第42話 2回目の都市
「すげー! 人がいっぱいいる!」
「よ、ヨヨ、お兄ちゃんの手を放すんじゃないぞ、さらわれちゃうからな」
「お兄ちゃんの手、震えてるの」
「サンチェ、ヨヨ、見ろよ、灯台みたいな家がいっぱいある!」
絶え間ない人の波、木を軸に石やレンガを組み合わせ漆喰で固めた建物――村には無い物が視界に入る度に、子ども達から驚きの声が上がります。
初めて目にする物が多すぎて、戸惑っているのでしょう。
リュカさんの後をついていく子ども達の三者三様の様子を微笑ましく見守りながら、リュルフと一緒に後をついていきます。
(……ニアやゴーカ達を連れて来れたら、彼らはどんな反応をしてくれるでしょう?)
いつか、本当に連れて来る事ができれば――そんな事を考えながら以前出店を開いた場所に着くと、既に人だかりができていました。
「おおリュカ、本当に来たな」
人の壁を抜けて私達の店のエリアに立つと、見覚えのある人――ビルさんが声をかけてきました。
ビルさんの目は穏やかですが、彼の隣に立つ一回り体格の大きい髭を生やした男性が怪訝な表情で子ども達を睨んでいます。
「子ども達って言うからガキなのは分かってたけど……こりゃまた随分幼い子ども達だな」
「仕方ねえだろ。俺らより上の人達は皆スミフラシ食べてるから口の中が青いんだ」
「冬はスミフラシか果物食べねえと寒さに負けて死んじまうんだ、って母ちゃんが言ってた」
初対面の人にも動じないイチルとサンチェの度胸には感心しましたが、同時に敬語を教える必要性も感じました。
幸いビルさんも隣の男性もその辺を気にしない方だったようで、子ども達の口の中を注視していました。
「ふーん……確かに口の中は染まってないな」
「手足はどうなんだ? 隠してたら分かんねえだろ」
ビルさんの横に立っていた、ビルさんより一回り大きい方が子ども達を威圧するような低い声を出します。
「ブル……子ども相手にそう脅かすな」
「おいおい兄貴……子ども達が本当に呪われてないってんなら手足も確認しないといけねえだろ」
怯えるヨヨをサンチェがかばう様に前に出て、手袋と靴を脱ぎました。
イチルも動じる事無く自分の手足を曝け出します。
二人の手足は、村の人達に比べれば大分綺麗ですが――まっさら、という訳ではありませんでした。
手首や足首の辺りは青白く染まり、多少青いスミがついています。
口の中を汚さないようにスミフラシを食べないようにしてもらう事は代替品となる果物が美味しい事もあって、イチル達の親に反発無く受け入れられたそうです。
ですが、手足を汚さない為に海に入らない、他の子どもと一緒に遊ばない――というのはあまりに可哀想だと聞き入れてもらえず。
伯父様自身も思う所があったそうで、手袋や靴で隠せる範囲が汚れる分には、と譲歩したそうです。
子ども達もなるべくスミフラシに近づかないように気を付けていたそうですが――
「……スミフラシがいる海で遊んでたら、そりゃ全くつかないってのは難しいよ」
「なあ兄貴……今の時点で手足に小さなシミが着いてるって事は、これが広がっていくって可能性もあるよな?」
「うーん、まあ……」
どうやらこの方はビルさんの弟のようです。歯切れの悪いビルさんの言葉もあって周囲の空気が冷ややかになるのを感じました。
「広がらねえって! 海に入ったりスミフラシに触ったりしなきゃいいだけだって!」
「俺達はそのスミフラシって生き物を見てないからなぁ」
イチルが張り合うする中、気まずい空気に耐えかねた様にイチルとサンチェが私を見上げます。
この状況で次はスミフラシを持ってくれば全て解決するかと言われたら、答えは否です。
あのヌルヌルヌメヌメした生物を見て好ましく思う人間は、恐らくここにはいないでしょう。
見せたところで『気持ち悪い』と今以上に避けられるか、下手すればスミが飛んで大変な事になる可能性すらあります。
「ブルさん、俺は見たよ。拳大くらいの、藍色のデカいナメク」
「へッ、女子どもに甘い魔獣使いが何言ったって信用できねえな!」
リュカさんの言葉が遮られた事に感謝します。
今まだ布の美しさを広めてもいない状態で先に『大きなナメクジみたいな生き物のスミで染めてる』なんてマイナスイメージがついてしまったら、売れる物も売れなくなってしまいます。
では、どうすれば――どうすればこの状況を乗り越えられるか考えた、その時。
――嫌な事を言われた程度で弱気になるから、追及されるのです――
そんな、酷く懐かしい言葉が頭に過ぎった瞬間。
私の口元は緩み、言葉を紡ぎ出していました。
「手足も口の中も真っ青なティブロン村の民が恐い……もしかしたら自分達にも移るかも知れない、と私達を恐れる気持ちは分かります。人は皆、未知の物を恐れるものですから」
