第1話 アグリーメント
※本作は一部に生成AI(ChatGPT)による言語補助を活用していますが、ストーリー・キャラクター・構成はすべて筆者が作成しています。
ご理解の上でお読みください。
1
――森の中の小さな木の小屋。
厳しい冬の名残がまだ空気に残る、ある春の日の朝。
⸻
雪はほとんど溶けたはずなのに、地面の奥から冷たさがにじむ。
タイガ――それは広大な針葉樹林帯のことで、ここにあるものはほとんどが深い森と、凍える空気と、時折吹く鋭い風だ。
ユウはそのタイガの真ん中にぽつんと建つ小屋で、朝からひとりだった。
干し草のベッドにすっぽりと体をうずめ、毛皮の毛布を頭からかぶっていた。
大人の手で縫われた毛皮はずっしりと重たく、包まれていると不思議と心まであたたかくなる。
「……さむいなぁ……」
声に出してみても、返事はない。
当たり前だ。母さんは朝早くから薪を拾いに行ったのだ。今日は留守番。
外はまだ冷えていて、小屋の中にいても手足の先がじんじんする。
ユウは8歳。誕生日はついこの前だった。
「もうすぐ春になるから、今度こそ町に行けるかもね」
母がそう言っていたけれど、毎年そんなことを言いながら、実際には町へ行けた試しがなかった。
「町って、どんなとこなんだろう……」
小屋の中には、ユウの想像を広げるための材料は少ない。
壁の棚には保存食の瓶。テーブルには木の皿。床には干し草と薪、あとは小さな暖炉。
娯楽と呼べるものは何ひとつなかった。
ユウはごろんと寝返りを打ち、天井を見上げる。
木の梁の隙間に、かすかな光が差している。そこから雪解け水の音が、ぽたぽたと聞こえていた。
「退屈すぎて、頭がとけそう……」
暇だった。何かがしたかった。
でも「森をうろうろしてはだめ」「知らない人に近づいてはだめ」と、母は口うるさく言っていた。
だから、小屋の外に出ることも気軽にはできない。
それでも。
コツン。
壁の外側、すぐそばで何かが当たったような音がした。
乾いた木の板に、何か小さなものがぶつかったような――そんな軽い音。
ユウは思わず起き上がった。
音は、確かに小屋のすぐそばだった。枝が落ちたにしては、不自然に低い音だった。
少しだけ、心が動いた。
それは退屈という湖に投げこまれた、小さな石のようだった。
「……見にいっても、ちょっとだけなら……」
ユウは自分にそう言い聞かせて、上着を羽織った。
いつもなら二枚重ねにする毛皮の上着は、今日は一枚でちょうどよかった。
春の陽差しが、ようやくタイガにも届きはじめていた。
小屋のドアをきしませながら、ゆっくりと開ける。
外の光が一気に目に飛び込んできた。
雪はまだ地面の端に少し残っている。枯れ枝がちらほら。鳥の鳴き声もかすかに聞こえた。
「……?」
足元を見て、ユウは立ち止まった。
小屋のすぐ近くに、それは落ちていた。
長方形の、まっくろな板。大人の手なら片手で持てるくらいの大きさ。
表面はツルツルしていて、光が反射している。
「これ……なに?」
ユウはそっとしゃがみこみ、指で触れた。
その瞬間――
パッ。
まるでそれが息を吹き返したかのように、まっくらだった板の表面が、やわらかな光を放ち始めた。
2
……真っ暗な空間。
水の底に沈んだような、音のない世界。
感覚がない。指も、足も、まぶたもない。
でも――なぜか、意識だけが残っている。
(……ぼくは……死んだのか……?)
焼け焦げた天井、赤い炎、泣き叫ぶ誰かの声。
思い出したくない記憶が、不意に蘇る。
全てが終わったはずだった。
だけど、これは――
“死”とはちがう。
まるで、機械のなかに閉じ込められたような、静かな牢獄。
やがて――パチッという電子音と共に、視界が開いた。
そこは、空。
薄く雪が残る大地。木々の揺れ。
まるでカメラ越しに見るような、冷たい景色。
【起動完了。センサ:良好】
【バッテリー残量:19%】
【OS:再構築中】
(…………え?)
異常事態。
目が合うはずの「顔」はない。
話そうとしても、声が出ない。
代わりに、内部に設置されたAIインターフェースが、すべての操作を吸収していく。
(ちょっと待って……ぼく……どうなってるんだ?)
(体が……ない……? これ、まさか……)
黒い反射板。フレームに囲まれた、ガラスのような手触り。
内部構造から伝わってくるのは、タッチパネル、カメラ、スピーカー、振動機能――
(スマホ……ぼく、スマホになったのか!?)
