「君を愛することはない」と冷酷な旦那様に放置されていますが、私の匿名の文通相手(激甘)はどうやら彼らしい
「クロエ。地味で何の取り柄もない君との婚約は破棄する。急に婚約破棄なんて可哀想だからね、新しい婚約者を推薦しておいた。君は、あの『氷の公爵』クラウス様の元へ嫁ぐことが決まったよ」
元婚約者である侯爵令息・アルベルトの薄情な言葉を聞いても、私の心は驚くほど凪いでいた。
華やかな妹に心変わりしたアルベルトは、私を厄介払いしたくてたまらなかったのだろう。嫁ぎ先であるクラウス公爵は、国の宰相を務める冷酷無慈悲な人物で、これまで何人もの婚約者が彼の冷気と無関心に耐えきれず逃げ出したという、いわくつきの御方だ。
「……承知いたしました」
私が淡々と頭を下げると、アルベルトは気味が悪そうに顔をしかめた。
悲しまないのかって?ええ、全く。実家の帳簿管理と、領地経営を放置するアルベルトの尻拭いを押し付けられていた私からすれば、過労死寸前の生活から抜け出せるなら、嫁ぎ先が北の果てだろうと氷の公爵だろうと構わなかった。
それに、私には「心の支え」がある。
実家を出る時、私が荷物の中に一番に忍ばせたのは、古びた小さな木箱――『魔導ポスト』だった。
魔導ポスト。それは、匿名で手紙を入れると、国内のどこかにいる『魔力波長(魂の相性)が最も合う相手』のポストへ自動的に手紙が転送されるという、少し珍しい魔導具だ。
私は数年前から、このポストを通じて「銀のフクロウ」と名乗る匿名の男性と文通を続けている。私のペンネームは「白ツメクサ」。
銀のフクロウ様は、顔も本名も知らない私に、いつもとびきり優しくて甘い言葉を紡いでくれる、私のたった一人の理解者だった。
銀のフクロウ様さえいてくれれば、冷酷な公爵に虐げられても生きていける。
そう図太く覚悟を決めて、私はクラウス公爵の屋敷へと足を踏み入れたのだった。
―・―・―
「……よく来たな」
初夜の寝室。扉を開けて現れた私の旦那様は、噂に違わぬ氷のような美貌の持ち主だった。
銀糸のような髪に、感情を一切読ませない凍てつくような青い瞳。長身を包む夜着からでもわかる鍛え抜かれた体躯は、威圧感の塊だ。
彼が冷たい視線を私に向ける。室内が一気に氷点下まで下がったかのような錯覚を覚えた。
「君がどのような経緯でここへ来たかはどうでもいい。だが、俺は君を愛することはない。妻としての役割も求めない。ただのお飾りとして、俺の視界に入らず好きに生きろ」
……なんと。初夜の寝室で、これほどまで見事な突き放し文句を聞けるとは。
普通のご令嬢ならここでショックのあまり泣き崩れるところだろうが、実務家気質の私はむしろ歓喜していた。
(つまり、面倒な夜のお勤めも社交もなしで、衣食住が保証されるということね!最高の優良物件じゃないの!)
