ラーメン屋の再興
前回の「うるさいバイトの撃退法」の数日後の話です。
関係して部分は簡単に説明していますし、単独でも話は通じると思います。
私はラーメンが苦手である。
和菓子屋の娘である私は、和菓子が全ての基準なのだ。ラーメンのようなギトギトした食べ物は、私には味が濃すぎた。
そんな私が食べられる数少ないラーメン屋さんが、商店街にある『ラーメン熊屋』である。ここのさっぱり味は割と美味しく食べられる。
「でもいいの? ラーメンだけで?」
「ん? まーなー。みこの料理で汚染された胃腸を洗浄しないといけないしなー」
随分な言われようだったが、反論出来なかった。
この幼馴染みの由起彦には、私の為に勝負をしてもらっていた。私の手料理を使った早食い競争だ。
由起彦は見事勝利したのだが、私はその直後、情に流されて勝負の結果を反故にしてしまった。
そんな事をしでかして、由起彦には申し訳ない気持ちで一杯になったので、私は由起彦の言う事を何でも聞く約束をした。
そしてラーメン屋さんである。
「みこは食わず嫌いなんだよー。ラーメンも味わえば意外に美味しいって」
「まぁ、こちらのラーメンは美味しく食べれるけど」
「お、みこちゃん、嬉しい事言ってくれるね。チャーシューオマケだ」
店主の熊崎さんがチャーシューを追加してくれた。
脂っこいのは本来苦手なんだけど、ここのチャーシューは脂身が少なくて美味しいのだ。
とにかく、はふはふとラーメンを食べていく。麺の腰、太さ、つゆの絡み具合。熊崎さんのこだわりを感じさせる逸品だ。
しかし、お客は少ない。
「駅前のラーメン屋が出来てからはさっぱりだなぁ」
熊崎さんも苦笑いする。
「何でですかねぇ」
ここの常連である由起彦も首を傾げる。
「あそこは濃厚な豚骨スープが売りだからなぁ。派手さで負けてるんだよ。後は立地かな」
なるほど、駅ターミナルのすぐ側にある『蒼龍軒』の立地はかなりいい。帰宅途中のおじさん達が、ついつい食べてしまうのだ。
「まぁ、言い訳だけどな。うちの味が時代遅れになったんだよ」
熊崎さんのそういう顔は随分寂しそうに見えた。
二人食べ終わり、約束通り、由起彦の分も私が払う。
お店を出てから私がもう一度聞く。
「こんなんで本当にいいの?」
「実は、ここからが本題なんだよー」
「え? 何?」
やっぱりまだ何かあるんだ。
否応なく高まる期待。
いや、でもラーメン食べたばっかりだし。ちょっと、乙女の準備ってものが……
「『ラーメン熊屋』を盛り立てて欲しいんだよー」
「ああ、そういう事」
ちょっとでも期待した私が馬鹿だった。
「いいよ。私が何とかしたげる」
「お、本当か?」
「うん、あそこがなくなったら、私が食べれるラーメン屋さんがなくなるし」
まずは商店街振興会の会議室に行く。
「でも私はラーメンの事はさっぱり分からないし。アドバイザーを用意するわ」
私は会議室にある電話を使って、あれこれとやり取りをする。
その後二人でしばらく待っていると、商店街の若い衆が三人やって来た。若い衆と言っても、平均年齢30代後半である。
「さて、来たようね。ご紹介するわ。彼らは『蒼龍軒』の常連客。つまりは商店街を裏切ったユダどもよ」
由起彦に三人を紹介する。
「みこちゃん、ユダは酷いよ」
「言い訳無用。今から私の言う事を聞いて、罪を償うのよ」
まずは由起彦から、『ラーメン熊屋』の現状を三人に説明する。
「そもそもラーメンの味はどうなの? さっぱりラーメンは美味しいけど」
というか、私はさっぱりラーメンしか食べた事がない。
「味は昔ながらであれはあれで美味いと思うよ。『蒼龍軒』のような中毒性はないけど」
「俺達みたいな若い連中にはちょっと物足りないかな」
「いや、あんた今年二人目産まれたじゃない。立派なおっさんよ」
でも商店街の二代目以降の男は、自動的に若い衆として組み込まれるのだ。未婚、既婚は問わない。
「心は二十代だよ。でも最近、ちょっと味が落ちたって話だな」
「あそこはラーメン以外のメニューが多すぎるからな。手が回らないんじゃないか?」
若い衆があれこれ言う。
