幼馴染みと気まずくなる
前回の「うるさい丁稚を黙らせたい」を踏まえた話になっています。
「あ」
「あ」
しまった、目を逸らしてしまった。
仕方なしにそのまますれ違う。
最近、幼馴染みとの間がぎこちない。
今みたいに学校の廊下で出くわしても、思わず避けてしまっている。
それもこれも、この前のキス未遂事件が原因だ。
私に付きまとうしつこい男に見せつけるために、その場の勢いでキスをしかけたのだった。半分意地になってやったようなものだし、ムードも何もなかった。
とにかく私達は長い付き合いの幼馴染みなのだ。急接近はマズかった。
「みこ、どうした? ずっと浮かない顔だな?」
友人の実知が聞いてくる。
うーん、でもさすがにキスの話は出来ないな。
「ん? 別に? 普通だよ、私」
「いやいやいや、滅茶苦茶元気ないよ」
「そうよ。気晴らしが必要だよ」
同じく友人の恵も心配してくれている。
「ちょうど明日遠足なんだし、思いっきり羽を伸ばせばいいよ」
「でも、遠足ったって寺回りだろ? 小学校で行ってるんだよな、あそこ」
実知と同じ小学校の私も行っている。
ちなみ私に寺社巡りの趣味はない。
「みんなでお話ししながら歩いて、外でお弁当を食べるだけでも楽しいよ」
「メグは前向きだな。まぁ、メグの弁当をみんなで食べるのはいいよな」
私と実知は料理が出来ない。正確に言うと、私はお菓子作りは出来るのだけど、それ以外のおかずを作ることが出来ないのだ。
だからイベント事の時は、料理好きの恵が作ったお弁当を三人で食べる事にしている。たまに三人で持ち寄ると酷い事になる。
「そうだね、メグのお弁当を楽しみにしてるわ」
こんな時でも私はお店の店番をしないといけない。
そして和菓子屋である私のお店に、あいつは毎日現れるのだ。お祖母さんのお遣いだから仕方ないのだけど。
「ちわーっす」
挨拶だけはいつも通りだ。
「これとこれにするわー」
そして適当に注文してさっさと出て行くのだ。
こんな状況はうんざりだ。
「水野君」
「え? 何?」
こいつのフルネームは水野由起彦だ。小さい頃は下の名前で呼び合っていたのに、いつの間にかお互い名字で呼ぶようになった。
そうだ、小学校に入って冷やかされたからだ。
私達の距離はこうやって遠ざかっていくのかな?
「もうこういうのやめにしない?」
「ああ、まぁそうだよなー」
由起彦が頭をかく。ハッキリしない奴だな。しかも女子の私の方から言わせるのってどうなの?
「例の件はお互い忘れましょう」
「え? そうなの?」
「いや、そうしないとこのままずっと気まずいでしょ? 私、そういうウジウジしたの嫌だし」
「まぁ、未遂だしなー」
「そうよ、未遂なんだから」
「あれ、未遂じゃなかったどうなってたかなー」
「何それ?」
「そうしたら俺達もさー」
それ以上は言わせなかった。
カウンタから飛び出した私は、由起彦のみぞおちに拳をぶち込んだ。
「もう帰れ! 二度と来んな!」
そして遠足当日。
頭が痛かった。
昨日は碌に眠れなかった。
あいつ、何を言い出すんだ? もしキスしてたらどうなってたかだって? そんなの、そんなの、よく分からなかった。頭の中がグルグルして、結局眠れなかった。
「みこ、まだ酷い顔のままだぞ?」
「私、バスの中じゃ眠れないのよ」
「水野君と早く仲直りしないと」
「なんでそうなるのよ?」
「だって、今朝すごい顔して睨んでたじゃない。ちょうどあんな顔だよ」
仁王像だ。
恵は時々天然で酷いことを言ってくる。
「あいつは関係ないわ。ていうか、金輪際あいつとは関わらないし」
「何が喧嘩の原因なんだ?」
言えなかった。
少なくとも、他の生徒もうろついているここでは言えない話だ。
深いため息。
大仏殿でご本尊の大仏様を見上げる。
無表情だ。悟りの境地という奴だ。私もこういう境地に至れば楽になれるのだろうか?
馬鹿話をしながら男子の一団がやってきた。
うわ、何でこっち来るかな?
私から一メートル三十センチの位置にあいつが立った。
ちらりと見てみると、友達の話に腹を抱えて笑っている。
え? そうなの? 私が苦悩の極地にいるのに、あいつは馬鹿話で大爆笑?