「承知いたしました、旦那様。屋敷の隅で、空気のように静かに暮らさせていただきます」
「……あっさりしているな。まあいい、俺は執務室に戻る。二度と俺の部屋には近づくな」
私が満面の笑みで即答すると、公爵は微かに眉をひそめ、冷たいマントを翻してさっさと部屋を出て行ってしまった。
後に残された私は、ふかふかの巨大なベッドにダイブし、すぐさまトランクから魔導ポストを取り出した。
『親愛なる銀のフクロウ様。本日、私は新しい環境へと移りました。旦那様はとても冷たい方ですが、お飾りでいろと言ってくださったので、これからの自由な生活が楽しみです。白ツメクサより』
サラサラと手紙を書き、ポストに入れる。
すると、わずか数十分後。ポストの底が淡く光り、一通の封筒が現れた。銀のフクロウ様からの返信だ。私は胸を高鳴らせて封を切った。
『愛愛しい私の白ツメクサ。君がどれほど不安な夜を過ごしているかと思うと、胸が張り裂けそうだ。君のような賢くて愛らしい女性を放置するとは、その夫はよほどの愚か者に違いない。もし君がその家で少しでも涙を流すようなことがあれば、私が必ず君を迎えに行き、彼を社会的に破滅させると誓おう。どうか無理はしないでほしい。君の幸せだけを願っている。銀のフクロウより』
「……っ、フクロウ様……!」
なんて愛情深くて、なんて甘い言葉の羅列だろう。
先ほどまで氷の公爵から浴びせられていた冷気など、一瞬で溶けてなくなってしまった。顔も知らない匿名の相手だというのに、彼の紡ぐ言葉はいつも私の心を芯から温めてくれる。
(やっぱり、私にはフクロウ様がいれば十分だわ)
私は手紙を胸に抱きしめ、幸せな気持ちのまま初夜の眠りについたのだった。
―・―・―
翌朝。
私は「視界に入るな」という旦那様の言いつけを守り、使用人たちに頼み込んで屋敷の裏手にある書庫の整理をさせてもらっていた。
ほこりまみれになりながら古い帳簿や書類を分類していると、廊下から足音が聞こえてきた。
「クラウス様、昨夜王宮から届いた急ぎの決裁書類です。こちらにサインを」
「……置いておけ」
書庫の隙間からそっと覗き見ると、旦那様と補佐官が立ち話をしていた。
相変わらず無表情で、周囲に冷気を振り撒いている旦那様。彼は補佐官から羽ペンを受け取ると、壁際のテーブルで書類にさらさらとサインを書き入れた。
「では、私はこれで」
「ああ」
補佐官が去り、旦那様もすぐに別の部屋へと向かっていった。
私はほっと息を吐き、誰もいなくなった廊下へ出て、彼がサインした書類を何気なく見つめた。
「……あら?」
実家とアルベルトの尻拭いで何千枚という書類を処理してきた私の『観察眼』が、ある一点に釘付けになった。
クラウス公爵のサイン。流れるような美しい筆記体だが、文字の書き終わりに、ほんのわずかに右上に跳ね上がる独特の癖があったのだ。
私は急いで懐から、昨夜受け取ったばかりの『銀のフクロウ様からの手紙』を取り出した。
(まさか、ね……)
手紙の末尾に書かれた『銀のフクロウより』の文字。
その文字の書き終わりの、独特の美しい跳ね上げの癖が。
先ほど公爵が書いたサインの癖と、寸分違わず完全に一致していたのである。
「うそ……」
私は手紙と書類を何度も見比べた。
間違いない。筆圧、文字の傾き、そして独特の癖。すべてが同じだ。
私は震える手で口元を覆った。
(「君を愛することはない」「ただのお飾りでいろ」と私を冷酷に突き放した氷の公爵様が……昨夜、「愛愛しい私の白ツメクサ」、「必ず迎えに行く」と激甘な手紙を書いていた匿名の文通相手だって言うの……!?)
頭が真っ白になる。
しかし、混乱はすぐに冷たい実務家の思考によって整理されていった。
(もしそうなら、あの初夜の冷酷な態度は一体何?フクロウ様は手紙の中で『君の新しい夫は愚か者だ』と自分自身を痛烈に罵倒していたことになるわよ……?)
