うるさい丁稚を黙らせたい
先に短編の章に入れましたが、投稿順に章を組み直します。すみません。
あーあ、今日がやって来てしまった。
ここ二週間ほど、こんなふうに起きた途端に頭が痛くなる日があるのだ。
今日もあいつの相手をしなくてはならない。しかも寄りにもよって、今日は土曜日だ。長い一日になりそうだ。
まぁ、愚痴を言っていても仕方がない。とにかく朝の仕込みを始めないと。
よいせ、と起き上がる。
「みこ、シャッター開けて」
母さんに言われてお店の前のシャッターを開ける。外へ出て、お店の看板を見上げてみる。
和菓子屋『野乃屋』。私のお店である。
店長は父さんで、実権は祖父さんが未だ手放していない。基本、家族経営で、パートさんが二人、それに丁稚が一人だ。
いいや、あいつをお店の頭数に入れるのはシャクに触る。何しろあいつは元万引き犯なのである。
「おはよう、みこちゃん」
その元万引き犯である坂上がいつの間にか後ろに立っていた。
「おはよう。その呼び方やめてって前から言ってるよね。ちゃんと『みこさん』て呼んでよ」
「年下相手に『さん』付けっておかしくない? 前から言ってるけど」
「このお店では私の方が格上なんだから、『さん』付けが正しいのよ」
「はいはい」
そう言って、私の頭を軽く二回叩いてお店の中へ入っていく。この馴れ馴れしさが腹立たしい!
「おはようございます。奥さん、先代」
「おはよう、今日も良い天気ね。さっそくで悪いけど、外を掃いてちょうだいね」
しかも奴は何故かお店に馴染んでしまっている。
いや、万引き犯ですよ? 万引きの罪滅ぼしに、ただ働きさせているんですよ? その辺忘れていないですよね?
「はい、みこちゃん、ホウキ」
「ありがとう」
とりあえず仕事をしなくては。二人してお店の外を掃く。
「みこちゃん、次の休みは暇?」
「お店が休みでも、私はとても忙しいのです」
「いつもそう言うよね。いつになったら遊びに行けるの?」
「いや、あんたと遊びに行く未来なんて、何万年経とうとやって来ませんから」
「例のカフェに新作のケーキが出てきたし、行こうよ」
「情報ありがとう。後日友達と食べに行ってきます」
「それって、水野って子?」
うるさいなぁ。この調子でずっと私にまとわりついてくるのだ。本人は愛の成せる業とかいうけれど、こいつの愛なんて欲しくはないのだ。もう一度金的を喰らわせないと分からないのだろうか? いや、多分分からないだろう。こいつは変にしつこすぎる。
「やっぱり水野って子か。付き合ってるの?」
「あいつとはそういうのじゃないしって、これも前から言ってるよね」
「じゃあ、僕と付き合おうよ」
「万引き犯と付き合う趣味はございません。ていうか、そもそも顔が好みじゃないのよね」
「顔が? 顔は結構評判良いんだけど」
坂上はいわゆるイケメンだ。甘いマスクという奴だ。常連のおばさん達の人気も高い。そして恐るべき事に集客に影響が出始めている。女子中高生からもっと年上のお姉さんまで、誘蛾灯のように呼び寄せてしまっているのだ。父さんが先週の集計を取っていて、うなっていた。
でも私の好みではない。私はもっと、味わい深い顔が好みなのだ。そう例えば、いや、由起彦は今は関係ない。
「とにかくあんたは私の好みから外れるの。変につきまとうと、また祖父さんにぶん殴ってもらうから」
「それは勘弁だ」
肩をすくめてようやく離れた。
ちなみに顔面をぶん殴られたのは、祖父さんの時が生まれて初めてだったそうだ。しかしその祖父さんも今では軟化してしまっている。ただ働きが終わってもバイトで雇おうか、なんて言い出しているのだ。
準備万端相整って、開店時間がやってきた。
今日もこの忌々しい坂上と店頭に立たないといけない。厨房担当の母さんに替わってくれるよう頼み込んだが、あえなく却下された。
「坂上君のパフォーマンスは、みこが一番引き出せるから」
奴はアスリートか何かか?
