第11話 信念:後編
※本作は一部に生成AI(ChatGPT)による言語補助を活用していますが、ストーリー・キャラクター・構成はすべて筆者が作成しています。
ご理解の上でお読みください。
1
――夜明けの空が、静かに薄桃色に染まり始めていた。
イヴァンカは、くたびれた翼をゆっくりとたたみながら、かつて家族と暮らしていた小さな村に降り立った。まるで時間が止まってしまったかのように、村は眠っていた。だがイヴァンカの腕の中に抱かれた小さな身体だけが、確かにこの場所に“来た”という証だった。
小屋の中は、昔と変わらず質素だった。埃を払い、わずかに残っていた布と、隣村で金を出して買ってきた化粧道具と、ドレス。それらを使って、イヴァンカは少女の身体に静かに触れていった。頬に色を差し、唇に微かな赤を。肌に浮いた青痣を見ては手を止め、震える指でそれを隠した。
髪は短く、不揃いに切られていた。けれど、かつての輝きを思いながら、梳いて、編んで、リボンで結んだ。
彼女が一番最後に着ていた、ボロボロになった高価なドレスを、丁寧に縫い直して、着せる。まるでそれが彼女の「選んだ最後の姿」であるかのように。
そして、金貨をかき集めて買った、一番高くて美しい棺。
そこに静かに寝かせた彼女の胸のそばに、布でできたモコシちゃん人形を添えた。少しほころびはあるけれど、それでも少女がずっと大切に持っていた形見。
土を掘ったのは、実家の庭だった。昔、皆で花を植えた場所。笑い合いながら泥だらけになった場所。
棺が静かに地中に沈み、土が戻されていくたびに、イヴァンカの胸の奥から、冷たい感情が膨れ上がっていった。
罪悪感、悔しさ、虚しさ、そして――後悔。
「あの時、あのまま外へ出なければ……
あの時、あの子にモコシちゃんを渡さなければ……
……この子は……死なずに済んだの……?」
指の隙間から、温かいものがぽつり、と零れた。
それは涙だった。
魔女として生まれて、涙を流すことが許されなかった彼女の、初めての涙だった。
どんなに顔を覆っても、どんなに声を殺しても、堰を切った涙は止まらなかった。
嗚咽が喉を突き破り、静かな村に、かつての少女の悲鳴のように響いた。
そしてイヴァンカは、その墓の前で、ひとり崩れるように座り込んだ。
魔法も、力も、勇気も、何もかもが、あの子の笑顔一つすら守れなかった。
それが、イヴァンカが初めて知った、「戦争の代償」だった。
2
ひんやりとした風が、かつて王族の法が読み上げられた議事堂の割れた窓から吹き込んでいた。
その広間の中央には、今や“王家打倒”を果たした革命の象徴である三姉妹の姿があった。
イヴァンカは無言で、傷ついた机の端に立ち尽くしている。
中央では、タラシオサとシモーネが激しく意見を交わしていた。
「秩序が必要なのよ、タラ。戦のあとの混乱でまた民衆が好き勝手始めたら、王政と何も変わらないじゃない。」
シモーネは軍服の袖を揺らしながら語気を強めた。「暫定軍政で統率をとって、国が安定してから民意に移行すればいいの。」
「それじゃ遅すぎるの、シモーネ。もう、民衆は待てない。王家の暴政に苦しんだ人たちが、今、自分の意志で国を作ろうとしてるのよ。」
タラシオサは持ち歩いていた民政案を机に広げ、静かに訴える。「軍は解放者であって、支配者じゃないわ。」
「それは理想論よ、タラ。あの王女――見つけ出せていない、唯一の王家の血統がどこかに生きてるかもしれないのよ?」
シモーネの目が細められる。「その存在ひとつで、国はまた王政に引き戻されかねない。」
「だからこそ民の信託が必要なの。王女が生きていたとしても、民の声があればもう戻れない。」
ふたりの言葉は、鋭い刃のように交差していた。
その間に立つイヴァンカは、ただ静かに両手を前で組み、顔を伏せていた。
「ねぇ、イヴァンカ」
タラシオサがふと口を開く。「あなたは、どう思ってるの?」
イヴァンカは答えない。黙って窓の外に視線を向ける。
「革命のときはあんなに活き活きしてたのに」
シモーネがぽつりと呟いた。「王家に向かう先陣のとき、あなたの目は燃えてた。…でも、あの日から変わった。王女一家が確保されたって報せのあった、あの夜から。」
タラシオサが、はっとするようにイヴァンカの横顔を見る。
「ねぇ、イヴァンカ。あなた……王女のことで何か、知ってる?」
