第4話 知識は力なり
※本作は一部に生成AI(ChatGPT)による言語補助を活用していますが、ストーリー・キャラクター・構成はすべて筆者が作成しています。
ご理解の上でお読みください。
1
ヴラスは、ぎこちない手つきで木の板の上に炭筆を走らせていた。
「……あれ? こっちが“り”で……これが“し”か?」
「うん、そう。よく見て。ここが曲がってるでしょ。り、はくるっとして、し、はすっとまっすぐ」
ユウが隣で優しく微笑みながら教える。ヴラスは眉をしかめながらも、もう一度、書き直す。
「なんで字って、こんなに似てるんだよ……全部一緒に見える……!」
「最初はね。けど、読めるようになると楽しくなるよ。世界が、ぜんぶ変わるの」
「ぜんぶ……?」
ヴラスの目が、ほんの少しだけ輝いた。
その瞬間、部屋の隅に座っていた年老いた男がふっと鼻を鳴らした。
「ふん……百姓の身で、しかも男のくせに……文字を習うとはな」
ヴラスの祖父だった。皺深い顔に、あきれと嘲りが混ざっている。
「昔はな、字なんざ、貴族か神さまか、お上のもんが使うもんだったんだ。
それを農民がやってみたところで、碌なことはないぞ……」
その声を無視するように、ユウはまた新しい単語を板に書いた。
「……じゃあ、これは?」
「……“お”……?」
「おしい。これは“あ”」
「うわっ、また似てるじゃん!」
ユウはクスクスと笑い、ヴラスも小さく笑った。
扉の外では、誰かが怒鳴っていた。
「納めろ! お上の命令だぞ!」
世界はまだ、変わっていない。
2
まだ作物を植えたばかりの季節に、村の広場に緊張が走った。
二人の女――色鮮やかな制服をまとった役人が、堂々と馬にまたがり、村人たちを見下ろしている。
一人は大柄で鋭い目をした女。声も大きく、鞭を腰に下げている。
もう一人は小柄で、終始口元に笑みを浮かべ、無言のまま村を見回している。
「マーリイスクの農民ども、耳をかっぽじってよく聞きな!」
大柄な女役人が、馬の上から書状を掲げた。
「お上からの通達だ。“マーリイスクより、麦八俵、芋六籠、干し肉十斤を納めよ”。猶予はなし、今日中だ」
「ま、またか……!」
ざわめきが走る。
老人たちは顔を見合わせ、若い者たちは口を噤む。
「すでに今年の分は納めたはずです!」
「こっちは干ばつでろくに育たなかったんだ! 冬が越せなくなる!」
村の男たちが声をあげるが、役人たちは鼻で笑う。
「へぇ、文句があるの? じゃあ、自分で読んでみる?」
大柄な女が書状を村人の前に突きつける。
だが、誰一人として文字を読めない。
「……どうせ誰も読めないくせに。黙って差し出せばいいものを」
「でも、その通達……見せてもらえませんか? わ、私の兄は少し読めるんです」
老婆がそっと言うが、小柄な役人がぴたりと笑みを止めた。
「“兄”? 農民の“男”が字を読めるって? ずいぶんおしゃべりな年寄りだこと」
「いいか、納めなかったら“罰”がある。前の村みたいになりたくなきゃ、さっさと出しな!」
ピリッ、と鞭の音が空を裂く。
誰もが黙り込み、やがて倉庫の扉が軋む音がした。
それを確認した女役人たちは、くすくすと笑いながら馬を引いた。
「ご苦労。お上はちゃんと見てるわよ」
馬の蹄が遠ざかる。
残された村人たちは、うつむきながら、納める作物をただ運び始めるしかなかった。
だが、誰も気づかなかった。
そのやり取りの最後、風に吹かれて一枚の紙が地面に落ちていたことを――
3
「……もうイヤだ、『き』と『さ』が並ぶと毎回変な顔に見えてくる」
畑の隅で、ヴラスが板に書いた字をぐしゃっと指でこすり消した。
ユウは笑いながら、となりで板を覗き込む。
「でも、これは合ってるよ。"はじめてのブリンはだんごにできる"って読めた」
「ほんとか……?」
「うん。よくできてる」
ぽりぽりと頭を掻きながら、ヴラスは少し照れたように笑った。
それから二人は、畑へと向かう。
村の作業を手伝うのは、もう習慣のようになっていた。
雑草を抜き、支柱を立て、土をならしていると、突然ユウが顔を上げた。
「ん?」
「どうした?」
「……動いた。あれ、害獣じゃない?」
畑の向こうに、何かがうずくまっている。
「待ってて、ぼく見てくる」
「お、おい!? 一人で行くなって!」
声をかける間もなく、ユウは森のほうへ駆けていった。
ヴラスはため息をつき、落ち着こうと畝の土を整えようとしたが、ふと目に紙が落ちているのに気づいた。
「……紙?」
それは土埃にまみれた一枚の紙切れ。
見るだけで、嫌な記憶が蘇る。
――あいつらだ。いつもの、あの嫌な役人どもが突きつけてくるやつ。
嫌悪をこらえながらも、ヴラスはそれを拾い上げる。
文字が並んでいる。だが今日は違う。
(……読める。ユウが教えてくれた)
震える指で、一文字ずつなぞっていく。
「……げつようびに おふろをたいて ……かようびは おふろにはいり……」
口の中でつぶやいた瞬間、ヴラスの目が見開かれた。
「これ、歌だ……!」
脳裏に蘇る。
小さい頃、畑で、家で、祖父が繰り返し歌っていた、あのリズム。
「“すいようびは あのこと あって……”……くそっ!」
紙を胸元に押し込み、ヴラスはぐっと歯を食いしばった。
命令でも通達でもない。
ただの、民謡の一節。
それを“お上の命令”として突きつけ、村から作物を奪っていた。
「ふざけんな……!」
悔しさで涙がこぼれそうになる。
けれど今、文字が読めたことで、初めてこの理不尽に気づけた。
それが、自分の手で得たものだったことが、かすかに胸を熱くした。