探し物の続きを
【秋山海斗】
帰り道に通るビル街は、白く光る街灯の玉たちが夕方の街を照らしていた。
俺は今晩使う食材たちが入った袋を両手に提げながら人の絶えない道を歩く。
いつでも賑やかな街中は、一日中バイトで疲労を重ねた俺にとって喧しいことこの上ない。
そんな喧噪な街中を歩いていると――。
「ねぇねぇ。そこのJK」
自分のことではないのは分かっていたが、このあたりでは聞きなれないワードに思わず声の主を探してしまった。
すると、シャッターのしまった本屋の前で二人の男が一人の女子生徒に言い寄る姿が見えた。
そして、なんの偶然かその女子生徒は、昨日俺が家に一晩泊めた張本人だった。
「君1人?」
「よかったら、俺たちとちょっと遊びに行かない?」
男たちは2人係で、彼女に攻撃を仕掛けてくる。
「んー、どうしようかなぁ」
ただ、彼女に困った様子はなく、むしろ誘いを受ける姿勢にも見える眼差しをしていた。
きっと、彼女にとってはこの光景が日常茶飯事なのだろう。
何も問題ないと判断した俺はその場から去ろうとした。
「あっ!」
すると、彼女は立ち去る俺に気づいたようで、近づくや右腕を掴んで体を寄せてきた。
「ごめんなさい。彼を待ってたの」
あざとくそう言うと、2人の男は舌打ちを打って消えてしまった。
彼女は2人が見えなくなるのを確認すると、腕から離れて「ふぅ~」とため息をつき近くにあったベンチに腰を掛ける。
「助けてくれてありがとう」
「全然困ってるように見えなかった」
「そんなことないよ。海斗君じゃなかったら多分嫌々ついていったと思う」
「それより、どうしてあそこにいたの?」
「まだ探し物が見つからなくてさ」
彼女は優しいオレンジ色に染まった夕焼けに顔を向けながら、物悲し気に零した。
「あのさ、助けついでにもう一つ頼みたいことがあるんだけど……」
「また泊めてほしいの?」
「ダメかな?」
さっきのナンパ男に向けたように、あざとく首をかしげて懇願する。
昨日も口にしていた“探し物”は未だになんなのかは分からない。
でも、ここで突き放せばまた先程のような危ない人たちに連れていかれるのが目に見えていた。
「……分かった」
俺は困っているらしい彼女を受け入れ、昨日に引き続いて家に招き入れることになった。
家の鍵を開け、扉を開けると彼女は我が家のように「ただいまー」と言って、靴を脱いでさっさとリビングへ入る。
「あれ本当に食べたの?」
今朝の卵焼きを乗せていた皿が片づけられているのを見て、何故か作った張本人が戸惑っている。
「頑張った」
俺は若干皮肉気に言うと、彼女は
「ご苦労様です」
と、俺の気持ちが分かったように返した。
「ごめんね。料理とかしたことなくて」
「それなら、無理して作らなくてもいいのに」
「お礼はしなきゃと思って作ったの。いつもは違うやり方なんだけど、海斗君にはどうすればいいか分からなくて」
「見返りが欲しくて泊めたわけじゃないから」
そう言って、俺は買った食材を冷蔵庫に入れる。
「要するに、海斗君は根っからの善人ってことでいいのかな?」
「それも多分違うと思う」
「それじゃ、ますます分からないね」
彼女は昨日と同様に、ソファにふんぞり返って自分の爪をいじった。
「とりあえずご飯作るから」
俺は袖をまくりキッチンに立ち、今夜使う野菜たちをまな板の上に並べる。
「私も手伝おうか?」
彼女は乗り気だったが、今日の朝御飯のことを覚えている俺はいらないと目で訴える。
「……ごめんなさい、冗談です」
俺の視線に屈した彼女は、猫のように丸まって横になる。
眠そうにテレビ見ている彼女を見て、俺はずっと考えていた。
――どうして夜遅くまで外にいたのか。
――どうして他人の家に泊まりたいなんて思うのか。
――何を捜しているのか。
――それは自分の家の中にはないのか。
――そもそも自分の家はどうした。
謎が謎を呼び、思考に集中しすぎて手が疎かになっていた俺は、野菜と一緒に自分の人差し指までバッサリと切ってしまった。
声を上げるほどの痛みではなかったが、血を味付けする調味料として加えるにはスパイスが効きすぎる。
傷口から噴き出る血が野菜や床に滴り落ちないよう逆の手で傷口を抑え、絆創膏を取りにキッチンを離れた。
その一部始終を見ていた彼女は、ソファから飛び出して俺に方へと駆け寄る。
「大丈夫?」
「切っただけ。絆創膏張れば大丈夫」
切っていない手で救急箱を取り出し、乱雑としている中から絆創膏をあさる。
すると、横にいた彼女は徐に切った指を、はむっと自分の口の中に入れた。
そして、洗い流すように傷口を舌を舐めまわす。
「応急処置だけでもしようと思って」
咥えていた口を戻し、少しだけ意地悪が含まれたような笑みをたたえる。
「ありがとう」
俺は彼女から逃げるように、救急箱に視線を移してぼそっと呟いた。
絆創膏を見つけた俺は、彼女の唾液で滲んだ切り傷を塞いでキッチンに戻った。