『野乃屋』はおかげさまで繁盛している。坂上なしでも繁盛している。
うーん、しかし。
「今日のお勧めは何? 坂上君」
「こっちの栗羊羹がお勧めですよ。甘すぎるものが苦手な大井さんでも、気にならないちょうど良い甘さですよ」
「じゃあ、それ貰おうかな。坂上君、お店上がるの何時?」
「今日は四時です」
「じゃあ、それからお姉さんと遊びに行こうか?」
「うーん、僕には心に決めた人がいますらかねぇ。浮気は出来ませんよ」
坂上と大井さん(二四才OL。最近ウチに通い始めたお客さんだ)が私を見る。いや、そこで私を見ないで下さいよ。
「はい、栗羊羹、六百円です」
「ありがとう。みこちゃんだっけ、こんなイイオトコ逃しちゃ駄目だからね」
そう言って、大井さんが私にウインクして去って行く。こいつは万引きをやらかす悪い男なんですってば。
まぁ、そうは言いながら、お店の商品を事前に一通り味見しておいたり、お客さんの名前と好みをちゃんと憶えていたり、坂上は真面目に仕事をこなしているのだ。この点は認めなくてはならない。
「あんた、ちゃんとお客さんの事、憶えてるのね。それだけは偉いわ」
「ああ、僕、昔から女の人の事は絶対に忘れないから」
天性の女たらしって事? うわ、最低だ。
「でも今の僕はみこちゃんしか見ていないから」
「あーそーですか。あ、またあんた目当ての」
「佐藤さんだね」
そもそも、何でこいつはいちいちお客さんの名前を聞き出すのだろうか?
「いや、何か自然に?」
やっぱり天性の女たらし、最低な奴だ。
そしてお昼時。
「お疲れ様、二人とも、ご飯食べていいわよ」
母さんが店番に立ち、私と坂上がお昼を食べる。あれ?別に一緒に食べなくてもいいと思うんですが。
「何言ってるの、若い子同士、仲良くやりなさい」
そう言って、母さんが私のお尻を叩く。母さんは私と坂上をくっつけようと企んでるのではないだろうか? 何を考えているんだか、全く。
「みこちゃんは、まだ僕を許してくれないんだ」
「そうね。はっきり言ってそうね。私の目の前で盗んでいったんだもの。あんな屈辱は到底忘れられるものじゃないわ」
「許してもらうためなら、何だってするから」
「じゃあ、まず私に仕事以外の事で話しかけないで」
「今年の栗は良いそうだね」
「そんな事はないわ。今年は全体的に不作よ。でも、契約してる農家さんのところはうまく育ったのよ。って、ナチュラルに仕事の話しないでよ」
「仕事の話ならいいんでしょ?」
「あーもー、とにかく話しかけないで」
「会話のない食事なんて味気ないよ……」
そう言って暗い顔をする。そうか、こいつの両親は二人共忙しくて、こいつを放ったらかしにしているんだった。普段は独りで味気ない食事をしているのだ。
「はー、分かったわよ。で、ウチはともかく、他のお店でも真面目に働いてるんでしょうね?」
「ちゃんとしてるよ。僕には固定客がいるからね。お店の売り上げに貢献してるって、褒められているよ」
「え? 大井さんとか佐藤さんとか?」
「伊藤さんとか宮村さんとか」
「何人いるのよ。あんた、もうホストでもやった方がいいんじゃない?」
「そしたらみこちゃん、遊びに来てくれる?」
「いや私、中学生ですから」
「何人に好かれても、好かれたい人に好かれなかったら意味がないんだよ」
そう言って、私をジッと見てくる。
ここで普通の女子ならコロッといくのだろうが、私はそんな女じゃございませんから。
「私の事は諦めて下さい。しつこいと、私の膝があんたの大切なタマを砕くわよ」
「どうせ砕くなら、僕の大切なハートにしてくれ」
「あんたの心臓はダイヤモンドでも砕けないでしょ。馬鹿な事言ってないで、早く食べちゃってよ」
さっさと食べ終わっていた私は、てきぱきと食器を片付ける。
家がお店をやっていると、食べるのが早くなるのだ。のんびり食べている暇なんてないのだ。
お昼を終えて、昼の部の開始である。残り三時間、耐え切れ、私。
いや、実質は二時まで我慢すればいいのだ。そうすれば、
「ちわーっす」
由起彦がやって来るのだ。これで一息つける。
「こんにちは、お祖母さん元気?」
「元気過ぎるよー、今日も母さんと喧嘩してた」
「嫁姑ね」
「母さんも気が強いからなー。みこのお父さんみたいに大人しかったらまだいいのに」
「まぁ、うちは祖父さんがあれだからね。入り婿は大変みたいよ」
あんたも覚悟しておくことね。
「入り婿はやめておきなよ、水野君。君はもっと、普通のご家庭のお嬢さんと結婚すればいいよ」
「あのね、坂上。幼馴染み同士の会話に横入りしないでよ」
「固い事言わないで、僕とみこちゃんの仲じゃない」
「いつどんな仲になったのよ」
「それを水野君の前で言わせるのかい」
「いや、何もないからね」
一応、由起彦に念押ししておく。とんでもない既成事実を、いや事実ですらないのだが、変な臆測を呼び起こすようなことを刷り込もうとしている。
「分かってるよー、こいつはみこにキ●タマ蹴られて振られてるじゃん」
「あれは微妙な女心の成せる業なんだよ」
「いや、あれ以上はないくらい直接的な表現だから」
膝を上げて構えてみせる。坂上が反射的に腰を退く。
「坂上は寄ってくる女の人を取っ替え引っ替えしてればいいんだよー。みこには俺がいるし」
「そうよ。私には由起彦がいるのよ」
え? 今とんでもない事を口走らなかった?