子ども達を不安にさせないように、周りの人を不快にさせないように。
優しく穏やかな声で紡いだ言葉は周囲の喧騒を静めました。
「ですが……私達の村がこれまで貴方達に何か危害を加えた事はありますか?」
「何かしたかって言われると……」
「……呪いが移るかも知れないから近寄るな、とは言われてるけど……実際に呪いが移ったって話は聞かないよな……」
静まり返った場で問いかけた言葉に返ってきた、戸惑いの声。
あのお方は『嫌な事を言われても堂々真っ直ぐに問い返せば、弱き者は皆押し黙ります』と仰っていましたが、私には民衆を押し黙らせる事はできないようです。
それでも、相手が私の態度に言葉を噤み、引かせる事が出来るこの感覚――とても懐かしい。
説得力とは堂々と言葉を紡ぐだけでも生まれるものなのだと、改めて思います。
貴族社会では実に多くの花が咲き乱れています。
様々な色合いと形状、その上様々な付加価値のある美しい花々が己の美をそれぞれのやり方で主張する。
令嬢が己の美を主張するのは、家の為、条件の良い殿方に好かれる為だけではありません。
自分と大切な物が毒虫に食われないように、潰されないように、皆公の場で咲き誇るのです。
美しさを主張できない花は悪意ある者に踏み躙られるか、質の悪い毒虫に蜜を吸われて枯れ果てるしかないのですから。
だから水面下がどれだけ濁っていても、水面上は一切その濁りを見せずに穏やかに美しくやり過ごす――それが、この地方に生きる女性貴族の嗜み。
そんなかつての自分の心得が、体をしつこく蝕む緊張を払拭していくのを感じます。
(そう……今は、恐怖などに体を捉われている場合ではないの)
今の私には、叶えたい事がある。守りたい物もたくさんあるのです。
「リュカさんが言った通り、ティブロン村の民の青は呪いではなくスミフラシのスミです。だから私達と接する事で貴方達が呪われる事など、絶対にありません」
真っ直ぐブルさんの目を見て微笑みかけると、彼は僅かに後ずさりました。
「で……でも、お前らが売ってるのはそのスミで染めた服や布なんだろ? その服を着たら呪われるかもしれないだろ……!?」
「スミフラシのスミは一度乾いたら色移りしません……少なくとも、《《日常生活で使う分には色移りしない》》事をお約束します」
上級貴族、下級貴族、平民――相手に応じて振る舞いを変える事も大切ですが、どちら相手でも堂々としていなければならない事には変わりません。
特に商売の場合、売る人間が堂々としていなければ売り物の価値も貶めてしまいますから。
「……毒性が気になる方は鑑定士を呼んでも頂いても構いませんよ。ですがその場合の鑑定料はそちら持ちでお願いします」
「ど、どうする……?」
「ギルドに鑑定士が常駐してるはずだ。誰かちょっと行って来いよ……!」
「じゃ、じゃあ俺行ってくる……!」
今までの流れを眺めていた傍観者の中の一人が、ギルドの方に走っていきました。
ひとまずの危機は脱したと判断して、子ども達の方に向き直ります。
「それじゃあ皆、鑑定士が来る前に、荷物を広げましょう」
「お、おう!」
「先生、何か凄かったの……!」
「あ、ああ、先生、凄ぇカッコ良かった……!」
恰好良いというのは普通、殿方に使う言葉ですが――不思議と悪い気はしませんね。
スミフラシの布、青く染めた皿貝の皿、ゴーカが作った装飾品など、商品を一通りを並べ終えた所で鑑定士の人が来てくれました。
薄水色のフード付きマントのフードを目深に被った鑑定士は商品を一つ一つ、毒性検知魔法で確認していき、それを周囲の人がじっと見つめています。
何の騒ぎか気になった人も集まっているのでしょう。人だかりは先ほどよりずっと多くなっていました。
まるで市場の中央――もしかするとそれ以上の人から注目を浴びているかもしれない中、鑑定士が立ち上がり、私の方を向きました。
「……全て、毒性は認められませんでした。装飾品の方にかかっている祝福も正しく込められているようです」
「あら、祝福の鑑定もして頂けるなんて……ありがとうございます」
「いえ……美しいレディ相手にはこの位のサービスは当たり前ですよ」
フードを下ろさない鑑定士の、態度とは裏腹の紳士な言葉と口元の笑みにギャップを感じる中、人だかりが散る様子はなく迷いの声がチラホラと聞こえてきます。
「……どうする?」
「でも、置かれてる物見るとどれも値段が安くねえし……」
「だけどあの青布、凄く綺麗よね……」
値段は他の店で売っている物を観察して、それより高く設定してあります。
ですが、けして手が出せない値段ではありません。
希少価値や高級感に重きを置く人間が、この場に一人でもいてくれればいいのですが――
