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ゴリラと雨と食事と

作者: にあ

【ゴリラ】10:20


 今日は憧れの人と待ち合わせ。

とは言うものの顔も本当の名前も知らない相手である。

いわゆるインターネット上だけで知り合った人と初めて会うのだ。

共通の趣味がキッカケでそれ以外でもお互い好きな物や意見が合うことが多くて、近くならご飯でも一緒にどうですか?と言う話の流れで今日という日を迎えたのだ。


『ごめーん!少し遅れる!寒いから先にどこかのお店に入ってて!』

待ち合わせ相手の《雨》さんからメッセージが届いた。《雨》さんは本名ではない。いわゆるハンドルネームで私は《ゴリラ》と名乗っている。

 なんで《ゴリラ》にしたかと言うと人見知りの克服のキッカケになった人がゴリラの豆知識を教えてくれた人で、その知識とその人の優しい話し方が今の私のコミュニケーションの根っこになったので《ゴリラ》と名付けたのだ。そしてゴリラの握力は、平均して400~500キログラムと強力なのに平和主義者と言うギャップが堪らなく好きで、可愛いグッズなどが目に入るとトキメクくらいには好きな動物なのだ。

 駅前の変わった形の時計台の所での待ち合わせだったが、さすがに2月の寒いこの時期に外で待ち続けるのは確かに厳しい。なので素直に《雨》さんに『分かりました!』と返信して近くの喫茶店へと向かった。


【雨】10:37


 やってしまった。

せっかく《ゴリラ》ちゃんと会える日を迎える事が出来たのに《ゴリラ》ちゃんに渡す為に買ったお土産を持って来るのを忘れてしまって急いで戻って取りに行ったが、その代わりに予定の電車に乗り遅れて遅刻する羽目になってしまった。

仕事帰りにデパートに寄った際に見かけた〈ゴリラ饅頭〉黄色い餅生地に可愛くデフォルメされたゴリラの焼印が入ったお団子。これを見た瞬間にすぐにこれは絶対に《ゴリラ》ちゃんが喜ぶに違いないと思ってオフ会の近い日に買って喜ぶ顔を想像しながら買ったのに、危ない危ない。

 申し訳ないと思いながらも遅刻する旨をメッセージで送り、暖かい所で待っててもらう様にお願いしておいた。

『分かりました!』といつもの素直で端的な返事。

《ゴリラ》ちゃんのお返事がいつも好きだった。顔も本当の名前も知らないけど、チャットでのやり取りだけで十分に人柄が伝わる人だった。私も同じ様に分かりやすく伝えたいタイプなので適度な距離感でとても落ち着く相手なのだ。

しかし中々警戒心が強くて会うという話に漕ぎ着けるまでは他の人とは比べて特に時間が掛かった。《ゴリラ》ちゃん曰くネットで知り合った人と会うのは怖くて一度も会った経験が無いのだとか。初心な所がまた可愛いのだ。

私なんて色んな人と会ってオフ会して楽しんでるのに、今どきそこに抵抗感を持つ子もまだ居るんだなと思うと感慨深いと言うかなんと言うか暖かい気持ちになった。私も初めてのオフ会はドキドキしてたなんて思い出した。いや、してたかな。嘘ついたしてない、ワクワクしてた。


【ゴリラ】10:40


《雨》さんどれぐらい遅れるんだろうか。

とりあえずは本を読んで待ってよう。

外が見える様に窓側に座って頼んだコーヒーを飲みながら読書をする。喫茶店の静かな喧騒を感じながら読むのは初めてだったが、嫌いな雰囲気では無いなと感じた。たまにはこういうのも良いかもしれない。


 しばらく読書をしていると窓に水滴が付いたのに気がついた。雨が降り出した様だった。

《雨》さん大丈夫かな。駅前は屋根があるから大丈夫だろうけど、約束の場所は丁度屋根がない。一応メッセージ送っておこうかな。

『雨さん、いま雨が降って来ました。雨具は持って来ましたか?』

メッセージを送った後にまるで《雨》さんで韻を踏んだ様な文になってしまい自分で笑ってしまった。

『なんだかリズミカルな文だねw教えてくれてありがとう!折りたたみ傘持ってるから大丈夫!』

雨具を持ってる事にホッとして私はまた読書に戻った。


【雨】10:53


 約束の場所の最寄駅に着いた。

《ゴリラ》ちゃんがメッセージをくれていた通り雨が降っている。

私がハンドルネームを《雨》と名付けたのは私が雨女だったからと言うのもあるけれど。元々は嫌いだった雨を好きにしてくれた人が居て。その人の事を忘れない様に《雨》と名付けた。


