第6話 ハサミ エイコ
※本作は一部に生成AI(ChatGPT)による言語補助を活用していますが、ストーリー・キャラクター・構成はすべて筆者が作成しています。
ご理解の上でお読みください。
ハサミ エイコ
1
――あの子と初めて出会った日のこと、今でもはっきり覚えておりますの。
わたくしがまだ、石化の眼を上手く使えない頃。
毎日、石蛇家らしくあれと叱られながらも、どうしても屋敷の外を歩きたくなってしまう日がございましたの。
その日もこっそり屋敷を抜け出して、海流の穏やかな場所にある小さな祠――あの神社へ向かったのです。
そして、潮の香りと静けさの中に、彼女はおりました。
「こんにちは」と、先に声をかけてきたのはエイコという女子。
身なりは質素でしたけれど、瞳だけはとてもまっすぐで、濁りひとつなかったのを覚えています。
名家の子どもと庶民が言葉を交わすなど、あってはならぬこと。
けれどあの時のわたくしは、そんなことどうでもよくなってしまったのです。
――あの子だけが、わたくしを“ミっちゃん”と呼んでくれた。
他の誰でもなく、ひとりの友人として。
それがどれほど嬉しかったか……きっと、誰にもわからないでしょうね。
2
それからの日々は、まるで珊瑚のように穏やかで、きらきらと輝いておりましたの。
海が翠玉色になると、わたくしとエイコはあの小さな神社で顔を合わせ――そして、ひとつの秘密を共有いたしました。
それが「交換日記」。
“今日はお母さんが新しい髪飾りを作ってくれたよ!”
“ミっちゃんはどんな本が好き?”
たわいのない言葉のやりとりでしたけれど、あの頃のわたくしにとっては、それが世界のすべてでした。
日記を開くたび、心が温かくなって、息をするのが楽になる。
――わたくし、生まれて初めて「友達」というものを持てたのです。
けれど、あの日。
日記のページに、少しだけいつもと違う文字が並んでおりましたの。
“嫦月国の外に、陸から“宝物”が落ちてきたんだって。
いっしょに探しに行かない?”
……本当は、外に出るなんて許されないこと。
石蛇の娘が領域外へ出たと知られたら、きっと叱られるどころでは済みません。
けれど、あの子が「秘密だよ」と笑ったその顔があまりに楽しそうで……
気づけば、わたくしの手は“行こう”と返事を書いておりましたの。
――それが、すべての始まりでした。
3
宝探しのその日は、澄んだ水のように楽しい一日になるはずでした。
わたくしとエイコは、海草の揺れる道を笑いながら駆けて――光を反射する泡を追いかけながら、小石を拾い集めていたのです。
「ミっちゃん、こっちにもなにかあるよ!」
エイコの声が弾んで、わたくしが顔を上げると、そこには――
見たことのない巨大な“門”のようなものがありましたの。
重々しい金属の質感。けれど、海底にあるはずのない“陸の技術”の匂いがして。
「陸の……もの?」と呟いた瞬間、
上から――影が落ちてまいりました。
それは巨大な蟹のハサミのようなもの。
光る刃が、エイコと門とを一緒に掴み、ずるずると上へ――
あの子の叫び声が、泡とともに消えていったのです。
わたくし、あの時、何もできませんでした。
ただ手を伸ばして、空しく水を掴むばかりで。
その後すぐに騒ぎになりました。
“陸の者が深桜に干渉した”――その事実は、わたくしたちの世界に衝撃を与えたのです。
調査の結果、門の存在も、ハサミの正体も「陸の技術によるもの」と結論づけられました。
それだけでなく、“陸の者に嫦月国の存在が知られてしまった”という恐れまで広がり……。
石蛇の娘であるわたくしは「監督不行き届き」で済まされましたが、
エイコの家族は――「陸との接触を招いた罪」で処刑されましたの。
その日、わたくしは何も言えず、泣くことすら許されませんでした。
祖母――当時の当主は、冷たい目でわたくしを見下ろして言いました。
「お前は石蛇の血を引いているから、生かしてやる。
だがいずれ裳を着たとき、お前は“陸”へ行け。
丹梅か、どこかの者にでも成りすまし、
あの時攫われた雑魚を連れ戻し、石蛇の裁きを下すのだ。」
――「これは罪の継承だ。お前の罰であり、石蛇の贖罪だ」と。
わたくしは、ただ黙って頷くことしかできませんでした。
あの子を失った悲しみも、あの家の怒りも、
すべてがこの身に封じられてしまったようで……。
……そして、今。
約束の時が、近づいているのです。
4
海から陸へ上がる日。
その日の海の色は深い深い藍色だった。
ミチルは白い法衣の上から外套を羽織りながら、鏡をじっと見つめていた。
背後では、侍女が手際よく準備を進めている。
金属の小瓶に入った液体を恭しく差し出すと、
その液体は淡い緑色に光り、瓶の内側をゆらゆらと揺れていた。
「――これが適応薬でございます」
「ええ。知っているわ」
ミチルは小さく頷き、瓶を手に取る。
その手は、ほんのわずかに震えていた。
(あの時……あの“ハサミ”が丹梅のものだったら。どんなに、よかったことでしょう……)
誰に聞かせるでもなく、静かに呟いてから、
ミチルはその液体を一気に飲み干した。
瞬間、喉の奥から灼けるような熱が広がり、
全身を刃物で刻まれるような痛みが襲う。
感覚毛は退化し、血管が浮かび上がり、身体の輪郭がぐにゃりと歪んだ。
「っ……ぁ……!」
耐えきれず膝をつくミチルに、侍女が駆け寄るが、
ミチルは手を上げて制した。
「……平気。これが、“代償”なのですから……」
息を荒げながら立ち上がる。
その瞳は、痛みに濡れてなお、揺るがない決意で満ちていた。
リンの部下たちが運んできた“浮上ポット”が、ゆっくりと前に押し出される。
水中でありながら、その装置は陸の機械のように冷たく光り、
鉄と珊瑚の融合したような外装が不気味な存在感を放っていた。
「準備は整いました。――ミチル様」
リンの声が通信越しに届く。
ミチルは最後に一度だけ、故郷を振り返った。
「……行ってまいります。
これは罰。けれど――あの子が、まだ陸のどこかにいるのなら……」
浮上ポットの扉が閉じる。
青い光が彼女の身体を包み、
次の瞬間、泡と轟音を残して、海の闇を突き抜けるように上昇していった。




