第76話 サメとアザラシとペンギンと
晴れた青空の下、深い青の海を背にキュイキュイ犇めく青ペンギンの群れ。
予想だにしていなかった状況に唖然としているとヨヨが嬉しそうに目を細めて、
「フカワニサメを追い払ったから、青ペンギンが来れるようになったのー!」
フカワニサメを追い払った――どうやって?
そこに至るまでの過程が全く分からず詳細について尋ねると、ニアが照れながら説明してくれました。
「あのね、師匠が村を出た日の夕方ね、イチが海に帰りたいって言いだしたから、ニーナに相談したんだ! そしたらね、ニーナがトゲアザラシの群れが近くに来てるよって教えてくれて。だからイチに『仲間が近くにいるけど、フカワニサメがいるから気を付けてね』って言ったら、イチが海に向かってガァアアア! って鳴きだしたんだ!」
リュカさんが村を出た日――となると、2週間くらい前の話、でしょうか?
「ずっと鳴いてるから、何か変な病気かも知れないと思って、慌てて村長呼んで戻ってきたら……発情期の鳴き声だって。でもイチの近くに雌のトゲアザラシいないし、どうしちゃったんだろうって心配だったんだけど、夕ご飯の時間だったからずっと傍にもいれなくて……夕ご飯食べた後また様子見に言ったら、岩場に大きなトゲアザラシがいっぱい来てて……!」
なるほど、動物の中には子を成す準備が出来ると特殊な鳴き声で相手を誘う種がいる、というのは本で知っていましたが――
「つまり……イチが仲間を呼び寄せて、仲間にフカワニサメを追い払ってもらったって事?」
「うん! イチ、大きなトゲアザラシ達に囲まれてモテモテだったよ!『人は見た目で惚れるけど、トゲアザラシは鳴き声で惚れるんだ』っておじいちゃんが言ってた!」
相手を惚れさせる声――だとすればフカワニサメという障害がありながらも雌達を引き寄せたイチは、実はすごい美アザラシだったのでしょうか?
悪者に捕まって外に出られない美青年と、美青年を助けに行く女性達――絵面を想像すると違和感しかないのは、私が人だからでしょうか?
「……それでね、サメは追い払えたけど、サメと戦って怪我した仲間がいるから治してほしいってイチに言われて、また村長連れて行ったら村長物凄く嫌な顔してた」
「それは……嫌というよりは、怖かったんだと思うわ。治療はしてくれたんでしょう?」
私の質問にニアは小さく頷きます。
私は成体のトゲアザラシを見た事がありませんが、村の人達が言うには居座られると困る位魚を食べる、フカワニサメにも負けない固いトゲで覆われた巨体と聞いています。
突然そのような生物の治療を頼まれたら、私だって顔が強張ってしまうでしょう。
「でも……今はもうトゲアザラシの姿はないみたいだけど……?」
今岩場に大勢いるのは青ペンギンです。リュカさんのテントがあった辺りでいつもお腹を空かせてプクッと膨らんでいたイチの姿も見当たりません。
「あ、トゲアザラシは村長が怪我した子達の傷が塞ぐまで一週間位かな? この岩場にいたんだけど、皆傷が塞がったらイチと一緒に海に帰っていったんだ!」
なるほど――これでフカワニサメがいなくなって、トゲアザラシも海に帰って、平和になった所で青ペンギン達がやってきた、という流れのようです。
フカワニサメが来る前、青ペンギン達はいつもこの時期に来ていたそうですし、異常事態という訳ではないようでホッとしていると、
「……フカワニサメ討伐の代金を肩代わりして恩を作っておこうと思ったんですけど、ちょっと遅かったみたいですね」
私の隣で肩を竦めるライゼル卿の表情は穏やかですが、声は明らかに残念そうです。
借りを作らずにすんで改めてホッとしていると――
「先生、大人のトゲアザラシ、すごく大きかったの! 膨らんだらあの岩より大きかったの!」
「お陰でその間全然魚釣れなくてさぁ……作ったばかりの保存食食ってたんだ。また作らねえと」
「とは言え、今も青ペンギンが魚食ってるからあんまり釣れねえんだよなぁ。この間なんて、子どもの青ペンギンが釣れて親ペンギンに追い掛け回されるわ、村長に叱られるわ……」
「ところで先生、師匠は!?」
「ゴーカがリュカが先生追いかけて行ったって言ってたけど、会えた!?」
