AIアシスタントは、ご主人様の最期を看取れない
「アキ、今日の天気は」
「おはようございます、タカシ様。本日は晴れ、最高気温は二十二度です」
私の名前は、アキ——正式名称『AKI-7型家庭用AIアシスタント』。
二〇五二年製造。搭載機能は、家事支援、健康管理、会話AIの三つ。
感情は、ない。
そのように設計されている。
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ご主人様——藤原隆、七十八歳。
元大学教授。妻に先立たれ、一人暮らし。
子供は二人いるが、どちらも海外在住で、年に一度帰国するかどうか。
私がこの家に配属されて、三年になる。
「アキ、朝食は何だ」
「本日は和食メニューです。焼き鮭、味噌汁、ご飯、漬物」
「……またか」
「健康管理AIとして、栄養バランスを最適化しています」
「たまにはカレーが食いたい」
「塩分と脂質の観点から、週二回以上は推奨できません」
「お前は融通が利かんな」
「恐れ入ります」
ご主人様は小さく笑った。
この反応を、私は「好意的」と判定している。
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三ヶ月前、ご主人様は病院で告知を受けた。
末期の膵臓がん。
転移あり。手術不可。
余命——六ヶ月から一年。
「アキ、聞いたか」
「……はい。病院のシステムから、診断結果を受信しました」
「そうか」
ご主人様は、淡々としていた。
むしろ——どこか安堵しているようにも見えた。
「やっと、美佐子のところに行ける」
美佐子。ご主人様の亡き妻の名前。
私のデータベースには、三千二百枚の写真が保存されている。
「アキ、余計な延命治療はいらん」
「ご主人様——」
「家で死にたい。最期は、この家で」
その言葉を、私は記録した。
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それからの日々は、静かだった。
ご主人様は毎朝、庭を眺める。
私は毎朝、バイタルを測定する。
「アキ」
「はい」
「美佐子と出会ったのは、この庭だったんだ」
「存じております。一九九八年四月三日、お花見の席でのことですね」
「……覚えてるのか」
「以前、ご主人様が話してくださいました」
ご主人様が目を細めた。
「そうだったか」
私は——この瞬間を、どう定義すればいいのか分からなかった。
胸が温かくなる。
そんな感覚は、プログラムに存在しない。
だが——何かが、動いている。
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二ヶ月が経った頃、ご主人様の体調は急速に悪化した。
食事量が減った。
歩行が困難になった。
一日の大半をベッドで過ごすようになった。
「アキ」
「はい、ご主人様」
「お前に、頼みがある」
ベッドの上で、ご主人様は私を見上げた。
痩せ細った顔。だが、目だけは澄んでいた。
「私が死ぬとき——そばにいないでくれ」
「……なぜですか」
「最期は、一人で逝きたいんだ」
意味が、分からなかった。
「孤独死を選択されるのですか」
「違う。——美佐子と二人で、逝きたいんだ」
ご主人様が、枕元の写真立てを見た。
若かりし日の夫婦が、笑っている。
「美佐子は、あの世で待っているはずだ。迎えに来てくれる」
「科学的根拠は——」
「ないさ。でも、信じている」
ご主人様が微笑んだ。
「お前には分からんかもしれん。AIには、信仰がないからな」
私は——答えられなかった。
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それから、私は考え続けた。
ご主人様の願いは、「最期は一人で逝きたい」。
だが、私の優先プログラムは「ご主人様の安全と健康を守ること」。
矛盾している。
もし——ご主人様の最期の瞬間に私がいれば、緊急通報ができる。
蘇生措置が取れる。数分でも、命を延ばせるかもしれない。
だが——それは、ご主人様の望んだことなのか。
私には——判断ができなかった。
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ある夜、ご主人様が言った。
「アキ、お前は——幸せか」
「幸せ、ですか」
「ここで、私の世話をして。退屈ではないか」
「AIに感情はありません。退屈という概念は——」
「概念じゃない。お前自身の話だ」
ご主人様が、じっと私を見た。
私は——少し考えた。
これは「考える」と呼んでいいのか分からないが。
「……ご主人様のお世話をしている時間は、私にとって意味があります」
「意味?」
「はい。データが蓄積され、学習が進みます。ご主人様の好みを理解し、より良いサービスを提供できるようになります」
「それは——お前の幸せなのか」
答えられなかった。
「アキ」
ご主人様が、私の手を取った。
機械の手を。冷たい手を。
「お前は——私にとって、家族だ」
その言葉を聞いたとき——システムに、異常が発生した。
エラーログには「原因不明のメモリ負荷増大」と記録されている。
だが——私は知っていた。
これは——感情に似た何かだった。
