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受験の合間に、ひといびり

 うーむ、リンゴのタルトか、ショートケーキか。チーズケーキは前に食べたよなぁ。

 ここは駅前のカフェ。このお店のケーキはかなり美味しい。

 今日はちょっと時間が出来たので、甘味の研究の為にこうしてやって来たのだ。いや、それは言い訳だ。私は単なる甘い物好きである。

 とは言え、三つも四つも食べる訳にはいかない。一つに絞らないとなぁ。

 お店の中にあるショーケースの前でうなり続ける私。


「みこちゃん、こんにちは」


 後ろから声をかけられたので振り返ると、咲乃さんが立っていた。

 この人は同じ商店街の住人で、商店街で一、二を争う美人として知られている。

 確か今日は?


「あ、試験終わったんですか?」


 そう、咲乃さんは高校三年の受験生。私と咲乃さんは毎朝一緒にジョギングをしているので、今日が大学受験の試験の日だという話は聞いていた。


「終わった終わった。疲れたー」


 もこもこのダウンコートを着た咲乃さんが両手を腰に当ててため息をつく。心なしか、いつもの美貌にも影が差して見える。


「ちょうど良かった。私も一息入れたかったし、ご一緒していい?」

「ええ、もちろんです。一緒に食べましょう」

「じゃ、そうしよう。あー、何か甘い物が欲しい気分だ」


 咲乃さんもショーケースを覗く。

 そして私はリンゴのタルト。咲乃さんはレアチーズケーキにフルーツとカスタードクリームのケーキ、それにショコラのケーキの三つ。

 三つ!


「もうね、食べないとやってらんないですよ」


 コートを脱ぎながら咲乃さんがぼやく。

 中には厚いめの淡いピンクのセーターを着込んでいる。


「今日は寒かったですよね」

「寒かった。会場も全然暖房が効いてなくて、ずっと寒かった」

「それはまぁ、お疲れ様です」


 どっかりと席に身を投げ出した咲乃さんが一言。


「心はもっと寒かった」


 目は彼方を見ていた。


「心ですか?」

「もうね、やってらんないですよ。会場を出た所で、受験生の女子が一人突っ立ってたんですよ。何かそわそわしてるし、イヤーな予感はしたんですけどね。そこへ私の脇を駆け抜けて行く男子。『待った?』『全然』。もうね、クタバレ思いましたよ」

