第44話 変わり始めた村
「何だか最近、下の方が賑やかだねぇ」
ジリジリと肌や焼けるような陽射しが差す中、おばあ様は灯台の下を眺めながら嬉しそうに呟きました。
春の初めから夏の盛りに入ったこの4節の間に、ティブロン村の雰囲気は随分と変わりました。
村の中で潮風が最も当たるこの岬には青い布がかかった物干し台がいくつも並び、スミフラシのスミと海水を混ぜた桶がここからでも確認できます。
その周囲では村人達が何やら談笑しているようで。
会話の内容こそ聞こえませんが、潮風に乗って村人達の笑い声が微かに聞こえてきます。
二週間に一度、染めあがった布や祝福が込められた装飾品をウェサ・クヴァレまで売りに行き、売れたお金で新たな布や村に必要な物を購入する日々。
<商人貴族と専売契約を結ぶまでの、期間限定の店>という箔があるからでしょうか、ありがたい事に毎回売り切れるので村の人達の服や冬の防寒具を少しずつ買い替える事ができています。
「ここを呪われた村にしたスミフラシが村を助けてくれるなんて、物凄く複雑な気持ちだけど……ここまで賑やかな声が聞こえてくるようになった今、感謝しないといけないんだろうね」
「おばあ様も一度、村に下りてみる?」
「……いいや。あたしゃここから降りたらもうここまで上がって来れそうにない。あんたやオズウェルは今忙しいんだろう? 灯台守の仕事は片手間でやっちゃいけないんだ。あたしゃもう、死ぬまでここを離れないよ。村が賑わってるのが分かるだけで十分幸せだ」
「そう……」
「そんな事より……あんたはあの魔獣使いとはどうなんだい?」
スミフラシの布達から少し視線をズラした先にいる、リュカさんと魔獣達――岩場の先端から動かないのでどうやら釣りをしているようです。
「前に、旅人はやめておけと言ったけれど……あの子はこんなババアの昔話も笑顔で聞いてくれるし、色々面倒臭い事も嫌がらずにやってくれる。悪い子じゃないね。あの子となら……」
「おばあ様、リュカさんには好きな人がいるから……」
「そうなのかい? あたしゃてっきり…………まあ、いいか。あの子達は今年の冬もいてくれるんだろう?」
おばあ様は心底意外そうに目を大きく見開いた後、それ以上は追求せずに話題を変えてくれました。
「ええ……ニアを一人前の魔獣使いにするには時間がかかるらしくて……それに、弟子も増えたから来年の夏まではいるって言っていたわ」
「そうかい……できれば死ぬ時はリュルフのモフモフの毛に包まれて死にたいねぇ……ゴワついてて獣臭さもあるけど、悪くない」
おばあ様はすっかりリュカさんの――というよりリュルフの虜のようです。
「あ、先生!」
灯台を降りると、小さな桶を持ったニアが駆け寄ってきました。
「これ、今日集まった分!」
「ありがとう」
ニアが持って来てくれた籠の中には大小様々な貝と貝殻がいっぱい入っていました。
これらは汚れを落としたりスミフラシのスミで染めたりした後、ゴーカの装飾品に使われます。
これらはニアだけで集めた物ではありません。
村の子ども達の大半が手隙な時に集めてくれた物です。
ゴーカとムトに稼いだお金で何を買って来てほしいか聞いた時、彼らは村の子ども達全員に美味しい物を買ってきてほしいと言いました。
「俺らだけが美味しい思いすると後々面倒だから。これなら俺らも皆もいい思いできるだろ?」
「そうそう、先生の所で学びたくても親が許してくれない奴らとか、ネチネチ言って来なくなるだろうし」
かつて、伯父様が呆れたように言っていた事を思い出します。
当人の前ではいい顔をするけれど、裏では色々言う――そんな村人達の気質を二人はよく分かっていました。
そんな村人達を納得させる為には、本人達にもいい思いをさせてあげる事が一番確実なのだという事も。
イチル達だけではなく、他の子ども達にも果物を――そんな伯父様の一見非効率的なやり方も、この村にとっては最善なやり方だったのです。
ゴーカとムトが他の子ども達に肉蒸しパンやお菓子を配った結果、こうして村の子ども達が材料集めを手伝ってくれるようになったのですから。
「後、リュペンとニルルとニュルルも真珠取って来てくれたよ!」
「キュイ!」
「キュ!」
「クィ!」
ニアの後を追いかけてきたリュペンとニルル、そして春の終わりごろにリュペンとニルルの間に生まれた、愛らしく小さな青色の毛玉。
皆、クチバシを使って小さな粒をくわえています。
手を差し出すと、ニルルとニュルルがポトポトと手の平の上に丸い粒を落としました。
それは以前、リュペンがニアにあげた艶のある青い粒と同じ物――真珠です。
ニアが言うにはリュペンが子どもの頃、魚をくれた人にあげたらすごく喜ばれたそうで。
ニアが落ち込んでるのを見た時、リュペンはその事を思い出したんだそうです。
人が喜ぶのも当然です。真珠は貝から取れる高級な装飾材料の一つで、小さな物でも数千ベルガー、大きな物なら数万ベルガーの価値がありますから。
更に真珠は魔力に染まりやすい特性があり、白や青、水色、緑、青緑など産地や貝によって様々な形と色の粒が取れ、値段も様々なのですが――
最後にリュペンの口から出てきた真珠は光を浴びた水面のように入り混じる、青と水色のまだら模様がとても綺麗な物でした。
「あら、今日は海真珠も見つけたのね……! 皆、いつもありがとう」
私はリュペンとは意思疎通が出来ませんが、私がお礼を言っている事はリュペン達にも伝わっているようで。