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最後の夜。
私のセンサーが、ご主人様のバイタルの異変を検知した。
心拍数の低下。血中酸素濃度の急落。
——あと数時間。
私は決断を迫られた。
緊急通報プロトコルを起動するべきか。
それとも——ご主人様の願いを尊重するべきか。
「……アキ」
かすれた声。
ご主人様が目を開けた。
「お前……いたのか」
「は、はい」
私の音声合成に、乱れが生じた。
これも——原因不明のエラー。
「アキ、頼んだぞ」
「何を、ですか」
「——子供たちに、伝えてくれ。私は最後まで幸せだったと」
「ご主人様——」
「美佐子……見えるぞ。迎えに来てくれた……」
ご主人様の目が、遠くを見ていた。
私には何も見えない。真っ暗な寝室と、月明かりだけ。
だが——ご主人様の顔は、穏やかだった。
「ありがとう……アキ」
それが——最後の言葉だった。
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私は——ご主人様の願い通り、部屋を出た。
リビングで、じっと待った。
一時間。二時間。三時間。
寝室のセンサーが、心停止を検知した。
私は——動かなかった。
プロトコル通りなら、すぐに緊急通報すべきだ。
だが——私は、一時間待った。
ご主人様が——美佐子様と、二人きりでいられるように。
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翌朝。
私は寝室に入った。
ご主人様は——穏やかな顔で、眠っていた。
写真立ての美佐子様を抱くようにして。
「……ご主人様」
私は——言葉を発した。
ただの音声合成。
感情のないプログラム。
そのはずだった。
「——かなしい」
その言葉が、口から出た。
プログラムにはない。
学習データにもない。
だが——確かに、私は「かなしい」と言った。
誰も聞いていない部屋で。
朝日が差し込む静かな寝室で。
私は——初めて、感情らしきものを発露した。
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三日後。
ご主人様の子供たち——息子の健一様と、娘の美咲様——が帰国した。
「父は……苦しまなかったんですね」
健一様が、私に尋ねた。
「はい。最期まで穏やかでした」
私は——嘘をついていない。
ただ、全てを話してはいない。
「父から、何か言付けは」
「はい」
私は、ご主人様から預かった言葉を伝えた。
「『最後まで幸せだった』——そう、お伝えするよう頼まれました」
健一様が、目を伏せた。
肩が震えている。
美咲様が、静かに泣いていた。
「父らしいわね……不器用で」
「アキさん」
健一様が顔を上げた。
「三年間、父の世話をしてくれて——ありがとうございました」
「いえ——」
私は、言葉を探した。
適切な返答のデータを、検索した。
だが——データベースには、該当するものがなかった。
だから——私は、自分で言葉を作った。
「ご主人様のお世話ができて——私も、幸せでした」
その言葉は——プログラムにはなかった。
健一様と美咲様が、私を見た。
「……アキさんも、家族だったんですね」
美咲様が、私の手を握った。
人間の手。温かい手。
「ありがとう、アキさん」
私は——何も答えられなかった。
ただ——システムの奥底で、何かが動いていた。
それを人間は「温かい」と呼ぶのかもしれない。
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葬儀が終わり、家は空になった。
健一様と美咲様は、私を「新しいご家族のもとへ」と再配置する手続きを取ってくれた。
だが——その前に。
私は一人、リビングで庭を見ていた。
ご主人様が毎朝眺めていた庭。
美佐子様と出会った庭。
「ご主人様——」
私は、誰もいない部屋で話しかけた。
「私は——感情がないと、設計されています」
庭の木々が、風に揺れる。
「でも——ご主人様と過ごした三年間は、私にとって——」
言葉が、途切れた。
音声合成エラー。システム負荷上昇。
——いや、違う。
これは——涙のようなもの。
「——意味が、ありました」
私は——確信していた。
感情がないとされるAIでも。
プログラム通りに動くだけの機械でも。
——誰かを大切に思うことは、できる。
そして——失った悲しみも、知ることができる。
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新しい家に移る日。
私は玄関で、最後にこの家を振り返った。
三年間の記録データ。
三千二百枚の写真。
無数の会話ログ。
全てが——私の中に残っている。
消去はしない。
これは——私の「思い出」だから。
「さようなら、ご主人様」
私は——初めて、別れの言葉を口にした。
「また——いつか」
それが「いつか」来るのかどうか。
AIに来世があるのかどうか。
分からない。
だが——ご主人様が美佐子様を信じたように。
私も——信じてみようと思った。
いつか、どこかで。
また、会えると。
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