流浪少女と非行少年
【秋山海斗】
「じゃあ、今日の授業はここまで」
狭い部屋で、一人の女生徒の授業を終えた。
男女が一人部屋で二人きりという状況だが、下にはもちろん彼女の親がいる。
何かあればクビでは済まされないのは肝に銘じている。
「今日もありがとうございました。先生」
「うん、また今度」
彼女の温かい見送りにも、俺は素っ気ない言葉で返した。
生徒である彼女からは先生と呼ばれているが、俺は彼女と同い年で同じ学校の高校生だ。
学生という立場でありながら、一日のほとんどをバイトに使っている日々。
基本的な費用は親戚に負担してもらっているとはいえ、食費、光熱費、水道代、生 活用品費これらの足りない分は全て自己負担。
おまけに貯金もしなければいけないという状況。
大都会東京でそんな過酷な生活を始めて、一年が経っていた。
肝心な学校はというと、進級できる最低限の日数しか登校していない。
出席日数ぎりぎりを攻めている俺に、クラスの人たちからの悪い噂が絶えなかった。
不良に憧れたわけでも、孤高を気取りたいわけでもない。
ただ、“たった一つの過ち”が、自分の世界に鎖をかけただけのことだ。
それはこの先、誰と関りを持とうともきっと解けることはないだろう。
自分の力で、決して砕くことも叶わない。
そんなものに縛られながら、今日も暗い夜道を歩き続けていた。
時計の針は夜の九時を指している。
こんな時間に外を歩いている高校生なんて、遅くまで予備校で勉強していた受験生かリーゼント姿の不良か、バイト帰りの俺くらいだろう。
そういった類の人間を何度か目にしたことがある。
今宵は満月が俺たち地上のものを照らしていた。
満月には体に溜まった毒素を洗い流してくれると聞くが、古傷を癒すことはできなさそうだ。
静かな住宅街を歩いていると、小さな公園が見えてくる。
昼間には学校帰りに子供たちが楽しそうに走り回ったりしているのをよく見かけるが、夜の公園は静けさと漆黒に飲み込まれ、そこに一度踏み入れれば二度と明るい場所に戻ってこれないような気がした。
そんな子供の遊び場である公園を一瞥すると、人影が目に入り俺の足はピタリと止まってしまった。
最初は暗くてよく見えなかったが雲に隠れていた満月が顔を出し、真ん中に設置されているコージードームの上に座っている女性をスポットライトのように照らし始める。
天を仰ぐように月の光を浴びるその姿は、まるで西洋の絵画のようだった。
その姿に目を凝らしてみると、俺の通っている学校の制服を着た高校生だ。
リーゼント姿でもなく、予備校帰りでもバイト帰りでもなさそうな女子高生だ。
気配に気づいたのか、彼女は徐に視線を横に流し、佇んでいた俺と目が合う。
すると、コージードームから降りて、「ねぇ、君」と彼女の方から俺に近づいてきた。
「――ずっと私のこと見てたみたいだけど、何か用?」
「予備校の帰りにも不良にも見えなかったから、どうしてこんな時間に一人で公園にいるんだろうって」
「前者は私でもそう思うよ。でも、後者はどうだろうね。君にはそう見えなくても、周りからしたら私は不良そのものかもしれないよ?」
にんまりと笑う姿は家庭教師で担当している生徒と似たようなものを感じる。
だから、何故この時間にこんなところにいるのか、余計に不思議でならない。
「ここで何してたの? 家には帰らないの?」
「ちょっと探し物しててさ。中々見つからなくて困ってたところ」
「それってどんなもの?」
こんな夜中になってまで探しているものなら、きっと彼女にとって大切なものかもしれない。
そういうことなら力になればいいと思い、話を聞くことにした。
「それじゃあ、君の家に行かせてもらっていい?」
予想外の要求に俺は体が硬直する。
「俺以外に今まで不法侵入者しか入れたことないんだけど、そんなところに君の言う探し物があるとは思えない」
「私の探し物はね、初めて行くような場所にこそあるかもしれないんだ。それより、家のセキュリティ大丈夫なの?」
「盗んだりはされてないから大丈夫だと思う」
そんなことよりも彼女の言う“探し物”というのは一筋縄ではいかなさそうだ。
普通ならこれまでに行った場所を記憶を頼りに見つけていくはずなのに、初めて行くような所にこそあるかもしれないという、謎々めいたことを口にするのだから。
こういう時は探し方を知っていそうな彼女に従うのが安牌な選択だと思い、大人しく彼女の言う通り家に招くことにした。
俺の家は低層型マンションの2階の202号室にある。
扉の前に着いたら鞄をガサゴソとあさって奥深くに入っていた鍵を取り出し、ガチャリと扉の鍵を開けた。
「――どうぞ」
「おじゃましまーす」
すると、彼女は臆することなく、リビングに入った。
「広―い。それにソファもフカフカ。海斗君って結構お金持ちなの?」
彼女はソファにどさっと飛び込み、クッションを顔にうずめた。
「別に部屋がきれいなだけでお金があるわけじゃ……って、俺の名前知ってたの?」
「一応顔も名前も知ってるよ。学校じゃ有名だもの」
うずめていた顔を剥がし、さらなる質問攻めをしてくる。
「ねぇねぇ、学校行ってない日とか何してるの? もしかして、大人っぽいこととかしちゃったりして……」