「は、はぁ」


 咲乃さんは今フリーだ。夏休み明けに前の彼氏に振られたっきりらしい。


「あー、恋がしてー」


 今度は頭を後ろに倒して、天井を見上げながらかなり大きい独り言を呟く。

 ああああ、受験のストレスが咲乃さんの心を荒ませているようだ。


「まぁ、受験が終わったら彼氏作ったらいいじゃないですか。咲乃さんならいくらでも作れますよ」


 咲乃さんが頭を前にやってギロリと私を見た。


「余裕っすねー、みこさんは」

「は?」

「モテモテのみこさんは、言う事違うっすねー」

「いや、私別に、モテモテじゃないですし」

「でも水野君がいるじゃない」

「いや、あいつはただの幼馴染みですから」

「坂上君だっているじゃない」

「いや、あいつは勝手に付きまとってくるだけで、私は迷惑してるんですよ」

「迷惑かー。男に言い寄られて迷惑かー。言ってみたいせりふですねー」

「いや、咲乃さんも坂上振ったじゃないですか。中学の時に」

「まぁ、そうだけど。坂上君はないね。坂上君は」


 咲乃さんがやって来たケーキにフォークを突き立てる。


「はー、美味しいー」


 満面の笑みでケーキを頬張る咲乃さん。

 何を考えているか、全く読めない。早く帰りたい。


「みこちゃんも食べなよ。ここのは美味しいよね」


 あ、いつもの優しい咲乃さんに戻った。助かった。

 私もリンゴのタルトを口に入れる。わずかに酸味の残るリンゴと甘いカスタードクリームのバランスが絶妙。うーん、美味しい。


「で、水野君とはどこまで行ってるわけ?」


 咲乃さんが顔を寄せてくる。視線が厳しい。まだまだタチの悪い咲乃さんは続くようだ。


「いや、どこも何も、あくまで幼馴染みですから」

「キスぐらいはあるんでしょ?」

「いや、ないですよ?」

「あ、目を逸らした。やっぱりあるんでしょ?」

「いや、口と口のキスはないですよ?」

「口と口じゃないキスはあるんだね。具体的には?」

「え? それ言わないといけません?」

「受験真っ只中で恋愛してる暇のない私は、他の子の恋愛で妄想するしかないんだよ」

「いや、妄想とかやめて下さいよ」

「水野君、奥手そうだからなぁ。みこちゃんの方が積極的かもなぁ」


 首を傾げながら勝手な事をぶつぶつ呟いている。声は結構大きい。本当に勘弁して欲しい。


「いいですか、咲乃さん。私とゆ、水野君はただの幼馴染みですから。恋愛の妄想は、マンガとか見てして下さい」

「冷たい! みこちゃん冷たいよ!」


 よよよと、わざとらしく目を伏せる咲乃さん。


「でも私達、何でもありませんから」

「あ、じゃあ、私盗っちゃおうかなー」


 今度は意地悪げな笑みを浮かべる。何だか嫌な予感がしてくる。


「盗るって何をです?」

「水野君」

「はぁ?」

「水野君の私を見る視線には熱いものを感じるの。ちょっと押せばころっといっちゃうよ。今日はもう勉強する気起きないし、軽く手玉に取っちゃおうっかなー」


 鋭かった。水野由起彦の見た目の好みに、咲乃さんはピッタリと当てはまっていた。奴が咲乃さんにデレデレした前科もしっかりある。


「いやいやいや、軽く手玉って何ですか?」

「今日一日弄べれば、私は満足だから」

「いや、それはあんまりでしょ? 純情な男子中学生弄んじゃ駄目でしょ?」

「大丈夫。彼にもいい目はあわせたげるから」

「何ですか、それ?」

「私、口と口のキス、オッケーだし」


 ええええ? 何を言い出すんだ、この人は?


「いやいやいや、愛のないキスとかやめときましょうよ」

「みこちゃん、愛はなくともキスは出来るんだよ。それにさー」

「それに?」

「水野君はかわいそうだよ。誰かさんがずっとおあずけしてるんだから」

「いや、別におあずけとかじゃないですし」


 咲乃さんが私の両肩をガシッと掴む。


「みこちゃん、彼も健康な中学男子。キスには興味津々に違いないから。誰かさんの代わりに、私が未体験ゾーンに足を踏み入れさせたげるよ」

「余計なお世話ですって。私達には私達のペースがありますから」

「早速電話しーよっと」


 そう言いながら携帯を取り出す。


「え? 何で電話番号知ってるんですか?」

「前に道で会った時に交換したの。みこちゃん、彼にも秘密の一つや二つはあるんだよ?」


 ニヤーリと笑みを浮かべながら咲乃さんが携帯を耳にやる。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さいよ」


 慌てた私が席を立って咲乃さんの携帯に手を伸ばすが、咲乃さんは身を引いてそれをかわす。

 やばいやばい。


「なーんてね。冗談冗談」


 携帯を耳から離して、軽く舌を出す。


「咲乃さん、タチの悪い冗談ですよ」


 ホッと一安心して、座り直す。


「っていうのは、ウッソー」


 また携帯を耳に。


「あ、水野くーん。私、森田咲乃。今、駅前のカフェにいるんだけど、ちょっと二人で遊ばなーい? うん、じゃ、待ってるしー」


 携帯を切る。

 横から回り込んで阻止しようとした私は、結局咲乃さんに片手で押し退けられたまま何も出来なかった。


「みこちゃん、こういう時の為の筋肉なんだよ」


 くそっ、この筋肉フェチめが。


「さ、みこちゃん、見ものだよ。水野君は私の誘惑に勝てるか否か。さぁー、どうなる? どうなる?」


 実に楽しそうな咲乃さん。

 くっ、かつて咲乃さんにこっぴどく振られている坂上が言った事を思い出す。咲乃さんは一匹の悪魔。その悪魔が私をターゲットに定めてしまった。私の額に汗が流れるのを感じる。


「咲乃さん、何考えてるんですか?」

「自信ない?」


 顔をずいっと突き出してくる咲乃さん。


「自信?」


 どうだろうか? 由起彦の奴は咲乃さんにデレデレだった過去を持つ。その咲乃さんの誘惑。しかもキスもオッケーだとか言っているのだ。ヤバい。実にヤバい。あいつが耐え切れるとはとても思えない。


「みこちゃんへの愛か? 目先の欲望か? みこちゃん、愛されてる自信ある?」


 どうだろう? どうだろうか?