坂上が口笛を吹く。
「やっぱり付き合ってるんじゃない」
「う、いや、それはその」
「そうだよー、とっくの昔から付き合ってるんだぜー」
何を口走ってるの? 由起彦君?
「でも水野君が相手だと、僕にもまだまだ勝機はあるね」
「ないねー、みこは俺にベタ惚れだから」
え? そうなんだ? 私って由起彦にベタ惚れだったんだ?
「うーん、どうだろう。みこちゃん、水野君にベタ惚れなの?」
え? どうなんでしょう? 頭の中が大混乱中です。
「あーいやー、そんな事はないですよ?」
「ほら、違うって」
「あのなー、みこー」
由起彦ががっくり肩を落とす。
あ、そうか。これは全て演技だったのね。このしつこいナンパ野郎を撃退する嘘だったのね。
「い、いや、そうよ。私は由起彦にベタ惚れですよ?」
「もう遅いよみこちゃん」
そうですよね、遅いですよね。ぬかった。
「水野君、嘘はいけないよ」
「いいや、嘘じゃないねー、みこは素直じゃないからなー。みこ、ちょっとこっち向いて」
ん? なんですか?
由起彦がカウンター越しに身を乗り出してくる。
私の両頬に手を添える。
え? 何をしょうとしているの?
顔がぐっと近付いてくる。
え? まさか? まさかのまさか?
と、直前で顔が止まる。目が私の後ろを見ている。
私が振り返ると、厨房と繋がる扉から覗く人間が。
母さん、何やってるの?
「いや、気にせず続きをどうぞ」
「いや、無理です」
由起彦が私の顔から手を離す。
「と、まぁ、こんなかんじよ」
私が胸を張る。
「どんなかんじなの?」
坂上が首を傾げる。
「変な邪魔が入ったけど、私達は付き合ってるのよ」
「え?そうなの?」
母さん、うるさいですよ。
「大体、母さん、何してるのよ」
「三角関係の修羅場を観察してたのよ」
そのままじゃない。
実の娘の修羅場を覗いて何が楽しいの?
「みこは意外にモテるのね。これからもみこをよろしくね、二人とも」
「二人ともって、おかしいでしょ?」
「みこ、取り合いされてるうちが華だから」
「面白がってるでしょ?」
「あ、そろそろ仕事に戻らなきゃ」
母さんが厨房に引っ込む。
何あれ?
もうちょっとだったのに。いやいやいや、何を考えてるんだ、私は。
「あ、みこ、その大福二つくれ」
「はい、二つね。二百四十円です」
大福の入った箱を持って、カウンターを回り込む。由起彦の前に立つ。
「はいどうぞ」
「おう、ありがとう」
見上げると由起彦の顔。
うーん、つま先立ちしても届かない距離だ。野郎、無駄に背ばかり伸びやがって。
よし。
思い切って、ジャンプする。
私の唇が、由起彦の……アゴに当たる。
そして着地。
気まずい空気。
誰か、何か言って!
「なるほど、確かにベタ惚れだ」
坂上、それは馬鹿にしているな。
「キ、キスなんていつでも出来るもん」
そそくさとレジ前の定位置に戻る。
「じゃ、じゃ、みこ、また明日」
「ま、また明日」
由起彦がフォローなしで出て行った。
えー? フォローなしはないでしょ?
坂上を見てみると、ジッとこっちを見ている。
嫌な予感。
「ふーん」
そう言ったきり、この日坂上は無駄口を叩かなくなった。
ふ、ふん、ざま-見ろ。