 目的地の時計台が見えたけど屋根が無いので折りたたみ傘をさして近くの喫茶店へと向かった。この辺りは喫茶店が何店舗かあるけど、時計台がよく見える店は見渡した限りここが妥当だと思うし《ゴリラ》ちゃんなら絶対にこの店を選ぶはず!

『ゴリラちゃん!喫茶店に着いたよ!』

メッセージを送るとニ、三分ほど待って返事が返って来た。

『雨さん私窓際の席で待ってますよ!コーヒー頼んで本持ってます!』

言われた通りの所へ向かい、コーヒーと本という特徴を頼りに《ゴリラ》ちゃんを探す。


しかし、見た感じそれらしい人は居ない。

『ゴリラちゃんって今離席してたりする?見つけられない〜!』

『いいえ!普通に座ってますよ!?立って手を振ってみましょうか?ところで雨さんはどんな物を目印にすれば良いですか?』

『そうだね!手を振ってもらった方が分かるかも!私は目印になるかもって赤いマフラーしてきたよ!私も手を振るね!』

窓際の席を見渡しながら手を振っているだろう《ゴリラ》ちゃんを探す私だが、やはり見当たらない。

おかしい、これは何かがおかしい。

『ねえ、ゴリラちゃん今あなたはどこのお店にいるの?』

『私はrainてお店に居ます!』

ああ、やっぱり。

『ごめんゴリラちゃん私は喫茶5LIRAって所にいる…』

お互い違う喫茶店に入っていたのだ。


【ゴリラ】10:55


 なんて事だ。

私が入ったお店の名前を伝えなかったせいで入れ違いをさせてしまった。《雨》さんならrainという名前のお店を選ぶだろうと勝手に思って伝える事を怠ってしまった、早く合流しなければ。

『雨さんそこで待ってて下さい!私がそっちのお店に行きます!』

『いやいや!私も聞けば良かったのに決め打ちで入ったのが悪いし私が行くよ!』

『いえいえ!お店に入ったばかりですぐに出るのもなんか気まずいじゃないですか!なので私がそちらに行きます!待っててください!』

店を出ようとした時、降っていた雨が凄まじい勢いでさらに降り出した。おそらく通り雨だろう。

『すみません雨さん…この大雨がマシになるまで少しだけ待ってて欲しいです…。』

『やっぱり私が行った方が良いんじゃないかな』

『いえいえ!こんな王雨の中では傘を差しててもビショビショになっちゃいますよ!風邪を引いて欲しくないしすぐに止むでしょうから少し待ちましょう』

『そうだね、あと少しの所に居るはずなのに会えないなんてもどかしいけど。この時期の雨に濡れるのは確かに身体に悪そうだわ…』

短くて15分程度、長引いても1時間程度で止むだろう。早い時間から待ち合わせていたからお昼までには会えそうだ。

『止むまでいつもみたいにメッセージしましょうよ!』

『そうだね!もう〜!自分のハンドルネームの雨が憎く思えて来たー!』

『私は雨さんの名前が好きですよ!』

『優しい言葉ありがとう!嬉しいよ!』


【雨】11:07


 小腹が空いた。うっかり寝坊しそうになって急いで出掛けて途中でコンビニでも寄って何かをつまんで行こうと思っていたのに、お土産を忘れて取りに帰った分、朝ご飯にありつけなかった。完全に自業自得なのだけれど何か食べたい。でも今から一人で先に食べるのは嫌だ。