イヴァンカは答えなかった。
ただ、香水の香りがかすかに揺れた。だが、かつて心を奮い立たせてくれたその匂いも、今はもう何も訴えかけてこなかった。
「ごめん、少し空気を吸ってくるわ。」
低く、それだけを呟いて、イヴァンカは議事堂を後にした。
彼女の背中に、二人の姉はそれぞれ異なる思いで視線を送る。ひとつは“革命の継続”を、もうひとつは“新しい民の国”を信じて――。
そしてイヴァンカだけが、“あの少女”がすでにこの世にいないことを知っていた。
3
革命の火は収まり、だが三姉妹の道は一本にはならなかった。
政治理念の違い、未来像の乖離――結局、それぞれが異なる自治区を治めることになった。
イヴァンカが選んだのは、かつて父や姉たちと住み、そして、あの少女を埋めた村。
彼女の「始まり」と「終わり」が交差したその地に、イヴァンカは新たな命の拠点を築くことにした。
朝靄の中、村の中心に白く浮かび上がるドーム状の建物。
それは、農業研究所――作物の耐性や収量を改良し、民の飢餓と貧困を断ち切るための砦だった。
その基礎は、少女の墓の真上に据えられている。
彼女が死に、土に還った場所にこそ、生の未来を築くべきだと、イヴァンカは信じた。
館の中、白い廊下をゆっくり歩くイヴァンカの足音が、やわらかく響く。
彼女の目は、壁に飾られた設計図でも、すれ違う研究員でもなく、遠い記憶を見つめていた。
「ねえ、畑にお花咲かせてもいい?でも食べられないなら意味ないかな」
「いいのよ。お花も、畑を守る立派な理由になるから」
「ふふん、じゃああたしが“花の守り人”だね!」
思い出すのは、無垢な笑顔。
生きたかったはずの命が、何の罪もなく散っていった事実。
「これは…あなたのための、最大の弔いなの」
その研究所が完成した日、彼女は静かに言った。
長い間、飢餓に苦しんできた民を救うため、そして、自らが手にかけてしまった唯一の友を悼むため。
この村を、イヴァンカは自治区の首都と定めた。
本当は、彼女の名前を都に冠したかった。だが――
「……だめだわ。姉さんたちも、民も…まだ王家を許せていない」
だから、あの子の名は隠された。
代わりに、彼女と自分を繋いだ小さなぬいぐるみ――モコシちゃん人形の名を借りた。
「この都の名は、モコシュスカヤ」
その名が記憶に刻まれるとき、誰かの心の中で、きっと彼女の魂もまた生き続ける。
死の上に築かれたこの命の都が、いつか過去の呪いを癒やす光となることを願って。
ドームの天頂に差し込んだ朝の光が、白い床をやさしく照らしていた。
4
照明がなくとも明るい無機質な部屋の中、
磨き込まれた木製のドレッサーの前で、イヴァンカはじっと己を見つめていた。
鏡の中には、かつての少女をなぞるように整えられた自分がいた。
形のよく整えられた前髪、淡く微笑むような口元、そして――
どこかに、あの少女の面影を宿した眼差し。
「……本当に、似てしまったわね」
その声は、懺悔でもあり、祈りでもあった。
イヴァンカは手元の小瓶を取り、慎重に香水を耳の裏に塗った。
かつて彼女がくれた香り。記憶の中で笑う声が、胸の奥でふっと揺れる。
この姿は、少女への赦しであり、贖罪だった。
そして同時に――これから向かう戦場に、彼女が纏っていた「優しさ」を連れていくためでもあった。
「もう、同じ間違いは繰り返さない」
鏡の奥にいるのは、もはやただの“魔女”ではなかった。
革命の英雄でも、自治区の統治者でもない。
ただ一人の友を想い続ける、“イヴァンカ”その人だった。
窓の外では、兵たちが次なる衝突の気配に緊張を強めている。
シモーネは、再びイヴァンカを求めていた。政治的な意味だけではなく、きっと、心のどこかで。
けれど、イヴァンカの決意はそれよりも遥かに明確だった。
「命を守る」。ただ、それだけ。
「私が行くの。私の手で終わらせるの。今度こそ、何も、失わせない」
ドレッサーの引き出しから、古びたリボンを取り出す。
かつて少女が使っていたものに、似た色合いの。
髪を結び直し、深呼吸をひとつ。
そして、ゆっくりと扉を開けた。
朝の光が、彼女を迎えるように差し込んだ。
少女を模した姿で――だが、その足取りは確かな統治者として。
イヴァンカは民の命を守るため、自らを差し出す覚悟で、外の世界へと歩み出していった。




