You'll Never Walk Alone
最終校正日 2026/7/15
【秋山海斗】
安藤選手が不在の中、俺の周りは揃って落胆し、意気消沈としていた。
孝子さんも画面すら見られずに、肩を落としている。
「なんか、重くなってないっすか?」
陽炎も今の空気を察して、俺に耳打ちする。
「皆、孝子さんのお孫さんが目的だろうから、無理もないよ」
「せっかく、皆楽しみにしてたのに……。なんかいたたまれないな」
陽炎は悔しそうにこぶしを強く握りしめる。
どうにかしたい気持ちはあるのに、俺にはどうすることもできない。
今まで、こんな暗い気持ちを抱えたまま生きてきたから……。
その気持ちに慣れることしか考えてこなかったから、変える方法が分からなかった。
それに、これは自分の中だけでの話なのだから、周りを変えようなんて到底できることじゃない。
俺は自分の舌を噛み締める。
生まれて初めて、自分の体を傷つけた。
だからなのか、思ったよりも手加減が難しくて、舌から血が出てしまう。
口の中に血の風味が広がっていく。
そして、俺はふと疑問符を抱いた。
――何故、自分事じゃないのに、こんなにも感情がかき乱されているのだろうか。
――俺は一体何を悔しがっているんだ。
これまでみたいに辛いことはずっと耐えていれば、いつかは慣れてどうでもよくなっていくはずなのに。
今、この瞬間だけはどうしても受け入れられなかった。
慣れることしか考えなかった俺が、今は何かを変えたいと心の底から思っていた。
きっと、何かをすればこの重苦しい空気を変えることができる。
でも、変える術が無くて、もどかしい気持ちが募っていく。
――その時だった。
「……walk on、walk on」
沈んだ空気を払うように七生が立ち上がり、応援歌を歌い出した。
すると、冷め切っていた年配の方たちの顔が、自然と七生の方に向く。
「それ、何の曲?」
俺が訊くと七生は歌を一時的に止める。
「~you‘ll never walk alone~。安藤選手が所属してるチームのチャントさ」
そして、七生は一緒に歌えと言わんばかりに、俺と陽炎に向かって目配せする。
俺と陽炎はお互い確かめ合うように顔を合わせて、七生に合わせて歌い始めた。
ネイティブはぎこちなかったが、次第に音程とリズムが合うようになり、自然と声も大きくなっていく。
すると、緊急治療を終えた安藤選手が軽くランニングをして、ピッチに戻る映像が流れた。
実況者からの朗報を聞いた年配の方々はまばらに画面を注目する。
「舟ちゃん……」
孝子さんも孫の無事を知ると、安藤選手の応援歌を歌っている俺たちに目を向ける。
そして、孝子さんも乗っかるようにして自分も歌い出し、それに続くように周りの年配の方たちも歌い出した。
スタジアムのサポーターにも負けないくらい熱く歌っていると、安藤選手は先ほど倒された相手にスライディングをかました。
審判が笛を吹き、胸ポケットからイエローカードが出る。
しかし、カードを向けた先は、派手に転んでとても痛がっている相手選手の方だった。
「どういうことだ?」
陽炎が困惑していると、七生が補足に入る。
「シミュレーションだ。わざと、引っかかった演技をしてファウルを貰おうとする行為。でも、その意図が審判に見抜かれるとあんな感じでカードが出る」
リプレイが流れると、安藤選手のスライディングはさっき相手選手がやっていたような殺人的なものとは違って、ボールに向けてしっかりと滑っていて、選手の方には全く引っかかってなかった。
ウルグアイの選手たちは抗議をするが、審判はジャッジを変えることなく、二枚目イエローカードを受けた選手はレッドカードにより、退場となった。
「しゃあ、オラ!」
審判の公平なジャッジにガッツポーズをする陽炎。
周りの年配の方たちもざまぁみろと言わんばかりに、喜びの笑みを浮かべていた。
流れは数的優位に立った日本に傾き、攻撃にも良いリズムができていた。
しかし、得点までには至らず、後半もアディショナルタイムに突入する。
気になる追加時間は7分だ。
「ななふぅん!?」
驚きの長さに陽炎は顎が外れそうな勢いで、あんぐりとさせる。
「結構プレー止まってたからな。そんなもんだろ」
七生は見慣れているのか、冷静沈着に言葉を返す。
一方、標準を全く知らない俺は、気にも留めずに日本の得点を祈り続けた。
そして、試合終了間際――。
コーナーキックを獲得した日本は後ろに二人を残して、その他の七人はペナルティエリアの中で相手選手とポジションを取り合っていた。
審判が笛を吹くと、キッカーが両手を挙げて、中にいる選手たちに合図を送る。
そして、蹴り出されると天高く上がったボールは綺麗な放物線を描いて、選手たちの頭上に落ちていった。
選手たちは一斉にジャンプして、ボールに触れようとすると、ボールは誰かの頭に当たり、相手のゴールネットに突き刺した。
その瞬間、スタジアムにいるサポーターの歓声が一気に上がり、日本の選手たちはサポーターの下に駆け寄る。
俺の周りもサポーターと同じように歓声を上げていたが、得点した者の確認が取れず、一体誰が決めたのかとザワザワしていた。
別の角度からのリプレイが流れると、ボールに触れていた選手が特定される。
その人物はなんと孝子さんの孫である安藤選手だ。
「舟ちゃーん!」
興奮した孝子さんはまたしても俺の肩を揺らし、今度は後頭部をバシバシと叩いた。
周りも肩を組んだり、抱き合ったりして喜びを分かち合う。
「バーモー!!」
さっきまで冷静だった七生も感情を爆発させていた。
そして、このワンプレーで試合終了の笛が鳴り、結果は2―1で日本が劇的な勝利を飾ることとなった。
その時、俺の隣では孝子さんが安藤選手の活躍に感動したのか、両手で口を抑えて静かに泣いていた。