「一旦家族と話して、また今度開いてる時に買うかな……」
「そ、そうだな、俺も親に聞いて……」
(一旦相談……ティブロン村の悪評しか知らない家族と相談されたら色々と不利ですね)
ここはもう少し、押した方がいいでしょう。
「……呪いが移る事が心配な方は買わなくて大丈夫ですよ。ただ……私達はいずれ貴族相手にこれを倍の値段で売る予定ですので、今が一番お買い得なのは間違いありません」
「こんな物を貴族に売るとか、正気か……?」
確かに、呪いの生物の体液で染めた物を貴族相手に売るというのは正気を疑われても仕方ありません、が。
「ええ、正気です。今は青色染料も青布ものきなみ高騰しています。この高騰はしばらくは続くでしょう。高騰している青布に比べれば、ここにある物は値段を倍にしてもまだ割安……貴族の服を仕立てている方々の目にこれが止まったら、ここに店を出す事も難しくなるでしょう。スミフラシのスミは大量に抽出できるものではありませんから……」
スミを吐き出させて、新たにスミを吐けるまで二週間程かかると伯父様が言っていました。
スミが吐けるのも成体だけ、と考えるとスミフラシの布を売る相手は平民よりずっと高く買ってくれる貴族相手に絞った方が良いのです。
これだけ鮮やかで人の目を引く青ですもの。絹や皮を染めれば貴族の間でまず間違いなく売れるでしょう。
ですが、貴族相手に売るには評判と実績が必要。
そして本来なら貴族相手に売るような物が、今なら自分の手で届く値段で買える――そんなチャンスを逃したくない、という思いが彼らをこの場に引き留めている。
誰か一人でも買ってくれれば、この人だかりは動き出す。
「特にこちらの鮮やかな青布のように、スミを大量に使って染めた物をこの場で、この値段で売れるのは今しばらくの間だけ……そう思って頂ければ」
誰でもいい。どの商品でもいいのです。
商人がどれだけ商品を勧めても、限界があります。
迷うお客様の背中を更に押してくれるのが――
「……それじゃ、その薄青色の首飾り、俺に売ってくれるか」
「ビルさん……ありがとうございます!」
救いの神が現れた事につい顔が緩むと、ビルさんは驚いたように言葉を詰まらせました。
「ま、まぁ……リュカには世話になってるし、あんた達が一生懸命なのも伝わってきたし。弟が色々失礼な事言っちまったし……その上今がお買い得だってなら、買うしかねえだろ? 後、これは餞別な」
「ふふ……また餞別を頂いちゃいましたね。ありがたく頂きます」
お代と青林檎がたくさん入った紙袋を受け取り、お礼を言うとビルさんはブルさんの耳を引っ張って人だかりの向こうへと言ってしまいました。
「では私も、この薄水色の布と青い布を一枚ずつ頂けますか?」
「あら、鑑定士様も……?」
「私は途中から来たので貴方方の事情はよく分かりませんが……この美しい布は仰る通り、貴族からも受け入れられるでしょう。どうぞ頑張ってください、美しい方」
丁寧な態度の鑑定士は二枚の布を受け取ると颯爽と去っていきました。
その身のこなしは洗練されていて、本当に鑑定士だったのかしら――? と疑問に思った直後、人が商品の前に集まりだしました。
「これをくれ!」
「私はこっちの布を!」
集まりだすなり目的の物を掴んで、私に銀貨や銅貨を差し出してきます。
そう――元々興味があるから立ち止まっている中、先に買う人が現れればそれが無くなると思えば、焦るもの。
誰だって、目を付けている物を他人に奪われたくないものです。
前回ここに来た時、スミフラシの布が少なくない人の目を引いたように、スミフラシのスミには人の目を引き付けるだけの美しさがあるのです。
噂を広めてくれた上に最初に買ってくれたビルさんはもちろん、集まってくれた人達にも、あの鑑定士の紳士の方にも感謝しなければ。
どれだけ美しい物でも、人に知られなければ広まる事はないのですから。
笑顔で銀貨と銅貨を受け取り、感謝の言葉を述べると買っていった方々は皆笑顔で去っていきます。
(お父様が人が満足げに買った物を抱えて去っていく時、とても良い顔をしていると嬉しそうに仰っていましたが……確かに皆さん良い顔をしています)
『だから商売は止められないんだ』と笑っていたお父様の気持ちがよく分かります。
人の幸せの手助けが出来るというのは、とてもやりがいがある物ですね。
そして周囲にはまだ迷っている方もいらっしゃるようなので、最後にもう一押ししておきましょう。
「本日の売り物は今ここに並べてある物だけですので、興味がある方はお早めにどうぞ」
その言葉で決心した方も何人かいたようで、空が赤く染まる前に持って行った商品は全て売りきる事が出来ました。