彼女も満足したようにソファに戻り、再びテレビを見た。
しばらくして晩御飯ができあがり、眠たそうに頬杖をつきながらテレビを見ていた彼女に声をかける。
彼女は重そうに腰を上げ欠伸をしながら、椅子の肘掛けに手を置いた。
「今日は肉野菜炒めだ。いただきます」
彼女は嬉しそうに手を合わせ、早速肉野菜炒めの肉に手を付けた。
「ん~、美味しい~」
心底幸せそうな顔をすると、肉野菜炒めを次々と口に放り込んでいく。
ただ、野菜の部分は華麗に避けている模様。
結果的にはお互いに残さず完食し、俺は使った食器を洗った。
「ご馳走様、今日も美味しかった。海斗君、良いお嫁さんになれるかもね」
横で食器を拭いていた彼女は、冗談めかしにそう言う。
「そうかもね」
俺はサラッと受け流し、彼女が使ったお茶碗を洗った。
「海斗君って独り暮らしなんだよね?」
彼女は確認するように、こちらの顔を覗き込む。
「そうだね」
会話が途切れ、最後の食器を洗うタイミングで再び彼女から口を開き始めた。
「私が言うのもおかしいんだけどさ。どうして私のこと、家に入れてくれたのかな? たしかに私の方から頼んだけど、断ることだってできたじゃん?」
俺は食器の泡を洗い流し、彼女に手渡す。
「正直、最初は俺も関わるつもりなかったんだ。あの人たちに言い寄られても君は全く動じてなかったから、平気なのかなって思った。でも、そんなことなかったんだね」
「それは初めて会う人は誰だって怖いよ」
彼女は拭いた食器を食器棚に入れて、布巾を元あった所に戻す。
「それなら尚更分からない。君がどうしてこんなことをしてるのか」
彼女は何も言わず、洗い桶に溜まった水に映る自分の姿を見つめている。
「でも、問い詰めようとも思ってない。話したくないことなんて、いくらでもあるんだから」
「いいの? 素性の知らない女をここに置いて。何するか分からないんだよ」
「いい。ここに失うものは何も無いから」
ここには料理をするためのキッチンがあって、身体を温めるためのお風呂があって、寝るためのベッドがある。
でも、ここにはそんな表面的なものしかなくて、中身の部分は何もない。
それは、まるで俺という人間を具現化しているかのように。
「だから、君の言う探し物はもしかしたら、ここにはないかもしれない」
俺は彼女に背を向けて冷蔵庫の中身を確認する。
それを見て明日の朝御飯の献立を考えようとしたが、こちらもこの家のように、必要最低限の食材しかなかった。
あっさりと明日の献立が決まり、俺は冷蔵庫を閉じる。
そして、ずっと黙っていた彼女に別の角度から切り込んでみた。
「君の言う探し物って作ることはできるの?」
俺が訊ねると、彼女は俺の方に振り返り、「えっ」と小さく零す。
「君の言う探し物は何も分からないから、あくまで想像になるんだけどさ。探し物と同じものを作ることってできないかな?」
ただ、これは何も分からない故に広い可能性からすくいあげた一部の仮定に過ぎない。
あまりに見当違いな質問だと思っていたが、彼女は回答を得たように元気を取り戻しいった。
「そっか……たしかにそうかも。海斗君頭良いね」
「まぁでも、具体的にどうすればいいかまでは分からないんだけど」
「うーん、そうだなぁ」
彼女は考え込むように口に手をあてて視線を落とす。
そして、何か閃いたようで視線を俺に戻してこう伝えた。
「海斗君、私と付き合ってください」
真剣だと訴えるような真っ直ぐな眼差し。
でも、彼女の言葉の意図が分からず、俺はその場で固まってしまった。
「つまり、君の告白を受け入れることが、探し物を作ることに繋がるってこと?」
「そう。今は君とここにいるために関係が欲しい。形は何でも良かったんだけど、彼氏彼女の関係が一番しっくりくると思って。でも、自分から告白するって案外恥ずかしいね」
彼女は照れくさそうに顔を赤らめる。
この告白を受け入れることが、彼女の助けになるのならば、俺は受け入れるべきだろう。
そう。失うものなんて何一つないのだから。
「分かった。こちらこそよろしくお願いします。えーっと……」
このタイミングで俺はとても重大なことに気づく。
今まで君と呼んでいたせいで、彼女の名前が分からない。
俺が言葉を詰まらせていると、彼女も気づいたようで可笑しそうに微笑んだ。
「ごめんごめん。知ってるものだと思ってた。そういえば名前で呼ばれたことなかったね。ていうか同じ学校の人の名前も覚えてないなんて」
「俺、あんまり学校行ってないから、人の名前とかほとんど覚えてない」
「春香由紀。彼氏っぽい呼び方をするなら由紀かな」
「分かった。よろしく由紀」
「こっちもよろしくね。海斗君」
こうして始まった春香由紀との共同生活。
周りからすれば少し歪だと思われるであろうこの関係は、いつまで続くのか俺にも彼女にも分からない。
ただ一つ言えるのは、俺も彼女のように捜し物を見つけられるかもしれないということだ。