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幼稚園の頃

 ある日、自分の部屋の片付けをしていると、小学校時代のノートが出てきた。ほんの数年前の事なのに、随分と懐かしい物を見付けた気分だ。パラパラとめくってみた。

 それは社会の授業で使ったノートだった。授業の課題で調べた、自分の住む町の歴史についてまとめてあった。

 上葛城市東新町の歴史は浅い。一九七八年の私鉄上葛城駅の開業に合わせて、付近を整備したのが始まりと言っていい。駅の東側に新しく出来た町だから、東新町。そのままである。

 この時に作られたのが上葛城商店街だ。私の祖父さんもそれまで働いていた信州から、地元であるこの地方に戻ってきて『野乃屋』を創業した。

 それから東に向かって住宅地の開発が進んでいき、実知のお祖父さんお祖母さんが移り住み、さらに時が経って由起彦の両親が引っ越してきた。十二年前の秋、私達が幼稚園の年小組の時だ。




 私は小さい頃の事も割と憶えている。途中で入園して来た由起彦を見た最初の印象は、「とろくさそうな奴」だった。実際とろかった。

 走るとこけて泣き、他の子におもちゃを取り上げられては泣き、他の子におやつを取り上げられては泣いていた。ちなみに他の子というのは私の事である。

 女の子に泣かされるなんて、弱っちい奴。私はそう思いながら、容赦なくおやつを奪い取っていった。当然、先生に怒られるのだが。


 当時の私のマイブームは、蝶の羽むしりだった。今考えるとゾッとするような事を平気でやらかすのが、小さいお子さんというものである。

 その日も幼稚園の広場で虫取り網を振り回し、蝶を捕まえていた。そして捕まえた蝶の胴体を掴み、羽を摘まんだところで後ろから誰かに殴られた。

 振り返ると、由起彦がさらに攻撃を加えてきた。頭突きだった。

 蝶は逃げるし頭は痛いしで半泣きになっていると、由起彦が大きな声で言った。


「かわいそうだろ!」


 突き飛ばされた私は尻餅をついた。由起彦はすぐに走っていった。

 この時、私はどう思ったのだろう? 当時はただ訳が分からなかったが、今なら分かる。この時、私は恥ずかしかった。蝶の羽をむしって喜んでいる自分が恥ずかしくなり、それから羽むしりはやめてしまった。


 で、それから私が大人しくなったかというと、そんな訳はなかった。相変らず由起彦のお菓子を奪い続けた。しかし由起彦は醤油味のおせんべいだけは譲らなかった。キッと私を睨み付け、決して手放そうとはしなかった。私も頭突きの事があったので、下手に追い詰めると危険だと思って、おせんべいには手を出さなかった。


 冬のある日、珍しく雪が積もった。みんなで外へ飛び出した時、私は他の児童に押されて思いっきり転んでしまった。全身冷たいし、ぐじゅぐじゅのどろどろになって気持ち悪いしですすり泣いていると、目の前に由起彦がかがみ込んでいた。そして私の手を引っ張って起こしてくれて、自分の服で私の顔を拭ってくれた。

 かろうじて私は、「ありがとう」とだけ言えた。


 それで私が大人しくなったかというと、そんな事はなかった。相変らず由起彦のお菓子を奪い続けた。醤油味のおせんべい以外。

 いつものように由起彦のチョコレートを奪い取った時、由起彦が言った。


「そんなに食べると太るぞ、みこちゃん」


 私は言い返した。


「由起彦君うるさいよ。背が伸びてるから太らないし」


 由起彦がいきなり私に手を伸ばした。


「太ってるぞ。ぷよぷよだ」


 私のほっぺたを摘まむと、横に引っ張ってきた。

 この時、私はどう思ったのだろうか? いきなり男の子にほっぺたなんて摘ままれて、恥ずかしかったのは確かだった。しかしこの時から由起彦の事が気になりだしたかというと、そんな事は断じてない。確かにこれ以降、お菓子を奪う回数は減っていったが、それは単に太るのを気にしただけの話だ。