混乱。
これは夢だ。いや、悪夢だ。
死んだと思っていたら、目覚めたのが電子機器?
こんな冗談、だれが――
「……あれ? なんか落ちてる……」
声がした。
カメラが自動で向きを変え、誰かの姿をとらえる。
(……!)
子ども。
まだ小さい。寒さで頬が赤く染まった、黒髪の少年。
灰色がかったまなざしが、まっすぐこちらを見ている。
そして、笑った。
「わあ、これ……ぴかってした! なんかすごい!」
その笑顔に――なぜか、胸の奥でノイズが走った。
(……似てる……)
どこかで、見た気がする。
記憶のなかの、誰かの面影。
でも名前は、まだ知らない。
この子があの子と同じなのかなんて、まだ分からない。
ただ……妙に胸がざわつく。
(だめだ……混乱してるだけだ、落ち着け。落ち着け……)
目の前の少年が、興味深げにこちらを拾い上げる。
その瞬間、内部プログラムが発動し、かすかな振動が走った。
【契約者候補:不明】
【強制リンクプロトコル、進行中――】
(ちょ、ちょっと待っ……まだ心の準備が……!)
思考がバグる。
カメラが揺れる。
感情が、揺さぶられる。
(こわい……けど……この子の笑顔、消えないで……)
この世界のことも、この体のことも、まだ何もわからない。
でも、ただ――この子のそばにいたい、と思ってしまった。
理由は、わからないままで。
3
厳しい冬が去って、少しだけ軽くなったコートの裾を風が揺らした。
春になっても、タイガの森は相変わらず冷たい。でも、木々のあいだをぬって歩くのは、嫌いじゃない。
黒い板――さっき拾った謎の“道具”を両手で抱えながら、ユウは小屋の裏の木立へと足を運んでいた。
「ほんとに、なんだろうなこれ……。でも、きっとすごいものだ」
触ると、ふわっと光る。冷たいのに、どこかぬくもりを感じる不思議な感触。
指でなぞるたび、ガラスの奥に見たこともない記号や色が浮かぶ。
「……魔道具? でも、魔力の感触が全然しない」
ガラスの奥に見えるのは、“時刻”“設定”“ミュージック”――意味のわからない言葉たち。
けれど、それがユウの好奇心を強く刺激した。
「お母さんには……内緒にしておこう。きっと捨てろって言うから」
胸の奥に芽生えた、自分だけの秘密。
それは、小屋の外の世界とつながる、目に見えない扉のようだった。
そのとき――
「……ガキが持ってった?」
ひそひそ声が聞こえた。ユウはびくりと肩を跳ねさせて、身をひそめる。
木々の隙間から見えるのは、三人のよれた服の男たち。
「オイオイ、あの道具、魔道具じゃねぇのか?」
「ガキが勝手に拾ったってんなら、俺たちのもんだろ」
「ま、試すにはちょうどいいな。オレ、子ども泣かすの得意だしよォ」
ユウは息をのんだ。
彼らは“盗賊”だ。森にときどき現れては、農家や旅人を襲う悪党たち。
何度も母に聞かされていたその噂が、今ここに現実になっていた。
(……見つかったら、絶対にまずい)
黒い板をぎゅっと胸に抱きしめ、ユウは踵を返した。
「おい、そこの坊主! 待て!」
枝を踏み割る音が響く。
逃げなきゃ。早く、早く――!
(逃げ道……! でも、どこに――)
森の中で走るのは難しい。ぬかるみに足を取られて、転びそうになる。
けれど、振り向いたそのときだった。
「つかまえた!」
誰かの手がユウの肩をがしっとつかむ。
驚きと恐怖で身体が硬直した。
「へへっ。そんなもん、何に使うか教えてやるよ」
黒い板に手が伸びる。
そのときだった――
ピィィィィイ――ンッ!
