第70話 同じ事の繰り返し・2
「システィナ……本当に、済まなかった。私がただひたすら弱かったばかりに……君を街に誘った愚かさに、守れなかった弱さに押し潰されて、一番大切な君を、失ってしまった。だが、私はシスティナの事を愛していた……信じてもらえないかも知れないが……本当に、愛していたんだ……!!」
ボロボロと涙を流すコンラッド様が嘘を言っているとは思いません。
事件が起きるまでの記憶を遡れば、コンラッド様は間違いなく私の事を愛してくれていた。
「コンラッド様……貴方は先ほど、『何故システィナが死んだなんて嘘を』とお父様と兄様を罵倒なさいましたが……誘拐事件以降一度も私に会いに来ず、手紙も送らず、葬儀にすら来てくださらなかった貴方が本当に私を愛していたと思うでしょうか? 真実を伝えてあげよう、という気になるでしょうか?」
「それは……」
「……貴方の愛を否定している訳ではありません。ただ、人の愛は態度や行動からしか感じとれません。心の中でどれだけ人を愛し恋焦がれた所で、何も伝わらないのです」
コンラッド様に向けた言葉は、自分への戒めにもなりました。
コンラッド様が私を愛していたのだと訴える様に、私だってこの方を愛していた。本当に、愛していた。
ですが、コンラッド様が私に会いに来てくれなかったように、私もコンラッド様に会いたいと訴えなかった。
会いに来てくれないのなら、会いに行けば良かったのに。
訴えても来てくれなかったら思うと怖くて、彼の冷たい表情を見るのが怖くて。どうする事も出来ずに私はただただコンラッド様を待ち続けた。
その結果――マイシャが彼を救うまで、彼を闇の中に置き去りにし続けた。
――あの方は誰も想ってませんよ。だから諦められないんです。
ライゼル卿が言っていたとおり、マイシャがコンラッド様を愛していないのだとしたら。
気に入った装飾品を譲ってもらう気持ちで私から奪ったのだとしたら。
(……私達の愛は、私欲に負けたという事になります)
私欲に負ける本当の愛なんて、酷く滑稽な話ですが――あの子の私欲による行動は間違いなくコンラッド様を光の無い暗闇から救っていた。
肝心な時に行動を起こせない愛に何の力もなく、私欲の行動にすら劣る。
「コンラッド様……貴方はマイシャと結婚する際、あの子を生涯守り抜く事が私への償いだと、お父様に言ったそうですね……? 私を守れなかった分、マイシャに尽くしたいのだと。ならば今こそマイシャに寄り添い、守る時ではないのですか……?」
「……無理だ。彼女はあれからずっと部屋に閉じこもって私が悪い、公爵が悪い、レイチェル様が悪いと繰り返し喚いて、私の言葉など聞きもしない……!!」
「それでも……貴方はかつて、マイシャに助けられたのでしょう?」
あんなに幼稚で甘ったれた大人を見れば、逃げたくなるでしょう。
マイシャの本性を知って、戸惑い、こんなつもりじゃなかったと嘆きたくもなるでしょう。
そんな中、かつて愛した人が生きているかもしれないと思えば――会いに来たくなるのかもしれません。
それでも、結婚式のコンラッド様の幸せな笑顔はマイシャが作り出した物。二人の間には子どももいる。
あの子に救われておきながら、子どもまで生ませておきながら都合が悪くなった途端見捨てるなんて、絶対に許せない。
「コンラッド様……私達にはマイシャを救う事は出来ません。マイシャを救えるのは貴方しかいないのです」
「だが、今の私では」
「公爵に見限られた妻と離縁せず傍に居続ける事を選べば、批判だけでなく関心と同情も集まるでしょう。もちろんアドニスの二輪花を枯らした事への誹謗中傷は避けられないでしょうが、コンラッド様自身が再び前を向こうとすれば、陰からほんの少し手を差し伸べてやってもいいと思う人達も少しはいるはずです」
コンラッド様は武芸にも秀で、学問にも長けた方。地位も名誉が無くなっても、価値が無い、なんて事はない。
単に領主として失格の烙印が押されただけで、かつての私よりずっと可能性が残されています。
「コンラッド様……私も一度逃げた身です。ですから貴方があの時、私から逃げた事を責める事はできません。ですが、私はもう二度と逃げません。コンラッド様もどうか二度と、愛した人から逃げたりなさいませんよう……同じ過ちを繰り返さないよう、よろしくお願い致します」
願いを込めて言い終えると、コンラッド様はじっと私を見つめています。
これが、コンラッド様に贈る最後の言葉――私の心はこの方に何処まで届いたでしょう?