だんだんムカムカして来た。
いきなり横から押された。こういう事をするのは十中八九、実知の奴だ。
私は大きくよろめいて、由起彦の胸に飛び込んでしまった。
見上げると由起彦の顔がある。
「お、おっす」
私は無言。
「なんだよ、例によって見せつけてくれるな」
「お寺でイチャイチャするなよな」
由起彦の友達の高瀬と柳本が言ってくる。
二人を例の仁王の形相で睨み付ける。
「コワ、何? マジで怒ってる?」
「そうよ、空気読め」
由起彦の足を思いっきり踏み付けて、実知のところへ戻る。
実知のほっぺたをつねり上げてやる。
「イタタタ、ちょっとした友達の心遣いだろ?」
「余計な事はしないで下さい」
どいつもこいつも碌でもない奴らだ。
そしてお昼。
「おお、相変わらず、すげぇな」
「いつもすまないねぇ」
今は恵のお弁当だけが心のオアシスだ。
食べているうちにだんだん気分が持ち直してくる。
教師の悪口で大いに盛り上がる。
あいつの事も頭から離れていく。そうだ、このままあいつの事は忘れ去るんだ。
「あ、和菓子作ってきたから」
リュックの中から重箱を取り出す。
葛饅頭に栗饅頭、試しにういろうも作ってみた。
「それ、私達が食べて良いの?」
「え? どういう意味?」
「こういう意味だよ」
実知が重箱を持ち上げると、そのままどこかへ歩いていった。
その先には……え、冗談でしょ?
慌てて追いかける。
「はい、これ、みこからの差し入れ」
「水野に?」
「当然だろ」
「違う、違うって」
追いついた私が実知から重箱を奪い返そうとするが、背は向こうの方がずっと高い。全然手が届かない。
私の頭越しに、これもやたらと背が高い柳本が重箱を受け取る。
「ありがたく頂戴するわ」
「やめろって、野宮は違うって言ってるだろ」
由起彦が立ち上がって重箱を奪おうとする。
「高瀬、パス」
柳本がフェイントを入れて由起彦をかわし、高瀬にパスをする。
くそっ、ハンドボール部どもめ。
「野宮は嫌がってるだろ」
「本当にそう思うのか?」
「え?」
実知の言葉に由起彦の手が止まる。
「ほ・ん・と・う・に・そ・う・お・も・う・の・か・?」
今度は高瀬と柳本、それに恵も入れて四人で言う。あれ? 恵、いつの間に来てたの?
由起彦は四人の迫力に圧されて一歩下がる。
私は柳本と実知の壁に阻まれて中へ入れない。
「大人しく食べろ」
高瀬が重箱から栗饅頭を取り出し、ポカンとしている由起彦の口に押込んだ。
「美味いか?」
柳本が問う。
「う・ま・い・か・?」
また四人で声を揃える。
「美味い」
素直に由起彦がうなずく。
「美味しいって、みこ」
「うん、私の作る和菓子はいつだって美味しいよ」
「嬉しいか?」
実知の矛先がこっちへ向いた。
「う・れ・し・い・か・?」
四人がこっちを向いて迫ってくる。怖い怖い。
「嬉しい。嬉しいよ」
そう言うしかなかった。
いや違う。本当に嬉しかったのだ。
由起彦に対する怒りが収まっていくのを感じた。
「じゃあ、水野君、謝って」
「え? 俺がー?」
「そうだよ、こういう時は男子が謝るものなの」
恵が当り前のように言う。
「分かったよー」
実知が私の背中を押す。
私と由起彦、二人向かい合わせになる。
こうして面と向かうと照れてしまう。ついさっきまで、こいつの事は顔を見るのも嫌だったのに。
向こうもやっぱり照れている。しきりに頭を掻いている。
「悪かったよ、野宮、キスはマズかった」
あ、何か余計な事を言いましたよ。
「キス?キスしたの?」
「キスかー、でもそれじゃ、みこ大喜びだろ?」
「やるな、水野、男だな」
「あーあ、お前だけ先に、一歩大人になっちまったな」
四人、好き勝手言う。
「違うって、未遂よ、未遂」
「未遂だから怒ったんだ?」
「違うよ、こいつが、えーっと説明が難しいんだけど」
「面倒だしキスしちゃえよ」
「中途半端は良くないな」
「男として駄目だな」
いっぺんにたたみ込まないでよ。
こういう時、どうしたらいいの?
「みこ、逃げるんだ」
由起彦が私の手を握って駆け出した。
引っ張られて私も走り出す。
後ろから「熱いねー」とか、はやし立てる声が。
でもそんな声は気にならない。
小さい時みたいに二人一緒に走っていく。笑い声を上げなら走っていく。
その日の夕方。また店番。
あいつ、来るかな? 二度と来んなって、言っちゃったしな。
「ちわーっす」
いつも通りやってきた。
良かった。常連客を逃さずに済んだ。
「こんばんは、ついさっきまで一緒だったけど」
「あいつら散々冷やかすんだもんなー、席まで隣にされて」
「嫌だった?」
「んー、いや、別にー」
「そう、なら良かった」
ちょっとだけ沈黙が通り過ぎる。
「私達って、どうなるんだろ?」
「いやー、これからもずっと変わらずだよー」
それはそれで嫌なんだけど。
「でもみこは、最近変わってきたしなー」
「え? どの辺り?」
「なんか、前より……いや、何でもない」
あ、顔が赤い。
「何よ、言ってよ」
「忘れてくれ」
「いや、気になるじゃない」
「今日はこれにするかー。二個で二百六十円な」
「言わないと売りません」
由紀彦の顔は相変わらず赤い。
困った顔で私を見ている。
ちょっと胸がドキドキしてきた。
「前よりキレイになった。はい、二百六十円」
「はい、毎度あり」
由起彦が出て行くまでお互い顔を見ないまま。
何言ってんだ? あいつ。
また気まずくなるだろ。
恵の口調が他の回と合っていなかったので、修正しました。(2012/12/14)