バレンタインのチョコの渡し方
えーっと、お湯の温度は五十度っと。ま、大体こんなものだろう。
「駄目だよ、みこ! ちゃんと温度計で測って。みこがいっつも料理失敗するのって、そうやって適当にするからだよ」
恵に怒られた。
では、お湯の温度を測りましょう。七十度か。ちょっと水を足そう。
「そうそう、混ぜ方は上手いよね」
「まぁ、和菓子作ってるからね」
ここは私の家の台所。今日は友人の恵とチョコ作りだ。家が和菓子屋をやっているので和菓子を作るのは得意だが、何故か他の料理は作れない私なので、こうして料理好きの恵に教えを請うているのだ。
「これは溶かして型に入れて固めるだけだし。温度さえしっかりしてたら、他はみこなら大丈夫だから」
「おー、良い匂いだなー」
もう一人の友人である実知もこの場にいるが、彼女にチョコを作る気は一切ない。おこぼれを狙う、単なるハイエナだ。
「あ、全部溶けた」
お湯からボウルを上げて、さっき砕いたチョコの残りを入れる。次にゆっくりと冷やしていく。温度をしっかり見て、いい頃合いで型に流し込む。
そしてこれを冷蔵庫に入れて固めるのだ。
さて、チョコが固まるまで一休憩だ。オレンジジュースを恵と実知に出す。私が好きなので冷蔵庫に常備しているのだ。
「でも何でハートの型じゃないの?」
「え? ああ、大福の中に入れるから、丸くないと」
私が用意したのは丸い型だ。
「普通にハートでそのまま渡せば良いだろ、水野に」
「水野君? いや、水野君は関係ないよ。これはバレンタインに向けた、新製品の開発なんだから」
そう。チョコ入りの大福を作って、お店で売るのだ。
バレンタインデーと和菓子は一見関係ないが、イベント事があればそれに乗っかるのが私の方針である。他にも生チョコを使った葛饅頭も考えている。
お店の独裁者たる祖父さんの許可も得ているし、我が『野乃屋』ではバレンタインデー・フェアを開催するのだ。
「はーっ、みこって本当、面倒くさい性格だよな」
「面倒も何も、事実を言ってるだけだよ」
「駄目だよ、みこ。素直になって、しっかり水野君を逃さないようにしないと」
「いや、逃すも何も、水野君は単に昔から付き合いがあるってだけだし」
「幼馴染みから脱却するいいチャンスなんだよ、みこ」
私と水野由起彦は単なる幼馴染みだ。私の周りの人間は、誰一人としてそれを理解しようとしない。実に困ったものだ。
「そうだぞ。ただでさえ女子バレー部の1年で、水野にチョコを渡すつもりの奴がいるんだからな」
「え! あ、ふーん、そうなんだ」
不意を突かれたが、出来るだけ平静を装う。
「ほら、みこ。ピンチじゃない」
「いや、ピンチとかじゃないし。でもその女子も酔狂だよね」
「ああ、前に部活で足挫いた時に、水野が保健室までおんぶしてやったんだよ」
「じゃあ、単にそのお礼だね」
「分からないよ、みこ。そこから芽生えた恋かもしれないじゃない。あーあ、みこが素直にならないから」
「本当だぞ、どうする気だよ」
「え? どうするも何も、別に?」
「でも目がキョドってるぞ」
う、そうなのか? 完璧に平静を装ってるつもりなんだけど。
うー、部活か。前からそっち方面の危険は考えていたんだが。いやいやいや、別に関係ない。ふーん、そうですか。由起彦もチョコをもらえるんですか。良かったじゃあ、ありませんか。
「ま、私は幼馴染みとして祝福するね」
「じゃ、水野にはそう言っとくわ」
「え、何で? そんな必要はないのでは?」
「いや、みこに気がないんなら、しっかり伝えといた方がいいだろ? 明日さっそく言っとくわ」
「あー、いや、それは勘弁して下さい」
慌てて実知の服を掴む。
「じゃあ、素直にみこの気持ちを伝えるんだね?」
「え? いや、私の気持ちって言ってもですね。これは非常に微妙な問題でして。あ、もうチョコ固まったんじゃない?」
何とか誤魔化そう。
立ち上がって冷蔵庫からチョコを取り出す。
「えーっと、これで型から外せばいいんだよね?」
「そうそう」
よし、話はうまく流れたし、チョコもうまく出来た。このチョコの仕上がりなら、お店にも出せそうだ。
この後、葛饅頭にする生チョコの作り方も教えてもらう。
「みこ、素直になりなよ」
「後悔しないようにな」
最後にそう言い残して、恵と実知は去って行った。
そんな簡単に素直になれれば世話はないのだ。
それから数日後。バレンタインデーの夕方。
いつものように店番をする。
今日までのところ、バレンタインデー・フェアの成果はそれなりだった。期待した程ではなかったので、少し売れ残りが出そうだ。明日値引きして売らないと。
