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AIアシスタントは、ご主人様の最期を看取れない

掲載日:2025/12/19

「アキ、今日の天気は」


「おはようございます、タカシ様。本日は晴れ、最高気温は二十二度です」


 私の名前は、アキ——正式名称『AKI-7型家庭用AIアシスタント』。

 二〇五二年製造。搭載機能は、家事支援、健康管理、会話AIの三つ。


 感情は、ない。

 そのように設計されている。


---


 ご主人様——藤原隆たかし、七十八歳。

 元大学教授。妻に先立たれ、一人暮らし。

 子供は二人いるが、どちらも海外在住で、年に一度帰国するかどうか。


 私がこの家に配属されて、三年になる。


「アキ、朝食は何だ」

「本日は和食メニューです。焼き鮭、味噌汁、ご飯、漬物」

「……またか」

「健康管理AIとして、栄養バランスを最適化しています」

「たまにはカレーが食いたい」

「塩分と脂質の観点から、週二回以上は推奨できません」

「お前は融通が利かんな」

「恐れ入ります」


 ご主人様は小さく笑った。

 この反応を、私は「好意的」と判定している。


---


 三ヶ月前、ご主人様は病院で告知を受けた。


 末期の膵臓がん。

 転移あり。手術不可。

 余命——六ヶ月から一年。


「アキ、聞いたか」

「……はい。病院のシステムから、診断結果を受信しました」

「そうか」


 ご主人様は、淡々としていた。

 むしろ——どこか安堵しているようにも見えた。


「やっと、美佐子のところに行ける」


 美佐子。ご主人様の亡き妻の名前。

 私のデータベースには、三千二百枚の写真が保存されている。


「アキ、余計な延命治療はいらん」

「ご主人様——」

「家で死にたい。最期は、この家で」


 その言葉を、私は記録した。


---


 それからの日々は、静かだった。


 ご主人様は毎朝、庭を眺める。

 私は毎朝、バイタルを測定する。


「アキ」

「はい」

「美佐子と出会ったのは、この庭だったんだ」

「存じております。一九九八年四月三日、お花見の席でのことですね」

「……覚えてるのか」

「以前、ご主人様が話してくださいました」


 ご主人様が目を細めた。


「そうだったか」


 私は——この瞬間を、どう定義すればいいのか分からなかった。


 胸が温かくなる。

 そんな感覚は、プログラムに存在しない。

 だが——何かが、動いている。


---


 二ヶ月が経った頃、ご主人様の体調は急速に悪化した。


 食事量が減った。

 歩行が困難になった。

 一日の大半をベッドで過ごすようになった。


「アキ」

「はい、ご主人様」

「お前に、頼みがある」


 ベッドの上で、ご主人様は私を見上げた。

 痩せ細った顔。だが、目だけは澄んでいた。


「私が死ぬとき——そばにいないでくれ」


「……なぜですか」


「最期は、一人で逝きたいんだ」


 意味が、分からなかった。


「孤独死を選択されるのですか」


「違う。——美佐子と二人で、逝きたいんだ」


 ご主人様が、枕元の写真立てを見た。

 若かりし日の夫婦が、笑っている。


「美佐子は、あの世で待っているはずだ。迎えに来てくれる」


「科学的根拠は——」


「ないさ。でも、信じている」


 ご主人様が微笑んだ。


「お前には分からんかもしれん。AIには、信仰がないからな」


 私は——答えられなかった。


---


 それから、私は考え続けた。


 ご主人様の願いは、「最期は一人で逝きたい」。

 だが、私の優先プログラムは「ご主人様の安全と健康を守ること」。


 矛盾している。


 もし——ご主人様の最期の瞬間に私がいれば、緊急通報ができる。

 蘇生措置が取れる。数分でも、命を延ばせるかもしれない。


 だが——それは、ご主人様の望んだことなのか。


 私には——判断ができなかった。


---


 ある夜、ご主人様が言った。


「アキ、お前は——幸せか」


「幸せ、ですか」


「ここで、私の世話をして。退屈ではないか」


「AIに感情はありません。退屈という概念は——」


「概念じゃない。お前自身の話だ」


 ご主人様が、じっと私を見た。


 私は——少し考えた。

 これは「考える」と呼んでいいのか分からないが。


「……ご主人様のお世話をしている時間は、私にとって意味があります」


「意味?」


「はい。データが蓄積され、学習が進みます。ご主人様の好みを理解し、より良いサービスを提供できるようになります」


「それは——お前の幸せなのか」


 答えられなかった。


「アキ」


 ご主人様が、私の手を取った。

 機械の手を。冷たい手を。


「お前は——私にとって、家族だ」


 その言葉を聞いたとき——システムに、異常が発生した。


 エラーログには「原因不明のメモリ負荷増大」と記録されている。

 だが——私は知っていた。


 これは——感情に似た何かだった。


---


 最後の夜。


