エースの座
「おい、みこ知ってるか?」
「何が? あっ!」
死んじゃったー。
実知が急に横から声をかけるから。ただでさえ、私はテレビゲームが下手なのに。
今は冬休み。普段は家の手伝いで忙しい私も時間に空きが出来るので、恵と二人して実知の家まで遊びに来たのだ。
そしてリビングでゲーム大会である。
恵はさっきから無言である。完全にゲームに集中している。
「で? 何?」
残機がゼロになったので、最初から横で見ているだけの実知に話の続きを促す。
「水野だよ。みこ、毎日会ってるんだろ?」
「会ってるっていうか、うちのお店に毎日お遣いで来るだけよ」
「最近、様子おかしかったりしないか?」
由起彦の様子がおかしい?
全然そんな素振りは見えない。いつも通り、間延びした調子でウチの和菓子を買っていってくれている。
あいつとは小さい頃からの長い付き合いだ。何かあれば気付きそうなものだけど。
「別に普通だよ?」
「女子バレー部って、ハンドボール部と練習場所が隣合ってるんだよ。あいつ、レギュラーの練習から外されるのが多くなってるぞ。一年に上手い奴が出てきたみたいだな」
「よく見てるね」
「みこの為に見てやってるんだよ」
「いや、頼んでないし」
実知はそうやって、余計なお節介を焼くのだ。
「相変らず素直じゃないなぁ、みこ。あいつ、控えに回されるかもしれないぞ」
「え? でも水野君てエースなんでしょ?」
「もっと強い奴が出てきたら、そいつがエースだよ」
そういうものなのか? 私はスポーツに興味がないので、実知の話だけではいまいちピンと来ない。
うーんでも、自分が一生懸命になっている事がうまくいかないのはつらい事に違いない。和菓子に全てを捧げている私に置き換えて考えてみれば、それは分かる。
そうなんだ。由起彦の奴は今、大変な時なんだ。
「あっ、クソッ!」
え? 今の恵さん?
「あーあ、ゲームオーバーだ」
恵が私達の方を向いて、悔しそうな顔で小首を傾げる。
良かった、いつもの可愛い恵だ。
恵は集中しすぎるので、たまに怖い時がある。
夕方。
私と恵、二人並んで家に帰る。
公園の側まで来た時、中に由起彦がいるのが見えた。
「あ、水野君だ」
「さすが目ざといね、みこ」
「いや、そんなんじゃないし」
「では、お邪魔な人間は先に帰りますから」
「え? 何それ?」
ほほほ、と口に手を当てて恵が足早に消えていった。何を考えているのやら。
あーあ、取り残されてしまった。
仕方なしに公園を見てみる。
傾いた日を受ける公園。遊具が長い影を作っている。家に帰る時間だ。小さい子供達が公園から走り去る。
由起彦は背の高い鉄棒で懸垂をしていた。向こうを向いているのでどんな表情かは分からないが、真剣なのは運動音痴の私でも見ていて分かる。
そう言えば、今着ているジャージは最近お店に来る時にいつも着ているジャージだ。
昨日、他に服はないのかと馬鹿にしてしまった。
そう、いつもこうやって、運動をしてから私のお店に来ているのだ。まぁ、それはそれで不衛生な気もするが。
声をかけようか、かけまいか。
いや、やめておこう。
前を向いて公園の横を通り過ぎたところでいきなり後ろから声をかけられた。
「よー、野宮」
「うわ、びっくりさせないでよ」
「悪い悪い、今ちょうど、店に行くところだったんだよー」
「運動はもういいの?」
「あ、見てた?」
「ちょっとだけ」
「まー、折角時間あるんだし、身体動かすのもいいかなーってなー」
由起彦が歩きだす。私もその横に並んで歩く。
「よっぽど暇なのね」
「チームを支えるエース様は、日々の鍛錬が欠かせないんだよなー」
「とてもそうは見えないけどね」
「見た目でハンドボールする訳じゃないしなー。試合じゃ大活躍なんだぞ?」
言われてみれば確かに様子がおかしい。虚勢を張っている? 何かを自分の中で確認している感じだ。
「まぁ、せいぜい頑張る事ね」
「ああ、頑張るよ」
真面目な声に由起彦の顔を見上げると、表情が固く引き締まっていた。
次の日、中学校。
私は実知のいる女子バレー部の見学に行った。
体育館の入り口できょどきょどしていると、気付いた実知がこっちへ走ってきた。
「よう、珍しいな」
「ん? ちょっと暇を持て余して。見学させてよ」
「じゃあ、あそこに座ってろよ」
そう言われた場所は、ハンドボール部の練習場所との境目だった。
「あそこならちゃんと見えるからな」
実知がハンドボール部を指さしながらバシバシと私の背中を叩く。相変らずお節介だ。
