一人きりの探検
~old memories~
【淡々とした少年】
「……これで終わり」
掃除のロッカーをぱたりと閉じて、放課後の日直の仕事を終えた。
本来なら僕以外にも日直はもう一人いるのだけれど、当の本人は帰りの号令を済ませるや、サッカーボールを持って何人かの友達と集団でそそくさと教室を出てしまった。
これが初めてじゃない。
僕と一緒になった人たちは皆僕を避けるように、何かしらの理由をつけて日直の仕事をサボることが多かった。
ランドセルを背負って教室を出ると、同じ当番の子が校庭で皆とサッカーをしている光景が窓から映る。
彼らのように感情を表に出せない僕は、きっと皆には薄気味悪く映るのだろう。
当たり前だと思っていることに、感情なんて湧かない。
同じ輪の中にいても、繋がるものなんて何一つないのだから。
誰もいない廊下で、僕の足音が高く響いていた。
◇
【秋山海斗】
俺の朝は目覚まし時計にたたき起こされてスタートする。
いつも通り顔を洗い、いつも通り台所で朝ごはんの支度をし、いつも通り出来上がった料理をテーブルに置く。
ここまではこれまでと変わらないが、その後は誰も使っていなかった部屋に入った。
そこにはベッドでうずくまった一人の女の姿がある。
彼女の名は春香由紀――少し前からこの家に住み始めた同級生だ。
表向きでは彼氏彼女の関係ということにしているが、実際のところどうすればそういう関係になるのかよくわからないのが俺の本音だ。
とにかく今はぐっすりと寝ている由紀の肩をゆすって起こそうとする。
「朝御飯できたよ」
「……今夜はもうだめ~」
由紀はまだ夢の中にいるようだ。
ワイシャツ一枚に下着だけと、やけに涼し気な格好で寝ている。
布団を抱き枕にし、丸めた背中からちらりと腰部が見えていた。
こんな時に一瞬で目を覚まさせる方法を俺は知っている。
スタスタとリビングに戻り、冷蔵庫から取り出した氷を一つ持ち出し、俺は由紀のうなじに直接当てた。
多少強引かもしれないが、俺にもタイムリミットはあるのだ。
「ひゃあっ!」
由紀は変な悲鳴を上げ、飛び起きた。
「おはよう」
「うぅ~ん、おはよう」
うなじをさすりながら、眠そうに挨拶を返す。
いい加減に起こしたせいで、少し機嫌が悪そうだ。
「朝御飯できてるから」
喋る気力もなかったのか、由紀は「ん~」と小さく唸りながらベッドから降りると、よろよろと部屋を出て行った。
一仕事終えて、俺は部屋にあった時計をちらりと見る。
時計の針がさしているのは八時五十分。
この時計に一分一秒の狂いもない。
今日のバイトは九時から開始で、徒歩十分の所にある。
なので、俺はパンを口に咥えながら、急いで出かける準備をし、玄関で靴を履いた。
「あれ……海斗君出かけるの?」
洗面所から出てきた由紀が、目をこすりながら低い声で訊いてくる。
「バイト行ってくる」
俺は加えたパンを嚙みちぎって、由紀にそう伝えた。
「うん……ひっへはっはーい」
欠伸が交ってるせいで何を言ってるのかわからなかったが、多分「いってらっしゃい」と言っているのだろう。
とにかく俺は間に合わせるため、駆け足でバイト先に向かった。
こんなに忙しない朝は初めてだ。
【春香由紀】
海斗君の家に厄介になって数日が経った。
あの日から私は海斗君のお金で必要最低限の生活用品を買ってもらい、ひとまず一般家庭と変わらない日々を送ることができている。
一方、生活面では海斗君が慌ただしそうに家を出入りしているのを、私は適当に送り迎えをしているだけだった。
昼間の一人の時間はずっとソファで寝転がっているだけ。
掃除も洗濯も全て海斗君が朝のうちに終わらせてしまうから、やることが無い。
いつもなら夜に大仕事があるのが私の常日頃だったけれど、バイトで疲れている海斗君はお風呂から出ると自室に直行して一人で寝てしまう。
海斗君は基本的に何も言わないし、私から何かしようと思っても疲れていたら申し訳ないと遠慮してしまう。
なので、私も何もせずに海斗君から貸してもらった部屋に戻り、一人の夜を過ごす日々を送っていた。
今日は海斗君の冷たい氷で飛び起きて、寝ている時と変わらない服装で家の中を歩く。
眠い目をこすりながらリビングに足を踏み入れ、窓から零れる日の光を浴びてうんと腕を伸ばし、今日一日のエネルギーを吸収した。
海斗君はバイトがあるようなので、この家の留守番が私の主な役目になる。
朝食を終えたら食器を適当に水に浸たら、ソファに寝転がり思い切り背伸びをした。
――とても暇だ。
生活に必要最低限のものしかない、なんとも彩に欠ける空間だから、面白そうなものは一切ない。
なので、今日は暇つぶしに、海斗君の部屋を探索しよう。
私はソファを離れて、新しい発見に胸を膨らませながら海斗君の部屋の扉をゆっくりと開ける。
ただ、ドアから見て抱いた私の第一印象は、一言で言うと味気ない。
一度も使ったことがないと言わんばかりのピカピカの机に、折れ目も書き込みも付箋もない学校の教科書が机の棚にずらりと並んでいて、あとはベッドがポツリと置いてあるだけだった。
しかし、これはこれまでの経験からなる勘だけど、男の人のベッドの下には必ずと言っていいほど例のブツがある。
一見普通の男の人でも、そこに隠しているものだ。
海斗君も男の子なら、おそらく例外ではないはずだ。
今回はどんな種類のものなのか、そわそわしながらベッドの下を覗いてみた。
でも、ベッドの下に隠れていたのは例のブツは、普通の男の人からも朴念仁な印象を持つ海斗君からも想像つかない本だった。
海斗君ベッドの下にあった物の正体……それは何とも乙女チックな表紙の少女漫画だったのだ。
発行された年は1998年とかなり古い。
目を疑った私はぱちくりと瞬きしたけど、目の前にあるものは変わらない。
私は残りの少女漫画をかき集め、リビングのテーブルに積み重ねた。
そして、ソファに仰向けになりながら、一巻を高く掲げる。
他人の趣味を勝手に覗き見する後ろめたさは勿論あったが、海斗君の意外な一面の方が気になる私は、一巻から手に取って開いてみた。
……。
…………。
一時間もたたないうちに一巻を読み終え、静かに少女漫画を閉じて心の中で読後感に浸る。
両親を亡くし一人で一生懸命生きようとする健気なヒロインと俗に言う学校の王子様と呼ばれている主人公との突然の共同生活。
……なんだか他人事な気がしない。
そこから学校の王子様とは間反対のタイプの俺様系主人公が乱入する。
二人の主人公は犬猿の仲で、喧嘩しているところをヒロインが間に入るシーンが度々描写されていた。
ヒロインは二人の主人公のどっちと結ばれるのか、この先の展開が気になり手が勝手に二巻目のほうへ伸びていく。
……。
…………。
二巻目完読。
仲の悪い二人の主人公が意地悪な親戚の家からヒロインを助け出すところは、シンデレラストーリーのような感動を覚えてしまった。
それに二巻で出てきた新キャラの男の子と女の子。
それぞれのペアの展開も気になってしまう。
早く続きが知りたい。
私は息を吸うように三巻目を手に取る。
……。
…………。
時間が過ぎていくことも忘れ、海斗君のベッドの下から取り出した本を四巻、五巻とひたすらに読んでいった。




