もう一人の美女
今回は、甘みどころか恋愛成分もありません。
春休みのある日。友人の実知のお供で商店街にある小村書房へ行った。
ここの二階はマンガコーナーになっていて、マンガ好きの実知はしょっちゅう来ているそうだ。
「響さん、こんちは」
「あ、いらっしゃい、実知ちゃん」
出迎えてくれたのは店員の小村響さん、店長の娘さんだ。
黒目がちの大きな目に厚い唇。大分年上なのに、可愛いと感じてしまう。そういう人だ。
「予約してたの入ってる?」
「ええ、入ってるわよ。ちょっと待ってね」
実知と響さんがやり取りをしている間、私は本棚に並んでいるマンガを見て回る。
春休みで暇が出来たので、マンガでも読んでみようかという気になったのだ。
「響さん、お勧めありますか?」
普段マンガを読まない私なので、どれが面白いのかよく分からなかった。
「どんなのがいいの?」
「そうですねぇ、ミチが貸してくれるのは熱血アクション物ばっかりですし、もっとまったりしたのがいいですね。それと長いのは読んでる暇ないんで、短いの」
「じゃあ、これなんかどうかな?」
響さんがカウンターを出て、棚から一冊取り出した。
「どんなのですか?」
「小さな女の子が元気よく駆け回るお話。お隣さんとか良い人に囲まれていて和むわよ。短い話が続いていくから途中まででもキリよく読めるし」
パラパラとめくっていくと、絵もきれいだし良さそうだ。
取りあえず一巻だけ買ってみる。
「響さんって、やっぱりマンガ好きなんですか?」
レジで聞いてみる。
私は和菓子屋の娘で和菓子好き。本屋さんの娘でマンガコーナーが担当の響さんはやっぱりマンガ好きなのだろう。
「みこちゃんだから言うけど、特に好きって訳じゃないのよ」
少し声をひそめて言う。
え、それっておかしくない? 好きでもないのにマンガ担当なの?
「でも店員のお勧めって、ポップが立ててありますよね?」
「商売だから面白いマンガは常に探してるのよ、ネットとかで。それで読んでみて本当に面白かったらお勧めにするの。趣味では読まないのよ」
なるほど、商売に対する意識はきっちりある人なのか。ちゃんと自分で読んでいるところなんかは良心的と言えるだろう。
「あの辺のエッチなマンガも読むの?」
実知が指さす辺りは私達中学生は立ち入り禁止だ。
そこを見る響さんの目は何故か厳しい。
「エロマンガはぜっっったいに読まない。あれはお父さんが無理矢理置かしてるのよ。エロマンガは許せない」
何だかエッチなマンガに嫌悪感? いや、それを超えた強い憎悪を持ってるみたいだ。
絶対に読まないとか、商売に対する意識はどうしたんだ?