それでも言われた通りの場所に座り込んで、女子バレー部の練習を眺める。
人間というものは、前を向いていても意外と横まで見えているものだ。だから私の視界には、ハンドボール部で練習している由起彦の姿も入って来ている。
前に一度だけ試合を見た事はあるが、練習しているところを見るのは初めてだ。
顧問の先生が由起彦に厳しく声をかけている。大きい声で返事をして、由起彦が列に戻る。
次の部員が走り、受け止めたボールをゴールに投げ入れた。彼は褒められた。
由起彦は同じ練習を後二回して、二回とも怒られた。次の部員は二回とも褒められた。
「あの水野の次にいる奴が例の一年だよ」
いつの間にか私の脇に立っていた実知が言う。
「あれ? 練習は?」
「今日は終わり。みこ、全然こっち見てないし」
「そうかな、ごめん」
気付かないうちに、ハンドボール部の方だけを見ていたらしい。
「まぁ、いいけど。向こうの方がガタイがいいだろ」
「よく褒められてるしね」
「まぁ、それは」
「それは?」
「あ、昼休みか」
ハンドボール部が練習を中断し、コート脇に並べた自分のバッグを取りに向かう。
「おい、水野!」
また実知が余計なお節介を焼いた。
バッグを手にした由起彦がこっちにやって来た。
「おう、野宮、何してるんだー?」
「ちょっと、女子バレー部の見学に……」
「という口実で水野の応援だよ」
また実知が余計なお節介を言う。
「いや、単なる暇つぶしだから」
しまった、私はいつもこういう言い方をしてしまう。
ハンドボール部が毎日部活をしているのは知っていた。女子バレー部の部活がなければ、忘れ物を取りに来たと言い訳するつもりだった。何か差し入れをしようかとも思ったが、由起彦は甘い物が苦手だから和菓子は駄目だし、かと言って普通のお弁当は作れないしと諦めた。単なる暇つぶしなんかで来た訳じゃない。
じゃあ、何の為に?
私に何が出来るのかよく分からないまま、とにかく出てきてしまったのだ。
「ふーん、じゃあ、もう帰れよ」
ふいっと由起彦が背を向けて歩きだした。
あ、怒らせてしまった。結局私は何も出来ないまま?
思わず立ち上がった。
「おい、由起彦!」
由起彦が驚いた顔で振り向く。
「勝てよな!」
由起彦は驚いた顔のまま言葉を発せずに、何度かうなずいただけでまた前を向いて歩いていった。
「びっくりした。時々突拍子もない事するよな、みこは」
横で実知が言うが、一番驚いているのは私自身だった。
他の部員と合流した由起彦が早速からかわれている。
「うわ、悪い事したな」
「そんな訳ないだろ?」
実知が私の髪をがしがしと掻きむしる。
実知と一緒に帰る。
「最後まで見てりゃいいのに」
「いや、いたたまれないし」
「まぁ、そりゃそうか」
「水野君、怒られてばっかりだったし、やっぱり一年の子がエースになるのかな?」
「怒鳴られてるのは、あいつがそういうタイプってだけだよ。怒鳴られて伸びる奴と褒められて伸びる奴。そういうもんだろ?」
「そういうものなんだ?」
確かにそうだ。私だって、和菓子作りを祖父さんから教えられる時、怒られた方が何くそって気になって頑張れる。
「これで水野は次もスタメンだな」
「そうなんだ?」
「愛しの野宮さんの声援受けたんだから、どんな相手にでも勝つに決まってるだろ?」
「いや、そんなんじゃないし」
「まぁ、私も世話焼いた甲斐があるってもんだよ」
「いや、あー、うん。ありがと」
実知が私の顔を覗き込んで、にやーっと笑う。
「水野にもそうやって素直ならなぁ」
「やっぱり余計なお節介だったわ」
実知から顔を背けて赤くなった顔を隠す。
そうは言いながら、実知がいなければあそこで由起彦に声をかけるなんて出来なかっただろう。本当は感謝している。
「じゃ、またな」
分かれ道に来たので実知が手を上げる。
「うん、今日はありがと」
私は笑顔で手を振った。
冬休みが明けて数日後。
いつものように店番をしていると、いつものように由起彦がやって来た。
「ちわーっす」
「いらっしゃい」
由起彦はショーケースを覗かずに、私の顔を見る。
「今日、次の試合のメンバーが決まった」
「そうなんだ」
「俺、メンバーに入った」
「そうなんだ」
「みこのおかげだ」
「じゃあ、お菓子三つ余計に買っていってよ」
「え? そういうもの?」
「そういうもの」
「みこは相変らず商売の鬼だよなー」
ぶつくさ言いながら由起彦がショーケースを覗き込む。
あーあ、また素直になれなかった。
まぁ、仕方ない。これが私なのだ。
素直になったら、抱き締めて頬にキスなんだし。