「あ、それそれ。私も気になったんだけど、ラーメン屋さんにあんみつって普通あるものなの?」
私も勧められたけど、ラーメンの後に甘い物を食べる気にはなれなかった。
「ないない。熊崎さん、人が良いから、お客さんがわがまま言った料理を片っ端からメニューに入れてしまうんだよ」
「じゃあ、それの削減ね。ラーメンに関係のないものがあると、お店の焦点がぼやけてしまうわ。あくまでラーメン屋さんとして勝負しないと」
これは食べ物屋の基本である。
その後、男達でラーメン屋に必要なメニューについて議論し合う。
海老の唐揚げを残すかどうかで激論が交わされたが、結局削る事に決めたようだ。
ラーメン、チャーシューメン、さっぱりラーメン(これは私の主張だ)、ご飯、チャーハン、餃子、鶏の唐揚げを残す事に決めた。
「ご飯があるのにチャーハンはいるの?」
この辺りの境界がいまいち私には分からない。
「『蒼龍軒』にはないんだよ」
「そこがちょっと物足りないんだよな」
「じゃあ、残しましょう。ちょっとだけ違いを出すのがコツだしね」
料理の削減案はまとまった。これで熊崎さんも焼き肉を焼きながらラーメンを作らずに済む。ラーメンに集中できるはずだ。
「あそこって、麺も餃子も手作りですよねー。それって生では売れないんですかね?」
由起彦が言う。年上がいるので一応敬語だ。
「そうね。商店街のお客はおかずの材料を買いに来る主婦がメインだわ。家で料理出来る物があれば買って行くかも。由起彦にしてはいいアイデアだわ」
「そういう中華料理のチェーン店があるんだよー」
そうなのか? 中華料理業界も私は疎い。
後は……
「内装ね。大掛かりな事は出来ないけど、あのやたら一杯貼ってある宣伝文句は逆効果だわ」
『ラーメンおいしいよ! チャーシューメンもおいしいよ!』とか『金曜日はラーメンの日!』とか、意味不明な宣伝文句を書いた紙が一杯貼ってあるのだ。
「あー、確かにあれはちょっと頑張り過ぎだよな」
「熊崎さんらしいけどな」
若い衆も同意する。
「じゃあ、あれ剥がしましょう。あんた達も手伝ってね」
「俺達も店があるんだけど」
若い衆とは言いながら、一応平均年齢三十代後半なのだ。それぞれのお店の主戦力ではあるのだが。
「罪を償う時なのよ、ユダ」
ぎろりと若い衆を睨んでおく。
「分かったよ、店が終わった後で」
「それでよし。後はお店の宣伝ね。古き良きラーメン、そして女性にも食べれるあっさり味の魅力をちらしにして配るのよ」
「ちらし配り好きだよなー、みこ」
「いや、あんたもするのよ、由起彦」
この後、熊崎さんに『ラーメン熊屋』改革案の説明をした。熊崎さんは文字通り涙を流して喜んでくれて、改革案を了承してくれた。
改革は今週中には済ませる事に決まった。
夜になって、私はちらし作りだ。『ラーメン熊屋』の魅力を伝えるのだ。中年以上の男性に懐かしさを感じさせるラーメン、あるいは女性でも食べられるさっぱりラーメン。いや、両方訴えかけると焦点がぼやけるか。どちらか一方に? いやしかし、出来るだけ多くの客層を取り込みたい。あ、それに生の麺と餃子の販売開始も書かないと。
あーでもない、こーでもない。
翌日、中学校。
「みこ、またすごい隈だよ?」
友人の恵が声をかけてくれる。
「昨日、ちょっと徹夜しちゃって」
そう言って、私は頭をかく。
ちらし作りに励みすぎて、気付いたら朝だったのだ。
「何でみこはそう、毎回極端なんだ?」
私の一通りの説明を聞いて、同じく友人の実知が呆れて言った。
確かに私は何かをする度に目の下に隈を作るくらい没頭してしまう。仕方がないのだ、そういう性分なのだから。
「野宮ー、ちらしは出来たのか?」
由起彦が話しかけてきた。
「どうにかね。早速放課後に配るわよ。あんたもね」
「分かってるよー。俺が言い出した事だしな。部活はサボるわ」
由起彦が離れ、同じ部活の友人である高瀬と柳本相手に話をする。
二人がこっちを見て、ニヤリと笑った。嫌な感じだ。
さて放課後、ちらし配りだ。
まずは商店街振興会の会議室だ。
「え? なんだこれ?」
