歌う日もあるよ
「友達の頼みは断り切れぬ」にある恵と柳本の因縁が話に出てきます。
読んでいなくても話は通じると思いますが。
……チャラララン。
「相変らず、みこは聴かせるな」
「本当、オリジナル知らないのに、よくそこまで歌えるね」
「いやいや、お耳汚しを」
ここは駅前のカラオケボックス。
日曜日は家の手伝いが休みなので、こうして友達二人とカラオケへと繰り出したのだ。
ちなみにさっき恵が言った通り、私はオリジナルを聞いた事がない歌でも平気で歌う。
恵や実知が歌うのを聞いて、大体の感じを掴んで大体で歌うのだ。友達同士の遊びなので、それくらいの気軽さで十分なのだ。
「次はミチね」
私が実知にマイクを渡す。
「何か、みこの後だと歌いにくいな」
実知ははっきりって、音痴である。自分でもそう言っている。でも楽しそうに歌うので、実知が歌っている姿を見るのは好きだった。
実知が歌った曲は初めて聞く曲だった。
私は普段忙しいので、ゆっくりと音楽を聴く暇がない。宿題をしている時なんかに聴けばいいようなものだが、私は音楽を聴きながらだと集中出来ない性質なので、いつも何も聴かずに勉強する。歌を歌うのは好きなんだけど。
音痴の歌でも大体の感じは掴めた。今度来たときはこれを歌おう。大体でいいのだ、大体で。
次は恵だ。恵は才色兼備。運動も出来て、料理も出来る。そして歌も上手い。
恵はある一点。身体の極一部の成長を除いては完璧な女子である。
この曲は好きな曲だと言ってたな。切ない恋の歌だ。それを情感たっぷりに歌い上げるのだ。
この曲は、女の子が失恋をしながらなおも相手が忘れられない。というような歌詞だが、恵自身はこの前最低最悪な失恋をしてしまっている。恵の身体的コンプレックスを直撃する発言をしたその最低な巨乳派男子は、今ではすっかり恵の憎悪の対象となっている。
「思い出してしまった……」
恵の最後のつぶやきが重かった。
恵が心の傷をアイスコーヒーで流し終えてから、実知が話を切り出した。
「で、どれがマシだと思う?」
そう、明日月曜日、音楽の時間に歌のテストがあるのだ。
歌なんて個人差があり過ぎるので、一生懸命歌いさえすれば成績にはそんなに影響しない。でも見栄っ張りな実知は、人前で歌うのであれば少しでもマシな歌を披露したいと言うのだ。まぁ、みんな他人の歌なんてそんなに聴いてはいないのだが。
「二番目のでいいんじゃない?」
私が挙げたのは割と古いめの曲だが、歌いやすいように思えたのだ。
「最後のは歌い慣れてないから、やめて置いた方がいいよ」
忌まわしい記憶から立ち直った恵が続ける。
「うーん、あの曲好きなんだけどなー」
「でも人気があるし、被るかも」
私は曲の人気不人気もよく知らない。でも恵が言うならその通りなのだろう。
「じゃあ、みこが言った奴、もう一回練習するわ」
実知がリモコンを操作する。
「みこは何を歌うの?」
「いつもの奴」
恵の問いに答える。私は歌のテストの時は毎回同じ曲だ。
「また? 何で毎回演歌なんだよ」
「祖母さんがいつも歌ってるのよ」
その曲もまた失恋の歌だ。ただし大人の失恋なので、いまいち意味はよく分からない。でも悲しげなメロディが好きなのだ。別にいいじゃない。
実知の曲が始まったので、恵と私のあれやこれやの助言を聞きながら実知が歌う。
もう一度おさらいをして、今日はお終い。
月曜日。
音楽室への道すがら、実知の顔色はどんどん悪くなっていく。
「いや、そんな気にしなくていいじゃない」
私が言っても実知は首を横に振る。
「人前で歌うとか、羞恥プレイだ」
「気楽に歌えばいいんだよ」
「メグは上手いからそんな事が言えるんだ」
ひがみ根性だ。
まぁ、今更じたばたしても仕方がないのだ。放って置こう。
「げ、何であの野郎が私の曲を?」
恵さん。あの野郎とか、いつもの上品なあなたらしくないですよ?
でも仕方ないか。
今、歌っている柳本こそ、恵の不倶戴天の敵。女子の繊細な部分をえぐった最低な巨乳派男子その人なのだ。
そしてその柳本が歌っているのがよりにもよって、恵が好きな失恋の歌。当然、恵はその曲を歌うつもりでいた。
でも何で女子の為の曲を男子のあいつが歌ってるんだ?
