第45話 譲れない条件
「とてもありがたいお言葉ですが……先に一つ、質問してもよろしいですか? 貴族の当主が何故ギルドの鑑定士を?」
待ち望んでいた貴族からの接触に逸る気持ちを抑えて問いかけると、ライゼル卿は「ああ」と思い出したように相槌をうち、再び微笑みを浮かべました。
「仕事の関係でたまたまギルドにいた時に『ティブロン村の商品を鑑定してほしい』と入って来た者がいましてね。呪われた村の民がどんな物を持ってきたのか、興味があったので私が鑑定すると名乗り出たのです」
なるほど。貴族の当主が何故ギルドにいたのか疑問でしたが、商売に携わっているのなら商人ギルドにいる事はおかしくありません。
フードを目深に被っていたのも、周囲に貴族の当主だとバレると色々と面倒な事になりかねないからでしょう。
嘘を言っているようには見えませんし、何より、待ち望んでいた商人貴族の接触。
懸念はありますがこれ以上この場であれこれと追及するのは野暮というもの。
館に行く事を了承してライゼル卿に案内された先には荷運び用ではなく、人の移送に使われる高級な馬車が停まっていました。
初めての馬車に驚愕しているのでしょう。サンチェとゴーカは座席の隅っこに寄って完全に固まり。
そんな二人の向かいでリュカさんが二人にリラックスさせるような言葉をかけて場を和ませます。
お陰で橋を渡った先の南部――北部とはまた違った、大きな家と庭が並ぶ閑静な街並みを通る頃には二人ともいつもの調子に戻っていました。
ライゼル卿の館――コの字型の豪邸を前にした際もリュカさんは圧倒されている子ども達の背中を優しく押して入っていきます。
(……リュカさん、これまでの旅で貴族との親交もあったのでしょうか?)
気さくで社交性もありますし、誰とでも仲良くなれる方ですから、全くおかしな事ではありませんが――彼と本来相性が悪いだろう、やや緑がかった水色をふんだんにあしらった馬車や館に対して一切の嫌悪感を出さない、相手を不快にさせないリュカさんを心から尊敬します。
ライゼル卿も朱色の魔力を持つリュカさんが自身の館に足を踏み入れる事に一切嫌悪感を出さない当たり、商人としてかなり有能な人間だと察せられます。
(……流石、お父様が褒めていた『オルカ男爵家のライゼル殿』だけありますね)
平民から成りあがった父親から財と爵位を引き継ぎ、父親に勝る商才で勢力を伸ばす若き商人貴族の話は、私が誘拐されるより前にお父様から聞いていました。
アクアオーラの商人貴族に気に入られれば、いつか会う事になるかも知れないとは思っていましたが――まさかこの都市にいたなんて。
(この巡り合わせが吉と出るか、凶とでるか……)
懸念を消せないまま応接間に入り、柔らかなソファに座ると美味しい揚げ菓子と海のような深い青が綺麗なお茶を出され。
子ども達が揚げ菓子の美味しさに夢中になっている所でライゼル卿は本題を切り出してきました。
「先日購入した品々……こちらの方でも色々確認させて頂きました。その結果品質的に全く問題無いという事が分かったので、是非私が経営するオルカ商会と専売契約を結んで頂きたい。価格・条件共にこちらの書類に記載しております」
語りながら手渡された書類には、取引希望の金額や条件が事細かに記されていました。
「……スミそのものではなく、あくまでもスミで染めた加工品の取引を希望されているのですね?」
「ええ。原料が生物の体液という事を考えると保存も輸送も難しいでしょうし……何より、そちらの村以外で<ついたら一生落ちないスミ>を加工してくれる場所はまず見つけられないでしょう。ティブロン村で加工までして頂いた方が値段もリスクも抑えられる」
扱いの難しい原料を自分達の手で扱おうとしない、慎重な性格と交渉前にあらゆるリスクを考えて最善の策を取る。
こちらからあれこれと説明する手間が省けて、とても助かります。
書類に記載された取引の流れは以下の通りでした。
春夏秋の三季節の間二週に一度、オルカ商会の荷馬車がティブロン村を訪れる。
その際、次に染めてほしい未染布を荷馬車から下ろし、空いたスペースに商品を乗せてオルカ商会を贔屓にしている貴族に売って回る。
未染布の費用はオルカ商会が持つ。
条件的にはこちらにかなり都合が良い物ですが、記された価格は想定していたものより低い物でした。