「何って、見ての通り猫の着ぐるみよ。さっさと着てよ」
「何で着ぐるみなの?」
「人目を惹かないと駄目じゃない。さ、着た着た」
猫の着ぐるみを着た由起彦と一緒に駅前まで行く。高架の降り口に陣取って、帰宅途中のお兄さん、お姉さんにちらしを配っていく。
「お? 何だありゃ?」
うわ、面倒くさいのが来た。
近所の小学生どもだ。
「猫だぞ。蹴ってやれ、蹴ってやれ」
早速猫の着ぐるみを蹴り始める小学生ども。
「ちょっと、やめなさい。ガキども」
手近にいた一人の頭を抑え付ける。
「うわ、みこだ。和菓子屋の小さい悪魔だ」
ガキどもが私から一斉に距離を取る。
「私をその名で呼ぶんじゃない!」
今叫んだ奴を追いかけると、途端に散り散りになって逃げ出した。
「和菓子屋の小さい悪魔に喰われるぞー」
散々な事を口走りながらガキどもは消え去った。
あいつらは私が小学生だった頃の下級生だ。
ほんのちょびっとだけブイブイ言わせていた小学時代の私の事を、未だにはやし立てる忌々しい奴らなのだ。
「あれ? みこちゃんじゃない」
後ろから声をかけられて振り向くと、商店街の住人、高校生の咲乃さんが近付いてきた。
「何してるの?」
「『ラーメン熊屋』さんの宣伝ですよ。ちらし、もらって下さい」
咲乃さんにちらしを渡す。
「ああ、ここ。前に行った事あるよ。元カレとね……」
遠い目の咲乃さん。
ああ、変な傷をつついてしまったようだ。確か二股をされて別れたんだっけ。
「で、そこの猫ちゃんには誰が入ってるの?」
咲乃さんが猫の着ぐるみの口から中を覗き込む。
「暗くて見えないな」
着ぐるみの頭を掴んで、さらに顔を突っ込む。
咲乃さん、顔も身体も近い近い。
「水野君ですから。水野由起彦」
咲乃さんの腕を引っ張る。
「ああ、水野君か。お役目ご苦労様」
にっこり笑う咲乃さん。
商店街で一、二を争う美人に間近まで迫られて、由起彦の奴はデレデレに違いなかった。
何か腹が立つな。
「じゃ、頑張ってね」
咲乃さんが軽くステップを踏みながら去って行く。
次にやって来たのは恵と実知だった。
「おう、やってるな」
「徹夜明けなのに、大変そうね」
「ありがとう、見に来てくれたんだ」
二人にもちらしを渡す。
「何だその猫?」
「水野君」
顔を突っ込まれる前に素早く言っておく。
「蹴っていいか?」
実知が蹴る構えをみせる。
猫の着ぐるみが両手を振って拒否の態度を示す。
「ミチ、小学生と発想が同じだよ?」
やや疲れながら私が言うと、実知も蹴るのを諦めた。着ぐるみって、蹴るものなの?
「反応どう?」
マイペースに恵が聞いてくる。そう言えば、恵とラーメンというのは、あまり想像出来ない絵面だな。
「みんな割と受け取ってくれるよ。まぁ、リアクションは薄めだけど」
「『蒼龍軒』が美味いからな」
「はっきり言うね、ミチ」
他店の宣伝をしている人間の目の前で言うかな?
「悪い悪い、でも一回行ってみろって。癖になる味だぜ?」
「そういう濃い味の、私食べれないし。水野君、行った事ある?」
私が聞くと、猫の着ぐるみがもごもごと何かを言っている。
「ごめん、何言ってるか分からないし、いいや」
うなだれる猫の着ぐるみ。
「私達も手伝うよ」
優しい恵が言ってくれる。
「いいよ、もうすぐ終わるし。ありがとう」
「そう。じゃあ、頑張ってね、二人とも」
恵がひらひらと手を振りながら、高架を上っていく。恵の家は駅向こうの高級住宅街だ。
「じゃあな、二人とも風邪引くなよ」
実知も去る。実知の家は商店街を通り抜けた先の住宅街だ。
さて、ここから先は碌でもない奴ばかりがやって来る。
案の定、やってきた。由起彦の友人の高瀬と柳本だ。視界に入った時点で既ににやにやしていた。
「お二人さん、お熱いねぇ」
柳本が早速余計な事を言う。
「駅前デートとは乙なものですなぁ」
高瀬も調子に乗って言ってくる。
「うるさい黙れ。ちらし持って、さっさと帰れ」
二人にちらしを突き付ける。
「いいのかよ、お客様に向かってそんな口利いて」
にやにやと笑みを浮かべる柳本。
くっ、人の弱みに付け込んで。
