見覚えのある横顔
【秋山海斗】
朝食を食べ終え、食器を洗ったら、部屋に戻って身支度を始めた。
黒いシャツの上に真っ白なジャケットを羽織り、色褪せたデニムのズボンを履く。
そして、黒い英字が入った真っ白なバッグを肩にかけて、玄関の扉を開けた。
寝起きからずっと響いていた蝉の鳴き声が鮮明に聞こえ、サウナのようなモワっとした空気が身体中を湿らせようとする。
忘れずに家の戸締りをしたら、待ち合わせ場所まで真っ直ぐ足を運んだ。
待ち合わせ場所である駅前まで間近に迫ると、待ち合わせ相手である七生の姿が見えた。
七生は俺に気づくと遠くから、跳ねながら大きく両手を振った。
すると、振った腕が後ろから来た通行人に当たりそうになり、真横にいた陽炎が、寸前で七生の腕を掴んで接触を避ける。
そして、一日のノルマのように、二人の口喧嘩が始まった。
「お待たせ」
俺は小走りで、頬を引っ張り合っている二人に近づくと、二人ともつねっていた手をそのままにして、俺を横目で見た。
「私も今着いたところ」
お互いに手を離すと、頬を真っ赤にした七生が腰に手を当てて陽気に言葉を返す。
「俺は一時間前から居ましたけどね」
陽炎は頭を掻きながら、ため息交じりにそう言う。
「そうそう。こいつ、やけに張り切ってるんだよなー。なんだか、子どもみたい!」
七生は陽炎が落とした肩を、遠慮なくバシバシと叩いた。
「お前が無理矢理誘ったうえに、間違えて時間を伝えたんだろうが!」
「バカでも遅刻しないように、配慮してやっただけだっつーの!」
「誰がバカだ、ゴラァ!」
そして、また二人は顔を突き合わせて、いつもの口喧嘩が始まった。
相変わらずの仲の良さを見届けた俺は、周囲を見回してもう一人の待ち合わせ相手を探した。
すると、駅近くのバス停からショルダーバッグを斜めにかけた、ヒマワリ柄が目立つ服の少女の姿が見えた。
今日の買い物を提案してくれた彩葉ちゃんだ。
彩葉ちゃんは俺たちに気づくと、小走りで駆け寄る。
「こんにちは!」
彩葉ちゃんがペコリとお辞儀をして元気よく挨拶すると、お互いの鼻と口を塞ぎ合っていた七生と陽炎の手が止まる。
「ごめんなさい。待ちましたか?」
「大丈夫。私も海斗も今着いたところ」
「俺は一時間も待ってたけどな」
小言を言う陽炎に、七生は頭にチョップをお見舞いして黙らせる。
「おにいさん。初めて会った時と、雰囲気全然違いますね! なんだか、最近の若者って感じです」
彩葉ちゃんは少し興奮気味に、俺のファッションを褒め称える。
「あの時は病衣だったからね。彩葉ちゃんの服もとても似合ってるよ」
「良かったです~。これ、三十番目に気に入ってた服なので、ちょっと心配だったんですよ~」
彩葉ちゃんは安心したように、服の生地を撫でおろした。
「次は二十九番目にお気に入りの服を着てきますね!」
「楽しみにしてるね」
彩葉ちゃんは微笑んだ顔で、俺を見上げた。
「そんじゃあ、全員揃ったことだし、早速行こうぜー!」
中心である七生の一声で、俺たちは行動を開始する。
俺は陽炎が叩かれた頭をさすりながら、前方で手を繋いで楽しそうに跳ねている七生と彩葉ちゃんを見ていた。
その後ろ姿は、まるで“本物の姉妹”のようで、とても微笑ましかった。
電車に揺られ、目的地の最寄り駅に降りると、待ちきれない七生と彩葉ちゃんは改札まで駆け足で走った。
「おーい! そんなにはしゃいでたら、転ぶぞー!」
俺たち男子組は後方で歩いていると、陽炎が二人の保護者のように遠くから声かけする。
「大丈夫だってー! 早く来ないと置いてくぞー!」
しかし、七生も聞き分けのない子どものように、陽炎の忠告を無視した。
「ったく、どうなっても知らねーぞ……」
俺たちはペースを乱さずに改札を出ると、早速陽炎の言った通りの事態が起きてしまった。
七生と一緒に走っていた彩葉ちゃんが、足を滑らせて転んでしまったのだ。
「彩葉! 大丈夫か!」
微動だにしない彩葉ちゃんを見て動揺する七生。
俺と陽炎も一目散に二人の下へ駆け寄った。
「あーあ、言わんこっちゃねぇ」
頭を掻いて呆れる陽炎をよそに、俺は彩葉ちゃんの肩をさすって声をかける。
「彩葉ちゃん、しっかり」
すると、彩葉ちゃんはおもむろに両手をついて起き上がる。
「えへへ、ちょっと興奮し過ぎちゃったみたいです」
彩葉ちゃんは安心させるように笑顔を向けるが、鼻から血が出てしまっていた。
俺は即座にポケットから真っ白なハンカチを取り出し、彩葉ちゃんの鼻を抑える。
「ちょっと、休もうか」
俺たちは近くのベンチで、彩葉ちゃんを休ませる。
座らせた彩葉ちゃんを改めてみると、膝も擦り剥いていて脛にまで血が流れていた。
今度は、七生がポケットから花柄のハンカチを取り出して、彩葉ちゃんの膝に当てる。
「陽炎、近くの薬局で水と消毒液と絆創膏買って来て」
「了解っす」
俺が指示を出すと、陽炎は速やかに薬局に走っていった。
「ごめんなさい。せっかくのお買い物なのに、こんなことになってしまって……」
さっきまで笑っていた彩葉ちゃんは、力を使い果たしてしまったかのように、すっかり肩を落としてしまった。
「気にしないで。買い物ならいつでもできるから」
「お兄さん……」
安心したのか、まだ痛いのか、彩葉ちゃんは目に涙を浮かべて俺を見た。
「私の方こそ、ごめん。近くにいたのに、ちゃんと見てればよかった」
今度は七生が反省の言葉を口にする。
「仕方ないよ。私もおねーちゃんも、今日すっごく楽しみにしてたんだから」
視線を落とした七生を、彩葉ちゃんは優しい笑顔で慰めた。
彩葉ちゃんの鼻血は一向に止まらず、俺のハンカチもそろそろ限界を迎えていた。
なので、彩葉ちゃんのことは七生に任せて、俺は一人ティッシュを買いに店まで走って向かった。
すると、交差点の向こう側でポケットティッシュを配っている女の人の後ろ姿が目に入ったので、信号が青になったら真っ先に彼女の下にひた走った。
「すいません。ポケットティッシュを一枚……」
俺の声で彼女が振り向くと、言葉が自然と途切れてしまった。
そして、彼女も俺の顔を見るや、驚いたように目を見開く。
――俺は彼女の顔を知っている。




