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空き巣、ストーカー、陽炎参上

【秋山海斗】

 家に着いた頃には、空はすでにオレンジ色に染まりつつあった。

 今頃、由紀は晩御飯の準備でもしているころだろう。

「ただいま……」

 靴を脱ぎ廊下に足を入れるが、迎えの返事はなく静けさが異様な空気を漂わせていた。

 荷物を置きに自分の部屋に寄った後、リビングの扉まで歩き進めると中から大きないびきが耳に入ってくる。

 扉の型版ガラスから中を覗くと、緑髪の図体のでかい男がリビングで呑気に寝そべっている姿がぼやけている。

「……今回はあれかな」

 全てを察した俺は音を立てないように静かに扉を開け、足音を殺しながらリビングに入った。

 眩しさで起こさないようにハンカチで男の目を覆い、リビングの灯りを付ける。

 そして、カップを取りココアの素を入れて、ポットのお湯を注いだ。

 俺は利き手でココアをチビチビと飲み、逆手でプリントの束を眺めながら男の目覚めを待った。

 待つこと数分――。

「うぅ……」

 唸り声とともに、男が起き上がる。

 そして、腕を後頭部に回し、右に左に肘を押し込んだ。

「起きた?」

「んぁ? あーおはようございます兄貴」

 何事もなかったかのように会話が始まるのは、前にも同じことがあったからだ。

 うなじまで伸びた緑髪に、服の上からでも分かる筋肉質の男。

 その名前は夏生陽炎――。

 一年の時に出会ってから、こうやって勝手に家に入っては無償で勉強を教えたり、ご飯を食べたりしている。

「ココア飲む?」

「じゃあ、兄貴の飲みかけを……」

 そう言ってカップに伸ばす手を、即座に叩き落とす。

「冗談っすよ~。最初から作ったやつお願いしまーす」

 俺は席を外し、再度ココアを淹れた。

「そんでー。今日は頼みがあってきたわけなんですけどー」

「分かってる。すぐに始めよう」

 長期休みが明けて最初の日。

 不法侵入してきたこの男には恒例行事のように、毎度毎度とある頼みごとをされてはすんなりと引き受けていることがある。

 俺は部屋から大量の紙を持ち出し、テーブルいっぱいに広げた。


    ◇


【春香由紀】

「あぁ? なんだてめぇは」

 リビングの扉を開けると、眠りから目覚めた空き巣が鋭い目つきでこちらを睨みつけていた。

 見たこともないその怖い形相は、私の足を凍り付かせる。

「あ、あの……目的は何?」

「てめぇこそ、ここの住人じゃねぇだろ!」

「それは……」

「どうしたの、陽炎?」

 私が言葉を詰まらせていると、キッチンから海斗君が湯気を立たせたカップを持って、平然と不審者の横に立った。

「海斗君!」

 私は反射的に海斗君の胸に飛びつき、不審者から遠ざける。

 その反動でカップの中に入っていたココアが零れ、海斗君の手にかかってしまった。

「熱い」

 海斗君は感情薄く、そう零す。

「海斗君! 空き巣が……空き巣が」

「どこ?」

 私は恐る恐る私を睨め付けている男に指を指した。

「あぁ? 俺?」

 男はとぼけた顔で、自分に指を指す。

「あれは空き巣じゃなくて、ストーカー」

「いや~それほどでもないっすよ~」

 海斗君は飄々としながら、私の勘違いを正そうした。

「いや、どっちにしてもマズいでしょ!」

 しかも、犯罪者扱いされているはずなのに、男は何故か嬉しそうに後頭部を掻いてるし。

「大丈夫。陽炎のストーカー行為は俺も公認済みだから。それに俺に付きまとうだけで嫌がるようなことはしない」

「そ、そうなの?」

 私は陽炎と呼ばれている男の顔をちらりと見る。

 たしかにあれだけ嬉しそうに笑っていれば、悪い人ではない……と思いたい。

 喜びのツボが少し変わっているようだけれど……。

 陽炎君は私の顔を見るや、さっきの鋭い目つきに戻った。

「海斗君、なんかあの人さっきより怖い顔してるけど」

「あの顔、久しぶりに見た気がする。とりあえず離れてくれないかな? 手にかかったココアを拭かないとシミになっちゃう」

 そう言われて私は海斗君に体を、べったりとくっつけていたことにようやく気付く。

「えっ? ああ、ごめん」

 私はゆっくりと離れる。

 ……というか私、さっき海斗君に思いっきり抱き着いちゃった――。

 パニックになっていたとはいえ、つい私の体全てを海斗君に委ねちゃった――。

 その時の温もりが、今も私の胸の中に残り続けている。

 ……海斗君って、思ったよりも柔らかい。

 一方、私に抱き着かれてもなお、海斗君は表情一つ変えずにハンカチでシミを拭いていた。

「それじゃあ、今から始めなきゃだから」

「始めるって、何を?」

「陽炎の春休みの課題」

「課題……」

 もしかしてこのためだけに、あんな犯罪めいたことを?