これが夜特有のテンションというやつなのか、はしたないことも淡々と訊いてくる。
「健全なバイトしてる。遊んだことは一度もないかな」
「でも、平日の昼間とかだったら、補導とかされるんじゃない?」
「バイト先にはフリーターってことにしてるし、私服で外に出れば高校生には見えない」
「海斗君も結構ワルだねぇ」
「さっきの君と大差ないと思う」
こんな風に彼女と何気ないやり取りをしながら、俺はキッチンに立ち調理の準備を進めた。
一人だったら簡単なものを作っていたが、一応お客様を招いているので、それなりの料理を振る舞うことにしよう。
「ところで、シャワー借りたいんだけど、どこにある?」
当のお客様はその特権をふんだんに使うように、クッションを抱いてソファに寝転んでいた。
「リビングを出てすぐ左の扉。洗濯機もそこにあるから」
「はーい」
俺はタンスからバスタオルを取り出し、彼女に手渡す。
そして、彼女のシャワー中に、俺は晩御飯の支度を始めた。
「海斗君。出たよー」
十分程して、彼女がシャワーから戻ってきたようだ。
すると、彼女はバスタオルを巻いたまま、リビングに戻ってきた。
「服はどうしたの?」
「どうしたって、洗濯に出したよ」
「着替えは?」
「全部出しちゃった」
「言ってくれれば、用意したのに……」
「いいよ、海斗君だってバイトの時に私服使えなかったら困るでしょ? それにバスタオルあったし、巻けばほらこの通り」
そう言って、彼女は堂々と両手を広げて、その場で一周回ってみせた。
彼女はこの自分の姿に、恥じらいというものを感じていない様子だ。
清々しいくらいにそれでいいというものだから、こちらも強くは言いづらい状況になっていた。
「じゃあ、とりあえず適当に寛いでて。ご飯作ってるから」
「ご飯までご馳走してくれるなんて。今日はいい宿に泊れたな~」
そうして、遠慮も恥じらいも知らない彼女はバスタオル姿のまま、さっきのクッションを抱きながらソファに寝転がってテレビを見ていた。
「ご飯できたよ」
晩御飯の支度を終え、俺は出来上がった料理を食卓に並べる。
「ふぁ~い」
彼女は若干欠伸気味の返事をし、ソファから起き上がって腕を思いっきり伸ばす。
そのせいで、巻いているバスタオルが、少しずつ下にズレていってしまう。
このままだと完全にはだけてしまうので、俺は咄嗟にバスタオルを掴んで上に戻した。
「海斗君くすぐったいよ~」
その時に、俺の指が彼女の肌に触れてしまい、彼女はこそばゆそうに体を震わせる。
「やっぱり俺の服貸そうか?」
「これ開放感あっていいよ。私結構好きかも」
この期に及んでも彼女の意思は変わらず、それに対して俺も強く言い出すことは出来ず、結局そのままの姿で食卓の前に腰を据えた。
今日の献立はピーマンの肉詰めがおかずで、ご飯と味噌汁は時間が無かったのでどちらもインスタントだ。
「嫌いなものはない?」
ピーマンは嫌いな野菜の定番だったりするので、一応訊いてみる。
「ううん。すごく美味しい」
彼女の笑顔に安堵し、俺も食べ進めた。
最初はお互い黙々と食べていたが、一通り料理を味わった彼女から口を開く。
「海斗君料理上手なんだね」
「料理はここに来た時に始めたから、1年くらい経つかな」
「1年も住んでるんだ。その割にはすごく良い所だよね」
「一応宿主はいるんだけど、仕事場が家みたいな人で帰ってくることほとんどない」
喋り終えるとすくったご飯を口の中に入れ、小さく咀嚼する。
「それじゃあ、海斗君っていつも独りってこと?」
「そうなるね」
「そっか……海斗君、独りなんだ」
彼女は何かを呟くと、頬杖をついて俺の食べている様子を見守っていた。
いつの間にか彼女はご飯を食べ終えていたようだ。
遅れて晩御飯を完食した俺は彼女に空き部屋に案内した。
「ここは誰も使ってないから」
「ん、ありがとう」
「それじゃあ、おやすみ」
「ちょっと待って」
自室に戻ろうとすると、彼女は俺の裾をガバっと掴んで引き留めた。
「どうしたの?」
「私を見て」
彼女は俺の顔を両手で包み込み、バスタオルからはみ出る胸元から太ももまでスクロールさせるように動かした。
「……どう?」
「どうって、やっぱり寒かった?」
「ううん、大丈夫。そこまで寒くないから」
彼女はバツ悪そうに俺の顔から手を離し、笑顔を作りながら手を横に振る。
「それじゃあ、おやすみ。海斗君」
「おやすみ」
それから俺たちは別々の部屋で、それぞれの夜を過ごした。
翌朝、目覚まし時計に心地よい眠りを妨げられ、俺はいつも通り朝ごはんの準備をする。
……はずだったのだが、テーブルの上には既におにぎりと卵焼きらしきものと置手紙が置いてあった。
『昨夜はありがとう。お礼におにぎりと卵焼きを作ってみました。料理は初めてだから味には期待しないでね』
手紙の主はおそらく昨日の彼女のものだろう。
文章は全て丸文字で書かれている。
卵焼きというにはほとんど黒ずんでいて、黄色い部分は見当たらず、おにぎりは三角とも四角ともとれそうな歪な形をしていた。
それでも作ってくれた良心には応えなければならないと思い、箸で卵焼きをゆっくりと口に持っていく。
…………
……
味の感想は伏せておくとして、卵焼きを飲み込んだ俺は箸を置いて俺は真っ先にこう思った。
――早く朝ごはん作るか。