私は八百屋さん
今日は出稼ぎである。
「へーい、らっしゃい、らっしゃい、安いよ安いよ~」
手を叩きながら客引きをする。
ここは商店街の八百屋さん。名を『八百森』と言う。森田さんだから『八百森』。
三十年前からある古株で、今は二代目が後を継いでいる。所狭しと並んだ野菜には、元気良く値札が差し込んである。夕方近くの今は、お店が一番込む時間帯だ。
「はい、ありがとねー。百二十円のお釣りだよー。さぁさぁ、らっしゃい、らっしゃい。大根安いよ~、どれもこれも新鮮だよ~」
郷に入れば郷に従え。いつもの和菓子屋とは違う、八百屋さんの流儀でお客と接するのだ。
「ジャガイモ安いよ~。いつもより二十円安いよ~。さぁ、たったの二百三十円! お姉さん、どう?」
お店を覗いているおばさんに声をかける。
ちなみにこの人はウチの常連客でもある。
「みーちゃん、何やってるの?」
「今日はこちらのお手伝いなんですよ。どうですか。似合ってます?」
今の私は帽子にエプロン。八百屋さんファッションだ。
「何か、すごい違和感があるわね」
そうかな? 自分では完璧に溶け込んでるつもりなんだけど。
おっと、仕事仕事。
「で、お姉さん、ジャガイモどう?」
翌日の学校。昼間の私は、いち中学生なのだ。
「……と言う訳で、奥さんが実家に帰ってる間だけ手伝うことになったのよ」
「それはいいけど、みこ、すごい声になってるよ」
恵が心配そうに言う。恵はいつだって優しい。
「うん、昨日は五時間うなり続けたからね」
「五時間! 何でみこはいつも極端なのかな」
実知は呆れ顔だ。
まぁ確かに、ちょっと前まで猫喫茶に三時間入り浸ったりしてたけどね。
「今回は仕方ないのよ。おじさん一人じゃ保たないし」
「面白そうだし、今日ぐらい見物に行こうぜ、メグ」
「今日はトマトが安いし、買って行ってよ」
「商売の鬼なのは変わらずなのね」
恵の言葉に私はニッと笑う。それって褒め言葉でしょ?
「安いよ安いよー、新鮮なトマトが安いよー。よっ、そこのベッピンさん、買って行ってくんな」
部活帰りに本当に顔を出してきた恵に言う。
「うわ、徹してるね」
「そこの元気そうなお嬢ちゃん、今ならトマトにネギ付けるよ?」
同じく見物に来た実知に声をかける。
「じゃあ、くれよ。後、ピーマンとレタス」
「はい、毎度。お遣いかい?」
「まーな、母さんにメールしたら買って来いってさ。言うんじゃなかったよ」
実知に買ってくれた野菜を入れた袋を渡す。
「じゃあ、みこ頑張ってね」
恵が手を振ってくれる。
「また来てね!」
なおも仕事を続ける。
あれ? 何か視線を感じるぞ?
振り返ると咲乃さんが店の奥に立っていた。彼女は店長の娘さんで、高校三年生だ。
笑顔を向けると、ふいと向こうへ行ってしまった。
前に道で会った時は、明るくて接しやすい人だったんだけどな。
「お嬢ちゃん、これちょうだい」
「へい、大根だね!」
そして閉店。
もう八時だけど、『八百森』さんを手伝っている間はウチの『野乃屋』の仕事は免除されている。だから朝の仕込みで早起きする必要はないのだ。
「今日もありがとうね、みこちゃん」
「いえ、結構面白いですし」
店長の森田さんは、顔は怖いけど中味は優しい人なのだ。
「ちょっと重いけど、これ持って帰ってくれよ」
「じゃあ、遠慮なく」
変に気を使うのは他人行儀だ。ありがたくキャベツとナスビを頂戴する。
「疲れてるのに重いでしょ。私持って行ったげる」
店の奥から出てきたのは咲乃さんだ。
「大丈夫ですよ?」
「ちょっとお話ししたいし、一緒に行こうよ」
「それじゃ、一緒に」
咲乃さんと並んで帰る。まぁ、すぐそこなんだけど。
「こういう時ってさ、普通、娘が手伝うものじゃない?」
咲乃さんがちらりと私を見て言う。
「咲乃さん、受験じゃないですか」
だから私が招集されたのだ。
「でもたった三日の事だよ? それぐらい何とでもなるよ、普通ならね」
普通、普通か。確かにこの商店街でお店の手伝いをしている子供は多い。
でも咲乃さんがお店に出ているのは見た事がない。
まぁ、か弱い感じの咲乃さんに、八百屋さんは似合わないとは思うけど。
「お店、嫌いなんですか?」
「あ、直球で聞かれちゃった」
まぁ、私はそういう性格ですから。
「そうだね。あんまり好きじゃないなぁ。朝早いし、土にまみれるし、やたらとせわしないし。私には合わないね」