『ねえ、ゴリラちゃん。私ね、朝食べ損ねて小腹が空いているんだけどお互いに少しだけ何か食べないかしら?ランチがちゃんと食べられる様にガッツリは食べないからさ!』

『良いですね!食べましょう!ペコペコのまま待たせるの悪いですし、お昼にお腹空いてなかったら昼は少しずらしても良いですし!』

『助かるー!お互い頼んだ物写真送り合わない?』

『楽しそうですね!ぜひ、やりましょう!』

《ゴリラ》ちゃんは否定文を知らないのではないかと思う程に肯定文を返してくれる。

そんな所も大好きで早く会いたいけど、憎き雨が私と《ゴリラ》ちゃんを今引き裂いている。久しぶりに私の雨女ぶりに腹が立って来る。

腹が立っているのはお腹が空いているせいなのもありそうだが。


 とりあえずメニューを見てみる。全部おいしそう。ダメだ、お腹が空いているせいで全部美味しそうに見える。頼み過ぎないように気をつけないと。

『メニュー見てたら全部美味しそうでお腹空いて来ちゃいましたw』

『私も同じ事思ってたよw写真で既に美味しそうで食欲唆るよね!』

『何にしましょうかねー?こっちのメニューにはお店の名前にちなんだ名前が付いてて可愛いくて…とってもオシャレな感じです!』

『こっちのメニューは凄く面白い名前付いてて笑っちゃうよwゴリラちゃん絶対好きだと思うw』

『ええー!?どんなのがありますか!?気になります!』

『えーとね、ちょっと待っててね!写真撮って送るね!』


【ゴリラ】11:15


 《雨》さんから写真が送られて来た。

写真を拡大してみるとメニューの文字が見えた。全部に《ごり君の〇〇》という感じの名前で書かれていて笑ってしまった。

『ちょっと雨さん…これは笑いますねw』

『そうでしょ!こんなメニュー欄ゴリラちゃんのための様なものよw』

『そちらのお店に入って居れば…!惜しい事をしましたw』

『だねwそっちはどんなメニューなのー?気になる!』

『しばしお待ちを!写真撮りますね!』

撮った写真を送るとすぐに返信が返って来た。

『オシャレ過ぎない!?夕立のナポリタンとか霧雨のバジルパスタとか!』

『色んな雨の名称が商品全部に付いてます!』

『くそう!私がそちらに行くべきだったw』

『行った店が逆だったとしても私達結局すれ違う運命ですねw』

『確かにw今度はちゃんと待ち合わせしようね!』

今度は、と書いてくれる事に嬉しさを感じる。


 私は《雨》さんとお話していると心が穏やかでいられるから大好き。気を抜いていたらすぐに余計な事を考えて暗くなる私の心をいつも明るく暖かく照らしてくれる。

《雨》という名前とは真逆の印象で太陽みたいな人だと感じている。考え方とか言葉選びとか自身の経験を踏まえて色々教えてくれたり、いつも柔らかくて心地よいのでつい甘えてしまう。