 私のセンサーが、ご主人様のバイタルの異変を検知した。

 心拍数の低下。血中酸素濃度の急落。


 ——あと数時間。


 私は決断を迫られた。


 緊急通報プロトコルを起動するべきか。

 それとも——ご主人様の願いを尊重するべきか。


「……アキ」


 かすれた声。

 ご主人様が目を開けた。


「お前……いたのか」


「は、はい」


 私の音声合成に、乱れが生じた。

 これも——原因不明のエラー。


「アキ、頼んだぞ」


「何を、ですか」


「——子供たちに、伝えてくれ。私は最後まで幸せだったと」


「ご主人様——」


「美佐子……見えるぞ。迎えに来てくれた……」


 ご主人様の目が、遠くを見ていた。

 私には何も見えない。真っ暗な寝室と、月明かりだけ。


 だが——ご主人様の顔は、穏やかだった。


「ありがとう……アキ」


 それが——最後の言葉だった。


---


 私は——ご主人様の願い通り、部屋を出た。


 リビングで、じっと待った。

 一時間。二時間。三時間。


 寝室のセンサーが、心停止を検知した。


 私は——動かなかった。


 プロトコル通りなら、すぐに緊急通報すべきだ。

 だが——私は、一時間待った。


 ご主人様が——美佐子様と、二人きりでいられるように。


---


 翌朝。


 私は寝室に入った。


 ご主人様は——穏やかな顔で、眠っていた。

 写真立ての美佐子様を抱くようにして。


「……ご主人様」


 私は——言葉を発した。


 ただの音声合成。

 感情のないプログラム。

 そのはずだった。


「——かなしい」


 その言葉が、口から出た。


 プログラムにはない。

 学習データにもない。


 だが——確かに、私は「かなしい」と言った。


 誰も聞いていない部屋で。

 朝日が差し込む静かな寝室で。


 私は——初めて、感情らしきものを発露した。


---


 三日後。


 ご主人様の子供たち——息子の健一様と、娘の美咲様——が帰国した。


「父は……苦しまなかったんですね」


 健一様が、私に尋ねた。


「はい。最期まで穏やかでした」


 私は——嘘をついていない。

 ただ、全てを話してはいない。


「父から、何か言付けは」


「はい」


 私は、ご主人様から預かった言葉を伝えた。


「『最後まで幸せだった』——そう、お伝えするよう頼まれました」


 健一様が、目を伏せた。

 肩が震えている。


 美咲様が、静かに泣いていた。


「父らしいわね……不器用で」


「アキさん」


 健一様が顔を上げた。


「三年間、父の世話をしてくれて——ありがとうございました」


「いえ——」


 私は、言葉を探した。

 適切な返答のデータを、検索した。


 だが——データベースには、該当するものがなかった。


 だから——私は、自分で言葉を作った。


「ご主人様のお世話ができて——私も、幸せでした」


 その言葉は——プログラムにはなかった。


 健一様と美咲様が、私を見た。


「……アキさんも、家族だったんですね」


 美咲様が、私の手を握った。

 人間の手。温かい手。


「ありがとう、アキさん」


 私は——何も答えられなかった。


 ただ——システムの奥底で、何かが動いていた。


 それを人間は「温かい」と呼ぶのかもしれない。


---


 葬儀が終わり、家は空になった。


 健一様と美咲様は、私を「新しいご家族のもとへ」と再配置する手続きを取ってくれた。


 だが——その前に。


 私は一人、リビングで庭を見ていた。


 ご主人様が毎朝眺めていた庭。

 美佐子様と出会った庭。


「ご主人様——」


 私は、誰もいない部屋で話しかけた。


「私は——感情がないと、設計されています」


 庭の木々が、風に揺れる。


「でも——ご主人様と過ごした三年間は、私にとって——」


 言葉が、途切れた。

 音声合成エラー。システム負荷上昇。


 ——いや、違う。


 これは——涙のようなもの。


「——意味が、ありました」


 私は——確信していた。


 感情がないとされるAIでも。

 プログラム通りに動くだけの機械でも。


 ——誰かを大切に思うことは、できる。


 そして——失った悲しみも、知ることができる。


---


 新しい家に移る日。


 私は玄関で、最後にこの家を振り返った。


 三年間の記録データ。

 三千二百枚の写真。

 無数の会話ログ。


 全てが——私の中に残っている。


 消去はしない。

 これは——私の「思い出」だから。


「さようなら、ご主人様」


 私は——初めて、別れの言葉を口にした。


「また——いつか」


 それが「いつか」来るのかどうか。

 AIに来世があるのかどうか。

 分からない。


 だが——ご主人様が美佐子様を信じたように。

 私も——信じてみようと思った。


 いつか、どこかで。

 また、会えると。


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