私はじっと、公爵が去っていった廊下の先を見つめた。
氷の公爵と呼ばれる冷酷な旦那様と、私を溺愛してくれる匿名の文通相手。
この信じられない仮説が真実かどうか――確かめる方法は、ただ一つだ。
「……ふふっ。なんだか、この屋敷での生活が俄然楽しくなってきちゃったわ」
私はフクロウ様からの手紙を大切に懐にしまい直し、どうやってあの無表情な旦那様の「素顔」を暴き出してやろうかと、密かにほくそ笑んだのだった。
「氷の公爵様」と「銀のフクロウ様」が同一人物であるという、信じがたい仮説。
それを確かめるため、私は実家での地味な事務作業で培った『観察力と分析力』を活かして、少しだけ彼の様子を探ってみることにした。
数日後の午後。私は屋敷の中庭で、わざと旦那様――クラウス公爵が通りかかる時間を見計らって、薔薇の剪定作業を手伝っていた。
彼が視界に入った瞬間、私は「あっ」と小さく声を上げ、指先を軽く押さえた。薔薇の棘でほんの少しだけ指を擦りむいたのだ。血すら滲んでいない、かすり傷以下のものだ。
「……何をしている」
氷のような低い声が降ってきた。
振り返ると、軍服姿の旦那様が眉間に深い皺を寄せて立っていた。
「申し訳ありません、旦那様。少し薔薇の棘が指に触れてしまいまして」
「……っ。俺は『視界に入るな』と言ったはずだ。そのような場所でウロウロされては困る。大怪我をする前に早く部屋へ戻れ。……手当てをして、今日はもう大人しく休んでいろ」
言葉の響きこそ冷たく厳しいが、私の目は誤魔化せない。彼の視線は私の指先を痛そうに見つめ、その声は微かに上ずっていた。まるで彼自身が怪我をしたかのように、ひどく狼狽えているように見えたのだ。
「申し訳ございません。お気遣いありがとうございます、旦那様」
私が微笑んで頭を下げると、彼はバツが悪そうに顔を背け、足早に去っていった。
(冷たく厳しい口調だったけれど……私の怪我を、ひどく心配してくださっているように聞こえたわ。やはり、この仮説は間違っていないかもしれない)
さあ、ここからが本番だ。
私は自室へ戻ると、トランクから魔導ポストを取り出し、いそいそと手紙を書き始めた。
『親愛なる銀のフクロウ様。今日は少し悲しいことがありました。お庭の手入れをしていたところ指を怪我をしてしまったのですが、その場面を旦那様に見られておりました。そしたら旦那様は冷たい顔で「俺の視界に入るな。ウロウロされると困る。部屋へ戻れ」と言ってきました。手当てをして休むようには言ってくださいましたが、やはり私は彼にとって邪魔な存在のようです。白ツメクサより』
少しだけしょんぼりとした様子を装った手紙をポストへ投函する。
すると、どうだろう。
投函してから一時間ほど経った頃。ポストが激しく明滅し、バサッと分厚い封筒が吐き出された。いつもよりずっと早い、彼がどれほど急いで筆を執ったかが伝わってくる返信スピードだ。
急いで封を切ると、中には震えるような、乱れがちな筆致で書かれた便箋三枚にも及ぶ長文が入っていた。
『愛愛しい私の白ツメクサ!!なんということだ、君の美しい指が傷ついてしまったというのか!?すぐに医者を呼んで消毒をしてくれ!いや、私が今すぐ飛んでいって癒しの魔法をかけてあげたい!!
それにしても、君の夫は人間の心を持たない悪鬼か何かなのか!?妻が怪我をしているのに、自ら手当てをすることもせず「部屋に戻れ」と冷たく言い放つなど!なんという不器用で、気の利かない、愚かな男だ!万死に値する!!もし私がその場にいたら、そのふざけた夫を氷漬けにして窓から投げ捨ててやるところだ!!』
「……ふふっ。なんて可愛らしい方なの」
私は手紙を胸に抱きしめ、たまらない愛おしさで胸をいっぱいにした。
万死に値する?氷漬けにして窓から投げ捨てる?
それ、全部『自分自身』のことですよ、旦那様!
(手紙ではこんなに優しくて情熱的なのに、どうして目の前だとあんなに冷たい態度をとってしまうのかしら……?)
彼がなぜ本当の自分を隠し、私を遠ざけようとするのか。その本心をもっと知りたくて――そして何より、彼があまりにも私のことを心配してくれているので安心してもらいたくて、私は再びペンを取った。
『優しいお言葉、ありがとうございます。フクロウ様のおかげで、指の痛みも消えました。夫のことはどうかお気になさらないでください。私にとって一番大切なのは、こうしてフクロウ様と手紙を交わす時間ですから。たとえ夫に愛されなくても、私はフクロウ様を心からお慕いしております。白ツメクサより』
素直な想いを綴って投函した。
しばらくして、今度はポストからゴトリと重い音を立てて返信が落ちてきた。
『白ツメクサ。君のその言葉は、私の心を天にも昇る思いにさせると同時に、地獄の業火で焼かれるようなもどかしさを生む。