彼らがティブロン村の商品を売ってくれる――それはアクアオーラ中に広まっているティブロン村の呪いを代わりに解いてくれる、という事です。
そして私達がウェサ・クヴァレまで出向く必要も無くなる――それは村と都市の往復の際、賊に遭遇する危険性が無くなる、という事。
大きな商団の移動となれば、当然護衛も多くつきます。
自分達より確実に、より多くの荷物を安全に売り捌く事が出来るでしょう。
未染布を買うお金が丸々浮き、行商の手間が無くなり、勝手に呪いが解けていく――この三点は取引価格以上の価値があります。
想定していた値段より低くとも、今より実入りが増える事を考えればティブロン村にとって破格の条件と言っても良いでしょう。
ですが――専売契約はその名の通り、《《その商会にしか商品を売らない》》という契約です。
ここでオルカ商会と専売契約を結べば、他の商会と接点を持つ事は難しくなります。
その点を踏まえて、改めて相手側の条件を相手側の視点で考えてみましょう。
ティブロン村よりずっと北に、ウェサ・バリエナという海洋都市があります。
新聞を読む限りでは魔物が滅多に現れず、海産物も豊富にとれる――南にあるウェサ・マーレ程ではないにしろ、かなり豊かな都市です。
そちらに向かう直線ルートを、ティブロン村に寄って海岸を辿るように輸送ルートを変えるだけ――と考えれば、オルカ商会の負担はこれまでとそう変わらないはずです。
次に未染布。これも去年売れ残った未染布を安く買い集めた物――その辺りの事情を考慮すれば、いくらこちらにとって好都合な条件でもへりくだって承諾するような内容ではありません。
少々、オルカ商会――というかライゼル卿自身にも不安な点があります。
後々問題が起きそうな所と、この値段で契約するくらいなら――
「……そちらの都合を考えて組んだ条件なのですが、ご納得いただけませんか?」
不快に思われないよう無難な微笑みを張り付けているのですが、私の沈黙を向こうは納得がいっていない、と判断したようです。
私の思考を遮るように言葉を挟んできたライゼル卿に、そっと値段が書かれた書類を押し出します。
「いいえ、そちらから提示された条件はこちらとしてもありがたい物ばかりですわ。ただ……《《他の方もこの位の条件は出してくる》》でしょうから……後はこちらの出す条件を飲んで頂けるかどうかと、金額の問題ですね。と言っても、金額の方は後ほんの少し……と言った所なのですが」
「分かりました。金額を見直す前にそちらの条件をお聞きしてもよろしいですか?」
笑顔で応えるライゼル卿に胸が微かに痛むのを感じつつ、話を切り出します。
「ライゼル卿は……メルカトール家をご存じですか?」
「……ラリマー領、ウェス・アドニスの子爵家の事なら。私と同じ商人貴族という事もあり、よく知っています」
「それなら話が早いですね。実は私の亡くなった叔母がメルカトール夫人で……私は次期当主アーティ様の従姉妹に当たりますの。その縁からティブロン村はメルカトール家から長い間、多額の援助を受けています。そういった事情から、ティブロン村の品をラリマー領で売る際はメルカトール商会を介して頂きたいのです」
私が知る限り、メルカトール商会はいつもギリギリ赤字にならない範囲で運営されています。
かつてはお父様に商才が無いから――と悲観的に見ていた、商会の低迷。
ティブロン村への何の見返りも無い支援を続けているからだったのだと、今なら痛い程分かります。
むしろ、無茶な支援を続けていながら赤字を出さなかったお父様の手腕に驚愕している程です。
ティブロン村が支援を必要としなくなるまで発展するのはもちろん、ティブロン村の品々がメルカトール家に利をもたらし、お父様達を助ける事が出来たなら。
親の事情も悟れなかった親不孝な私にも、親孝行が――いいえ、恩返しができれば私の罪も、心も軽くなる気がするのです。
私の言葉を最後まで聞き終えたライゼル卿の表情から、笑みが消えていました。
静まり返った応接間の中で、それでも私は言葉を続けなければなりません。
「どれだけ良い価格を、条件を付けられようとこれだけは絶対に譲れません。ティブロン村の呪いが解け始めたのは、メルカトール家の援助があってこそですから」
ライゼル卿は私の視線に耐えかねるように視線を机に落とし、沈黙を貫きます。
その反応は予測していた通りの物で――当然の事でした。
ライゼル卿は、マイシャの婚約者候補だったのですから。




