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はじめてのちゃんとしたごはん

【秋山海斗】

 家に着いた頃には由紀の状態はいつも通りになっていて、結局あの態度の真相は迷宮入りのまま本番を迎えた。

「よろしくお願いします」

 由紀は今日の先生である俺に、折り目正しく挨拶をする。

「とりあえず、材料から……」

 使う食材は家に貯蔵してある包装米飯に先ほどの戦場から強奪してきたニンジン、ピーマン、玉ねぎ、お一人様一パックの卵、最後にケチャップ。

 今日の課題内容は“オムライスの味がするオムライスを作ること”。

 これが今の由紀の一番といっても、過言ではない至上命題だ。

 家庭料理において何よりも大切なのは、普通に食べられること。

 おかしな話、真っ黒こげになろうと不味くならなければいいのだ。

 残念ながら、由紀の料理は悪い意味で、見た目通りになってしまう。

 それに今回は由紀の、大胆な料理の味変の真相を暴く回でもある。

「卵は俺がやるから、それ以外は一緒にやろう」

「はい」

 基本的には作業は由紀にやらせて、俺は横で出来具合をチェックしていく。

 まずは洗った野菜の皮むき、それから細かく切る。

 続いて剥いた野菜を細かく切る。

 早速ここで一つの問題が発覚。

 さっと腕を伸ばし、由紀の手を止める。

「ど、どうしたの?」

 咄嗟のことで、由紀は分かりやすく狼狽える。

「抑える手」

 俺は人差し指で指摘する。

「この手がどうかした?」

 由紀は野菜を覆うように抑えた手を見て、不思議がっていた。

「そんな抑え方したら指ごと切れる。押さえるときは猫の手」

「この抑え方でも、指なんて切ったことないけど……」

 分かりやすく猫の手で説明するも、由紀は何かとぼやく。

 逆にこの抑え方で今まで切ってこなかったのが、不思議なくらいだ。

 とりあえず、切った指から出た血が、大胆に味変になったわけではなさそうで安心した。

 続いては炒める工程。

 またしても問題が発覚し、不意に止めた手にまた由紀が驚く。

「今度は何ですか?」

「何で今まで焦げてたのか、ようやくわかった」

「……その心は?」

「油を敷いてない」

「油入れるの?」

 またしても初めて知ったと言わんばかりに、目を大きく開ける。

「何かを炒めるときは最初に入れないと、炒め物はたいてい黒くなる」

「勉強になります……」

 これで今後、料理が焦げることはないだろう。

「あと野菜を炒める前に白飯が先」

「炒めるのにも順番があるの!?」

 何度目か分からない由紀の驚く姿に、俺は何も感じなくなる。

 もはや、料理本はただの飾りで手に持っているのではないかと、疑ってしまうレベルだ。

「料理本、読んでる?」

 本気で疑っている俺は、一応訊いてみることにした。

「い、一応読んでるんだけどなぁ」

 言葉が詰まり、目が泳ぐ。

「ここにも書いてあるんだけど……」

 詳しく書かれたページを由紀に見えるように、トントンと人差し指で軽く突く。

「……全部読んでるとは言ってないです」

「巧妙な叙述トリックのつもり?」

「料理をナメてました。すいません」

 観念した由紀は、その場で深い土下座をする。

 おそらく、根本的な問題はこれで解決するだろう。



 具材を炒め終わったら、最後はメインの卵の工程で、ここからは俺の出番だ。

 割った卵と牛乳をボウルに入れ、素早くかき混ぜ、炒めた時に使ったフライパンの油をそのまま使う。

 フライパンを持つ手は前後、オムレツをかき混ぜる手は円を描くように回し、頃合いになったら、オムレツを畳むようにフライパンを上下に振る。

 こうすれば、真ん中にナイフを入れた時に、ふわとろなオムレツが出てきてくれる。

 オムレツの上には何もかけないのが自己流だが、できるだけ美味しく食べれるようにするため、今回は特別にケチャップを使用。

 これで“見た目は美味しそうに見えるオムライス”の完成だ。

 食卓に置かれたオムライスは、何とも神々しい光を放っている。

「で、できた……」

「まだ見栄えだけ。味はまだ分からない」

 俺は慎重にスプーンでオムライスをすくいあげ、口に入れる。

 俺は味を確かめるように咀嚼した。

 それを見た由紀はごくりと一息飲み、俺の様子を窺がう。

「……どう?」

「……オムライスの味がする」

 毒見後の感想を述べると、由紀は安堵したように胸に手を当てた。

「よかったぁ。私出来たんだ」

「とりあえずは及第点。特にこのオムレツは最高に美味しい」

「そこ、私やってないんだけど……」

 由紀は不満そうに、小さく顔を膨らませた。

 何にせよこれで前みたいに、どちらかが理不尽に苦しい思いをすることはないだろう。