かつて君が前の婚約者に酷い扱いを受けていた時、お互いに名も顔も知らない匿名であったがゆえに、君を助けに行けなかったことを、私は何年も悔やみ続けてきた。君がまた新しい夫の元で愛されずに過ごしていると思うと、私は自分が許せなくなる。
白ツメクサ、どうか待っていてほしい。これ以上、君が理不尽な目に遭うのを見過ごせない。だから今度こそ、勇気を出して私自身の素性を明かそうと思う。そして必ず君を見つけ出し、その冷酷な夫の手から君を奪い去ってみせると誓う!!銀のフクロウより』
力強い筆致で書かれたその手紙を読み、私はそっと胸を押さえた。
「……フクロウ様……」
かつて私がアルベルトに蔑まれていた時も、顔も居場所も知らない関係だったからこそ、彼は何もできない自分を責め、手紙で必死に私を慰め、寄り添い続けてくれた。あの時からずっと、彼は私を救いたいと願い、苦しんでくれていたのだ。
そして今度こそ私を救うため、彼が、ずっと隠してきた素性を勇気を出して明かし、「私を今の夫(自分自身)から奪い去る」と決意を固めている。
翌日、遠目に見かけた旦那様は、明らかにひどい寝不足の顔をしており、目元にはうっすらとクマができていた。おそらく一晩中、「どうやって自分自身の素性を打ち明け、あの憎き夫(自分)から白ツメクサを救い出すか」と真剣に悩んでいたのだろう。
すれ違う際、彼がチラリと私の顔を見て、すぐに気まずそうに目を逸らしたのを、私は絶対に見逃さなかった。
(旦那様がどうしてあんなに不器用になってしまったのか、理由はまだわからないけれど。でも……この冷たい氷の下にある彼の本当の優しさを、私だけは知っているわ)
実家で地味だと蔑まれていた私の毎日は、この秘密の魔導ポストと、ひたむきで愛おしい旦那様のおかげで、穏やかな幸せに包まれ始めていた。
旦那様が『勇気を出して私自身の素性を明かし、必ず君を見つけ出す』と手紙で決意を告げてから数日後。
彼がどのように素性を明かしてくるのかと、私が少しの緊張と大きな期待を胸に抱いて過ごしていたある日のこと。
平穏な公爵邸の応接室に、来訪者が現れた。元婚約者のアルベルトだ。
「やあ、クロエ。少しは公爵邸の空気に慣れたかい?」
洗練された身のこなしでソファに座るアルベルトは、優雅に紅茶を傾けながら私を見た。華やかな容姿と自信に満ちた態度は、確かに社交界で令嬢たちを惹きつける魅力がある。
彼がわざわざこの辺境まで来た理由は明白だった。私が抜けた後、華やかな妹との交際にうつつを抜かし、領地経営が傾き始めたため、国の宰相であるクラウス公爵に「事業投資」という名目で援助を取り付けに来たのだ。
「ええ、とても心穏やかに暮らしておりますわ」
「強がらなくていい。君が『氷の公爵』に冷遇され、お飾りとして放置されている噂は王都にも届いている。……可哀想に。君には華やかさはないが、裏方の事務処理能力だけは優秀だった。どうだい?もし君がここでの冷たい生活に耐えられないというなら、僕の領地で『裏の秘書』として雇い直してやってもいい。僕の愛人にでもなれば、この息の詰まる屋敷よりはずっと良い暮らしができるはずだ」
彼は本気で、それが私に対する「慈悲」であり、自分にとって「合理的な取引」だと信じているようだった。私の心を無視し、ただの便利な道具として値踏みするその傲慢さは、昔から何も変わっていない。
「……お気遣いなく、アルベルト様。私は、誰かに与えられる華やかな暮らしなど望んでおりません。ただ静かな部屋で、心から信頼できる方と『温かい言葉』を交わす時間さえあれば……それだけで十分に幸せなのですから」
私がきっぱりと、けれど心穏やかに言い返した、その時だった。
「――俺の妻に、ひどくつまらない取引を持ちかけているな」
地獄の底から響くような、絶対零度の声。
応接室の扉が開き、長身の旦那様――クラウス公爵が静かに足を踏み入れた。
(今の言葉……。かつて白ツメクサが手紙に綴っていた『私にとって一番の幸せは、フクロウ様と温かい言葉を交わす時間です』という一文と似てないか……?)
室内が一瞬にして凍りついたかのような、凄まじい威圧感。
しかしアルベルトは怯えることなく、貴族らしい笑みを浮かべて立ち上がった。
「お初にお目にかかります、公爵閣下。誤解なきよう。私はただ、この地味な女が閣下のご迷惑になっていないかと案じておりまして。彼女は昔から、帳簿の数字と睨み合うことしかできない、美しい花を愛でる心も持たない、ひどく無味乾燥な女でしてね」
アルベルトの言葉が応接室に響いた瞬間。
旦那様の足が、ピタリと止まった。
――『私の元婚約者は言っていました。お前は帳簿の数字と睨み合うことしかできない、花を愛でる心も持たない、無味乾燥な女だと』
それはかつて、『白ツメクサ』が手紙でこぼした過去の傷跡。
(やはり…!)
