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猫喫茶の恋

 今日は日曜日。

 家がやっている和菓子屋の手伝いはお休みなので、休みの日はいつもそうしているように猫喫茶『オッドアイ』にやって来た。

 私はこのお店にいるベティにメロメロだ。撫で回した時のモフモフ感が最高!


 『オッドアイ』は商店街にあるビルの二階にあった。テーブルが四つにカウンター、そして猫達がくつろぐスペース。小ぶりなこのお店を、店長の吉川さんが一人で切り盛りしている。

 吉川さんは白髪を後ろに流した多分五十才前後の男性で、彼の柔らかい物腰が生み出す居心地のいいゆったりとした店内のムードに、私を含めた多くの常連客が惹き付けられていた。


 が、しかし。最近の『オッドアイ』は微妙に空気が重い。その発生源は、誰あろう店長の吉川さんだった。

 吉川さんは常連客の一人である、とある女性に恋をしていた。しかしその女性に恋人がいる事が、クリスマス前に発覚したらしい。

 それ以来、吉川さんの表情は若干暗い。目に見えて、という程ではないのだけど、お店に入り浸っている私には、吉川さんのわずかな変化を感じ取る事が出来た。

 かと言って、一介の女子中学生に過ぎない私にはどうする事も出来ない。今日もやって来ているその女性を、吉川さんが切ない目で見ている。

 まぁ、どうしようもない。私はベティをモフモフと撫でるだけだ。


 その女性は、シェリーという名の灰色の猫がお気に入りだ。シェリーはなかなかお客に懐かないのだが、その女性には珍しく懐いている。今も薄桃色のロングスカートの上に横たわり、気持ち良さそうに撫でられている。

 うーん、この人は相変らず年齢不詳だ。化粧が濃いという訳でも、服が若作りという訳でもない。むしろいつも上品な装いで、猫の毛だらけになるのが他人事ながら心配になるくらいだ。おっと、あんまりジロジロ見てはいけない。ベティ、ベティ、っと。


 そこへお店の扉が開いて男性が一人で入って来た。その男性はシェリーの女性が座るテーブルまで歩いていく。ちょうど私の目の前のテーブルだ。


「ごめん、ようやく抜け出せたよ」


 男性は立ったまま話をし始めた。


「ここには来ないでって、言ったわよね?」

「今日は一日ここにいると思ったから」

「だったら今日は会えない日なのよ」

「ずっと会えなかったのは悪かったと思ってるよ。今から出かけよう」


 ここでシェリーの女性がため息をついた。


「もう、無理だと思うの」

「何が? いや、何で?」


 男性が女性の向かいの席に座った。

 女性の膝から下りたらしいシェリーが、私の座るテーブルの脇を通り過ぎていく。

 話はさらに続いていくが、私のところまでは聞こえて来なくなった。

 彼が例の恋人さんだろうか? どうやら揉めているようだ。喧嘩かな?

 吉川さんの方を見てみると、少しも気にせずカウンターのお客と話をしている。


「勘弁してくれよ」


 例の男性が突然立ち上がると、そのままお店を出て行ってしまった。「ありがとうございました」と吉川さんがいつも通り声をかける。

 おお、今のは修羅場と言う奴だろうか。もしかして別れ話?

 あ、いけない。うっかりシェリーの人を見過ぎていた。向こうがこっちの視線に気付いてしまう。しかし不快な表情は見せず、逆に微笑みかけてきた。そして立ち上がると、私のテーブルまでやって来る。


