修行の旅4(完結)
今日、『大村堂』さんは休みだった。
客間に通された私と祖父さんが、店長の大村さんと向かい合う。
「遅くなりましたが、今回は大変お世話になりました。和菓子屋に和菓子を持ってくるのもおかしな話なので、これをお持ちしました。大村さんは飲まれると聞いてますので」
そう言って、祖父さんが出してきたのは一升瓶に入った焼酎だった。
え? それって厨房の冷蔵庫に寝かせてある、祖父さん秘蔵の奴じゃ? あれは触るだけでも怒られるのに。
「ああ、これは素晴らしい。ありがたく頂戴します。これじゃ、私の方が一方的に得をした事になりますね」
「いやいや、今回はいろいろと取り計らっていただいたので」
大村さんが笑みを浮かべ、祖父さんも笑顔を見せる。
「あれ程丁寧に頼まれましたら、こちらとしても応えなくてはいけませんからね」
え? 頼む?
大村さんの言うことがすぐには飲み込めなかった。
「みこさん、君が最初に来た後、お祖父さんがウチに来られて、君の事をよろしく頼むと頭を下げられたんだ。さすがに恐縮したよ」
「え? そうなんですか?」
祖父さんが私の事を? そんなの初めて聞いた。
祖父さんを見ても、知らんぷりしている。
祖父さんがお客以外の他人に頭を下げるなんて見た事がない。私の為に?
「でないと、中学生の女の子なんて弟子に取る訳がないだろ?」
そうなんだ。まぁ、そうか。
大村さんは和菓子に厳しい人。弟子を取るにもそれ相応の人を取るに決まっていた。祖父さんが頼んでくれたから、入れてくれたんだ。
私は結局、一人では何も出来なかったのか。
「で、首尾はどうでした?」
大村さんがソファに座り直して祖父さんに聞いてきた。
「お恥ずかしながら、ようやくこの馬鹿娘にも理解出来たようです」
祖父さんが私の頭を軽くげんこつで殴る。
イタッ。
「『野乃屋』さんのお菓子も頂きましたが、大変味わい深い物でした。しかしウチとはまるで違う」
「分からない方がどうかしています」
そうなのか、私はどうかしている娘なんだ。
「秘伝の品まで頂いてしまって。全く、お手間を取らせました」
祖父さんが深く頭を下げる。私も慌てて頭を下げる。
「いいえ、お孫さんは見所がある。ですから差し上げたのです。どうぞ、最後まで使ってやって下さい」
「うちのはただのワガママ娘ですよ。先程お茶を持って来てくれたのがお弟子さんですね。良い面構えをしていましたな」
「ええ、弟子は何人も来ましたが、奴だけが残りました。もう三年耐えましたから、そろそろ本格的に教え込んでいこうと思っています」
そうか、健一さんもいよいよ味を教えてもらえるのか。
本当はそうやって修行していくものなのかな。
私は小さい頃から手取り足取り教えてもらっていた。恵まれていたんだな。改めて思う。
この後しばらく話をして、私達は『大村堂』さんを出た。
帰り道。
信号待ちをしている時、祖父さんが口を開いた。
「俺も若い頃、似たような事をやらかした」
「え? そうなの?」
「まだ『野乃屋』が出来てすぐの頃だ。お客がなかなか来なくてな。家族を養っていけないんじゃないか。そんな不安に負けてしまったんだ」
「何をしたの?」
「味を変えたんだ。都会の名店に似せた味にな。それでも客足は変わらなかった。むしろ減っていった。そんな時、俺の師匠がやってきたんだ。いきなりぶん殴られた。昔の人だから、俺より手が早いんだ。すぐに元の味に変えさせられた」
「でもそれじゃ、お客さんが来ないんでしょ?」
「黙っててお客の方からやって来るか。そう言われた。俺は最初、自分の味に自信を持っていた。だから、店を構えても宣伝を何もしなかったんだ」
「宣伝は大事だよ?」
「そうだな。それから開店前に駅前でビラを配ったり、試供品を食べてもらったりした。俺にしては屈辱だったな。だが、師匠が時々見張りに来るんだ。それで手を抜いていたら、また殴るんだ」
「厳しいね」
「優しいんだ。俺の為だけに何時間もかけて来てくれたんだからな。どうにか店が軌道に乗った頃、師匠は病気で死んでしまった。最後まで言っていたそうだ。自分が死んでも葬式には来させるなって。せっかくお客が来てくれるようになったのに、何日も店を閉めるのを許さなかったんだ。墓参りが出来たのは何年も先の事だった」
「やっぱり……それだけ大変な事なんだ」
「そりゃそうだ。今回の事はお前にとって良い経験になった。若い頃の経験に無駄なことなんて一つもない。そうやって、独り立ちの準備をするんだ」
「でも結局、みんなに迷惑かけたのに、『野乃屋』には生かせなかった」
「そんな事あるか。お前は『野乃屋』を前より知る事が出来た」
そうだ。『野乃屋』は『大村堂』さんとは違う。父さんが言っていたように、みんなが何かのついでに気軽に寄って行ってくれるようなお店。
そういう人が何度も足を運んでくれるような味のお店なんだ。
私はそんな『野乃屋』を心から愛している。
黒い蜜を使うと違う味の和菓子が出来る。そう知っても、『野乃屋』の味を変えるなんて考えもしなかった。
私はあくまで今の『野乃屋』が好き。今回、改めて気づかされた。
そんな事を考えているうちに家に着いた。
今日もいつものように店番。
そろそろ由起彦がやって来る時間だ。お祖母さんが食べるお茶菓子を買いに来てくれるのだ。
あ、来た来た。
「ちわーっす」
「いらっしゃい」
由起彦が私の顔を見る。
あんまり見られると照れるだろ。
「うん、いつも通りだな」
「もういつも通りだよ」
由起彦が口元を緩める。
「でー、今日のお勧めは何だ?」
由起彦がカウンター下のショーケースを眺める。
「あ、その前に、これ食べてみてよ」
私は用意しておいた大福を取り出す。
「だから俺は和菓子はよく分からないんだよー」
「ま、いいからいいから」
大福を載せた皿を無理矢理押し出す。
仕方なさそうに、由起彦が大福を食べる。
「どう? 『大村堂』さんの秘伝の蜜にヒントを得たの。ちょっとした酸味が甘みを引き立ててるでしょ? イチゴ大福とはまた違った感じが出てると思うんだけど」
私の解説を前に、由起彦は首を傾げるだけ。
「いや? さっぱり分からない」
「あ、そ」
がっくりと肩を落とす私。
「でもみこが生き生きしてるのを見れて良かった」
「まぁね。私は和菓子が全ての女だから」
「暴走ばっかりだけどなー」
ちょっと間を置いてから私が言う。
「今回もいろいろとありがとうね」
「ん? いいって、いつもの事だろー」
「お礼に今度、デートしてあげる」
「デート?」
「そう、デート」
微笑む私。
「どうせまた和菓子屋だろ?」
「違うわ。パフェがすごいのよ。父さんがネットで見付けてくれたの」
「それってデートじゃないって。いつもの甘味屋巡りだってばー」
「まぁそうか」
ま、口実は何でもいいんだけどね。
そこがデートスポットなのは、お店に着くまで黙ってるし。
これで今回の中編は終わりです。
読んで頂き、ありがとうございました。




