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修行の旅2

 和菓子屋『大村堂』さんの前。

 お店が閉まり、店長の大村さんがシャッターに手をかける。

 ずっと待っていた私が声を出す。


「お願いします! 弟子にして下さい。何でもやりますから。お願いします!」


 出来る限り頭を下げる。


「親御さんの承諾は?」

「取りました」


 嘘だ。

 親には嘘をついた。中学の部活のマネージャーをする。そんな嘘をついて、ここに出入りする時間を作り出したのだ。


「承諾書は?」

「え、何ですか、それ?」


 大村さんが苦笑する。


「まぁいい。ウチに来たかったら来てもいい。ただし、学校にはちゃんと行く事。それが条件だ」

「でもそれじゃ、お店に入れる時間が短くなります」

「駄目だ。学校はちゃんと行け。残りの時間だけ来たらいい」

「……分かりました」

「それと、ウチは厳しいからな。覚悟しておけよ」

「はい、覚悟の上です」




 朝、五時に家を出る。

 始発電車に揺られて数駅先の街に出る。そこからあらかじめ置いておいた自転車で『大村堂』に入る。

 五時半。もう仕込みは始まっている。

 私の家の『野乃屋』より開店時間が一時間遅いのに、仕込みが始まる時間は同じだった。

 

「おい、みこ、小豆だけ見てるんじゃない。イモも一緒に見ておけ」

「はい」


 小豆は後十分で煮える。サツマイモは十五分後に蒸し上がる。その五分の間に小豆を冷やし始めないと。その後出来たサツマイモをこしていく。でもその間に冷めた小豆の水切りもしないと?

 駄目だ、落ち着くんだ。落ち着いて丁寧に片付けていくんだ。


「健、粉」

「後、もうちょっとです」

「出来たら次の生地の準備だ」


 見習いの健一さんが餅米を石臼で挽いて白玉粉を作っている。ウチじゃ出来上がったものを仕入れているのに。

 大村さんが白玉粉で作った生地を蒸し器から取り出した。粒あんをその生地で包み、大福を作り始める。速い。でも完璧に整っている。


「みこ、よそ見するな」

「はい」


 小豆が煮える。




 仕込みはまだまだ続くが、学校に行く時間だ。

 惜しいがここまでだ。

 更衣室で制服に着替えて学校に向かう。

 始業時間のチャイムと同時に教室に駆け込む。

 授業はどうにか聞いていられるが、休憩時間はずっと寝て過ごす。

 もう五日になるが、まだ身体が馴れない。

 昼休み。弁当を広げる。


「みこ、すごい隈よ」


 恵が心配して声をかけてくれる。


「うん」


 かろうじて、それしか言えない。


「本当に大丈夫か? 何やってるんだ?」


 実知も心配してくれている。


「おい、野宮。お前、無理じゃないのか?」


 由起彦が声をかけてきた。いつの間に来たんだ?

 由起彦には親に嘘をつく手伝いをしてもらっていた。私は幼馴染みのよしみで、由起彦の部活のマネージャーをする事になった。そういう嘘だ。


「水野、みこが何やってるのか、知ってるのか?」


 実知が由起彦に問いかける。

 由起彦はちょっとためらってから答えた。


「他の和菓子屋に弟子入りしてるんだ。学校始まるまで朝の仕込み。学校終わってから閉店後の片付けまで。保たないって、野宮」


 由起彦にいつもの間延びした調子が見られない。

 本気で心配してくれている。

 それは分かるけど。


「大丈夫。すぐ馴れるし」

「でも、みこって八時間寝ないと駄目なんだろ?」


 実知の言う通りだ。

 今は睡眠時間が三時間削れている。学校にいる間、ずっと眠い。


「大丈夫、それも馴れるし」


 三人が私を心配そうに見てくれている。

 それは嬉しいけど、絶対に『大村堂』の味を覚えないと気が済まないのだ。




 学校が終わるとそのまま『大村堂』に行く。

 閉店までは店頭に出る。店員さんが他にもう二人いるが、喫茶コーナーもあるこのお店では三人いても割と忙しい。私は主に、受けた注文通りに商品を揃える係をする。

 お客と会話する事はほとんどない。

 そして閉店。

 店長の大村さんは事務仕事の為に奥に引き揚げ、残った私と見習いの健一さんで厨房の掃除をする事になっている。

 掃除の前に、余った材料で和菓子の研究をする。

 健一さんは多分、二十才過ぎの人だ。坊主頭でがっしりとした体つきをしている。住み込みで働いているそうだ。

 その健一さんが聞いてくる。


「分かるか?」

「分かりませんね。何か入っているのは間違いないですけど、何なのかがさっぱり分かりません」

「そうなんだ。あの黒い蜜だろうけど、中味を教えてくれないんだ」


 健一さんにも教えてくれない事を、働き始めて五日の私に教えてくれる訳はなかった。でも何なのかが知りたい。


「勝手に触るなよ? それでクビになった奴がいる」


 そうか、それしか手はないと思ったんだけど。


「あんた、師匠の味を盗む気でいるんだろ?」


 盗む?

 まぁそうか。私はあくまで『野乃屋』の人間。ここの味を覚えたら、『野乃屋』の和菓子に生かすつもりをしている。

 弟子と言いながら、泥棒みたいなものなのか?