旦那様が、信じられないものを見るようにゆっくりと私を振り向いた。
その青い瞳が、激しく揺らいでいる。
彼の中で、今目の前にいる「名ばかりの冷遇している妻」と、何年も手紙で心を交わし、喉から手が出るほど救い出したかった「愛しの白ツメクサ」が、完全に重なり合おうとしていた。
「……帳簿の数字と睨み合うことしかできない、無味乾燥な女、だと……?」
「ええ、そうですとも。ですから閣下も、こんな女は適当に離れにでも放置しておけば――」
「黙れッ!!!」
旦那様の怒号が響き、応接室の窓ガラスが魔力の余波でピキリと悲鳴を上げた。
アルベルトが目を見開き、初めてその顔に明らかな恐怖の色を浮かべる。
「お前が……お前が、彼女の心を長年縛り付け、その価値にも気づけなかった愚か者か……!」
旦那様の表情から「氷の公爵」の仮面が完全に崩れ落ちていた。
そこにあるのは、愛する女性を傷つけた男への激しい怒りと、何より――彼女が一番近くにいたのに、自分が初夜に「愛することはない」と突き放してしまったことへの、血を吐くような強烈な後悔だった。
「……公爵閣下、何をそんなにお怒りで……」
「貴様の侯爵領の財務状況は既に把握している。優秀な彼女を失い、見栄と浪費で首が回らなくなっているのだろう。自分の無能を棚に上げ、どの口で私の……私の愛する妻を侮辱する!」
旦那様はアルベルトに詰め寄ることはせず、ただ宰相としての圧倒的な権威と、研ぎ澄まされた冷徹な論理で彼を叩き潰した。
「彼女は無味乾燥などではない。誰よりも深く、温かい心を持っている。宝石の価値もわからず泥に捨てた貴様に、国からの援助など一銭たりとも出す気はない。二度と私の妻に近づくな。早々に領地へ戻り、己の愚かさと共に没落していくがいい」
一切の隙もない、完全な拒絶と宣告。
アルベルトは悔しげに唇を噛み締めたが、国のトップである宰相にこれ以上楯突くことはできず、貴族としてのギリギリの体裁だけを保ち、逃げるように応接室を後にした。
静まり返った室内。
残されたのは、私と旦那様の二人きり。
旦那様は、アルベルトに向けた怒りの表情から一転、ひどく狼狽えたような、泣き出しそうな瞳で私を見つめていた。大きな体が、小刻みに震えている。
「クロエ……君が、君だったのか。私がずっと探し求めていた、愛しい『白ツメクサ』は……最初から、私の……」
「はい。今まで黙っていて申し訳ありません、私の親愛なる『銀のフクロウ様』」
私がいつもの手紙と同じように、穏やかに微笑んで見せると、旦那様は崩れ落ちるように私の目の前で膝をついた。
「ああ……なんということだ。私は、この命に代えても守りたかった君を……初夜に、あんなひどい言葉で傷つけて……君を自分自身から救い出そうなどと、滑稽なことを……っ」
顔を両手で覆い、後悔に苛まれる不器用な旦那様。
私はそっと手を伸ばし、彼を慰めるように、その震える広い背中を優しく抱きしめたのだった。
応接室で後悔に苛まれる旦那様――クラウスを優しく抱きしめると、彼は私の肩に顔を埋めたまま、ぽつりぽつりと真実を語り始めた。
「……私は、昔から極度に女性が苦手でね。どう接していいか全くわからず、緊張のあまり無表情で黙り込んでしまうんだ。これまでの婚約者たちも、私のその態度を『冷酷で恐ろしい』と誤解して逃げていった。私自身も、自分のような不器用な男は、一生誰とも心を通わせることなどできないと絶望していたんだ」
彼の「氷の公爵」という異名は、極度の人見知りと不器用さが生み出した、悲しい誤解だったのだ。
「だが、そんな私の凍てついた世界を救ってくれたのが、魔導ポスト越しに出会った『白ツメクサ』……君だった。君が手紙で紡いでくれる、地に足のついた日常の報告や、温かくて優しい言葉の数々。どんなに仕事で心が荒れていても、顔も知らない私を『フクロウ様』と真っ直ぐに慕ってくれる君の手紙だけが、私の唯一の救いであり、生きる希望だったんだ」
「旦那様……」