「でも置くんだ?」
「くやしいけど、売り上げに貢献してるの。商店街の若い衆も買っていくし。私が店員してるのに、平気で買っていくとか信じられないわ」
いつも穏やかな響さんらしからぬトゲのある言葉だ。
「あの人もエロマンガばっかりだった……」
「あの人?」
「元旦那。私よりエロマンガを取ったのよ」
「え? 離婚の原因ってそれなんですか?」
響さんがバツイチなのは広く知られていたが、離婚の原因は商店街の謎の一つだったのだ。
「あ、口滑らせちゃった? まぁ、そうなの。私が嫌いなの知ってるくせに、付き合ってた頃からずっと隠れてコレクションしてたのよ。結婚したらすぐ分かったけど、どんなに言っても捨てようとしなかったの。それで二択よ」
「響さんか、エッチなマンガかって?」
「そう。そしてエロマンガを選んだ。『お前とは四年の付き合いだけど、エロマンガは十五年来の付き合いなんだ!』。怒りと悲しみが同時に襲ってくるなんて体験初めてしたわ。そして離婚」
恐るべし、エッチなマンガ。一つの夫婦を離婚に追い込んでしまったとは。
「私だっていい年なんだし、カマトトぶるつもりはないわよ。でもエロマンガにしてもエロビデオにしても、愛がなくてエロオンリーなのよ。それが許せないのよ」
「そう言えば、普通のマンガでもエッチっぽいのはポップが立ってないよな。人気あるのに」
「露骨にセクハラなのも許せないの。でも、マンガを取り上げてるブログって、エロなのも平気で載せてるのよ。それを見るのが苦痛で苦痛で」
「でも見るんだ?」
「商売の為だからね」
眉間に深い皺を寄せる。そういう顔もまた可愛い。
響さんの中では商売と憎悪が強くせめぎ合っているようだ。
単純に和菓子好きでいられる自分は幸せなんだな、うん。
年度末という事で、商店街振興会で慰労会が行なわれた。要は宴会だ。
ご馳走が出るらしいので、私も勝手に侵入した。
振興会会長の佐川さんの音頭取りで宴会が始まる。私もお酌なんかをして大人達の機嫌を取りつつ、ご馳走に手を伸ばしていく。
しばらくして、会場の一角で言い争いが始まった。
案の定、言い争っているのは商店街の若い衆だ。
商店街の若い衆とは、お店の二代目以降の、店長ではない連中の事だ。既婚未婚を問わず、お店に関わる男はみんな若い衆に組み込まれる。
この若い衆、実は二つの派閥があった。
端的に言って、響さん派と咲乃さん派だ。
小村書房の小村響さん。八百森の娘で、お店には関わっていないが商店街の住民ではある森田咲乃さん。
商店街で一、二を争う美人として知られる二人の、どちらがミス上葛城商店街に相応しいか。
この下らない論争は、私の知る限り三年は続いてる。その頃咲乃さんはまだ高校一年生なんだけど。
二つの派閥は世代できっちりと別れていた。
響さん派を構成するのは三代目で、ほとんどが二十代以下だ。
咲乃さん派を構成するのは二代目で、三十代後半から四十代が主体だ。
三十代前半は世代の狭間で人数が少なかった。
勢いで勝る響さん派と数で勝る咲乃さん派。二つの派閥の勢力は常に拮抗していた。
いつも思うのだが、四十代なら咲乃さんが娘でもおかしくない年齢なのだ。何を考えているのかいまいちよく分からない。
とにかく、二十八才の響さんは年下からの憧れを受け、十八才の咲乃さんはおっさん連中から愛おしがられているのだ。
「いいや、サキちゃんだ。あの娘の流し目を受けて、キュンと来ない奴は絶対におかしい」
「分かってない。響さんのあの潤んだ瞳に見つめられて、ドキドキしない方がおかしい」
言い争いは延々と続く。
しかし私は知っていた。こいつらの論争は顔やスタイルなどの見た目に限定され、肝心の中身については一切話が及ばないのだ。
そこで私は口を挟んでみる。
「その響さんに見つめられるって、どういうシチュエーションなの?」
「ん? 本を買った時だよ」
「本っていうか、マンガでしょ」
「まぁな」
「それって、エッチなマンガでしょ?」
「まぁ、え? 何で知ってるの?」
「ああ、それねぇ、見つめてるんじゃなくて、睨み付けてるんだよ」
「いや違うって、じっとこっちを見つめてくるんだよ」
「あの恥じらった顔が見たくて、思わず買っちまうんだよな」
「それ、怒りで顔が赤くなってるだけだから」
「まさか」
「本人、エッチなマンガ大嫌いだって言ってたし」
「ちょっと待ってねー、みこちゃーん」
後ろから襟首を掴まれて引っ張られた。響さんだった。
若い衆から離れた所で肩を組まれる。
響さん、かなり酒臭い。
「みこちゃん、あなたなら分かってくれると思うけど、こっちも商売なのよ」
「はぁ」
「エロマンガは本当、良い商売なのよ」
「え? でも嫌いなんでしょ?」
「商売の為なのよ、みこちゃん」
深刻な顔で眉根をひそめる。
「と言う訳で、商売に支障をきたす発言はやめてね」
にっこりと微笑む。有無を言わさない迫力がある。
「わ、分かりました」
うーん、ではフォローしておくか。
若い衆の所まで戻っていく。
「お前ら、変なセクハラして響ちゃん困らせてるだけだろ。そんなんでよく親衛隊を名乗れるな」
「くそっ、ロリコンごときに言われるとは」
「サキちゃんもう大学生だし、ロリコンじゃないもんねー」
「これは俺達の勝利だな」
この下らない論争にまた口を挟むの?