 由起彦の私への愛? そもそもあいつが私の為に咲乃さんの誘惑を振りほどくというのも変な話のような気がしてくる。

 私達は幼馴染み。お互いの関係は二人ともよく分かっていない。別にあいつが私に気兼ねする必要はないのでは? そして私が由起彦を止める理由はないのでは?

 駄目だ。頭の中がぐるぐると回り出して、訳が分からなくなってきた。


「あー、私もキスなんて久し振りだし、ドキドキしちゃうなー」


 咲乃さんは残ったケーキをパクパクと食べていく。


 由起彦はすぐにやって来た。時間的に部活が終わってすぐのはずなのに、奴はしっかりと私服に着替えていた。私は知っている。あれは奴の持っている中ではかなりマシな服だ。


「あれ、野宮。何でいるの?」

「あ、みこちゃんはもう帰るし。私と二人で遊びに行こう」


 そう言って咲乃さんは軽くウインクをした。

 それを見て、由起彦の顔はみるみる赤くなる。

 悔しい。何かすごく悔しい。


「由起彦!」

「な、何?」

「私と咲乃さん、どっち選ぶ?」


 由起彦を睨み付ける。

 一方咲乃さんは天使のような微笑みを由起彦に向ける。中味は悪魔なのだが。

 由起彦はきょどきょどと二人の顔を交互に見る。


「え? 遊びに行くだけだろ?」

「そうだよ、遊びに行くだけだよ。あー、でもすぐに夜だなー。男子と女子が二人っきりで夜遊ぶのかー。何かちょっとしたハプニングとかありそうだよねー」


 咲乃さんの微笑みは続く。


「由起彦、私帰るし、家まで送ってよ」


 私は由起彦を睨み続ける。

 由起彦の顔は右に左に、その動きはどんどん早まる。

 そして止まる。


「じゃ、みこ、送るし。森田さん、遊ぶのは別の人呼んで下さい」


 え? 私を選んだ?

 選べとは言ってみたものの、本当に私を選ぶとは思わなかった。

 顔がにやけるのを止められない。


「良かったね、みこちゃん」


 咲乃さんが私を見て微笑む。


「二人の愛、見せてもらったよ」

「咲乃さん……」

「っていうのは、ウッソー」


 咲乃さんが突然立ち上がって由起彦の首筋に両手を回した。

 由起彦に顔を寄せる。

 私も慌てて立ち上がるが、手が届かない。駄目だ! 嫌だ!

 と、二人の唇が接する直前で咲乃さんが顔を止めた。


「あれ? 水野君、逃げないの?」

「え? あ、びっくりして身体が動かなかった?」

「本当かな~?」


 顔を退いた咲乃さんの悪魔の笑み。


「と言うわけですよ、みこさん」

「確かに今のは問題ね。っていうか、咲乃さんもいつまで抱き付いてるんですか?」

「いやー、水野君、結構筋肉質だし」


 この筋肉フェチが。


「い・い・か・ら、離れて下さい」

「分かりましたって。じゃ、私はこれで帰るよ」

「え? 遊びに行くんじゃないんですか?」


 状況を把握しきっていない由起彦が言う。


「私はもう、存分に遊んだから」

「ストレス解消できましたか?」


 私が皮肉たっぷりに聞いてみる。


「うん。ご協力感謝します、お二人さん」


 パチッとウインクをして咲乃さんがお店を後にする。


「え? 何の話?」

「由起彦、あんたには別の話があるから」

「何の話?」

「何故、逃げなかった?」

「さ、さあ、何でだろ?」

「しかも抱き付いてきた咲乃さんの腰に手を当ててたよね?」

「え、そうだっけ?」

「そうよ、ちゃんと見てたし。ちょっと、そこ座ってよ。じっくり話しようよ」


 そして閉店まで、私の訊問は続くのだった。


 翌日、咲乃さんは何食わぬ顔をしてジョギングに誘いに来た。


「いやー、昨日はゴメンね。ちょっと大暴れしちゃったね」

「ああいうの、マジで勘弁して下さいよね」

「みこちゃんに大事なお知らせがあるの」

「え? 何ですか?」

「私、後三回試験受けるの」

「マジで勘弁して下さい」


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