「お二人様、どうぞ『ラーメン熊屋』にお越し下さいませ。そして今日はさっさと帰れ」
「おい、水野、嫁さんの教育がなってないぞ」
高瀬が馴れ馴れしくも私の肩に手を置いて、猫の着ぐるみに話しかける。
猫の着ぐるみが近付いてきて、高瀬相手にもごもごと喋る。
「悪い、何言ってるか分からない」
高瀬の言葉にうなだれる猫の着ぐるみ。
「まぁ、俺ここよく行ってるんだけどな」
柳本の意外な言葉。
「ああ、お前ここの焼き肉好きだよな」
「あ、それなくなるし」
焼き肉はラーメン屋に必要ないという事で、削除の対象となったのだ。
「なんだよ、それ。行く価値ないだろ」
肩を落とす柳本。
「いや、普通にラーメン食べに来てよ」
「まぁ、いいか。ラーメン食べにまた行くわ」
「そうしてよ」
まだぶつくさ文句を言っている柳本と、それをなだめる高瀬が去って行く。
さて、最後の一人だ。
「みこちゃん。何しているの?」
うちの和菓子屋でバイトをしている、高校生の坂上だ。
「あんたね、仮にも勝負に負けたんだから、少しは遠慮したらどうなの?」
そう、こいつは数日前、私を賭けた勝負で由起彦に負けたのだ。まぁ、由起彦はあくまで私の代理人なので、勝ったからといって、私が由起彦の物になる訳じゃないんだけど。
「あれはみこちゃんが、なしにしてくれたじゃない」
「一時の情に流された事が悔やまれるわ。とにかく、相変らず馴れ馴れしいとか、人としてどうなの?」
「悪かったよ。でも、しばらくバイトのシフトは別にしたでしょ?」
「それが当然なのよ」
こいつに甘い顔を見せてはいけない。強気で胸を張る。
「で、何? ちらし配ってるの?」
「そうよ。あんたも来てよ」
坂上にちらしを渡す。
「ラーメンか。僕、ラーメンとか、こってりしたのは苦手なんだよね」
「ここのさっぱり味なら大丈夫だと思うわ。私も美味しく食べれるし」
「でもみこちゃんは味覚が……」
「いや、私は料理を作るのが駄目なだけで、味覚は正常だから」
「まぁ、みこちゃんご推薦なら、一度行ってみるかな」
お、いつものこいつなら、「じゃあ、二人で行こうか」とか言うのだが、さすがに今はまだ大人しいな。
「じゃあ、みこちゃん、頑張ってよ」
坂上が高架を上がっていった。こいつの住むマンションは駅の向こうにあるのに、私を見掛けてわざわざやって来たのだ。大抵ご苦労様な奴である。
あ、今気付いたけど、結局着ぐるみの由起彦には一言も声をかけなかったな。やっぱり勝負に負けた相手には近付きたくないのかもしれない。微妙な男心だ。
さて、帰宅途中のおじさん達にも配っていって、ようやく全てのちらしが無くなった。
「お疲れ、由起彦」
由起彦が猫の着ぐるみの頭を脱ぐ。
「みこ、顔が赤いぞー。寒いんじゃないか?」
「ん? まぁね。さすがにこの季節になるとね」
十二月の夜なのだ。実はさっきから寒くて仕方がなかった。
「じゃあ、さっさと帰ろうぜー」
「うん、先に着ぐるみ返しとかないと」
二人並んで商店街振興会の会議室に向かう。
「うー、さむさむ」
部屋に入るとまずはガスストーブに火を付ける。
その後、やかんに水を入れコンロにかける。
お湯が沸く間、ストーブの前に座り込んで温まる。
「おう、戻しておいたぞー」
着ぐるみを脱いで、私服のジャージ姿になった由起彦が隣に座る。
「手まで赤いぞ」
由起彦が手を差しだし、私の手を包み込んでくれる。
「うん、手袋くらい、しとくんだった」
もう片方の手も温めてくれる。
「ありがとう、大分、マシになった」
由起彦が手を離す。
私が由起彦に目を遣ると、向こうはストーブを見ていた。
私もストーブを見る。
二人、黙ったまま。
ストーブの火が揺らぐ。
窓の向こうを風が吹く。
時計の秒針が時を刻む。
二人だけの静かな時間が過ぎていく。
やかんがけたたましい音を鳴らした。
「あ、お湯が沸いた。お茶いれるわ」
さて、『ラーメン熊屋』の改革は、それなりに成功を収めた。
売り上げは以前よりも向上し、店長の熊崎さんの人の良さも手伝って、新たな固定客を掴んでいった。
まずはめでたし。