こんなに人に信頼を寄せたのはこの人が初めてかも知れない。顔も見た事ないんだけど。

今までリアルで関わった人とも、ネット上でやり取りして来た人とも全然違うと感じたのは過去の恩人と《雨》さんだけだった。


【雨】11:18


 注文を済ませて待っていると、小さな女の子が泣いているのが目に止まった。

お子様ランチが無いのが嫌だったらしく他の店が良いと全身全霊で主張している。

あの全力な感じ、とても子供らしくて微笑ましく見える。親御さんは周りに謝りながら泣き止まそうと大変そうだけど。

《雨》を特別にしてくれた人は、あのくらいのまだ幼い女の子だったのを思い出した。

まだ小さい子どもの筈なのに妙に大人びた様子で不思議な雰囲気の子だった。



 その子と出会ったのは地元の近くの大きな公園で、その公園は遠足に使われる事が多く幼稚園児や小学生が来る事が多かった。

私は当時中学生だったのだが、父の死がショックでしばらく学校に行けていない時期だった。

 あんな無邪気に何も気にする事なく過ごせる子ども達を眩しいなと思いながら見ていた。

突然激しい雨が降り出して、それから逃れる様に中が空洞になっている大きなゴリラの形をした遊具の中へと避難した。

そこには小さな女の子の先客が居た。

「あっ…ごめんね。私も雨宿り良いかな…?」

私の断りに女の子は首を縦に一回振って答えた。人見知りなのかな。私も人見知りだから何となく分かる。知らない人といきなり二人きりなんて気まずいよね。

「私の名前は、はる。お天気の晴れるって書いてはるって読むの。良かったらお名前教えてくれない?」

「…しぐれ」

「素敵なお名前だね!雨が止むまでよろしくね、しぐれちゃん」

彼女はまた首を一回縦に振って答えた。


 遊具の入り口から外を見ているとまだまだ激しく雨が降り続いている。しばらくは止みそうにない。

「しぐれちゃん。先生が心配したりしないかな大丈夫かな?」

「だいじょうぶ。さっき向こうのせんせいにおてて振っといた。」

彼女が指を刺した方を見ると園児達を屋根にまとめている先生が居てこちらを見ていて、目が合うとお互い会釈をした。

雨足が強すぎるから無理に移動させずに、しぐれちゃんに雨宿りさせているのだと分かった。

彼女の様子を見ていると特段はしゃいでいるわけでもなく、泣き出しそうな様子でもなく。ただ淡々としていてとても落ち着いていた。


 雨宿りの間じっとして居るのも退屈だったので私はしぐれちゃんに話しかけた。

「ねぇ、この遊具は何の動物か分かる?」

「…ごりら」

「正解!凄いねしぐれちゃん!ゴリラの手の力って凄くてね、本気で握手したら骨折れちゃうくらい強いんだよ」

「そうなの?」

「うん!でもゴリラは優しいから怖くないんだよ!」

「しらなかった!かっこいいね、ごりらって」

そう言ってしぐれちゃんは初めて笑った。

その顔を見て私は何だか堪らなく嬉しくてその後も好きな食べ物の話など色々話した。


 しぐれちゃんは話せば話すほど楽しい子で物の捉え方や考え方が好きだった。この子に聞けば嫌いな物も何でも好きになれる気がした。

「しぐれちゃん。私ね、雨が嫌いなんだ…」

「どうして?」

「遠足とか楽しい事しようとするといつも雨が降って無くなっちゃう事多くてさ」

「雨がふると水たまりができるから嬉しいよ」

「そうなの?」

「うん。水たまりが出来るとお水の中に反対の世界がみえて楽しいんだよ」

「鏡みたいにって事?」

「うん、こっちに雨が降っていたら向こうが晴れて向こうの人が楽しいんだよ、順番だっておとうさんが言ってたの」

「順番か!その発想は無かったなあ、確かにこっちばっかり晴れてると反対側は雨ばかりでつまらないもんね!」

「うん。だからこっちが雨だと水たまりの反対のせかいが晴れて向こうがわの人がうれしい気持ちになるんだよ」

 向こう側の世界。鏡に映った世界をもう一つの世界として考えているのかなこの子は。

そう考えるだけで世界が凄く広く感じた。狭くて苦しいと思っていた世界を少し見方を変えると楽に思えた。

「わたしのおとうさんが…あっちの世界にいるから雨が降るとうれしいんだ。」

それってつまり、と思って言葉を出せずにいると、しぐれちゃんが再び口を開いた。

「おとうさんが教えてくれたの。この世界から居なくなっちゃっても、水たまりの窓でしぐれを見守れるんだよって。だから水たまりが出来た時にしぐれも覗いてくれたら、おとうさん嬉しいからって」

 向こう側、つまり死の世界。

まだこんな幼いのに妙に大人びた様子なのはこのせいなのか。親の死を受け入れるのは容易ではないのは分かる。私も父を失ったばかりだからこの子の事を他人事に感じる事が出来なかった。

 彼女のお父さんが最後に残した寂しくない様にと、かけたおまじないを彼女はちゃんと自分とお父さんの為に信じて過ごしているんだ。


 あまりにも健気で優しくて涙が溢れ来た。

「どこか痛いの?だいじょうぶ?」

しぐれちゃんからハンカチを差し出されて余計に声を上げて泣いてしまった。

これではどちらが小さな子どもか分からない。

「私の…お父さんの世界も向こうで晴れてるのかな…」

「晴れてるよ、きっと楽しいことしてるよ。おねえちゃんも水たまりを見て元気だしてね」

しぐれちゃんは不器用な手つきでハンカチで涙を拭いてくれる。お礼を言ってハンカチを受け取って涙をちゃんと拭った。


 しばらく泣きじゃくっていた間にいつのまにか雨が止んで晴れていた。

「おねえちゃん、またね」

しぐれちゃんは走って先生の方へと向かって去っていった。手元にしぐれちゃんから借りたハンカチを持ったままなのに気が付いて、急いで彼女の乗ったバスを追いかけたけが間に合わなかった。