 お遊戯で隣り合わせになった時、妙に隣が気になったなんていうのは気のせいだし、劇でペアの役になった時、一日浮かれていたと母さんが言っていたが、それも言い掛かりに過ぎない。


 夏になって遠足に行った。

 近所にある大きめの公園だ。気が付くと、いつの間にか由起彦と手をつないで二人きりになっていた。何故そんな状況になったのか、今でも訳が分からない。

 とにかく二人っきり。森の中。他の児童の声は遠くに聞こえるだけだ。


「早く戻ろう」


 由起彦がそう言ったのを憶えている。

 しかし私は胸の高鳴りを感じていた。

 由起彦にそっと顔を近付けた。この頃は私の方が背が高かったので、上から下に顔を寄せていった。

 と、由起彦が手で私の顔を押さえ付けて来た。


「やめろよ、汚い!」


 そう叫ぶと、一人で走って逃げていった。

 一人残された私は、先生が助けに来てくれるまで、その場で泣き続けていたらしい。

 我ながら血迷ったとしか思えない行動である。


 汚い呼ばわりされた上に一人取り残されたのだ。私はそれ以来、由起彦を無視する事に決めた。

 そうしているうちに夏休みになり、二人、会う機会がなくなった。

 正確に言うと、私の家である『野乃屋』で和菓子を買ってくれているお祖母さんに連れられて、由起彦も時々やって来ていたのだが、私はその時間になると家の奥に引っ込んで、決して顔を出さないようにしていたのだった。

 そんなある日、私が二階にある事務所でおもちゃのお金とレジで遊んでいると、何故か由起彦が上がり込んできた。


「勝手に入ってきたら駄目なんだよ」

「おばさんが上がっていいって言ったんだ」


 由起彦は勝手に私の隣の椅子に座った。


「お金触ったら駄目だからね」

「触らないよ」


 私は由起彦を無視して店番のごっこ遊びを続けた。


「はい、三百円ですね。二十円のお釣りです」


 そんな私をじーっと由起彦が見つめていた。

 気になって仕方がないので声をかけてみた。


「何? 由起彦君」

「みこちゃん、何でおやつ取りに来なくなったの?」

「取って欲しかったの?」

「別に。でも何か変だ」


 変なのはこいつである。私は無視してごっこ遊びを続けた。


「汚いって言ってゴメン」


 由起彦が呟く。


「別に気にしてないし」

「お兄ちゃんが、チューは簡単にしたら駄目だって言ってた」

「簡単じゃないし」


 この時こう言ったのは確かに憶えている。しかし何故こんな事を口走ったのかは、今もって謎である。


「じゃあ、チューする?」


 由起彦が私を見て言った。


「うん」


 私はおもちゃのお金をテーブルに置き、由起彦に顔を近付けた。向こうも顔を寄せてくる。お互い相手の口を見ながら近付いていく。

 と、階段を誰かが上ってくる音がした。

 途端に二人、離れる。


「由起彦君、お祖母さん帰るわよ」


 母さんだった。


「ありがとうございます。じゃ、また」


 由起彦が私に手を振った。

 これと似たような事が、幼稚園の間に少なくとも三回あった事を憶えている。毎回何かしらの邪魔が入るのだ。運が悪いというか何というか。この年頃だったら別になぁ。いや、私は貞操を守りきったのだ。若気の至りでやらかさずに済んだのだ。


 秋になった。

 夏休みが明けると、由起彦とも普通に遊ぶようになっていた。まぁ、他の児童も一緒なのだが。

 相変らず、甘いお菓子があると由起彦の物は私の物になっていたのだが、奪い取るのではなく、由起彦の方から渡してくるようになっていた。

 その日は近所の公園で、由起彦と二人で遊んでいた。薄紫色のコスモスが、花壇で咲いていたのを憶えている。

 二人の母親はベンチで話に夢中になっていた。

 由起彦が私の手を引っ張って、公園の端の木の陰まで引っ張っていった。

 

