第二章・・・予兆(5)
誰の耳にも聞こえただろうその轟音に、イツキが振り返る。
「・・・先程も聞こえたこの音・・・。シュラ様の御身に何か・・・・・・」
思考を遮るように、馬の嘶きが聞こえた。
イツキの思考が引き戻される。今の使命は、目の前にいるアマテラス一行の逃げ場所を探る事だ。
背中から鳥の翼を出し、木の幹に姿を隠して様子をそろりと窺った。
が、目の前の光景にイツキは絶句する。
「いったい、さっきの一瞬で何があった・・・。」
そこにあったのは、アマテラスの侍女三人の惨たらしい死体。そして、その中心には一人の女性と禁忌の姿を持つ幼い少年。
ほんの数瞬。まさに何度か瞬きをしている間に、彼女達は悲鳴もあげずに命を散らしたのだ。
イツキはシュラから借りている剣を抜いて詰め寄った。
「貴様がアマテラスか」
しかし女は答えない。
まだ十歳にもなっていないだろう幼子は、女の服を軽く引っ張った。と、彼女は本当に穏やかな笑みを浮かべて、見上げてくる子供に振り返る。
「・・・お前はアマテラスじゃないのか?」
「はい。私はアマテラス様ではありません。ですが、私はアマテラス様に従う者です」
にっこりと微笑んで、今度はイツキを振り返る。
途端、下腹部に例えようの無い衝撃が走る。
それは、一瞬の油断。捜し求めるアマテラスの名前に気を取られた、戦場での初めての油断だった。
「・・・・・・・・・ぁ・・・しま・・・った・・・・・・」
体の奥からせり上がってくる液体を堪らず吐き出す。
新雪が鮮やかな紅色に染まり、それはまるで血の華のよう。
震える体でゆっくりと視線を下腹部に向けると、幼子の鋭い手刀が自分の背中まで貫いていた。
汚れていない手と、こんな子供が・・・と油断していた自分が、無性に腹立たしい。自分に対する落ち度に、傷の痛みよりも怒りが勝る。
「・・・さようなら・・・・・・」
冷徹な言葉。
一瞬、視線の重なった子供の目にイツキは寒気を覚えた。
生気の無い、虚ろな瞳。だがそれは誰かに操られている瞳ではない。凍るように鋭いわけでも、憎しみが焼くように熱いわけでもない。
これは、興味の無い瞳だ。例え相手が誰であろうと、興味がないのだ。
「ぐぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
手が抜かれると、腹から凄まじい勢いで血が噴き出す。
体の末端から血液がなくなっていく感覚。失われていく生者の証から、立つ力までも奪われていく。確実に近づいてくる死神の足音。
少年は自分に掛かった返り血には微塵も興味を示さず、ただイツキの手にしっかりと握られている物のみに興味を示していた。
「草薙の剣」
「これは・・・・・・っ・・・命が尽きても、渡せん・・・っ!!」
あらん限りの力で睨みつけてみるが、相手にそれは何の影響も与えない。
少年は血でやや溶けた雪にしゃがみこみ、イツキの手を取る。
「放せ」
「これは、主からの借り物だ・・・・・・。絶対に渡さ――――」
「放せ」
「うぁぁっ!!」
鈍い音がして、辺りにイツキの悲鳴が上がる。
今まで柄を握っていた筈の親指が、人体の構造ではありえない方向を向いて離れている。
「放せ」
「あぁっ!!」
一呼吸を置いて次は人差し指。五本の指が柄から離れたのはすぐだった。
少年は剣を手に、ご丁寧に鞘に戻して女に渡す。と、女はまたも、極上の柔らかい笑みを向けるのだ。その笑みに、僅かに少年の表情が歳相応に溶けるのが分かる。
イツキは無事なもう片方の手で指を直そうとするが、血が抜けて力の入らない彼には到底無理な事だった。
諦めが頭を過ぎった時、胸は申し訳なさに押し潰されそうだ。涙が自然と零れる。
そんな力があるなら、この体にもう一度立ち上がり、主の剣を奪い返すだけの力をと願うが、叶えられる筈も無い。
女は侮蔑を含んだ笑みでイツキを見つめる。
「アマテラス様に仇なす愚か者は、こんな最期がお似合いです。じきに雪が本格的に降り始めます。あなたの体は、この美しい雪の中で醜く朽ち果てるのです。」
「・・・貴様・・・・・・っ!」
体に力を込めようと意識する度に、体から確実に失せていく血液の流れる音が聞こえてきそうだ。
次第に遠くなる馬の足音。視界も段々と霞み、歪んできた。もう、この体には指一本動かせる力が無い。
そう悟った時、イツキは静かに目を閉じた。
「申し訳、ありません・・・・・・。シュラ・・・さ、ま・・・・・・」
口に溜まった血糊に上手く言葉が出なくなると、イツキの瞳を血の涙が一筋零れた。
腹から噴き出した血と背中から散った羽根は、雪に紅色の華を描く。そこで眠るイツキは、まるで華に抱かれるようだった・・・・・・。
そして、時は流れる・・・・・・。