「そんなの無理だぜ」

「何でですか?」

「俺はここで三年近くお世話になってるけど、師匠は一度も俺に味付けを教えてくれた事がないんだ」

「三年?」


 三年経っても教えてくれない?

 そんなの待ってられない。


「あんたはそれまで保たないな」


 健一さんが私を試すように見る。

 さらに言葉を続ける。


「俺がいる間だけで、八人弟子が来た。師匠は都会の名店で修業していて、業界では割と名前が知られている人なんだ。でも全員三ヶ月保たなかった。そのうち五人が一ヶ月以内だった。仕事がきついんじゃない。師匠の和菓子に対する厳しさについていけないんだ」

「和菓子に対する想いなら、私だって負けていませんよ」


 そう、それが私の自負なのだ。


「心だけじゃどうしようもない。神経を研ぎ澄ませ続けられるだけの体力が必要なんだ。あんたには、それが決定的に不足している」


 私はまだ十四の小娘だ。仕方がないじゃないか。いや、それがすでに甘えなのか。

 何だろう? 足元がふわふわしてきた。

 健一さんの顔がぼやけて見える。何だこれ?


「そこまでだな」


 大村さんの声だ。


「健、女の子をいじめてやるな。事務室に連れてこい」

「はい」


 健一さんに肩を担がれて奥へと運ばれていく。

 事務室に入ると、椅子に座らせられた。

 健一さんが部屋を出た後、大村さんが口を開く。


「悪く思うな。健の奴は馬鹿正直なだけなんだ。思った事を口に出さずにはいられない奴だ。だが、あいつの言った通りだ。君は保たない。もう明日から来なくていい」


 何それ?


「まだ大丈夫ですよ。こんなの一晩寝ればすぐ元気になりますから」

「駄目だ。日毎に悪くなっている。仕込み中にぶっ倒れられるとこっちが困るんだ。もし鍋をひっくり返して火傷でもして見ろ。君の親御さんに申し訳が立たないんだ」


 そう言われるとつらい。

 そうか、私はもう、足手まといなんだ。


「一つだけ餞別をやる。それで納得して帰るんだ」

「餞別?」


 立ち上がった大村さんの後に続く。

 また厨房に戻ってきた。


「これだ」


 それは例の黒い蜜だ。大村さんは小さな瓶を取り出すと、そこへ黒い蜜を少しだけ流し込んだ。


「君にこれをやる。使い方は今から見せる。ノートでも取ってこい」

「いえ、和菓子の事なら、一度見たら忘れませんから」

「いいだろう」


 大村さんが今日の余った材料を集めてきて、調理の準備を始める。


「師匠、いいんですか?」


 健一さんが横から口を出す。


「いいんだ。健、お前も見ておけ」


 大村さんが煮終わった小豆を小さな鍋に入れる。


「ここまではもう知っているな」


 私と健一さんがうなずく。

 ここから味付けをしながら、あんを作っていくのだ。

 大村さんはまず砂糖を用意する。ざらめ糖だ。

 次に鍋を火にかけ、砂糖を入れる。

 小豆から出た水で煮詰めていく。

 ここだ。

 ここで例の黒い蜜を入れる。ほんのわずかだ。

 水気が飛んだ後、小豆を潰していく。

 こうして粒あんが出来上がった。


 次は蒸し上がった大福の生地だ。

 もう冷めているので、少し湯に漬け温める。

 温まった生地を取り出すと、これに砂糖を加える。

 そして丹念に練っていく。


 最後に、出来た生地で粒あんを包む。

 大福の完成だ。


「さ、食べてみろ」


 私と健一さんが一つずつ食べる。

 この味だ。普通のものとは少しだけ、しかし確実に分かる違いがある。


「憶えたか?」

「はい」


 あんに入れる砂糖の分量、火加減、煮る時間、潰し方、潰し具合、生地に入れる砂糖の分量、練り具合、生地と粒あんの比率、全体の大きさ。そして黒い蜜の量。

 完璧に憶えた。


「よし、材料についても言っておく」


 餅米、砂糖、小豆。大福の材料の産地と入手先を教えてくれる。


「好きに使うといい」


 大村さんが黒い蜜の入った瓶を手渡してくれた。




 しばらくして祖父さんがワゴンで迎えに来た。


「世話になりましたな。お礼にまたうかがいますから」


 祖父さんはそう言って頭を下げた。


「みこ、後ろに乗れ」


 言われるままに後部座席の扉を開けると、由起彦が向こうに座っていた。


「おう」

「え? 何で」

「何でも何もあるか。心配して何度も電話してくるから連れてきたんだ」


 そうなんだ。

 車が動き出す。

 窓の外の景色を眺める。立ち並ぶ家の灯りが流れていく。

 自然に涙がこぼれてきた。


「駄目だった。駄目だったよ」


 上ずった声がそのまま涙声に変わる。


「よく頑張ったってー」


 由起彦が私の頭を撫でてくれる。

 その優しさが私の胸の中で凝り固まっていたものを吐き出させた。

 私は声を上げて泣いた。

 家に着いても泣き声は止まらなかった。

 由起彦は私が泣き止むまで、ずっと頭を撫で続けてくれた。


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