あーあ、柳本が音程を外しまくって歌っているのは、恵の怒りに油を注いでいるようだ。自分の好きな曲が冒涜されているように感じているのだろう。隣にいるだけでかなりつらい。
さて、男子の番が終わり、女子の番だ。
恵に順番が回ってきた。
歌う直前、恵はキッと柳本を睨み付けた。
いつのものように恵を見ていた柳本(恵は柳本の好きなグラビアアイドルに似ているのだ)の姿勢が正しくなる。その両脇にいた奴の友人である水野と高瀬の背筋も伸びる。恐るべき眼力と言えよう。
恵の歌は迫力があった。情感と言うより、情念が籠もっていた。それはむしろ演歌向きであり、可愛らしいポップスには相応しくなかった。
ともあれ恵は歌い終えた。先生の顔が若干引きつって見えたのは、多分気のせいではないだろう。
荒い息で戻ってきた恵をセコンドよろしく私と実知が向かい入れる。
しばらくして私の番だ。
いつものように、いつもの演歌を歌う。私なりに情念を込めてみたが、本物の情念には敵わなかった。何となく不完全燃焼のまま曲が終わってしまった。
「野宮さん、たまには違う曲も歌ってみてね」
先生にそう言われた。
そうだなぁ、失恋の歌は私には合わないかもなぁ。
恵が正気を取り戻すよう、なだめすかしているうちに実知の番が来た。
これが結果的に幸いした。自分の歌どころでなくなった実知からは変な緊張が取れ、伸び伸びとした実知の良さが出た歌になった。
先生も褒めてくれたし、実知は照れながらも満足げであった。
こうして音楽の時間は終わったが、この日一日、恵の機嫌が直ることはなかった。
夕方。
私は家がやっている和菓子屋で店番。
幼馴染みの水野由起彦がやってきた。こいつは毎日和菓子を買いに来てくれる。
「ちわーっす」
「いらっしゃい」
由起彦は少し挙動不審だ。まぁ、大体想像付くけど。
「何? 今日の桜宮さん」
桜宮さんとは恵の事だ。
「あんたのところの柳本君が地雷を踏んだのよ。何であの曲なの? あれ、女子の曲だよ?」
「そんなの知るかよー。あいつはいつもあんな曲ばっかりだぞ?」
いくら女性ヴォーカルが好きだからって、自分で歌う曲までそうしなくてもいいのに。
「とにかく、あの曲は地雷だから。今後一切、歌わせないように」
「分かった、言っとくわ」
由起彦がカウンター下のショーケースを覗き見て、買う和菓子を物色し始める。
「それはそうとさー」
「何?」
「みこって何でいっつも演歌なんだー?」
「いや、特に理由はないんだけどね。単に祖母さんが好きなだけで」
「最近の曲は歌えないのかー?」
由起彦は相変らずショーケースを見たまま。私はその背中を見下ろしている。
「歌えるわよ。大体だけど」
「じゃーさー」
由起彦が身体を起こす。
「一曲聴かせてくれよー」
「はぁ?」
「演歌以外も聴いてみたいんだよ」
何を言い出すんだ、こいつは?
軽くいなしておこう。
「じゃあ、お菓子プラス三個買ってよ」
「おう、いいぞ」
あ、引き返せなくなった。
まぁいいか。こいつとは今更あれこれ恥ずかしがるような仲でもない。
商売の為だ。歌ぐらい歌おうではないか。
「じゃあ、一曲だけね」
軽く咳払いして、歌い始める。
この曲はリズムが良くて好きだ。軽く身体を揺すって歌うと気持ちが良い。
由起彦がカウンターに肘をついてこっちを見ている。
ちょっと緊張する。いや、こいつ相手に緊張するのも変な話だ。歌うのに集中しよう。
あ、しまった。
この曲って、恋の歌だ。最後に告白するって歌だった。
でも歌ったからには最後まで歌い切りたい。そうじゃなきゃすっきりしない。でしょ?
歌ううちにのめり込んでいった。長い間ずっと友達で、その間ずっと好きだった。別れ際、女の子は勇気を振り絞って声をかける。そして……
私は最後まで歌い切った。
歌詞の中で女の子は告白した。男の子の返事は分からない。
「おー、うまいなー」
由起彦が拍手する。
「ご静聴、感謝します」
軽く頭を下げる。
顔が火照っている。
でも奴は歌詞の意味に気付いていない。よかった、鈍い奴で。
「じゃ、合計五つ買っていってよ」
「おう、いいぞ」
由起彦が和菓子を選んでいく。
さっきの曲を口ずさみながら。
あ、この曲知ってたのか。
「この曲ってさー」
「何?」
「最後、男の方、何て返事するんだろうなー」
さー、どうなんだろ?
「あんたならどうする?」
由起彦が顔だけ上げて、こっちを見る。
私も由起彦を見る。
「オッケーだろ」
言い切った。
「本気?」
「そりゃ普通、ハッピーエンドだろー」
「そりゃそうか」
またショーケースに顔を戻す。
ちぇっ、期待させやがって。
「まぁ、桜宮さんみたいな例もあるけどなー」
「あー、まーねー」
話をしながら和菓子を五個、箱詰めする。
千円もらって、お釣りを返す。
最後に和菓子を入れた箱を渡す。
その時、由起彦が言った。
「俺なら先に告白させないけどな」
言うもんだ。
「確かに幼稚園の時にされたね」
「いや、あれはノーカウントだから」
「ふーん。じゃあ、いつでもお待ちしておりますんで」
「あれ? 歌詞の話だったよな?」
「さぁ、どうだったっけ?」
軽く舌を出してやる。