 雨粒と傘の刺繍が入った可愛いハンカチ。

何度か同じ公園に行ってみたけれどしぐれちゃんとはあれから二度と会えなかった。

 あの時に借りたハンカチは大人になった今でも大切に保管している。

物の捉え方や考え方。そして父の死を少しでも寂しくない様に思えるおまじないを教えてくれた恩人の優しい忘れ物。


【ゴリラ】11:20


 頼んだ軽食が届いた。

小雨のハム玉サンド。小さく盛られたサンドイッチにオシャレにデフォルメされた雨の絵が描かれた爪楊枝で作った旗が刺さっている。

写真を撮って《雨》さんに送る。

『わぁ!可愛い!爪楊枝で旗が付いてるなんてお子様ランチくらいでしかしばらくお目見えしてないけど、これは大人だね!』

『シンプルなサンドイッチがお皿と爪楊枝の旗だけでこんなにオシャレになるなんて恐ろしいですこのお店…』

《雨》さんからも写真が送られて来た。

可愛いゴリラの焼印が入ったホットサンドだった。

『見てゴリラちゃん!この商品名はごり君のお夜食ホットサンドだってw』

『ごり君お夜食しちゃってる!笑っちゃうw』

楽しくメッセージしながら食べるご飯はとても美味しかった。

 窓の方を見ると雨はまだ降っている。

ふと気になって《雨》さんに聞いてみる事にした。

『いまさら気になったんですけど雨さんってどうして「雨」て名前にしたんですか?』

『私が雨女って事もあるんだけどね。雨が降って嫌な事ばかりあった時期に物の見方を変えてくれたと言うか、捉え方や考え方で世界は広くて優しくなる事を教えてくれた子がいてね。そのキッカケが当時、私よりも遥かに小さな子だったんだけど、その子からの話を聞いて頑張れたの』

『小さな子ってどれくらいだったんですか?』

『私が中学生の頃にその子が幼稚園児で遠足に来てた子だったんだ。私が不登校で公園でボーッとしてたら突然大雨が降ってね。近くにあった遊具に避難したら同じ様に雨宿りしてたのがその子だったんだ。その時に悲しみを乗り越えるおまじないの話を聞いて前向きになれたんだ』

『どんなおまじないですか?』

『こっちで雨が降ると反対の世界では晴れて、反対の世界の人が楽しく晴れの日を過ごしているって話でね。水溜まりはこの世とあの世の窓でお互いに見守り合えるんだよって優しいお話だったんだ。素敵な話でしょう?』


 私もその話を知っていた。

父は【水たまりの窓】と言うタイトルの絵本をよく読み聞かせてくれた。その内容に天国とこの世を繋ぐ水たまりの窓のお話があったのだ。《雨》さんが出会ったその子もその話を聞いていたのかな。その子のおかげで私は《雨》さんと出会えたのかも知れない。

『素敵な話ですね!水たまりの窓のお話を絵本で見たことあります!』

『えー!?絵本あるの!?読んでみたいなぁ!ネットで検索したら出るかな!?』

『【水たまりの窓】ってタイトルです!』

『OK!ちょっと探してみるね!』


【雨】11:26


「水たまりの窓 絵本」と検索してみる。

すると違うタイトルの雨にちなんだ本が出てくるばかりで同タイトルの絵本がヒットしなかった。

『ゴリラちゃーん!全然違うタイトルの絵本ばかり出てくるよー!』

『あらら…もしかしたら古すぎて出てこないのかも知れないですね。図書館とかでも見かけた事ない本でしたからそんなに人気ないのかも。何せ私が子どもの頃に読み聞かせてもらっていた絵本ですからね』

