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「この部屋が私とリリカさんの部屋よ」
アレクシスたちと別れて、リリカはカトリーヌに案内されて暮らす予定の部屋へとやって来た。
広い神殿の中の一角が寮になっており、主に聖女候補生と聖女が住んでいるようだった。
それでも聖女の数が少ないのか、候補生らしき人の姿は居ない。
通された部屋は広いが質素だ。
大きなテーブルと椅子が中心に置かれておりリビングのような役割をしているようだ。
その部屋から左右に二部屋あり、カトリーヌは一室のドアを開けた。
「どちらも同じ造りですけれど、リリカさんはこちらの部屋でよろしかったかしら?もう一個の部屋は私の荷物を入れてしまっているのだけれど……」
申し訳なさそうに言うカトリーヌにリリカは明るく頷く。
「私どこでも大丈夫です。わぁ、ベッドと机まであるんですね、この部屋は私だけが使っていいんですか?」
「もちろんよ。荷物は後から運ぶ予定なのかしら?」
小さなカバン1つしか持っていないリリカを見てカトリーヌが言った。
リリカは首を振る。
「荷物はこれだけです。神殿は制服が配られて三食食事が出るって聞きましたから。そんなに荷物はいらないですよね?」
いくら制服が支給されると言っても荷物が少なすぎるだろうとカトリーヌは心配になりながらも笑みを浮かべて頷いた。
「そ、そうなの。何か足りないものがあったら遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます。カトリーヌ様はお優しいですね」
屈託なく言うリリカにカトリーヌは微笑む。
「リリカさんは真っすぐな心の持ち主なのね。羨ましいわ」
少し影のある笑みを浮かべるカトリーヌにリリカは気を使いながら声をかけた。
「真っすぐな心の持ち主なんて表現をされたのは初めてです。いっつも、もう少し考えて物を言えって親に怒られてばかりなんですよ」
「私なんて考えすぎてしまって何も言えないのよ。……申し訳ないのだけれどお茶が飲みたいの。用意してくださるかしら」
「あ、すいません。すぐ用意しますね!」
遊びに来たわけではないことを思い出してリリカは鞄をベッドの上に放った。
「ついでに制服も取ってきます。このワンピース私の一張羅なんですよ!」
部屋を飛び出していくリリカの背にカトリーヌは声を掛ける。
「廊下の突き当りの部屋に侍女長がいらっしゃると思うわ」
「ありがとうございます」
部屋を出て長い廊下の一番奥へと向かう。
カトリーヌの言う通りドアに侍女長室と書かれたプレートが掲げられていた。
ドアをノックするとすぐに中から返事が聞こえ、リリカは扉を開いた。
「失礼します」
恐る恐る部屋に入ると50代だろうか、厳しい顔をした女性が立っていた。
グレーの侍女服に白いエプロンを付けている女性は、ダークブラウンの髪の毛をきっちりと縛っている。
偉そうな雰囲気から侍女長だろうと思い、リリカは頭を下げた。
「今日からカトリーヌ様の侍女になりました、リリカと申します」
「聞いていますよ。あのアレクシス王子の婚約者候補でもあるカトリーヌ聖女候補生の侍女に選ばれたリリカですね」
凛とした冷たい声色に厳しさを感じてリリカは恐怖を感じながら頷いた。
(長ったらしい何とか候補生を噛まずにスラスラと言えるものだわ)
活舌の良さを関心しているリリカの姿を上から下まで眺めた侍女長は眉をひそめる。
「あのカトリーヌ伯爵令嬢の侍女をするのだからもう少し身なりに気を使いなさい!その髪の毛は何なのですか?」
胸のあたりまであるリリカの茶色の髪の毛は乱雑に結ばれておりあっちこっちと毛先が跳ねている。
少しボサボサの髪の毛を指摘されてリリカは慌てて手で整えた。
「風ですかねぇ?」
「今日、風は吹いていません!手で整えない!櫛は?」
鬼の形相で言われてリリカは怯えながら首を振った。
「櫛は持っていません。こう、手で整えれば大丈夫な髪の毛なんですよ」