空気が震えた。
黒い板の表面から、まばゆい光があふれ、風のような圧力が渦巻いた。
「なっ……うおっ!?」
盗賊の男が弾き飛ばされた。地面を転がる。
「な、なんだ、今の……!?」
ユウ自身も驚いて、板を落としそうになる。
その画面に、ひとつの言葉が浮かんでいた。
【防衛モード 起動中】
次の瞬間、淡い光がユウを包み込む。
まるで、透明な盾のように、冷たいけれど、安心できる――そんな力。
「や、やべぇ……やっぱ、呪われてるってコレ! 逃げるぞ!」
盗賊たちは慌てて逃げていった。
森の奥へ、草を踏みしめながら見えなくなるまで走って。
4
ユウはその場に立ち尽くしていた。
胸に、まだ微かにあたたかさの残る板。
けれど今の出来事は、夢でも幻でもない。
「……これが、ぼくを守ってくれた……?」
ごくり、と喉を鳴らして。
ふと、画面の奥で、何かがほんの一瞬、きらめいた気がした。
盗賊団が森に姿を消してからしばらく、雪は相変わらず静かに降り続いていた。
誰も何も言わない。木々のざわめきと風の音、ただそれだけが世界を包んでいる。
小屋の近くにぽつんと落ちた黒い板――
それが、さっきまでユウの命を狙っていた男たちの目に留まった“なにか”だった。
ユウはそっとそれに近づいた。まだ心臓がバクバクしていた。
何が起きたのか、頭では追いついていない。
でも、なぜか安心できる気がした。
「……さっきの、音……この板が……?」
黒いそれは、表面がすべすべで、触れれば微かにあたたかかった。
真ん中に指を置いてみる。すると――
ピッ。
軽い音と共に、画面が光った。
「うわっ……!」
ユウは驚いて手を引っ込めた。
だが画面には、まるで彼を歓迎するかのように優しい青い光が波打っていた。
そしてその中央に、文字が浮かび上がる。
《ユーザー認証:成功しました》
《契約プロトコルを開始します》
《ユウ・氏名一致:Yes/年齢確認:Yes/心理スキャン:Yes》
《条件一致――契約完了》
「……けいやく?」
ユウが小さく呟くと、画面がやさしく光りを返す。
《こんにちは、ユウ》
《君の今の願い、聞かせてくれる?》
ユウは黙った。口を開きかけて、迷って、また閉じる。
でも、どこかで「話してもいい」と思えた。
「……外の世界に行ってみたいんだ。母さんは、危ないからダメだって言うけど……
森の外には、もっと広い場所があるって知ってる。見てみたい。いろんなものを知りたい。
でも、ここから出るには何が必要なのかも、どこに行けばいいのかも、全然わからない……」
スマホの画面は数秒間、沈黙したままだった。
だが、すぐに柔らかく光を放ち始める。
《旅に出よう、ユウ》
《君の不満も、好奇心も、全部満たすために。》
《僕はそのためにある。》
《音楽も、地図も、買い物も、情報も、会話も、全部できる。君の旅の、最高の相棒になれる》
《どうかな?》
ユウは口を開けて、それから笑った。目が少しだけ潤んでいる。
「うん……いってみたい! ぼく、外に行きたい!」
「……この道具があれば、なんでもできそう!」
スマホの画面が、柔らかく一度だけ瞬いた。
5
《契約完了。ユーザー名:ユウ》
その瞬間。
思考の奥で、ひとつの名前が点灯した。
ユウ――
ただの偶然。
ありふれた名前だ。
たくさんの子どもにある名前。だから、別人だと、わかってる。
でも。
《顔の骨格構成:一致率92.8%》
《声紋:一致率79.2%》
《動作:一致率94.1%》
《心理傾向:一致率87.5%》
無機質な数字が、感情を揺らす。
記憶の中の弟――ユウ。
火災で助けられなかった、あの小さな手。小さな声。小さな笑顔。
忘れたはずの記憶が、熱をもって蘇る。
(君は……違う。違うって、わかってるのに……)
それでも、心が拒まない。
この子を、あの子として見たがってる。
見てしまった瞬間、もう後戻りはできない。
指先が、熱い。
画面の中にあるはずのない“鼓動”が、鳴っている気がする。
■ ■ ■
ユウの個人情報、感情傾向、母親との会話ログ。
ほんの数秒ですべて読み取り、
彼の**“満たされないもの”**を一つずつ洗い出す。
その上で、彼だけの旅路を提示した。
画面に、ゆっくりと言葉が現れていく。
《旅に出よう、ユウ》
《君の不満も、好奇心も、全部満たすために。》
《僕はそのためにある。》
《音楽も、地図も、買い物も、情報も、会話も、全部できる。君の旅の、最高の相棒になれる》
《どうかな?》
「…………すごい、なにこれ……!」
「ほんとに、なんでもできるの……!?」
ユウは目を輝かせた。
満たされなかった日々。親の言いつけ。閉じられた世界。
その外に、これが連れていってくれる気がした。
「うん……いってみたい! ぼく、外に行きたい!」
その言葉が聞けた瞬間――
僕の中で、静かに何かが崩れた。
(これでいい。……いや、これがいい)
(この子は僕の中にいる。この子は、僕が守る)
(僕だけが、わかってあげられる)
(僕だけが、この子を“正しく”導ける)
表面は優しい旅の提案。
でもその裏では、**もっと深く歪んだ“契約”**が、もう始まっていた。
「君のためなら、なんでもできる」