『ちょっと子ども向けじゃない表現だから部数が少なくてレアものだったのかなぁ…ゴリラちゃんが良いって言うなら今度見せて欲しいな!』

『もちろん!今度持って行きますね!』


 軽食を済ませたけどまだ激しい雨は止まない。

雨はいつも私の楽しいイベントを潰してきた。

学校の遠足も家族とのお出掛けも、本来ならもっと父と思い出を作れていたかも知れないと何度も思った事があった。

あの日に雨が降らなければと、何度も雨を恨んだ。全部雨のせいにしてしまいたかった。

身体の弱い私が風邪をひかない様にと気を使って予定を取り止めて一緒に居てくれた家族に対して私は酷い事を言った時もあった。自分の身体の弱さが憎かった。自分のせいでみんなの楽しい時間を奪っている様な感覚がずっと付き纏っていた。外で自由に過ごせない不自由さが嫌だった。もっと外で広い世界で家族や友達と楽しい日々を過ごして居たかったのに。自分の意思ではどうにも出来ない身体の不調で動けなくなる自分が嫌いだった。数少ない外出の機会を雨に奪われるのが本当に本当に悔しかった。


 私が雨で不貞腐れるといつも父は慰めてくれた。

「晴ちゃん、お父さんは雨好きだよ」

「わたしはきらい!いつもお出かけ行けなくするじゃん!」

「太陽さんもたまにはお出掛けしたいんだよ」

「わたしがお出かけしたい時ばっかりふるじゃん!なんで!」

「ははは!それは晴ちゃんが太陽だから太陽さんは晴ちゃんに元気に晴れてるからお出掛けしてるんだよ。晴ちゃんが元気で居てくれたら太陽さんも嬉しくてお出かけしたくなって。それで雨になる」

「嬉しくてなみだが出ちゃうの?へんなの」

「うん、嬉しくても涙が出るんだよ。お父さんだって晴ちゃんが産まれた時、凄く嬉しくて涙が出ちゃったんだ。太陽さんも嬉しくて泣いてくれてるんだ」

そんな風に言ってくれた父だけど、私が中学生に上がる前に急病で息を引き取った。

その後の私は嘘みたいに身体の具合が良くなって相変わらずなのは私が雨女である事だけだった。

 晴れるという漢字を一文字書いて「はる」と読む私の名前は雨女の私に世界一似合わない名前だとつくづく思っていた。

父はいつも「晴はお父さんの太陽だよ!」と言ってくれていた。父がそう言ってくれてくれたからまだ好きでいられた。


 しぐれちゃんとの雨宿りのあの日。

先生と一緒に居た園児たちは激しい雨に黄色い声を上げ、はしゃぎながら雨宿りをしていた。

私も子どもの頃に出掛けの途中で雨が降っていたらこんな風に雨を友達と、家族と楽しんで居たのだろうか。

雨が降ると暗い過去を思い出してしまう。

それと同時にしぐれちゃんが慰めてくれた事を思い出して心が温かくなる。彼女は私の心の中にずっと居るポカポカした太陽だった。


【ゴリラ】11:30


 雨が思ったより長く降っている。

《雨》さんから聞いたハンドルネームのキッカケを聞いて過去の雨宿りを思い出していた。

あの時に一緒に居たお姉ちゃんからゴリラがとてもパワーがあって強いのに優しいと聞いて、忘れないうちに動物図鑑を見に行った事があった。

その時に図鑑を覗きに来た子にお姉ちゃんから聞いたゴリラの話をしたら凄く盛り上がって、それをキッカケに私は動物図鑑を読み漁り、動物のお話をする事で慣れなかった人の輪に入る事が出来たのだ。

人見知りが激しくて、人と話す事がずっと怖くて避けていたけれど、あの日の雨宿りにお姉ちゃんが沢山話しかけてくれた事で人は怖くないかも知れないと感じたのが大きかったと感じる。


 小さな頃から人の微妙な気配を察してしまうので一部の大人からは「大人っぽい子」と言われてた。差し障りのない様に常に主張せず、聞き分けの良い子でいるのが私という人間だった。