分かるまで根気よく話し続ける程の情ももう残っていないのが、悲しい。
「……と、私が本当にシスティナ様ならそんな風に言うと思いますわ。でも、私はシスティナ様ではありませんから……どうぞ、コンラッド様のお好きになさればよろしいかと。ただ今後、私がシスティナ様だと騒がれるようであれば、公爵閣下やレイチェル様に色々相談しなければなりませんので……今回のお話はくれぐれも内密にお願いしますね?」
今後余計なトラブルが起きないようしっかり圧をかけた後、行動停止魔法から解放されたコンラッド様は、私に、お父様と兄様に深く一礼した後、フラフラと応接間から出て行かれました。
ポツポツと雨が当たりだした窓の向こう――アドニス家の馬車を、お父様は眉を潜めてずっと眺めています。
「システィナ……何故あの男を焚き付けた?」
お父様からすれば、自分がマイシャを背負うつもりでいたところを私に水を差されたようなものです。
お父様の問いに、どう答えるべきか――悩んだ所で丁度、雨に濡れたコンラッド様が力ない足取りで馬車に向かっている姿が見えました。
「……かつて私を見捨てたあの方が、マイシャまで見捨てようとしたのが許せなかったのもありますが……マイシャがこれから先、辛く苦しい道を歩むなら……彼女を支えてくれる方がいてほしいと思ったのです」
私はお父様と違って、マイシャの面倒を見ようとは思いません。
アーティ兄様もマイシャの事が気がかりではあるようですが「自分が一生面倒見る」とまでは言えないのでしょう。
ただ――私はお喋りでお騒がせなマイシャにとても苦労させられましたが、良い想い出だってたくさんあります。
誘拐事件や今回の事で、助けたいと思える程の愛は消え失せても、けして野垂れ死にはしてほしくない。
できる事なら私が関わらない場所で悔い改めて、お父様や兄様に迷惑かけずに幸せになってほしい。
一切手を貸すつもりはないけれど、幸せだけは願う――そんな身勝手で温い情が、心の中にあるのです。
コンラッド様に対しても同じ――かつて生涯寄り添っていきたいと想っていたあの方に落ちぶれて欲しいとは思っていません。
(どうか……私の様に命を投げ出す事無く、向き合ってほしい)
これからどんなに辛い事があっても、お互いに照らしあって生きていってほしい。
それが私があの二人に向けられる、最後の情であり、願いです。
「マイシャの支えは……私は力不足か?」
「いいえ……お父様には兄様とメルカトール家を支えてもらわなければ」
眉を寄せて厳しい顔で私を見つめるお父様に微笑んだ後、改めて窓の向こうを無ると、雨に濡れるコンラッド様が馬車に入るのが見えました。
一瞬、目が合って――何とも悲しそうな表情の彼に、心が微かに傷みました。
それを悟られないように後ろを振り返ると、丁度ソファから立ち上がった兄様と目が合って。
「……システィナの気持ちは痛いくらい分かるし、彼は父上よりマイシャと相性良いと思うけど……来るべき時に来ず、来てはいけない時に来てしまう人にマイシャを支えられるかな……」
「兄様……事件が起きる前までのあの方は本当に美しく、武芸にも学問にも長けて、輝いていらしたのです。どうしてあそこまで堕ちてしまったのでしょう……?」
私が知っているコンラッド様は、私を見捨てた挙句、私の妹と二人も子を成しながらまるごと捨て置いて、別の女にうつつを抜かすような方ではありませんでした。
一体、何が彼を変えてしまったのか――私の問いに答えたのはお父様でした。
「……彼は普段こそ非の打ち所がないほど良い男だったが、危機にすこぶる弱かったのだろう。だが危機に弱い領主など、いずれ取って代わられる……彼が領主を降ろされたのはアドニス家にとっては幸運だったかもしれんな」
「危機……確かに、危機に直面して追い詰められた時に絶対に正しい行動を取れるかと聞かれたら正直私も自信ないですね……」
二人の会話に<普段だらしないけど、ピンチの時には絶対助けに来てくれる>――そんなヒーローが出てくるロマンス小説を思い出します。
私はそのヒーローをあまり好きになれませんでしたが、普段しっかりしていてもピンチの時に助けに来てくれない人よりはよっぽどいいのかも知れません。
「まあ……彼もかつて本当に愛した女性にあそこまで言われれば、男として成長せざるをえないでしょう。父上……マイシャを連れてこの家を出て行くかどうかは、彼がどうするかを確認してからでも遅くないかと思います」
「そうだな……彼もかつて本当に愛した女性にあそこまで現実を突きつけられれば、目を覚ましてくれるかも知れん……準備だけしておいて、もう少し見守ってみるか」
門から出て行く馬車を見送るお父様を挟んで、私と兄様は顔を見合わせて、互いに肩の力を抜いて微笑みました。