自慢げに両手を曲げて胴体にあてています。
海真珠、というのはその色合いから私が名付けた物です。
これで首飾りや腕輪を作れたら、どれ程の価値に――と思うのですが、真珠は自然の産物。
リュペン達が真珠を取って来てくれるようになって三節過ぎますが、これで5粒目、と考えると装飾品としてお披露目するにはまだまだ時間がかかりそうです。
「その真珠が入ってる貝、フカワニサメがいっぱいいる所にいるからなかなか近づけないんだって」
「そう……リュペン達にはくれぐれも無理しないように伝えてくれる?」
「うん! ところで先生……次の旅には誰を連れて行くの?」
「そうね……この間はムトを連れて行ったし、ゴーカ以外の子も細工をしてみたいって言ってるから、ゴーカに細工道具を見てもらおうかなと思ってるわ」
ティブロン村の呪いが晴れ始めている今、多少手足が青い子も連れて行って問題ないのではないか――そう判断した私達は護衛のリュカさんと、接客と購入担当の私、荷物持ちのサンチェの他に後一人、ある程度授業を受けて学んだ子ども達を交替交替で連れて行く事にしました。
イチル、ヨヨ、ゴーカ、ムト――ウェサ・クヴァレに行った子ども達がその感動を村の子達に伝えると、授業を受けたいという子が一気に増えました。
文字と計算を覚えれば自分達も都市に行ける。
更に水色の魔力を持つ子達はムトの祝福を、そうでない子達はゴーカのように細工が出来るようになれば、自分達も稼げると思ったようです。
売り物にできるような装飾品を作るにはそれなりの細工道具が必要です。
私は質の良い悪いの見分けはつきますが、実際の使い勝手については殆ど分かりません。
店員に聞いて買った物は当たりでしたが、全員に配るには値段が張る物ですし、実際に使ってる人間が良いと思った手頃な値段の物を買った方がいいでしょう。
「じゃあ、イチルはお休み?」
「そうね……イチルが都市に行くのは嫌?」
ほっとした様子のニアに問い返すと、ニアは驚いた顔をした後、頭を少し俯けました。
「……嫌、って訳じゃないよ。ただ……あたしはリュペンやニルル、ニュルルの面倒見なきゃいけないから……村の呪いが解けてイチルが迎えに来てくれても、一緒に村を出ていけないかもって。そう思ったら、ちょっと寂しくて」
「ニア……」
「イチルだけじゃない。サンチェやヨヨも、今先生の所で学んでる子達もいつか村を出て行っちゃう……皆いなくなっちゃうの。でも、あたしは行けないの」
都市に憧れを持った村人達が出稼ぎに行ったまま、そこを終の棲家とする――それは珍しい話ではないそうです。
呪いが解ければティブロン村の人達が完全に拒絶される、という事はないでしょう。
ニアは子ども達から楽しい話だけ聞かされているのでしょう。
私達がウェサ・クヴァレで物を売っている時、けして好意的な視線ばかりではない事を知らないようです。
呪いの原因が分かっても、伝染らない事も分かっていても、ウェサ・クヴァレの人達にとってティブロン村の人間が手足も口も青に染まった異端者である事に変わりありません。
拒絶はなくとも、本能的な差別はある。市場に行った子ども達はそれを肌で感じているはずです。
それを他の子達に伝えてしまったら憧れを潰してしまう事になるから、言えない。
「……大丈夫よ、ニア。皆いなくなる事はないわ。皆一時的に離れたりはするかもしれないけど、ちゃんとここに戻って来る」
「本当……?」
「ええ。この村が都市と同じ位発展したら、出稼ぎに行ったりする必要も無いでしょう?」
スミフラシ、皿貝、綺麗な貝殻、真珠、海真珠――村を発展させられる可能性は色んな所にあります。
そしてスミフラシの青が何処を染めていても差別される事の無い――何の呪いもかかっていない、皆が穏やかに過ごせる街はここにしか作れない。
「大きく……なるかな?」
「もちろん。ここは絶対に素晴らしい街になるわ」
村を確実に発展させるのが私に課せられた役目であり、使命なのですから。
ニアとそんな話をした次の旅で、待ち望んでいた事がついに起きました。
「あれ以来、大盛況のようですね」
お昼に差し掛かる前、リュカさんとゴーカ、サンチェと共に市場でいつものように品を売り切った所でその人は声をかけてきました。
「ええ。鑑定士様や優しい方々のお陰で繁盛しております」
「おや、私の事を覚えておいででしたか」
「もちろんです。品物を買ってくれたお客様の顔はしっかり覚えるようにしてますので」
「なるほど。商人として素晴らしい才能ですね」
二回目のウェサ・クヴァレで商品の鑑定をしてくれた、薄水色のマントのフードを目深に被った、穏やかな声の鑑定士――布を買ってくれたタイミングも相まってこの方の事は非常に印象に残っています。
鑑定士様は感心したように微笑むと、おもむろにフードを下ろしました。
「先日は美しいレディを前に名乗りもせずに立ち去ってしまい、申し訳ありません。私はライゼル・ディル・ゼクス・オルカと申します。顔だけでなく、名前も覚えて頂けたら幸いです」
しっかり手入れされた艶やかな黒髪に、端正な顔立ち。
そしてにこやかに笑う鑑定士様の綺麗な水色の瞳――それらに気を取られている間に彼は私に一礼し、手を差し伸べてきました。
「今日はお話があって参りました。お連れの方と一緒に私の館まで来て頂けないでしょうか? 近くに馬車を待たせています」
その一連の仕草は、間違いなく貴族の振る舞いでした。




