 帰る由起彦と一緒にお店の前に出る。


「ゴメンね、散々引っ張り回しておいて、こんな事になるなんて」

「本当だよ、散々引っ張り回されたからなー、まーでもまだ分からないって。変に落ち込むなって。みこは昔から時々そうなるからなー」


 私達の付き合いは長い。幼稚園からずっとだ。

 あの頃から既に私は由起彦を引っ張り回していた。

 幼稚園の頃は虫取りだ。後で知ったが由起彦は虫が苦手だった。そんな彼を引き連れて、いつも蝶だのカブトムシだのを捕まえに走っていた。

 小学校に入ってからは他の和菓子屋の偵察だ。電車を乗り継いで、いろんなお店に行ってきた。彼は文句ばっかりだったけど、言えば必ず付いて来てくれた。

 そう、いつも私は由起彦を引っ張り回していた。


「本当にゴメン」

「いいって別にー、いつもの事だし」

「でも迷惑ばっかりかけて。学校では噂にまでなっちゃうし」


 汚名だなんて言ったけど、由起彦の方こそ迷惑に違いなかった。


「あー、噂なー、あれだけは何とかしないとなー」

「そうよね、私なんかと噂になって、迷惑だよね」

「ん?いや、そうじゃなくてさー。噂なんかでギクシャクするってのはなー」


 うつむいていた私が顔を上げると、由起彦は横を向いて顎を指で掻いている。


「噂なんて俺が叩き潰すからさー、みこは気にすんなよ。それより店の事だけ考えてろよ。それがみこらしいってー」

 

 相変らずこちらを見ずに由起彦が言う。

 

「ありがとう。時々頼もしいよね、由起彦は」

「何言ってるんだよ、いつだって頼もしいぜ-、俺はな」


 やっとこっちを見た由起彦に向かって笑いかける。

 そう、由起彦は時々頼もしくて、いつも優しいのだ。


「みこはそうやって笑ってろよ。じゃーなー、明日も頑張ろうぜー」


 由起彦は手を振りながら帰って行った。

 私もずっと手を振って見送った。




 翌日曜日、事実上の最終日。

 今日は朝からお客さんが多い。


「お寺さん、昨日用事があって来れなかったのよ。今日に予定が固まっちゃって、てんてこ舞いらしいわよ」

「オオキタのちらし見てなかったの? 昨日限定で10%オフしてたのよ」

「やっぱりお彼岸には『野乃屋』さんでおはぎを買わなくっちゃね。今年の新作も楽しみだったの。これも頂戴ね」

「みーちゃんも大分頑張ってたわよね。昨日も水野君からメールが回ってきたって、うちの子が言ってたわよ」


 由起彦からメール? そんな話は聞いていない。

 今日もスーパーオオキタへ偵察に行っている由起彦に聞いてみる。


「あー、話のついでにちょっと宣伝しておいただけだよ。まー、新規顧客層の開拓だなー、野宮も言ってただろ?」


 しかし話のついでのちょっとした宣伝なんかではなかった。

 今まで姿を見た事のなかった、同級生の親御さんが大勢やって来てくれた。それ以外にも先輩や後輩の家の人も来てくれていた。

 話を聞いてみると、由起彦がありったけの知り合いに、拡散希望のチェーンメールを流していたのだ。

 

 他にも、食べ物の口コミサイトを見て来てくれた人もいた。

 その口コミを書いたのも由起彦みたいだった。ちょっとズルだけど。


 とにかく昨日が嘘のように今日は大忙しだった。

 厨房もフル回転で追加のおはぎを作っていった。

 閉店時間を延ばして、お客さんがいなくなったのが午後八時。

 私がお店のシャッターに手をかけた時、最後のお客さんがやってきた。

 スーパーオオキタのパート、滝川さんだった。


「こんばんは、看板娘さん。どうやら『野乃屋』さんも大繁盛だったみたいね。うちは去年比三倍だったよ。まぁ、去年の売り上げが少なかったのもあるけど」

「ウチは二割増しくらいですね。でも不思議ですね、何で両方とも売り上げが伸びたんでしょう?」

 

 私は首を傾げる。

 そう、今日は昨日の不振をカバーするくらい売れたのだ。


「今年は俄然対決ムードが高まっていたからね。あなたが宣伝して回ってくれたおかげね」


 なるほど、確かにいつもは来てくれないお客さんも大勢来てくれていた。

 必死になって宣伝したので、みんなが関心を持ってくれたのだ。

 でもそれもこれも、


「滝川さんのせいで、オオキタさんの和菓子が急に美味しくなったからかも」

「その甲斐あって、特別手当が出そうなの。この対決路線は案外いいかも」


 確かにそうだ。私の商売人としての勘もそう言っている。


「じゃあ、次は中秋の名月ですね」


 今年は九月三十日。もうすぐそこだ。


「その後クリスマスに、お正月、そしてバレンタインデーだね」

「え? ウチは和菓子屋ですよ? ケーキやチョコは関係ないですから」

「そうやって不利な条件の方が燃えるでしょ?」


 体育会系の論理は私には理解出来ない。

 でも、戦いを申し込まれたら、受けない訳にはいかないだろう。

 クリスマスにバレンタインデーか、かなり不利な戦いになるぞ。


「あ、そうだ。ウチのおはぎ持って帰って下さいよ。余り物で悪いですけど」

「いいわよ。買って帰るつもりだったし」

「いいえ、ウチの売り上げに貢献してくれたお礼ですよ」

 

 そう言ってニッコリ笑い、店の中からおはぎを取ってくる。


「じゃあ、これからもいいライバルでいましょう」

 

 滝川さんが手を差し出してくる。


「ええ、ウチは負けませんから」

 

 私も手を出し、滝川さんの手を握る。

 握手が終わると、滝川さんは踵を返して颯爽とお店の前から立ち去った。




 翌日の朝。

 私は学校の近くで由起彦を待った。そして二人並んで歩く。


「ありがとう」

「もう何回目だよー。いいって、今度まけてくれたらー」

「でも本当に助かったわ。メールなんて、私は思い付かなかったもの」

「んー、あれは失敗だったかもなー」

「え、何で?」


 由起彦が顎で示す先を見ると、正門の前で由起彦の友達二人がニヤニヤして立っている。


「お熱いね、お二人さん。水野もついに『野乃屋』に婿入り決定だしな」

「あのメールは野宮への愛に満ち溢れていたからな」


 早速二人が冷やかしにかかる。


「違うって、あれは常連客としての勤めなだけだってば-。俺と野宮はそういうんじゃ……」


 ここで私は由起彦の腕にしがみつく。


「そうよ、うらやましいか、この独り身どもが」


 呆気に取られた野郎二人を残して、由起彦の腕に手を回したままズンズン先へ進む。


「おい、やめろって、野宮」


 いいや、やめない。

 今はこうしていたい気分なのだ。

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