でも仕方ない。商売の邪魔をしてはいけないのだ。
「あー、今、響さんから話聞いたんだけど」
「お、何だって?」
「単に照れてるだけだってさ。お客さんには感謝の気持ちで一杯だから、これからもよろしくって」
「おお、良かった。嫌われたんじゃなかったんだ」
「ちっ、命拾いしやがって」
「むしろ照れながら健気に商売してるところが良いじゃんか。やっぱ響さんに付いていくわ」
そしてまたエッチなマンガを買いに行って、響さんに嫌われるのだ。合掌。
買ったマンガが面白かったので、二巻目を買いにまた小村書房へ行く。
マンガコーナーには咲乃さんがいて、響さんと話をしていた。
「それで次の日、若い衆が大挙してエロマンガを買いに来たの。やたら売り上げが良かったから、余計に腹が立つのよ」
「いっそ、ちらしを挟んでおきましょうよ。『私のお勧めです(ハート)』みたいなかんじで。馬鹿な男どもからは徹底的に搾り取ればいいんですよ」
「私はサキちゃん程ドライになれないわ」
「それか、『何屋の何とかさんも愛読してます』ってポップを立てとくんですよ。いい晒し者ですよ」
「そんな手もあるのね」
「後は本人がいない頃合いを見計らって、家に『ご予約の『ほにゃららほにゃらら』が入荷しました』って電話するんですよ。家族会議ものですけど、響さんなら『ついうっかり、てへっ』で許されますし」
「そうね、タチの悪い奴にはそうしてみるわ。でもサキちゃん派の若い衆もサキちゃんの本性知ったら愕然とするでしょうね」
「まぁ、連中は遠くから見てるだけですし、中身は関係ないですよ。通りすがりに微笑んだりしたら大満足なんですから」
「またそうやって弄んでるのね?」
「サービスですよ、サービス。響さんだって商売に生かしてるじゃないですか」
「まぁ、そうだけど。こうやって派閥を作らせて本人達には手出しさせないって、誰が考えたのかな?」
「先人達には本当、感謝ですよ。でも誰も寄ってこないっていうのも、響さん的にはどうなんですか?」
「サキちゃんこそ、彼氏作るんでしょ?」
「あの連中は勘弁ですねぇ」
「だよねぇ、あの連中じゃねぇ」
二人、深いため息。
「あ、いらっしゃい、みこちゃん。ごめん気付かなかった」
「いえいえ、興味深いお話で」
「あれ? みこちゃん他人事だと思ってる?」
「え?」
咲乃さんが意地悪げな笑みを浮かべる。
「次はみこちゃんだよ。私はもうロリコン組の興味の対象じゃなくなるし」
「代わりに私の支持層を持っていきそうだけどね。私ももうすぐ三十路だし」
「響さんはまだまだですよ。信者も熱心ですし」
「じゃあ、これからは三人体制で頑張ろうか」
「そうしましょう」
「いやいやいや、勝手に話進めないで下さいよ」
何を言い出すんだ、この人達。
「暇人どもの相手も結構楽しいよ」
「商売繁盛だし、願ったり叶ったりでしょ?」
美女二人にウインクされる。
そんなの真っ平御免ですから!