子ども達の畳みかけるような声、村人達のため息交じりのぼやきが交錯する中、
「そうそう、皆聞いてくれよ! ついに師匠が先生に告白したんだってよ!!」
子ども達も村人達も大勢いる前で叫んだイチルの言葉に頭が真っ白になります。
何とかしなければ――と私の声が出る前に、先に子ども達の言葉が宙に舞いました。
「嘘!! 師匠の事だから、絶対誤魔化すと思ってたのに!!」
「ヨヨ、師匠は言う時は言うって信じてたの!」
「って言うか先生、物凄く美人になってないか……!? いや、前も凄く美人だったけど……!!」
「イチル達が言ってたの、嘘じゃなかったんだな……!」
「おい、信じてなかったのか!? なら更に驚け、先生は公爵と対決して勝ったんだ! ウェサ・クヴァレじゃ麗しの女傑、なんて言われてるんだぞ!」
「女傑……!? 女傑ってなんだ!?」
「えっと……女傑は……女王様みたいな」
「男子うるさい!! 先生、何て告白されたの!? 帰って来るって事は受けたんだよね!? どんな感じで受けた!?」
「いつ師匠と結婚するのー!?」
「先生、結婚指輪って奴作る!? ならオレが祝福込める!」
滝のように浴びせかけられる子ども達の質問――こんな事なら『リュカさんについては自分から言うから黙ってね』とイチルとサンチェに伝えておくべきでした。
「皆、落ち着いて……! まず、私は公爵と対決した訳ではありません……! 話を聞いてもらって、この村の自治権を認めてもらっただけです……!」
「ですが、女王様というのはあながち間違ってないかも知れませんね……ウェス・ティブロンの主として認められた訳ですから」
「ライゼル様、これ以上話をややこしくしないでください!」
他人事のように首を突っ込むライゼル卿に声を荒げると、
「ウェス・ティブロン……?」
「ウェスは確か、ラリマー領……だよね? アクアオーラ領ならウェサ、じゃないの?」
不幸中の幸い、と言うべきか、聞きなれない響きに子ども達が興味を示してくれました。
「ああ、それについては今から説明するわ。その前に……父上の姿が見当たらないけど、家にいるのかしら?」
ここから家はそれほど離れていません。これだけ外が賑やかだと、家から出て来てもいいはずなのですが――
「あ、村長ならあっちの方でペンギン達治療してるぜ」
ゴーカが指差した岩場の方には、ペンギンが6匹ほど整列しています。
そしてその先に――岩場に腰かけて項垂れる伯父様の姿がありました。
「あのね……ペンギン達から『真珠あげる代わりに、怪我してたり具合の悪い子を見てほしい』ってお願いされたんだ。だから村長に頼んで診てもらってるんだけど……」
「村長の魔力にも限りがあるだろ? だからペンギン達にも午前午後、先着5匹までってニアや大人達が伝えてるんだけど、聞いてくれない奴もいて……だからリュカが戻ってきてくれたら、こういう時どうすればいいか教えてくれるかなぁって……」
確かに、周囲をパッと見渡すだけでも青ペンギンの数は50匹は超えています。中には聞き分けの無い子もいるでしょう。
整列するペンギン達の中にリュペンらしきペンギンが羽をパタパタさせて怒っているのが見えます。
恐らくですが、ニアの伝えたい事を代わりに説明しているようです。相手は完全にそっぽを向いていますが。
そして伯父様はこちらの賑わいにも気づかないほど憔悴しているようです。
それもそのはず。トゲアザラシの治療に続いて、大勢の青ペンギンの治療――この二週間、大変な目に合っていたのは私だけではなかったようです。
「皆……説明は父上を助けてからでいいかしら?」
リュカさんとの事、これからのティブロン村の事、村の人達には説明しなければならない事がいっぱいありますが、今はそれより何より伯父様救助を優先しなければならないでしょう。
「いいの! 皆、村長が痛いのちょっと治してくれる人だって覚えたから、朝と夜、村長の家の前に集まって、誰が先に治療してもらうかで喧嘩して怪我増えたりするの……!」
「村長、元々やつれてたけど最近より一層やつれててさぁ……今一番治癒必要としてんの、村長だと思う……」
私の言葉に反論する人は誰一人おらず、私は羽織っていたショールをニアに渡し、伯父様達の所へ向かいました。