「こちら、よろしい?」

「え、ええ」


 シェリーの人が私の前の席に座る。


「みっともないところ、見せてしまったわね」

「はぁ、いえ」


 何とも言い難い。


「あなたもこのお店が好きなのね。いつも見掛けるわ」

「ええ、そうですね。ここの猫もお店も大好きです」

「私、最低。ごめんなさい、せっかくのお店の雰囲気を壊してしまったわ」

「いや、別にそんな事は」

「ここは私にとって聖域だったの。疲れた心をここで安らげていた。シェリーは良い子。でも駄目ね、もうここには来れない」

「いや、そんな事ないですよ。またいつも通り来て下さいよ。店長もそうしてくれた方が嬉しいと思いますよ?」


 シェリーの人が来なくなったら、吉川さんのショックは計り知れない。それは何としてでも阻止しなくては。

 シェリーの人がカウンターにいる吉川さんを見た。吉川さんは微笑みを浮かべて会釈をする。


「マスターは本当に良い方だわ」

「そうですね」

「最初、シェリーはなかなか懐いてくれなくて。強引に抱き上げたら引っかかれてしまったの。そうしたらマスターがすぐに謝ってくれて、手当てしてくれて、でも最後に、『手荒に扱うと、かえって逃げてしまいますから』って、やんわりとたしなめてくれたの。優しい、良い人だわ」


 吉川さん、意外に好感を持たれている。でも結局良い人止まりで終わりそうだ。そんな感じだ。


「失恋は何度しても堪えるわ」


 シェリーの人がつぶやく。


「あ、失恋なんですか?」

「そうね、私から切り出したけど、やっぱり失恋ね。あなた、好きな人いる?」


 突然話を振られた。頭に由起彦の顔が浮かんだが、あいつはただの幼馴染みだ。今は関係ない。


「いえ? 特に」

「そういう顔には見えなかったけど。シンプルに恋が出来る今を逃しちゃ駄目よ。おばさんからの忠告」

「いや、おばさんじゃないと思いますけど」

「あ、食い付くのそこなんだ? 仕事に恋に疲れたおばさんなんですよ。あ、今みたいにすぐ愚痴をこぼすところなんかも」


 そう言って笑みを浮かべる。


「そういうの、このお店で癒して下さいよ。シェリーも、ほら」


 側まで来て女性を見上げていたシェリーに目をやる。

 女性がシェリーを抱きかかえる。


「ありがとう。シェリーも、あなたも」


 優しくシェリーを撫でる。

 何となく訪れる沈黙。

 と、テーブルの脇に吉川さんがそっと立っていた。


「いつもありがとうございます。こちら、いつものお礼に」


 シェリーの人の前に、カプチーノを置いた。

 吉川さんが立ち去った後、シェリーの人が私に顔を寄せてきた。


「やばい、今キュンと来たわ」

「マジですか? 店長はお勧めですよ」


 女子二人、笑顔を交わす。




 次の日曜日。またも私は『オッドアイ』へ。

 店内にお客はシェリーの人しかいなかった。彼女はカウンターで吉川さんと楽しげに話をしていた。

 吉川さんがカウンターを離れる時、シェリーの人は吉川さんに向けて軽く手を振った。

 テーブルに座った私に吉川さんが耳打ちをしてくる。


「みこちゃん、ありがとう。感謝してもし切れないよ」

「え? 私は何もしてませんけど」

「でもありがとう。今度、駅前のカフェのケーキ、好きなだけおごらせてもらうよ」

「じゃあ、例の人とお付き合いする事になったんですか?」

「え? あー、いや、そこまでは」


 目が右に左に泳ぐ。この人はヘタレである。


「うーん、そうですねぇ。じゃあ、まずはデート。お二人デートする事になったら、ケーキおごって下さいよ」

「分かった。ちょっと待ってて」


 吉川さんが注文も取らずにカウンターまで戻っていった。

 そしてカウンターの中を二往復した後、シェリーの人に話しかける。二言三言交わした後、シェリーの人がうなずいた。


「ありがとうございます!」


 店内に吉川さんの声が響く。

 すぐに私のところへすっ飛んできた。


「ありがとう、みこちゃん。ありがとう」


 私の手を取って振り回す。


「だから私は何もしてませんけどね」


 シェリーの人の方を見ると、向こうは軽くウインクをしてきた。


「それじゃ、ケーキおごるから」

「じゃあ、お言葉に甘えて。リストアップしますから、覚悟して下さいね?」


 こうして『オッドアイ』に明るさが取り戻された。いやそれどころか、今までなかった甘ったるいムードまで漂うお店になってしまった。

 まぁ、幸せそうな吉川さんを見ているとこっちまで嬉しくなってくるので、これはこれでいいのだけど。


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