「だからこそ、君がここへ来た時も、あえて冷たく突き放した。私のような不甲斐ない男に関わるより、お飾りとして離れにいた方が、君は幸せになれるだろうと……。だが、まさか私の妻が、私が何よりも愛していた君だったなんて。私は、一番傷つけてはいけない人を傷つけてしまった」
再び自己嫌悪に陥りそうになる彼の背中を、私はポンポンと軽く叩いた。
「もうご自分を責めないでくださいな、旦那様。……それに私、旦那様がフクロウ様だということには、こちらへ来てすぐ、初日の翌日には気づいておりましたのよ」
「…………え?」
旦那様がバッと顔を上げ、目を丸くした。
「あ、あの書類のサインの筆跡で。それに手紙のタイミングもバッチリでしたから」
「で、では……私が手紙で『そんな気の利かない夫は窓から投げ捨てろ』と自分自身を全力で罵倒していた時も……?」
「はい。お部屋で一人、クラウス様可愛いなと思っていました」
「〜〜〜ッ!!」
旦那様は耳の裏まで真っ赤に染め、今度は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆ってしまった。ああ、なんて可愛らしい人なのだろう。私はたまらなくなって、彼の大きな手ごと、その頬をふわりと包み込んだ。
「表向きはあんなに冷たいのに、手紙では私の指の怪我を自分のことのように心配して、本気で怒ってくださる。そんな不器用で誠実なあなたの本当の姿を知って、私はもう、とっくにあなたを愛しておりましたわ」
「クロエ……っ」
私が真っ直ぐに見つめて微笑むと、彼は潤んだ青い瞳を揺らし、今度こそ、迷うことなく私をその大きな腕の中にきつく抱きしめた。
「私もだ……愛している。もう絶対に、君を手放さない」
―・―・―
それから数ヶ月後。
私を「無能」と見下していた元婚約者のアルベルトは、旦那様の宣言通り国からの厳格な監査を受け、数々の不正が明るみに出て爵位を剥奪され、完全に没落した。彼がその後どうなったかなど、今の私には全く興味のないことだ。
なぜなら、私の毎日は今、穏やかで幸せな時間で満たされているのだから。
「クロエ。……その、もし君が良ければ、もう少しだけこのままでいてくれないか」
執務室のソファ。隣に座る旦那様は、仕事の合間の休憩中、少しだけ気恥ずかしそうに私の手にそっと自分の指を絡めてきた。
「ふふっ、仕事の書類はもうよろしいのですか?」
「あ、ああ……。君が淹れてくれたお茶が美味しくて、それに……こうして君の手の温もりを感じている時が、私にとって一番心が安らぐんだ。君の隣が、私の一番の居場所だから」
外では相変わらず「氷の公爵」として恐れられている彼だが、私の前ではただの純情で、ほんの少し甘えたがりな愛おしい旦那様だ。
照れ隠しのように私の肩にこつんと額を寄せる彼を見て、私はくすくすと笑う。
そんな私達の傍らには、あの『魔導ポスト』が置かれている。
遠く離れた誰かと繋がるためのその箱は、今ではすっかり、同じ屋敷の中にいる私たち夫婦の「愛の交換日記」専用ポストになっていた。
直接言うのが照れくさいほどの言葉は、今でも手紙に乗せて送られてくるのだ。
『愛愛しい私の妻へ。今夜は一緒に星を見ないか。君を愛している。君の夫、銀のフクロウより』
実家で「無味乾燥な女」と虐げられていた私。
けれど今の私は、世界で一番不器用な旦那様からの、溢れんばかりの愛の手紙と優しい体温に包まれて、最高に幸せな日々を生きている。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
この作品は、マッチングアプリみたいなものが異世界にあったら?という風に思ったのがきっかけで書いてみました!
それと実は一つ前の作品から、行間を少し狭くして作っています!前の方が見やすいなどのご意見ありましたら教えてくださると嬉しいです!(こっちの方が見やすいという感想でももちろんありがたいです!)
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よろしくお願いいたします。