まぁ、正直なところ、私はそれどころではないのだが。
そろそろ由起彦がやって来る時間だ。いつものように、お祖母さんのお茶菓子を買いに来るのだ。
あ、来た来た。
「ちわーっす」
「いらっしゃい。ん? 何か顔がニヤけてるわね?」
「おう、一年からチョコもらった」
「ふーん、良かったですね。でも義理でしょ?」
「どうだろうなー。体育館裏に呼び出されてくれたんだぜ? 義理じゃないかもなー」
「どんなのか見せてよ」
「おう」
由起彦がカバンからチョコを取り出す。
可愛らしいキャラクターの描かれた包装紙で、少し不器用にラッピングされている。ヤバい、これは手作りだ。
「あー、これは義理ね」
「え? 何で分かるんだ?」
「女の直感がそうささやいてるわ」
「でも分からないぜー」
「いいや、義理に違いない」
「まー、いいけどなー。俺、甘いの苦手なんだけどなー」
「じゃあ、私にちょうだいよ。どうせ義理なんだし」
「いや、そういう訳にはいかないってー。ちゃんと味わって食べるから」
ぐぐぐ、相変らず顔がニヤけきっている。
怪我をしたところを助けられて手作りチョコ。しかも体育館裏に呼び出して、だ。本命チョコの危険性が高いと言わざるを得ない。そしてこいつはそんなチョコを手にニヤけきっている。
そんなにチョコが嬉しいか。嬉しいんだろうなぁ、こいつモテないし。
私の中に広がるもの。これは焦りか?
「あー、で、今日は何にする?」
由起彦がチョコではない和菓子を二つ選ぶ。
「あ、そうだ」
と、昨日の夜イメージトレーニングした通り、出来るだけ自然な感じで話を切り出す。
「バレンタイン向けの商品の失敗作があるんだけど、いる?」
「失敗作かよー」
「そう、失敗作」
文句を言いながらも由起彦の目に喜びが浮かんでいるのを、私は見逃さない。
「いいぞー、別に」
「これなんだけどね」
ショーケースの片隅に置いておいた箱を取り出す。
さて、どうしようか。このまま普通に渡せばいいんだけど。
しかし例の体育館裏が気になって仕方がない。あれが本命だとしたら? こいつの心が揺れ動かないとも限らない。こちら側としても駄目押しをしておかないといけないのでは?
くっ、やるか。
「あー、一応、どう失敗したか、説明しておくね」
「おう」
箱を開けると、大福が一つ。
それを見ながら説明する。
「形が歪なのよ」
「本当だなー、三角の大福なんて変だよなー」
「これは三角じゃないのよ」
「そうなんだ?」
「あー、中にチョコが入ってるんだけどねー」
ちょっと一息置く。一気に言えない。頑張れ、私。
「ハートなの。ハートを生地で包んだら、形が歪になったの。だから失敗作」
二人して箱を覗き込んでいるので、顔の距離はかなり近い。
でも駄目だ。由起彦の顔を見る事が出来ない。
「あー、そうかー、そうなんだー」
いつも以上に間延びした由起彦の声。
「まぁ、これ一個だけだし、被害は大きくなかったんだけどね」
「あ、一個だけなんだ」
「そう、一個だけ」
一個だけ。
当り前だ。由起彦用にしか作ってないんだから。
とにかく箱を閉じて、封をする。
「じゃ、あんた食べてね」
「おう、俺が食べるし」
結局、最後まで由起彦の顔は見れず仕舞い。
後ろ姿を見ると、向こうが振り向きかけた。ヤバい、目を下にやる。
由起彦が出て行った。
ふーっ、駄目だ。顔が熱い。
と、私の両脇から、恵と実知がひょこっと顔を出す。
「これが限界です」
「ま、みこにしては上出来だな」
「うわー、すごい顔真っ赤」
二人はずっと、ショーケースの陰に隠れていたのだ。何なんだ、この羞恥プレイ。
「あ、みこに言っとく事があるんだった」
「え? 何?」
「例の一年。他に好きな奴いるし」
「はぁ? いや、体育館裏に呼び出して手作りチョコでしょ?」
「他人に見られて誤解されたら嫌だから体育館裏だよ。どうやったら義理って分かるか相談し合ってたから、『これは義理だ』ってメモ書き入れとけってアドバイスしといた」
「いや、それ先に言ってよ」
「こうでもしないと、ハートのチョコ大福、しらばっくれたまま渡すだろ?」
その通りだ。そういう計画だったのだ。
「そして鈍感な水野君は気付かないまま食べかねないよね」
その通りだ。むしろそうなった方がいいと思っていた。
「いやー、私達のおかげでみこの想いは伝わった訳だ」
「明日からの二人の仲の進展が楽しみだね」
「いやいやいや、滅茶苦茶気まずくなるだけだから」
実際、三日くらいまともに話が出来なかった。
微妙な問題なんだから、本当、そっとして置いて欲しい。