 冗談だとしても全然笑えない……。

「由紀は春休みの課題はやった?」

「そういえば、全くやってなかった」

「それなら丁度いい。まとめて終わらせようか」

「わ、私は大丈夫……。晩御飯の用意しなきゃだし」

 海斗君の前では友達のように振舞うのに、私には敵意を向けているような目で見る陽炎君が怖過ぎて、一緒に宿題なんて捗る気がしない。

「でも、提出期限明日だよ?」

「大丈夫だよ。私、学校の成績とか気にしないし」

 すると、陽炎君が私に近づき、さっきよりも怖い顔でがんを飛ばしてきた。

「兄貴が直々に教えてやるって言ってんだよ。兄貴の優しさを無下にするってのか!?」

「す、すいません」

 大きな顔に圧倒され、私は体ごと小さくなる。

 こうして恐怖に支配された形で、陽炎君と一緒に課題を片づけることになってしまった。

 私と陽炎君が隣り合うように、対面には海斗君という席の配置になり、課題に取り組んでいる際、隣の陽炎君がたまにこちらを一瞥している。

 でも、それは今までの男の人のようないやらしい目つきとは違って、どこか殺気を感じるようなおぞましい目つきだった。

「兄貴、一ついいっすか?」

「どこが分からない?」

「課題のことなら全部分かんねぇです。でも、それ以上に分からないのは俺の隣にいるこの女の存在です。なんすかこの女」

 陽炎君が大きな左手で私の頭を掴み、軽く左右に揺らす。

 この質問を海斗君は、どう返すつもりなんだろう。

 不法侵入をあっさりと受け入れるのを見たせいで、二人の信頼関係が余計に分からない。

 海斗君は一度、目線を明後日の方向に反らすと、正面に戻してこう伝えた。

「……由紀は俺の従姉妹。最近こっちに転校して来たんだけど、実家からだと遠いからここを貸してる」

 それは、あまりにも無理があるんじゃないの海斗君!

 私、去年からずっといるんですけど!

 そんなことを、口で伝えたい思いを必死に抑える。

 そして、私は恐る恐る陽炎君の反応を窺った。

「そっすか……」

 思いの外、さっきまでの勢いが息を潜める。

 仕草からして明らかに嘘だというのに、当の本人はすんなりと受け入れたようだ。

 やはり、見た目通りかなり鈍いと見た。

「彼女とかではないんですね?」

「そうだね。ただの従姉妹」

 これで窮地を去ることが出来たと安堵したが、私に対しての陽炎君の目は変わらなかった。

「……ま、まだ何か?」

「お前の名前まだ知らねぇんだけど」

「……春香由紀です」

「兄貴と苗字は違うんだな」

「母方なのもので……」

 会話を途切らせたかった私は、出来るだけ言葉を最小限にする。

 すると、陽炎君はおもむろに海斗君の元に歩み寄り、座っている海斗君を後ろから体を抱きしめてこう言い放った。

「断っとくが、兄貴は俺のもんだからな」

「重々承知しております」

 私は陽炎君の気に障らないように言葉を返す。

 敬語ってこういう時に出てくるんだな。

「今日だって兄貴のために自腹で、ロングのヅラ買って持ってきてんだ!」

 自慢気な陽炎君が懐から取り出したのは、海斗君と同じ銀色のロングのウィッグだった。

「俺、どうしたら兄貴が喜んでくれるのかずっと考えてたんですよ。そんで、前に知らねぇやつが新しい扉を開く楽しさ? みたいなことを言ってたことを思い出して、それが女装することらしいんすけど、まさか兄貴が既にこういうことに興味を持っていたとは」

 一本取られたと言わんばかりに陽炎君が大笑いした。

「……何の話?」

 海斗君は心当たりなさそうに、首をかしげる。

「だってリビングに女物の黒い下着が上下そろって落ちてたんすよ! 今は見当たらないけど、恥ずかしくて隠したんでしょ!」

「あ……」

「女物の下着がリビングに……」

 それは今から数時間前のこと――。

 冷房が使えない蒸し暑い部屋で私が編み出したと、誇らしげになりながら避暑方法で涼んでいた私に、突如今隣にいる陽炎君が入ってきて咄嗟に隠れた私は脱ぎ散らかした服を放置してしまい、陽炎君に拾い上げられていたあの時だ。

 同居していることをついさっき知って尚、海斗君の私物だと思い込む陽炎君の鈍さに救われはしたけど……。

 海斗君は一度視線を落とし、考え込む。

 そして、私の顔をちらりと見て、全てを察したように口を開いた。

「それ多分……」

「あーーーーーーー!」

「がはっ!」

 私は言わせまいと勢いで陽炎君を突き飛ばし、後ろから抱き着くようにして海斗君の口を塞いだ。

「そうなんだよね、海斗君」

 若干震え声になりながらそう言い放った私に、必死に誤魔化そうとしている意思が伝わったようで、海斗君はコクリと頷いてくれた。

「やっぱそうでしたか~。服もパクってきた甲斐もあるってもんですよ~。ささっ、そうと決まれば早速着替えましょうぜ!」

 今度は服泥棒が発覚。

「それじゃあ、課題を終わらせてからで」

 それを聞いた陽炎君は絶望したような顔をして膝を落とし、床を叩いた。

「先公ども……ふざけんじゃねぇ! どいつもこいつも俺の邪魔ばっかしやがって!」

 嘆く陽炎君に海斗君は背中をさすり慰める。

「たくさんあるかもだけど、一緒にやれば大丈夫だから」

「兄貴ぃ~」

 御飯を待つ子犬のように目を輝かせると、陽炎君は席に戻って課題に取り組んだ。

 ――早くこの時間が終わってほしい……。

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