第二章・・・予兆(4)
自分に槍を向けているのは、兄・ツクヨの妻であり、幼馴染みにも等しい時間を過ごしてきたシンディアの王妃・ヒレンだった。
「アマテラスは何処だ」
「知っていても教えられないわ」
普段は柔らかく祝詞を唱える声が、今は憎悪を含んだ凛々しい声音だ。
「シュラ。お願いだから、今すぐマーファから手を引いて。私は『現在』を壊したくない!あなたも自覚してるでしょう!?あなたの望みの為に、事実を知らない人達が傷ついて良いはず無いわ!」
「それは、お前が運命を握られた事が無いから吐ける台詞だ。」
氷のような殺気を含んだ言葉に気圧されて、思わず黙る。明らかな意志を持って放たれた彼の言葉の強さは、長い間離れていても分かる程だ。
ヒレンは瞳を伏せる。
これは迷いだろうか。否、躊躇いだ。
「それでも私は、あなたを刺し違えてでも止める!」
ヒレンは鋭い突きを繰り出す。シュラは体を捻って、紙一重でかわした。
刹那、大きく踏み込んだシュラの一閃が来る。素早い剣の動きを槍の柄で受け流す。すぐに振り下ろしが来るが、それも上手く捌いた。
ヒレンは気合を発する声を出すと、素早い突きをいくつも繰り出す。が、それは全て躱されて掠りもしない。
見せ付けられる実力の差。ヒレンは強く奥歯を噛み締めた。
今まで一度も勝てた試しは無い。けれど命と引き換えにせめて、想いを引き戻す為の一撃だけでも。
「はぁっ!!」
ヒレンの大きく踏み込んだ止めの一撃。
かわそうとして不用意に力んだ足を、艶のある床板がさらった。
「しまっ―――!!」
―――― ドォォォォォォンッ!!!!!
突然の雷鳴のような轟音。
視界を奪う眩い閃光。
一瞬で巻き上がる粉塵。
二人は自分の武器を放り出し、耳を塞いでその場に蹲った。
ややあって静寂が訪れると、シュラは耳から手を離した。
凄まじい空気の衝撃に、未だに耳鳴りがしているようだ。
辺りには濛々と煙が立ち込める中、一歩足を踏み出したシュラは、自分の足元にぞっとした。
目の前にあるのは、何層にもなる階を貫いて出来た巨大な穴。
下を覗いて土煙の向こうに目を凝らしてみるが、底は見えない。息を呑む光景に、シュラは眉をしかめた。先程の轟音に覚えがある。記憶の中に焼きついた光景を思い出し、シュラから自然と舌打ちがもれた。
と、空耳のように自分の名前を呼ぶ声がする。シュラは慌てて辺りを見渡す。
「・・・シュ、ラ・・・・・・・・・」
「ヒレンッ!!」
土煙の霞みの向こうに見慣れた金髪を見つけて、シュラは慌てて駆け寄った。
そこには、穴の縁に腕一本でぶら下がる彼女がいた。体には無数の木片が突き刺さり、白の服を紅の斑点に染めている。とても自力で這い上がれそうには無かった。
「・・・シュラ・・・・・・」
話があるのか、助けを求めているのか分からないか細い声音。
シュラは今にも離れそうな彼女の服を掴んだ。自分の手は、肩に負った傷から流れる血で、手を掴めば滑ると思ったのだ。
「自分で上がって来い!兄上とホノカが待っているぞ」
必死の形相のシュラに、ヒレンは困った笑みを浮かべた。頬を一筋の涙が流れる。
「だから、やっぱりダメなのよね。命を取るって言った相手を、躊躇いもなく助けるくらい優しいから・・・。」
痛む腕を振り上げて、ヒレンは自分の腕を掴んでいるシュラの手を握った。安堵に、硬かったシュラの表情がやや緩む。それにヒレンも微笑み返した。
「ヒレン。そうだ。上がって――――」
「ごめんね」
嫌な予感がざわりと胸中に広がり、シュラは掴む手を硬くした。
「これが、私に与えられた運命・・・・・・。最期に、あなたと少しでも話が出来てよかった」
「ヒレン、何を考えている」
ヒレンの意識の奥で、警告音が鳴っている。これにシュラを巻き込んではならない。彼はまだ、『あの子』の為に生きるべき人間なのだから。
「本当のシュラは何も変わっていなかった。・・・もう・・・良いの」
その言葉は諦めだろうか。それとも、彼女の内で何かが達成された満足感だろうか。
言葉が出るよりも早く、ヒレンはシュラの掴む部分の服を裂き、自ら腕を外した。
「ヒレェェェェェンッッ!!!!」
捕まえ損ねた手が宙を握る。
数粒の涙を零して、彼女の体が暗い階下へ落ちていく。
シュラが慌てて飛び出そうとした瞬間、あの雷のような轟音が再び鳴った。目の前を稲光のような真っ白な閃光が、まさに光の速さで過ぎる。
あの先にはヒレンがいる。様々に入り混じった感情の波が起こる。一番最初に襲ってきたのは絶望だった。
目の前に迫ってくる光に、ヒレンは目を閉じた。
今度こそ諦めだった。どう足掻いても、光の速さに宙で動きの取れない彼女が叶う筈が無い。
「シュラ、ツクヨ。『あの子』達をお願いね・・・・・・」
その言葉は母として・・・そして、未来を垣間見る力を持った占術師としての言葉でもあった。
大地に、二度目の轟音が轟いた。