 翌朝、炒め物を調理している音に反応して目が覚めた。

 朝御飯の当番は俺のはずだ。

 何事かとリビングに入ると、由紀がキッチンに立って料理をしていたのだ。

「あっ、おはよう。海斗君」

 今まで起こされて気だるそうにしていた人間とは思えない程の、元気な挨拶だった。

「朝御飯できてるよ」

 テーブルに視線を落とすと、そこにはトーストにベーコンエッグとちゃんとした朝御飯が並ばれている。

「これ、全部由紀が作ったの?」

「もう焦げる問題は解決したし、これくらいなら簡単にできた」

 どうやら昨日の調理実習の成果は、俺の期待以上だったようだ。

 夜だけではなく朝にも用意してくれるのは、負担が減って大助かりだ。

 そして、調理実習の成果は、これだけに留まらなかった。

 いつも通りバイトに行こうと玄関で靴の紐を結んでいると、後ろから由紀がやってくる。

「海斗君これ」

 差し出されたのは、紺色の布で四角く包まれたものだった。

「これ何?」

「お弁当作ってみたから、お昼にでもどうぞ」

 由紀の厚意には尊重したいとは思っている。

 だが、何故か俺の手はすんなりと弁当箱の方に伸びなかった。

 原因を明らかにしたとはいえ、すぐに完璧になるとは限らない。

 すると、由紀はじれったそうに弁当箱を俺の前に近づけるので、俺は観念して弁当箱を受け取り鞄にしまい、バイト先へ向かった。



 今日は朝から晩まで、つきっきりで冬野の勉強を教えることになっていた。

 今は昼休憩で、冬野家をお借りして昼食をとっている。

 由紀からもらった弁当箱の蓋を開けると、最初に見えたのは黄色いオムレツにケチャップがハート形にかかっていた。

 オムレツを割って中身を確認すると、玉ねぎやニンジン、鶏肉が入ったケチャップライスが隠れている。

 冬野母が作ったナポリタンを食べていた冬野は、物珍しそうに俺の弁当を横から覗き見る。

「これ、海斗君が作ったんですか?」

「まぁ、一応」

 由紀との関係を隠すため、曖昧に応える。

「ハートがお好きなんですね」

「……まぁ、一応」

 冬野は親が作った昼御飯そっちのけで、由紀の作った弁当をじっと見つめていた。

「……食べる?」

「食べたいと言ったら全部食べていいですか?」

「いいけど、その時は頑張ってね……」

「頑張る? 何をですか?」

 何も知らない涼花は不思議そうに首をかしげる。

 食後のアフターケアを考慮しつつ、涼花に弁当の一部を皿に盛り付けた。

「それじゃあ、いただきます」

 涼花は手を合わせ、躊躇いなくスプーンに乗ったオムライスを口に運んだ。

「……」

 冬野は味わうや否や咀嚼を止め、前に首を折る。

 いざ口に入れてみると意外と味がしっかりしていることなんて、俺の料理人生では何度も味わってきた。

 しかし、今回はその逆だったのだろうか。

「大丈夫?」

 俺の声に反応したのか、涼花はゆっくりと顔を起こす。

「……美味しいです。普通に美味しいです」

「ほんとに? 美味しい?」

「本当に美味しいです。海斗君料理も上手だったんですね」

「よかった……」

 なんと一日目にして、早くも由紀のノルマ達成。

 他人のことなのに、胸が空いたような気分だった。



 食後もお互いに体の異変はなく、俺は弁当箱を丁寧に包み直す。

「もうすぐで新学期ですね」

 冬野が横で頬杖をついて語り掛ける。

「そうだね」

「海斗君は今回も行かないんですか?」

 冬野にしては珍しく、流麗とした口調だった。

 かなり真面目に心配しているのかが伝わってくる。

 そんな冬野に、俺は包んだ弁当箱に視線を落としてこう零した。

「……行くよ、学校」

 涼花の顔が一瞬フリーズする。

 少しして、涼花がはっと目が覚めたように戻った。

「それ、本当ですか? 最低限の日数とかじゃなくて……」

「毎日行こうと思ってる」

 あの日のあの夜――。

 寂しそうに夜空を眺めていた由紀を見て、彼女が独りにならないような生活に変えなければいけないと思った。

 そんな時に思い立ったのが学校だ。

 由紀が周りからどう思われているのかは知らないけど、俺がいる限りきっと由紀は独りになることはない。

 しかし、由紀と俺の関係を知らない冬野に言えるわけもなく、理由を訊かれた時のためにそれっぽいものを考えていた。

 ただ、理由なんてどうでもよかったようで、冬野のにっこりとした笑顔は崩れなかった。

「……約束ですよ」

 自分のことではないのに、とても嬉しそうに右手の小指を俺に差し出す。

「うん」

 俺も右手の小指を出し、冬野との約束を交わした。

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