「何? 由起彦君」


 私が問いかけると、由起彦は顔を赤くしてもじもじしていた。

 この頃既に、うじうじした事が嫌いだった私は、早くも苛立っていた。


「何? 由起彦君」


 私の二度目の問いかけに、由起彦がようやく動き出した。ポケットに手を突っ込むと、針金を取り出した。

 由起彦が私に針金を突き出してきた。


「大きくなったらお嫁さんになって!」


 由起彦の発言はすぐには理解出来ず、ああ、この針金ってよく見たら輪っかになってるなぁ。でもちょっと錆びてて汚いなぁ。あの端っこのところって、危なくない?

 とか考えていたのを思い出す。


「大きくなったらお嫁さんになって!」


 由起彦がなおも繰り返す。

 ようやく私にも事態が飲み込めてきた。これはいわゆる告白である。私は今、告白されたのだ。由起彦かぁ、由起彦なぁ、こいつは泣き虫だからなぁ、結婚したら大変なんだろうなぁ、それに私は『野乃屋』を継ぐしなぁ。

 そんな考えが頭を巡っていた。


「大きくなったらお嫁さんになって!」


 由起彦が三度同じセリフを繰り返した。


「でも私、『野乃屋』を継ぐから」

「じゃあ、僕も継ぐ!」


 そうか、『野乃屋』を継いでくれるのか。悪くない話ではある。

 などと考える一方で、顔が火照って来るのを感じていた。お嫁さん、お嫁さん、お嫁さん。私がお嫁さんになって、由起彦がお婿さんになるのか。そして結婚式ではチューをするのだ。前にテレビでやっていた。

 由起彦。由起彦そんなに悪くないんじゃないか? 優しいし、一緒に遊んでると割と楽しい。近くにいるとドキドキする。今もしている。

 そうか、そうなんだ。


「じゃあいいよ。お嫁さんになったげる」


 この時、どんな考えが頭の中で渦巻いていたのかは憶えているのだが、今思うととち狂ったとしか思えない。結果、とんでもない事を口走ってしまった。この頃からその場の状況に流されやすかったのだ。


「じゃあ、これ付けて」

「この針金?」

「指輪。お嫁さんには指輪を付けるんだ。お兄ちゃんが言ってた」

「分かった」


 由起彦が私の手を取り、針金を指に差し込んだ。差し込もうとした。


「あれ?」

「痛い痛い」

「あれれ?」

「痛いよ、小さいよ、これ」

「あれ? どうしよう」

「分からないよ」


 二人で首を傾げていると、母さんが呼ぶ声が聞こえてきた。


「あー、じゃあ、もらって?」

「え? あ、うん、もらう」


 由起彦から針金の指輪をもらうと、自分のスカートのポケットに押込んだ。


「じゃあ、行こう、みこ」

「うん、由起彦」


 二人で母親の方へと走っていった。




 さて、部屋の片付けも終わったし店番だ。

 今日も由起彦がやって来る。お祖母さんの代わりに和菓子を買いに来るのだ。


「ちわーっす」

「いらっしゃい」

「あれ? 何にやにやしてるんだー?」

「いい物見せたげる」


 私はエプロンのポケットに入れておいたハンカチを取り出す。

 そしてカウンターの上に広げる。


「じゃじゃーん」


 そこには錆びついた針金があった。


「え? これまだ持ってたの?」


 由起彦、顔が真っ赤だ。


「まぁ、一応? あんたの恥ずかしい恥ずかしい過去よね」

「勘弁してくれよー」


 その場にへたり込む由起彦。


「大きくなったらお嫁さんになって!」


 それっぽく真似をしてやる。


「マジでやめてくれよなー」

「あれ、指に入らないとか、間抜け過ぎるよね」


 うっしっしっと笑ってやる。

 何とか立ち上がった由起彦がちょっと真面目な顔をした。


「いいや、本番はちゃんとするし」


 期待してるわよ。


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