「うーん、まぁ、別にいいと思いますけど」
「みこちゃんはお店が大好き。うらやましいなぁ、と思うけど、ちょっと可哀想かも、って思う時もあるの」
咲乃さんが『野乃屋』の前にある電柱にもたれかかって、私の家を見上げる。
「可哀想? そうなんですかね?」
「みこちゃんにもいろいろと可能性があると思うの。みこちゃんは『野乃屋』さんが全て。でも本当にそれでいいのかな? もっと他にも道があるんじゃないかな? そう思っちゃうの」
『野乃屋』以外の道。そんな事、考えた事もなかった。
私は生まれる前から厨房にいて、今はお店の手伝い。そのうちお婿さんを取って、お店を継ぐ。それが当り前だと思っている。
咲乃さんが話を続ける。
「私はお店を継がない。両親も認めてくれているけど、私は一人っ子。まぁ、そのうち誰か雇って、その人に継がせるつもりみたいだけど。私は親不孝者なのかな? そういう事を考えるの」
「それはそれでありだと思いますよ。お店が好きなら後を継げばいいし、好きじゃなかったら継がなかったらいいし。私は単にお店が好きだから後を継ぐだけですよ。それが私の幸せなんです」
「うん、みこちゃんは真っ直ぐだ」
咲乃さんが私を見る。
「ごめんね、変な話しちゃって。みこちゃんが手伝ってくれて、父さん、すごく嬉しそうだったの。ちょっと嫉妬しちゃった」
「まぁ、若い女の子にデレデレなだけですよ」
咲乃さんに笑いかけると、向こうも笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、明日もよろしくね。私は絶対に手伝わないし」
「ええ、任せて下さい。あ、今度ウチに来て下さいね。新製品増えてますから」
「みこちゃんは本当、商売の鬼だよね」
軽やかなステップで咲乃さんが去って行った。
さて、今日がお手伝いの最終日。
今日も元気に頑張りましょう。
「安いよ、安いよ。今日はレタスが安いよ~。スーパーより安いよ~。よっ、そこのぬぼーっとした兄ちゃん、今日も買って行ってよ」
「おう、じゃーレタスにニンジンなー」
「はいよ、三百六十円。毎度!」
由起彦にレタスとニンジンの入った袋を渡す。
結局、この幼馴染みは三日連続で来てくれた。
「今日で終わりなんだよなー」
「そうよ。また明日からウチで店番するから」
「じゃあ、明日なー」
何か、捨てられた犬みたいな目をしてたな。
たった三日の事じゃない。
まぁ、私もそろそろうちのお店が恋しくなってきたところだけど。
そして閉店。
ふー、やり遂げたーって感じ。
「最後までありがとう、みこちゃん。はい、バイト代」
「ありがとうございます。あれ、多いですよ?」
「頑張ってくれたからね。特別手当だ。受け取ってくれよ」
「じゃあ、遠慮なく」
こういう時、遠慮しないのがこの商店街の流儀だ。
「結局、サキは手伝ってこなかった」
森田さんがぽつりと漏らす。
「はぁ、まぁ、受験ですからねぇ」
お店が嫌いだとは言えないよな。
「手伝ってきたら、どうしようかと思ってたよ。最後まで来なくて本当に良かった」
「あ、そういうものなんですか?」
「そりゃそうだよ。店とあいつとは別なんだ。変に気を使われたら、こっちが困るよ」
そうなんだ。
お店と咲乃さんは別。森田さんもそう思っているんだ。
「まぁ、咲乃さんは絶対に手伝わないって言ってましたから」
「それでいいんだ。あいつもちゃんと分かってくれてるんだな」
そう言う森田さんの笑顔には、無理をしている感じなんて少しもなかった。こういう関係もありなんだな。
翌日。
今日からはいつも通り、『野乃屋』で店番だ。
そろそろ由起彦がやって来る時間だ。
ああ、来た来た。
「ちわーっす」
「いらっしゃい」
「うわ、すごい声だな」
まぁ、計十五時間うなってたからね。
「しばらくはこのままだと思うよ」
「変な和菓子屋」
余計なお世話だ。
由起彦が私を見ている。
あんまり見られると恥ずかしいだろ。
「やっぱりみこはそこが一番似合ってるわ」
「まぁね、一番落ち着くね」
ちょっと考えてみた。
「あのさ」
由起彦に声をかける。
「何?」
由起彦が応える。
「もし私がこのお店継がないって言ったらどうする?」
「そんなのみこじゃなくなるだろ?」
「私もそう思う」
にっこりと笑う。