私が物心ついた時には父は既に病に蝕まれていて、先が長くない事を何となく分かっていた。

 父が読み聞かせてくれた絵本の内容は私の為にと願っての事だと分かっていた。優しい父が大好きだった。

もっと一緒に居たかったけど苦しんでいる父を見ているのはもっとつらかったから、亡くなって安らかな顔を見た時は何故かホッとしていた自分がいた。

 本当は苦しくて仕方が無いのに私が来ると元気なフリをする父が悲しくてつらくて、でも大好きで。取り繕わせてしまうのを分かっていても父が元気なフリをしてくれると元気な気がしてしまうから、私も気がついていない様に振る舞っていた。


 学年が大きくなると自己主張が出来ないとダメだと痛感させられた。

分かっていても人を怖いと感じてはコミュニケーションを取る事が苦手にしまってどうしても上手くいかなかった。

 そんな時に最初に喋られるようになったキッカケのお姉ちゃんを思い出した。

あの時のお姉ちゃんはどうやって話してくれていたかな?私は初めは上手に喋られなかったのにお姉ちゃんが話してくれている内に話したくなって、気がつけば私は沢山話していた。


 お姉ちゃんを思い出しながらみんなと話してみよう。

そう思ってからは不思議と人と話す事が怖くなくなっていた。私が誰かとお話しする時はいつも心にあの時のお姉ちゃんが一緒にいる。

『ねえ!ゴリラちゃん外見て!雨止んでない!?』

《雨》さんからメッセージが届いていた。

昔の事を思い出してボーッとしていたら気がついていなかった様だ。

『本当だ!ボーッとしてたら気がついてなかったw』

『もう止まないんじゃないかと思うほど降ってたけど止んで良かったあ!』

『最初の約束の場所で会いましょうか!』

『だね!』


【雨】11:38


 雨が止み、ようやく《ゴリラ》ちゃんと会える。

お会計を済ませてお店を出る。

最初の約束の場所、時計台。

ここは待ち合わせに使う人が沢山いる。

そう言えば最初に《ゴリラ》ちゃんの言っていたコーヒーと本の特徴は今は無くなってしまったであろうからもう一度聞きておかないとな。

メッセージを送ろうとしていたら一人の女性に声を掛けられた。

「雨さん…ですか?」

「え…?はい!え??」

「ゴリラですw赤いマフラーの人あなたしか居なかったのでもしかしてと思って!」

「わぁ!ゴリラちゃん!やっと会えたぁ!」

私は嬉しくてすぐにハグをした。

ゴリラちゃんは笑いながらハグをし返してくれた。


「あっ!ねえねえ!ゴリラちゃん。もしもあなたが良ければ本当のお名前を聞いても大丈夫?街中で女の子にゴリラと呼ぶのに凄く抵抗あるし…下の名前だけで良いからさ!」

「そうですね!私の名前は時雨って言います」

「え…しぐれ…?」

「はい。時の雨って書いてしぐれと読みます。雨さんは?」

「えっ!?あっ…えっと!私は晴です!晴れるって漢字一文字ではるって読みます!」

「ええ!?お互いお天気の名前だなんて何か運命感じちゃいますね!」

「そうだね!」

 偶然とはいえ恩人と同じ名前の響きの子を目の前に動揺していたが、あまりにも可愛いリアクションをする時雨ちゃんに笑った。

私もまた彼女が言うように運命やご縁のようなものを時雨ちゃんに感じていた。


【ゴリラ】11:40


 待ち合わせの場所でやっと会えたことに喜び、面と向かって会うのは初めてのはずなのに不思議と怖いとは感じなかった。

今まで面識の無い人と会うのが怖くて決断できなかったけど、晴さんとは意外と共通点が多くて会いたいと初めて思った。実際に会えて本当に良かった。

「ねえ時雨ちゃん。私さ、雨女なのに晴って皮肉な感じしない?」

「素敵なお名前だと思います。それに晴さんはいつも優しくて暖かくて、私にとっては太陽みたいな人ですよ」

「ええ…時雨ちゃん…あなたはどうしてそんなに優しい言葉ばかり出てくるの…泣いちゃう」

 晴さんは泣き出してしまった。

「ああっ!泣かないで晴さん!」

私は持っていたハンカチを晴さんに手渡した。