「そんなわけありますか!毎朝起きたら櫛で髪の毛を整えて、身なりも整えなさい!侍女として恥ずかしくないようにしなさい!」
「はい。申し訳ありません」
母親並みに口煩いなと思いながらリリカは頷くが、ベアトリスはますます怒り始める。
「全く反省していませんね!全く、私はあなたの親じゃないんだからしっかりしなさい」
「はい。気を付けます」
しゅんとして謝るリリカにため息をついてベアトリスは棚から黒い侍女服を取り出した。
「これが制服です。数枚支給されますので毎日洗濯をして使いなさい!決して二日続けて着てはいけませんよ!」
「はい」
めんどくさがりのリリカの性格を見抜いて注意をするベアトリスにリリカは焦りながら頷いた。
毎日洗濯をするなんてめんどくさいと思いつつ、それが仕事なのだからと納得をする。
「他の仕事は明日から教えます。侍女といってもそこまで仕事は多くありませんからしっかり励みなさい」
仕事は多くないという言葉を聞いてホッとしながらリリカは頷いた。
「ありがとうございます。ところで、カトリーヌ様がお茶をご希望なのですが」
「お茶などの道具は隣の部屋にあります。お湯の沸かし方は分かりますか?お茶を淹れたことはあるの?」
何もできないように心配されてリリカは自信満々にうなずいた。
「もちろんあります。我が家は貴族でも貧乏なので食事の支度を母と一緒にしておりました。家事は任せてください。ちなみに、お菓子を作るのは上手ですよ。田舎はお菓子なんて売っていませんから!私のお菓子は評判でした」
お菓子という言葉にベアトリスはリリカの肉付きの良い頬を見て頷く。
「お菓子が好きなのはわかりました。家事が出来るという言葉は信用しましょう。お茶とお菓子の用意はありますがあくまで聖女と聖女見習いのためのものですからね!リリカが食べつくしてはダメですよ!」
きつい声色で言われてリリカは首をすくめる。
「アレクシス王子様と同じことを言わないでください。食べ尽したりしないですよ」
「信用できないのよ!貴女の様子からして食べつくしそうなのよ……。食べるのはいいけれどほどほどにしなさい」
「解っています。ここのお菓子は一流と聞いていますので楽しみです」
涎を垂らさんばかりに笑みを浮かべるリリカにベアトリスはため息をついた。
「確かに一流のパティシエがおやつを作っています。イザベル様が大切な聖女達の為にせめてもの楽しみをということで用意してくださっているのよ」
「イザベル様ってあの聖魔女と言われている方ですか?」
田舎に住んでいるリリカも聖魔女イザベルの噂は聞いたことがある。
数百年前から若い姿のままで生きる奇跡と呼ばれている大聖女だ。
慈愛に満ちていて、世界の母とまで言われているほど優しく聖女としての力も凄いという。
「そうよ。リリカは聖女ではないから会う事は少ないでしょうけれど、お優しい方ですがもし謁見することがあったら気を付けなさい」
声をひそめて言うベアトリスにリリカも小声になる。
「何を気を付けるのですか?言葉遣い?」
「それもありますが、聖女ではなく魔女と言われるゆえんがあるのです。もし何かを見ても決して口外しないように。知らない振りをしなさい。そうすれば神殿で美味しいお菓子を食べて幸せに暮らすことが出来るのですよ」
まるで何かがあるようないい方に、リリカは鼻先をわずかに歪めた。
「知らない振り……ですか?」
「そうよ。何を見ても知らない振りをしなさい。深く知ろうとした侍女は行方不明になっているのですよ」
「それって事件じゃないんですか?」
恐ろしい内容に声をひそめながらリリカが言うと、侍女長も頷いて小さな声で言う。
「事件ですが、数人です。神殿は普通ではありません。聖魔女イザベル様が法律なのです。王家ですら手出しが出来ないようなところです、心しなさい」
恐ろしい話だがリリカは一流のパティシエが作ったお菓子の事を思い出し大きく頷く。
「わかりました何を見ても知らない振りをします。お菓子の為です」
「せいぜい頑張りなさい」