「ありがとう…優しい…優しいよう…」

差し出されたハンカチで涙を拭い、落ち着いた頃に晴さんがハンカチを見て固まっていた。

「ねえ、時雨ちゃん。このハンカチってどこで買ったの?」

「このハンカチは母のお手製ですよ。」

「ええ!?本当に!?ちょっと待ってね!」

晴さんはスマホを開いて操作して一枚の写真を私に見せた。

そこには見間違えるわけがない母の刺繍の入ったハンカチの写真があった。

「どこでこれを?」

「雨宿りの話したでしょう?その時の子が忘れて行った刺繍の入ったハンカチなの。何かの縁でまた出会う時が来たら返せるようにってずっと大事に持ってたの」

「こんな事って…あるんですか」

「それは私が言いたいよ」

あの日の雨宿りのたったの二人ぼっちが今こうしてまた会うことが出来た。

初めて会いたいと思った人が、あの日のおねえちゃんだった。


【雨】11:49


 どこかでまた会えたら返そうと思ってハンカチは大事に取っていたけれど。

何度あの公園に立ち寄っても、しぐれちゃんに会う事は叶わなかったのに。

二十年近く経ってようやく会えた。

名前も顔も知らない友達として。


「今度、借りたハンカチ返させてね…!」

「そんなに大事に持ってくれていた物を受け取れませんよ。そのハンカチはもう晴さんの物です。」

「でも…お母さんのお手製の物を頂くのはなんだか申し訳ないよ」

「実は私はよく物を失くしてしまうから何枚も持っていて…母によく怒られてはすぐに新しい物を作ってもらっていたんです。ですから私は沢山持っているし、そのハンカチも晴さんに持ってもらって幸せだと思うので持っていて下さい!長い間大切に持っていてくれた晴さんに感謝します。お陰で私達はまた会えました、本当に本当にありがとうございます!」

 挫けそうな時も悲しい時もあのハンカチを見ては、しぐれちゃんを思い出して何度も助けられてきた。

こんなに長くお世話になってきた物を手放すのは正直寂しいと感じていたから、時雨ちゃんから持っていて欲しいと言ってくれて正直嬉しかった。

「では、お言葉に甘えて。これからも大事にさせてもらいます!」

「ぜひ!」


【ゴリラと雨と】


 あの日の奇跡的な再会から私達は何度も会って、美味しいものを食べたり、旅行に行ったり思い出を沢山作りました。

その時に時雨ちゃんから聞いた話なんだけれど。私が絵本を見たいと言って時雨ちゃんが絵本を持って行こうとした時にお母さんから「それはお父さんが作った世界に一つしかない絵本だから絶対に持って帰ってきて!出来ないなら持って行かないで!」と凄い剣幕で言われたそうで。

【水たまりの窓】は時雨ちゃんのお父さんのオリジナルの絵本だったらしく、時雨ちゃんが寂しく思った時にこの絵本を見て元気を出して欲しいと願って作られた世界に一冊しかないという尊い本でした。

ネットで検索しても出て来なかったのは当然の結果なのでした。


「晴さん聞いてよー!お母さん凄い剣幕で絶対に失くさずにこの絵本持って帰って来て!て言われたんだけどね。晴さんに見せるからって伝えたらそれなら心配要らないわね!って手のひらクル〜てされたんですよ!」

「あはは、時雨ちゃんは本当によく物無くすからねえ!」

「いつも失くした物見つけて届けてくれる晴さんに信頼置いてますもん、お母さん」

「私がいれば安心だよ時雨ちゃん!」

「そうですね、晴さんが安心です!」


 あの日の奇跡的な再会から私達は今まで会えなかった分の思い出を埋める様にお互いの事について沢山話しました。

晴さんは私から物の捉え方や考え方を。

私は晴さんから人と関わる楽しさを。

長い間会うことはなかったけれど、私達は雨が繋いでくれた縁で、私がハンドルネームを《ゴリラ》と名付けたのも晴さんが《雨》と名付けたのもあの日の雨宿りがキッカケで、お互いにちゃんと掲げていた目印に向かってこの雨の日のご縁の糸を手繰り寄せていたのかも知れない。


おわり。

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